第230話 嘉兵衛は、川中島の戦いに臨む(7)
永禄4年(1561年)9月中旬 信濃国川中島 松下嘉兵衛
ババババーン!ババババーン!ババババーン!
信長の部隊から放たれた鉛玉は、典厩殿の陣に攻め寄せていた上杉勢の勢いを一先ずは止めた。倒れ逝く同胞の姿に恐れをなしたようだ。
「典厩殿!」
「これは大蔵殿!」
だから、その隙を突いて俺たちは典厩殿の元へ駆け付けた。そして、進言する。ここは後退するべきだと。すでに兵は半分近くまで減っていて、このままではここはもたないのは明らかだからだ。しかし……
「それはできない」
「なぜですか!」
「退けば、お屋形様の本陣が危うい」
典厩殿は俺の言葉を拒絶して、例え自身が討たれることになってもここで踏み止まり時間を稼ぐと言った。確かにこの陣の後ろには信玄公の本陣があり、退けば上杉軍が殺到するのは目に見えてはいる。
「それに、もうじき飯富殿らも駆けつけるであろう。それまでの辛抱よ」
「では、他の部隊に救援を……」
「それも無用だ。各々がそれぞれの場所で役割を果たすために戦っている。変更を求めれば、作戦が崩壊しかねない。それに、穴山の事もある」
「穴山殿?」
まあ、本来いるべき場所に居ないのだから、やはりとは思ったが……穴山は開戦直後に上杉勢にひと当たりされただけで、陣を勝手に後ろに退いたそうだ。ただ、一門の有力者がそういう身勝手な行動を取ってしまった以上は、典厩殿が猶更退けない事情も理解できた。
「では、どうしてもここは死守すると?」
「そうだ。大蔵殿には気遣って頂いたというのに申し訳ないが、我らの事は御放念いただきたい」
ただ、そう言われたからといって素直に従う位なら、最初からここに来たりはしない。俺は典厩殿の強い意志はよく理解した上でもう一度進言する。ここは退いて頂きたいと。
「いや、今申した通り……」
「勝つための策です。それに穴山殿のようにこの戦場から離脱してくださいとは言いません。今居る場所から、ほんのわずか後退してくださいという話ですよ」
その上で俺は懐から折りたたまれていた地図を開いて説明をする。ここから500歩ほど下がれば信長が籠る陣があるので、そのすぐ後ろまでと。そうすれば、鉄砲隊が上杉勢の勢いを止める事ができるからと。
「しかし、言っている事は理解できたが……果たして上杉勢が我らを逃してくれると思われるか?」
「殿は我らが務めます。慶次郎、いけるよな?」
「お任せください。鉄砲のせいで出番がなくてウズウズしていましたし……」
「え……いや、だけど、大蔵殿は今川様からお預かりしている客人で、もしものことがあれば……」
「いいから、ここは従ってください!今川家にとっても、あなたがこの先も生きて居て頂いた方が好都合なのですよ。そう軍師の某が判断したのですから、返事は『ハイ』の一択で!」
「は、はい」
ちなみに藤吉郎には信長の元へ向かってもらう事にした。我らが徐々に退いて上杉勢を連れて行くから、その時は三段撃ちで皆殺しにしてくれと。
「では、我らはこれより前に出ますので、典厩殿……」
「わかりました。皆様のご武運を心より願っておりますぞ」
すでに馬上の典厩殿はそういい残されて、側近衆と共にここを去られた。同時にその率いられている部隊も後退し始める。
「敵は退いたぞ!逃がすな、追え!!」
そして、そのような典厩殿の部隊を見た上杉軍は、当たり前だがこちらに向かって攻撃を再開した。ただし、ここで俺は皆に鉄砲を撃つように命じた。
ババババーン!ババババーン!ババババーン!
前に出ていた上杉の武者たちはその多くが撃ち抜かれて、骸をこの草原にさらした。但し、ここには百挺足らずしかないため、仕留めきれない武者はこちらに迫って来る。
俺は兵たちに50歩ほど下がるように命じた。加えて、そこで次の銃撃ができるように準備するようにとも。
「慶次郎、行くぞ!」
「承知!」
そして、皆が下がって準備を終えるまで、慶次郎と共に時間を稼ぐ。ただ、慶次郎の強さは半端ではなく、上杉の武者は次々に血の海へと沈んでいった。
「あれ?これ……慶次郎だけで勝てるんじゃねぇ?」
だけど、一瞬とはいえ、そんな事を思ったのは油断だった。俺は……慶次郎の横を通り抜けてきた白頭巾をかぶった騎馬武者に攻撃されて、ギリギリでその刃から避けれたものの馬から落ちてしまったのだった。




