第236話 直江与兵衛は、主の乙女心復活に振り回される
永禄4年(1561年)9月中旬 信濃国善光寺 直江実綱
朝餉を食べて、御座所に参上したが……管領様のお姿はなかった。
「もしや、また二日酔いなのか……」
まあ、そんな事はよくある話なので、気に留めずにしばらくそのままで待っていると、侍女がやってきて内密に教えてくれた。管領様は今、風呂に入って汚れを落としているので、もうしばらくかかるようだ……と。
「汚れを落としている?」
そういえば、八幡原で刃を交えたという松下大蔵少輔なる者がやって来て、昨日騒動が起きたと聞かされたことを思い出して、儂は何となく事情を察した。何度かその名を口にされて、「弥太郎に似ていた」と気に入られたようだったしな……と。
だから、お戻りになられた管領様に、「昨夜は、お楽しみだったようですね」と軽口のつもりでそのように申し上げたのだが……
「…………」
管領様は頬を染められて俯かれて、それからぼそぼそと「楽しかった」とお答えになられた。ただ、それは儂が知る管領様の姿ではなかった。
「あ、あの……どうされたのですか。弥太郎を相手にしたときでさえ、そのような態度は……」
「う、うるさい……だって、凄かったんだぞ。本当に弥太郎よりももっと……。もう、何もかもどうでも良いと思っちゃうくらいに。あたし、あたし……とろけちゃった」
ああ、何という事だ。いつも男勝りの口調をまるで初心な少女のように戻されてしまうとは!
しかも、とろけちゃったって……昨夜、一体何があったのかと儂は訊ねる。いや、他人の情事の事なんて聞きたくないけど、このままだと仕事になる予感がしないわけで。
すると、管領様はまたぼそぼそと事の顛末を教えてくれた。まずは、交渉の後で大蔵少輔殿も含めて薬で眠らせて、既成事実を作るべく大蔵少輔殿のみをご自身の寝所に引き込んで跨ったと。
しかし、そこで眠っているはずの大蔵少輔殿が野獣と化したと管領様は仰せられた。
「それは……睡眠薬が効かなかったと?」
「わからない。でも、激しかったわ。何度も何度も……ああああ!!!!」
そして、絶叫を終えられた管領様は顔を真っ赤にされて、子ができたら、なんと名付けようとか言いだした。
「は?」
「男の子なら、虎千代が良いと思うのよ。女の子なら、葵なんてどうかしら?ほら、源氏物語の……」
「は、はぁ……」
「そうだ。管領なんてもう辞めて、尾張に行こうかしら。毘沙門天様から『子ができました。おめでとうございます』と明け方にお告げがあったし、責任取ってくださいと言ったら、ご正室様も受け入れてくれると思うのよ。そうよ、信濃守に本当に丸投げして……」
「ま、待った!ちょっと、待って下さいよ!!」
「お腹に宿した子は待ってくれないわよ、与兵衛。とにかく、そういう事だから話を進めてくれる?」
いや、どこをどうやってこんな話を進めたらいいのだ。乙女と化した管領様にはホント頭が痛くなる。そうだ、儂も隠居しよう。もう、何もかもが嫌になって来たわ……。
「申し上げます!」
「なんだ?」
「只今、松下家の家老・木下藤吉郎殿がお見えになり、お話があると……」
松下家の家老?そのような者が一体何の用だと思ったが……まあ、どうでもよくなった儂はここに通すように言った。
すると、現れた藤吉郎という男は、どうやら昨夜のことを主から聞かされたらしく、その上で管領様に申し上げられた。これからの事を相談させていただきたいと。
「ちなみに、わたしは尾張に行きたいと今話していたところだけど……」
「それはやめた方がよろしいかと」
「なぜ?」
「奥方様が非常に恐ろしいお方だからです」
藤吉郎殿が言うには、おとわという正室は名うての鉄砲使いであり、此度の浮気がバレたら確実に大蔵少輔殿は殺されるからと。
「ちなみに……管領様も、我が殿が殺されるのは、望まれていませんよね?」
「あたりまえだ!あと三人は欲しいし……」
「さ、三人……ま、まあでしたら、昨夜の事は御心のうちにだけ、お留め頂けないでしょうか。それがお互いのためには最善と心得ますが……」
ちなみに、管領様はそれならば越後に連れ帰るとまで言い出したが、藤吉郎殿はその正室様の性格ならば、越後まで必ず始末しに来るから無駄だと……説得してくれた。
「某からもお願いします!子種も頂戴したわけですし、今回はここでお諦め下さいませ!毘沙門天の正義を示されるのは、この世に管領様しかおられないじゃないですか!」
そして、管領様は最後に涙を流されて、「わかった」とお答えになられた。少しかわいそうに思ったが、これは仕方がないと儂も心を鬼にする。
それにしても、何と恐ろしい男なのだろうか、その松下大蔵少輔は。まさか、下半身で管領様を篭絡するとは……。




