第231話 越後の龍は、信玄公の本陣に突入する
永禄4年(1561年)9月中旬 信濃国川中島 上杉政虎
時は少し巻き戻るが、妻女山を下りた我らは、霧を利用して八幡原を突破し、善光寺までできるだけ早く兵を移動させることが本来の目標だった。しかし……
「どうやら、武田の軍勢が待ち伏せしているようだな」
「え……?何も見えませぬが」
見えなくとも我にはわかった。臭いがしたのだ。どこか汗臭い男どもが集まっているなという不快な臭いが……我らの軍が列をなして行軍している側とは全く違う方角から漂ってきていて。
しかし、武田が待ち構えているのであれば、それはまた好都合というものだ。我はここで決着をつけるために、皆に突撃を命じた。
「む……あれは!」
そして、鉄砲で少なくない損害を出す最中で我は見つけた。敵本陣、さらに総大将たる武田信玄がいる場所まで続く一本の道を。だから、ただひたすらに馬をかける。味方が止めようと声を上げようとも、途中で敵武者に遭遇しようとも蹴散らして、真っ直ぐに……。
「待てぇええ!!」
先程馬から落した武者が追ってきているが、我の目に移るのは信玄ただ一人。
「お屋形様に近づけるな!」
「お屋形様をお守りせよ!」
雑魚は何人束になろうと、敵ではない。我はこれらを排除して床机に座る信玄目掛けて太刀を振るった。
「ぬ……防がれたか!」
「おまえは誰だ!?」
「我は上杉平三政虎なり!信玄、その首貰ったぁああ!!」
くそ……余計な言葉を口にしたな。おかげでまた防がれてしまった。しかも、後ろを追っていた武者が追い付いてきて、騎乗のまま我の前に立ち塞がった。
「大蔵……助かったぞ」
「そう思うのであれば、早く逃げてください!」
「いや……長く座り過ぎて、足が痺れて動けないのだ。頼む、追い払ってくれ……」
足が痺れて動けないって……思わず、何と間抜けなと吹き出しそうになったが、その瞬間、大蔵と呼ばれた男の太刀が我に届いた。直撃は回避できたが、頭巾は斬られており、不本意ながら我は顔を晒すことになった。
「女……?その顔、女だよな?」
「そうだ!だったら何?哀れに思って信玄の首を置いて行ってくれるというのか?」
「んなわけないだろうが!それに武芸達者な女は嫁で慣れているからな。今更驚きはせぬさ」
なんと!我以外にも武芸を志している女が居るというのだな!それは是非一度会ってみたいものだ。ああ……でも、ダメだ。旦那を殺しておいて会いに行ったところで、仲良く話などできはしないだろうし。
「さて、邪魔するなら殺すが……?」
「ならば、かかって来い。俺の名は、松下大蔵少輔元綱だ。お相手仕る!」
お互い馬に乗ったままで刃を交える。その間に武田の兵が駆けつけて、信玄を陣の外へ連れ出していったのは見えたが、もう我も退けなかった。それにこの大蔵は先程馬から落ちた者とは思えぬほどに強くて、中々にこうして戦えることが楽しい。
しかも……その顔をよく見ると、我を守って死んだ弥太郎に何処か似ているような気がした。そう思うと失った時間が戻ってきたような気がして、目が潤みそうになる。
「なあ……大蔵とやら」
「なんだ?」
「我のモノにならぬか?」
「はあ!?いきなり何を言い出すんだよ!おっと……からかって、油断を誘うつもりだな?」
「いや、これは真面目な話なのだが……まあ、よい。信玄も逃げたし、今日の所はここまでにしよう」
いずれにしても、ここで殺すのは惜しい男だ。それに武田方は妻女山に向かっていたはずの兵がどうやら合流したようで、これ以上ここに長居をすれば、我が軍の敗北は必至だ。
ゆえに、我は元来た道を戻る事にして、大蔵と別れた。途中、鉛玉の雨にも遭ったが……毘沙門天の加護で切り抜けて、無事に本隊に合流した。
「管領様!よくぞご無事で!!」
「武田は兵を増やした。退くなら、信玄の本陣が乱れている今しかない!全軍に急ぐように伝えよ!」
「はっ!」
当初の目標通り、目指すは善光寺だ。少しでも犠牲が抑えられることを願いながら、我も皆と共に駆ける。
それにしても、松下大蔵少輔元綱か。やっぱり、弥太郎に何となく似ていたな。上杉家の安泰を思うのなら、男子の跡取りがいると姉上にも言われたし……もう一度誘ってみるか。




