EpilogueⅢ:天体観測
しばらく二人で黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか。
キルケゴール
「……まだ狭間の世界?」
幸助が目を覚ました時に飛び込んできたのは星空だった。
「どうせ催眠術の効きが弱いだろうと思って変化の魔法は大急ぎで解いたわよ」
「翻訳魔法はそのままか」
空の星とスピカにかけている魔法の光に照らして自分の姿を見る。眼鏡をなくしている以外は、誘拐された当時のままだった。ポケットにはバッテリーの切れた携帯電話が入っていて、腕時計も復活している。
「……私が憎い?」
「いいや。お前が被害者だって知ったら、憎むも何もない。嫌なこともあったけど、ちょっと楽しいって思うこともあったし、そこはトントンで。美奈も、似たようなものじゃないかな」
「あの世界に住み続けたいと思った?」
「嫌だね。俺は俺の世界に居場所がある」
「そう。最近になって、誘拐したら『この世界に一生住み続けたい、元の世界に帰りたくない』って思う人が増えてるのよね。そうすると変化の魔法が定着して戻すのに手間がかかるのよ」
「それは世界の変化、というか誘拐する人選に問題があるような気もするけど。何か基準とかあるの?」
「さあ。天の声に聞いたら? 言葉通じないけど」
「分からないのか」
「私は呪いに操られる人形だもの。さあ、これでおしまい。後は翻訳魔法を解いて送り返すだけ」
見ると、スピカも誘拐される前のワンピース姿に戻っていた。ご丁寧に、スニーカーは片方しか履いていない。その手には携帯電話が握られ、両腕で紙の束を抱えている。
「何だこれ」
「服の内側に隠してあったのよ。何か書いてあるけど、没収する理由もないし、あげるわ。さ、もう一度お休みの時間よ。目を閉じて」
「ああ、さよならだ、ステラ」
「永遠のお別れね、鷹巣幸助、天野美奈」
彼の目を覚まさせたのはエンジン音だった。自分が柔らかい椅子の上に座らされていること、独特の匂いから彼は、目を開ける前のぼんやりとした頭でも自分が車の中にいるのだと理解した。
「あ、気がついた?」
彼の前から声をかけたのは菜摘だった。幸助が目線を窓の外にやると、今レンタカーは山道を下っているところだった。
「あれ、俺……」
呻くように言って、顔をしかめる。
「……何があったんだ?」
「それはこっちのセリフ」と切り返したのは菜摘。「勝手にいなくなったと思ったら、森の中で倒れてるんだもの。一体何があったっていうの?」
「訊きたい事は山程あるが、今はそっとしておけ」
それをなだめたのは運転手こと欽二である。彼とて心持ちは菜摘と同じなのだが、その落ち着きぶりには目を瞠るものがある。そして幸助は、自分の左肩を、そこにもたれかかる頭を見た。
「……美奈?」
一瞬の長い夢の中で何度も思い描いた少女の体から感じ取る重みが、今は何物にも代え難い大事なものに思えた。幸助からはその顔は見えないが、美奈は穏やかな表情で寝息を立てていた。
「感謝しなさいよ。幸助がついてきてないのに気づいたのが美奈だったんだし、気を失ってた幸助を背負って運んでたんだからね」
「え、美奈が?」
決して菜摘の言葉を疑っての言葉ではない。事実であることを確認するためである。それほどまでにその事実は彼にとって好ましく、嬉しいものであったからだ。
「そうよ、体弱いのに無茶させて」
そして彼は小さく「まったくだ」と呟いた。そうしてから彼は、二人が秘め続けている『過去』という名の『秘密』を、菜摘はまだ知らないのだということに気付いた。
「今はゆっくり寝かせてあげなよ」
「そうする。俺も眠くなってきたよ……ところで、菜摘が美奈を見つけたのって何時頃だった?」
「一時過ぎだったかな。それが何か?」
「じゃあ予定よりちょっと遅れてるけど、問題はなさそうだな」
彼はあの崖に到着したのは正午頃だったと記憶している。辺りを三十分くらい散策してから出発する予定だったから、それほど誤差はないことになる。むしろ幸助には、その程度の誤差で済んでいることの方がかなり驚くべきことだった。
「今が二十八分だから、幸助が姿を消してからたったの一時間しか経ってないんだね。嘘みたい」
「一時間がこんなに長いと感じたことも今までなかったぞ」
菜摘と欽二が、それぞれ言った。それは幸助も同感だった。美奈も起きていれば同じことを考えていたことだろう。何度も眠らされて起こされてを繰り返したのに、彼はまた眠くなって、目的地に着くまで一眠りすることにした。
幸助は月のない星明かりの下、河原で組み立てた天体望遠鏡を覗き込んでいた。夜空のとある座標に向かって微調整している。そんな彼の許に一人の足音が近づく。砂利が敷き詰められているので、その音は遠くからでもよく聞こえた。
「何か面白いもの見える?」
美奈だった。
「木星に合わせといた」
「見せて見せて」と言いながら彼女は前髪をかき上げて接眼レンズに目を近づけた。
「すごい……やっぱり空気が違うのかな」
「明るさだけじゃなくて空気も関係あるのか?」
「そうだよ」
まだ残暑厳しい八月末だが、北の地、夜の河原という条件が揃えば適温、むしろ肌寒ささえ覚える。さらに耳に届くのは水のせせらぎと葉擦れの音。ここは身も心も涼を満たす絶好の場所だった。
「美奈」彼女が見ているだろうものを肉眼で見ながら、幸助は言った。
「何?」と、顔を上げ、望遠鏡を挟んですぐ側にいる青年に問いかけた。
「ありがとな」今度はちゃんと、目を合わせて。
「えっと……何のことかな」
「菜摘から聞いたよ。俺がみんなと一緒に戻らなかった時、心配して崖まで戻ってきてくれたこととか、見つけた俺を運んでくれたこととか」
気恥ずかしくなって、美奈は背を向けた。
「感謝されるようなことじゃないよ……ところで二人には話したの? いなくなってる間、何が起こってたのか、さ」
何かにつけて意図を疑う癖のある幸助は、彼女が一体何を言わせようとしているのかが分からなかった。そうして考え込む沈黙は不安をかき立てた。
「何も覚えてない……そう言ってある」
「じゃあ崖に落ちたのも、見間違いだったのかな」
不意に幸助は歩き出し、美奈の正面にある、テーブルに出来そうなくらい大きな石の上に座った。どうしてこんな石があるのかは分からないが、上面が平らなので腰掛けるにはちょうど良かった。
「やっと二人きりになれたんだ。今更何を隠す必要があるんだよ、スピカ?」
その瞬間、現実と虚構の境が消失し、少女はくふ、と笑みをこぼした。
「やっぱりあれは夢じゃなかったんだね、アーク」
「大丈夫かなあ……盗聴器でもあればねえ?」
「馬鹿なことを言うな」
菜摘と欽二は旅館の部屋でくつろいでいた。男女で二部屋取ったのだが、一人では退屈だからと菜摘が男部屋に来ている。そこからは河原が、天体望遠鏡と二人が遠くに見えるが、先ほどの菜摘の言葉はその光景を見てのものだった。そんな彼女の手にはリキュールの缶が握られている。
「結構良い雰囲気っぽいよ。いつの間にあそこまで仲良くなったんだろ」
「野暮だな、そんなに気になるのか?」
そんな欽二が飲んでいるのは緑茶だ。
「他人の恋路って気にならない?」
「幸助に限って言えば、そういうのはない。断言しても良い」
「何、もしかして同性愛者なの?」
「いいや、あいつは普通の……ヘテロ、と言うんだったか? とにかくゲイじゃない」
「ふーん……何かトラウマでもあんの?」
どこまで話すべきか、と欽二は一瞬躊躇った。元より隠し事が苦手な彼であるし、良くも悪くも他人に接近したがる菜摘だし、肯定しようが否定しようが結局は同じだった。だからとりあえず「ああ」とだけ言っておいた。そうすると何も言わない訳には行かず、幸助に怒られない範囲でかつ菜摘に釘を刺す言い方を模索した。
「結構痛ましいのが、な。時期が来たらあいつの方から話してくれる。それまでは無理に聞き出そうとするなよ」
「さすがにそこまではしないって」
「なら良い。あともう一度言っておくけど、今は二人のところには――」
「分かってるって。それにしても、二人揃って二人きりの時間が欲しいって言い出すなんて……これって何かあると思わない? 二人とも何もなかった、何も覚えてない、って言ってるけど、あれじゃ何か隠してるのバレバレ。あの三十分に一体何があったんだろうね?」
つまり幸助は欽二に、美奈は菜摘に、それぞれ菜摘と欽二に働きかけて二人きりの時間を作って欲しいと頼んだのだ。それもほぼ同時、遅い昼食にと立ち寄ったサービスエリアでの出来事である。それがこの旅館で発覚した、という訳なのだ。
「何かあったようにも見えるが、何もなかったようにも見える。ただの偶然じゃないのか。それを今俺たちがここで解釈して何になる」
「そりゃそうなんだけどさあ……あ」
その時、菜摘の携帯が鳴った。もしもし、と言いながら彼女は廊下に出て行く。
冷房をつけていない室内は本当に静かだった。しかし、本当の静かさとは無音状態のことではない。自然環境において無音は存在せず、完全に音が遮られるのは人工的な空間、つまり『不自然』であるからだ。静寂は自然の中にしかない。欽二の耳に届く川のせせらぎや虫の鳴き声、風の音は、逆説的に静かさを演出しているのである。かの俳聖が立石寺で詠んだ歌にこそ、その真髄が表現されていると言えよう。
かつて幸助から教わったそんなことを、欽二はしみじみと感じていた。
(やっぱりお前に声をかけたのは間違いだった気がするんだよな、幸助)
「夢オチだったとしても多分俺は納得するだろうね。ただ、頭では理解しても心では拒絶すると思う。それほどまでに現実だったし、何より夢としてはあまりに長すぎる」
「アーク、そんな堅苦しく考えなくて良いんだよ。私はただ単純に、全部夢じゃなくて良かったって思ってるの。それで、良いんじゃないかな? あ、待って。言おうとしてること当ててあげる。『今こうして無事に帰ってこられたからそんなこと言えるだけだろう。俺は何度悪い夢であってくれればと思ったことか』……」
星明かりや旅館からの光ぐらいしか光源がないこの暗い河原では、美奈が今どんな顔で幸助を見ているのか、はっきりとは分からない。それは相手にとっても同じだが、二人は、相手の表情と心境が面白いように分かるのだった。すなわち、したり顔で胸を張る美奈と、しかめっ面でじっと睨む幸助。
「私はなかなか楽しい冒険だったと思ってるよ」
「まあ、そこは俺も否定はしない。でも、気になることもある。あの村の住人の名前、星の名前だったよな? あれは単なる偶然なのか?」
「クランチさんが決めたんじゃないの。偶然と意図的に仕込まれた必然はもう区別がつかないよ」
「スピカって名前も?」
「偽名を使わなきゃいけないって言われて、前にラジオに葉書を投稿する時に使ってた名前を咄嗟に言ったら、あんなことになってた。ちなみに私乙女座。誕生日はもうすぐ」
「じゃあお祝いしなきゃな。そうそう、スピカといえばあれだろ、春の夫婦星」
「……気づいてたの?」
「思い出したのは、アークトゥルスって名前を貰ってから二日くらい後かな。本当にそういう意味でつけたの?」
「そうだよ」
美奈も、幸助が座る石によじ登った。そして、背中をぴったりくっつけるように座る。
「この時期だと、もうスピカは見えないね。来年の春になったら、また星を見ようよ」
「ああ。スピカは、俺のすぐ側にいるけどな」
「もう」
二人は黙って、同じ空を見上げる。言葉を交わさずとも、決して不安な気分にはならない。互いが側にいること、それだけで安心感を得られるからだ。
「男の人の背中って大きいよね。なんか安心する」
「だったら欽二の方が良いんじゃないか?」
「どうしてそういうこと言うかなあ。私はさ、君が、幸助が良いんだよ」
美奈は呼吸を整える。今度はスピカとしてではなく、天野美奈として、心に秘めていた思いをもう一度打ち明ける。
「私は、幸助のことが好きなんだよ」
宵闇の中、背中越しの告白。あまりに不格好だ。そして、その返事も予想がついている。背中で密着しているのに、少し動かすだけで重ねられる位置にある手が非常に遠く感じられた。
「気持ちは嬉しいよ」幸助は淡々と答える。「でも俺は、その思いには応えられない」
「どうして?」
「怖いんだよ、傷つけてしまうことが」
「私は、それでも平気だよ」
「俺が良くないんだよ」
「飛鳥さんのこと、引きずってるの?」
「そうだよ。あいつは俺にとって大切な人であってトラウマなんだよ。またあの悲劇を繰り返すかも知れないって思うと、ごめん、俺は美奈の気持ちを裏切るしかないんだ」
「それが答え?」
「うん。理由としては最低だよな」
「幸助は、いつまでもそれで良いの? それって、もしかしたらもっと多くの人を傷つけかねないよ。ねえ幸助、飛鳥さんとの思いに決着をつけることは出来ない?」
「飛鳥とのわだかまり、か」
彼女のことを思い出してから、ずっと今現在の彼女のことが気になっていた。自分と関わったせいで歩くことも妊娠することも出来なくなった体で、彼女は今どうしているのか、自分のことをどう思っているのか、知って現実と向き合いたいような、知らないままでいた方が幸せでいられるような、そんな相反する二つの思いが、彼の中で綯い交ぜになって渦巻いていた。
美奈の言う通り、飛鳥との間にある様々な感情やしがらみは、直接彼女と会うことで整理する必要があるだろう。シリウスに出会うまで飛鳥の存在を忘れていた。逃げ続けてきたも同然である。これ以上目を背けることは、もう出来ない。こういう機会でもない限り、今後向き合うこともなくなってしまうだろうと、そんな気がしたのだった。
「あいつが今どこにいて、何をしているのかは分からない。もちろん連絡先だって知らない。二度と会わないつもりだったし思い出したくもないから飛鳥に繋がるものは全て処分してある。だから、かなり時間がかかるかも知れない。そもそも会えないかも知れない」
「それでも良いよ。私は待つから」
「どうして」
「君が好きだから。私、ずっと皆を騙してたって言ったでしょ。もう体はほぼ健康体なのに、病弱を装って周りに優しくされようとしていたんだ。でもそれを打ち明けた友達は、私とは一切口を利いてくれなくなった。だからずっと怖かったんだ。本当のことを打ち明けて、嫌われてしまうのが。でもやっぱり、騙し続ける方がよっぽど私の良心も痛むの。だから私は思い切って嘘だったってことを話した。でも幸助は、それを許してくれたよね。しかも、私が嘘を吐いてたのを見抜いた上で、私を病弱キャラとして接してくれていたんだよね。その優しさが、辛いけれど嬉しかった。出会った時から好きだったけど、これでもっと好きになったの。過去にどういう女性と付き合っていたとか、どんな罪を犯したかなんて、関係ないよ。私は、今の幸助が好きなの。こんな酷い私でも受け入れてくれるなら、私は待つよ。私と付き合ってくれるその時まで」
幸助は言葉を失って、何も答えられなかった。
「何か言ってよ、私今すごく恥ずかしいこと言ったんだから!」
「ありがとう、美奈。その言葉、俺も嬉しい。それなのに過去の女を引きずってるからなんて理由で断ろうっていうんだから、酷いのは俺の方だ。約束する。俺、飛鳥にもう一度会う。会って、気持ちの整理をつける。それで大丈夫だって自信が持てたら、今度は俺の方から告白する。それで良いかな」
「うん、いいよ」
「それと美奈、俺一つ嘘吐いてた。美奈の体がもう病弱じゃないのに気づいてたって言ったろ? あれ、嘘だ。言われてから、ゴールデンウィークの旅行の件とかはそういうことだったのかって納得したのは事実だけど、スピカから直接聞くまでちっとも気づいてなかった」
「なんだ、そんな事。幸助が実は伊達眼鏡かけてたっていうのと同じくらいどうでも良いことだよ」
「些細かも知れないけどどうでも良くはないだろ」
「人を好きになるってことに比べたら、本当につまらないことだよ。幸助が昔不良だったってことを知ったら嫌いになる人はいるけど、伊達眼鏡くらいで嫌いになる人はいないと思うよ。幸助は過去に酷いことをしていた、でも今はそれを反省して誠実に生きている。私にとってはそれだけで十分だよ」
「美奈、お前本当にいい子だな。俺なんかにはもったいないくらい」
「違うよ、私は悪い子。皆が優しくしてくれてるのに甘えて嘘を吐き続けてた」
「美奈。俺が、いや俺達が親切にしていたのは、美奈を病人だと思っていたからだと、そう思ってるんなら間違いだ。それは友達なら当たり前のことだろう? 病弱キャラを演じてるから周りが優しくしてくれる? そんなのはただの思い込みに過ぎないよ。美奈から離れていった友達と俺達が美奈にしたことは違うだろうから、俺達は美奈に騙されたなんて、これっぽっちも思ってない。見捨てるだなんてとんでもない。それは本当だよ」
「本当?」
「ああ。俺も欽二も別に気にしないし、菜摘なんか『ふーんそーなんだ』ってスルーだろ」
「いやあどうだろ。ゴールデンウィークの時のあれがあるからね」
「じゃあ根に持って美奈を憎むと思うか?」
「それはあり得ないね」
「だったらそんな事で悩むなよ」
「うん、そうだよね……そうだよね!」
自分を鼓舞するかのように言って美奈は石から降りて、望遠鏡を覗きこんだ。話し込んでいるうちに、星の位置が少し動いてしまったらしい。空を見て、レンズを向ける方向を見定める。
「今の見どころは何? 夏の大三角?」
「そうだね。あの天の川の真ん中にあるのがはくちょう座のデネブ。そこから十字形を辿れるでしょ、これを北十字って言うの。これは七夕伝説では鵲の橋に見立てられたの。南岸にある大きな星が彦星ことわし座のアルタイル。そこから西の方向、あれが織姫、こと座のベガ。ことって言っても大正琴みたいなのじゃなくて、亀の甲羅に弦を張った楽器なの。ちなみにこのベガっていう星は、歳差運動のせいでやがて北極星になるんだって」
「先生、歳差運動って何ですか」
「地球は二三・四度傾いて自転している、これは良いね。ところで、まっすぐ立って回っている独楽を傾けたらどういう動きをする?」
「傾いた軸が円を描くように動く」
「それが歳差運動。もちろんその誤差は微々たるものだから普通は感じられない。でも何万年って時間が経つと、星空はそれだけ姿を変える……」
そこまで言って美奈ははっとなった。
「もしかして」
「どうかした?」
「これはあくまで私の妄想なんだけど、やっぱりあの世界はここと地続きなんだよ」
「自転のこととか月や惑星のこととかで、そうじゃないかっていう推測は立ってたけど」
「でもそうじゃないって判断した理由は、植生の変化と、星座が違うことだった。星って少しずつ動くんだよ、何万年っていう時間の中で。星はそれぞれ地球からの距離が違うし、移動速度も違う。だから、今見えている星空は今しか見られないすごく貴重なものなんだ。つまり何が言いたいかっていうと」
「あの世界はもしかしたら何十万年か後の地球の姿なのかも知れない」
「そう。人類が滅んだ後に地球を支配した生命体は、動物の力と魔法を備えた亜人だった、とかね」
「そんな力が一体どこから湧くんだか。それに、人間との間に子供を作れたっていうし、なかなか変なところは多い」
もしあの世界の住人がホモサピエンス絶滅後に新たに発生した生き物であるなら、遺伝子が人類と酷似することはまずあり得ない。もし人類がその未来まで生き延びていたのだとしても、文明がリセットされている理由を説明できない。などなど、語るには及ばないが不可思議な点はまだまだ尽きない。
「だから妄想だって言ったじゃん」
「でも面白い仮説だ」
「でしょ。ステラが誘拐した人間が死ぬのを阻止しようとしたのは、過去を変えると彼女の未来に何らかの影響が出るからだった、とも考えられるよね」
「そこまで行くともはや考え過ぎ。次は宇宙人とかタイムトラベラーとか出てくるんじゃないか」
「宇宙人かぁ……ロマンがあるよね。何もかもが宇宙人のもたらした超文明だったっていうのも良いよね。夢オチよりは」
「似たようなもんだ」
「月の裏とか、火星の文明だったっていうのも有り得る話だよね。特に火星の自転速度は地球とほぼ同じだし」
「あの屋敷からは火星が見えるんじゃなかった?」
美奈は望遠鏡を火星――は見えないので木星へ向ける。
「木星に関する話は何かある?」
「太陽系最大の惑星、英語名ジュピターはローマ神話のユピテル、ギリシャ神話におけるゼウスから。大赤斑と呼ばれる大きな模様があって、シューメーカー=レヴィ第九彗星が衝突したことでも有名。多数の衛星があって、ガリレオがその四つを発見して、ガリレオ衛星と呼ばれる。あと、土星程ではないにしても輪っかがある星」
「輪っかのことは知らなかったな」
「肉眼じゃ見えないからね。良い望遠鏡なら大赤斑くらいは見えるよ。こっちに向いてるタイミングさえ合えば」
「見える?」
「見えない」
そんなことを言って、二人で笑い合う。
「ケチケチしないで写真の機材揃えれば良かったかな。せっかくなのにもったいない」
「普通のデジカメじゃダメなのか?」
「出来ないことはないけど、やるんならやっぱりちゃんとしたものが良いよ」
「なんか男の趣味の世界みたいだな」
「悔しいから地上の写真撮ってやる」
美奈はポケットから取り出したデジカメのタイマーをセットして、大石の上に置いた。幸助に望遠鏡の横に行くよう指示する。美奈もすかさずその隣に立って、旅行サークルを結成してから初めての、全員が揃わない写真を撮った。根が真面目な二人の、緊張した顔のツーショット。それはそれで彼ららしいと言えた。
二人で石の上に座りカメラの液晶を見ながら、前の写真を次々に表示していく。そして、ボタンを押す手が止まった。表示されているのは、崖を写したものだった。あの事件が起こる少し前に撮影したものである。撮影時刻を見ると、今からたったの九時間前である。体感時間ではひと月近く過去の話であるだけに、彼らはその数字が間違いではないかと一瞬疑った。
「戻ってきたんだね、私達」
「ああ、戻ってきたんだ」
「良かった、本当に」
「今はそれだけで幸せだな」
「ほんとにね」
そのまま幾つか写真を送って行くと、約四ヶ月前の小旅行の写真が出てくる。とはいえ、美奈が個人的に撮ったものなので数は少なく、集合写真もない。弁当を広げている時のものが主だった。
「この時が転機だったよね。この時に私は、幸助のことが好きだってはっきり自覚したんだ。最初はただの吊り橋効果かもって思ってたんだけどね。でも本当は違った。なんかこう、さ、上手く言葉には出来ないんだけど、もっと一緒にいたいって思った」
だから自分の思いは嘘じゃなくて本物だ、だから幸助が自分の気持に整理をつけるまで待っていられるんだ――彼女はそう付け加えた。
「ありがとう、美奈。もし飛鳥と連絡がついて会うことになったら一番に連絡するよ」
「うん、待ってる」
「そろそろ冷えてきたし戻らないか」
美奈は返す言葉を少し迷い、こう答えた。
「うん、戻ろうか。私達を待ってる人のところに」




