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第37話ジョン・メイナード・ケインズ

 ジョン・メイナード・ケインズ John Maynard Keynes, 1883-1946 は、20世紀最大の経済学者の一人とされるイギリスの経済学者・官僚です。

 原子爆弾の生みの親が本当にエンリコ・フェルミなのか断定が難しいように、ケインズ派経済学も本当にジョン・メイナード・ケインズひとりの手柄なのか、議論の余地はあります。

 ケインズ経済学のバイブル、「雇用・利子および貨幣の一般理論(The General Theory of Employment,Interest and Money)」が発表されたのが1936年。それに先立つ1932年に高橋是清、石橋湛山による積極財政政策、「時局匡救事業」が日本で行なわれ、1933年に、Ray Sakamotoこと坂本竜馬とFDRことフランクリン・ルーズベルトの積極財政政策、「ニューディール政策」がアメリカ合衆国で敢行された。ナチス・ドイツの経済政策、いわゆる「ヒトラーの経済政策」も1932年頃に開始された。つまり、1929年の世界恐慌を受けたこの時期、先見の明がある指導者たちは、日本もドイツもアメリカもケインズ経済学の完成よりも早く積極財政政策を実施していたのだ。

 つまり、ケインズ経済学とは大なり小なり、この時代の世界の経済学の新しいトレンドに沿ったものであり、ケインズの理論はルーズベルトや高橋是清の経済政策の理論的裏付けとはなったが、積極財政論自体がケインズの発明かというと、それは実はそうとう疑わしいのである。

「ケインズさん、おんしゃの書く理屈はいつも美しいが、現場の泥の匂いがせんのが珠にきずぜよ」

 1930年代半ば、ホワイトハウスの私的な会合で、坂本竜馬ことRay Sakamotoは、イギリスから招かれた稀代の経済学者ジョン・メイナード・ケインズと対峙していた。

 ケインズは、1883年生まれ。竜馬から見れば孫のような年齢だが、その知性は鋭利な剃刀のようであった。彼は、1929年の大暴落以降、死に体となっていた「古典派経済学」に引導を渡し、国家が市場に介入する新しい経済学を体系化しようとしていた。

 しかし、竜馬は知っていた。

 原子爆弾の真の生みの親が誰か一人に絞れないように、この「新しい経済学」もまた、ケインズ一人の頭脳から湧き出たものではないことを。

 歴史家たちは、1936年に発表されたケインズのバイブル『雇用、利子および貨幣の一般理論』をもって、世界が変わったと記す。だが、竜馬はニヤリと笑う。

「理論が世界を変えるんじゃない。切羽詰まった人間たちの『行動』が、後から理論になるがじゃ」

 事実、時間軸を見れば明白であった。

1932年:日本の「だるまさん」こと高橋是清が、竜馬の極秘電報を受け、ケインズに先んじて国債の日銀引き受けによる「時局匡救事業」を断行。

1933年:竜馬の盟友フランクリン・ルーズベルト(FDR)が、就任直後から「ニューディール政策」を敢行。

1932年頃:皮肉なことに、ドイツでもナチスが同様の積極財政を開始していた。

つまり、ケインズがペンを走らせる数年も前に、日本、アメリカ、そしてドイツの指導者たちは、デフレの深淵から抜け出すための「積極財政」という劇薬を、すでに現場で使い始めていたのだ。

 ケインズは、ホワイトハウスで竜馬やルーズベルトが行っている「実験」をつぶさに観察していた。

「Ray。君たちのやっていることは、経済学の常識を破壊している。政府が借金をしてダムを造り、雇用を創出する。それが消費を呼び、再び税収となって返ってくる……。私の『有効需要』の理論を、君たちは直感だけで実践している」

 竜馬は、レイバンの奥の瞳を細めた。

「ケインズさん、わしはジョン・デューイ先生から『為すことによって学ぶ(Learning by Doing)』と教わった。是清もわしも、理屈を待っていたら民が餓死すると思ったから動いたまでぜよ。おんしゃの役割は、わしらのこの『デタラメな成功』に、世界が納得するような立派な名前をつけてやることじゃ」

 ケインズは苦笑した。

「理論的な裏付けがなければ、この政策は『一時的な博打』として歴史に葬られる。私がやらねばならないのは、自由放任主義という古い神を殺し、君たちの『博打』を『科学』に昇華させることだ」

 1936年、ついに『一般理論』が発表された。

 世界中の経済学者がその鮮やかな数式と論理に酔いしれた。しかし、その根底に流れる「不況時には政府が需要を創り出せ」という血潮は、竜馬がウォール街の路上で苦力たちと語り合い、高橋是清と電報で交わし、ルーズベルトの耳元で囁き続けた「現場の知恵」そのものであった。

 ケインズの理論は、ルーズベルトや是清の政策に「学問的権威」という最強の盾を与えた。だが、積極財政そのものがケインズの発明かと言えば、それは歴史の大きな誤謬である。

「おんしゃは、わしらの航海図を清書してくれた立派な航海士ぜよ」

竜馬は、完成した『一般理論』の初版本に、土佐弁で小さく祝辞を書き込んだ。

 しかし、ケインズとの交流の中で、竜馬は一つの不安を抱いていた。

「ケインズさん。政府がカネを刷り、需要を創る。この魔法は、一度覚えたら誰もやめられんくなるんじゃないか? 平和のダムを造るカネが、いつか戦争の爆弾を造るカネにすり替わる……。おんしゃの理論には、その『ブレーキ』がついちょらん気がするがじゃ」

 ケインズは黙り込んだ。その懸念は、後に軍事ケインズ主義という形で世界を戦火に巻き込み、竜馬が最も恐れた「保守的反動」へと繋がっていくことになる。

「経済学は人を救う道具だが、使い道を誤れば、世界を焼き尽くす燃料にもなる」

 1946年、ケインズがこの世を去ったとき、111歳の竜馬は、戦後の焼け野原の中で彼の著作を開いた。

 理論は完成した。だが、それを使う人間の「心」をどう洗濯するか。竜馬の戦いは、経済学の先にある「人間の実存」へと、さらなる深まりを見せていくのであった。

「ケインズさん。おまんは立派な本を書いた。世界中の学者が、おまんの綴った数式の美しさに酔いしれちゅう。

じゃがな。この一頁一頁には、是清が流した冷や汗も、フランクリンが車椅子で耐えた痛みも、そしてサンフランシスコの港で木箱を担いだ苦力クーリーたちの呻きも、全部染み込んじゅうがじゃ。

おまんが『有効需要』と呼んだものの正体は、人間が『明日も生きたい』と願う、ただそれだけの祈りながぜよ。……この魔法、頼むき、正しく使っておくれよ」

 竜馬は焼け野原となった東京の街頭で、初版本をそっと閉じた。

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