FragmentⅤ:闇の淵
どこを向いても暗黒だ。目当てもない、慰めもない、望みもない。
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
どこから話せば良いのかしら。私の知っていること全部? 全部? そうね、生い立ちから全部。その方がきっと理解してくれる。
私は魔法使いの村に生まれた。その中でも私の家は、『巫女の家』っていう、より強い力を持つ家系で、村長の孫として私は生を受けた。特に私は今までにないくらいの力を持っている、そう教えられたわ。ええそうよ、巫女っていうからには、村長は必ず女性だし、跡継ぎも女系で決まる。
私達は『魔法』という、他の種族とは明らかに異なる力を持っていて、その研究に日々明け暮れていた。その力を使って近くの、あるいは遠くの集落にいる困った人を助けるのが、その地域での私達の役割だった。具体的には、そうね、人や植物の病気を治したり、嵐が来そうだったら追い払ったり、夜中に迷子が出たら明かりをつけて探したり、村を定期的に襲う山賊を倒したり、そんなの。
私達の魔法の研究は人々の生活をより便利に豊かにすると思って、様々な技術の開発をした。何もないところから炎や水流や雷を起こす魔法、相手の思考を読んだり逆に考えを伝えたりする魔法、また相手を眠らせたり動きを止めたり出来る魔法、敵の動きを予知する魔法、本当に多くの魔法を数え切れないくらい開発した。もちろん私もその一人。
そんなある日、私達は、自らが滅ぶ運命を予知した。何かの間違いだろうと予知を何度もやり直し、運命を変えるための手立てを尽くしたけど、私達は、十日後に周りの集落が結託して虐殺をしに来るという未来が避けられないものだと悟るに至った。隣村に行って住人の心を読んだら、どうやら激しい憎しみが伝わってきたらしい。
引っ越しはもちろん考えた。一族揃って、真夜中に大移動をする準備をしてから予知をしたけど、周りの集落が夜中も見張りを立てているから全員捕まってしまうっていう未来が見えた。
戦うなんてもっとあり得ない。私達が関わったほぼ全ての村が私達に刃を向けようとしていたのに。数にして、私達の十倍以上、千人規模で攻撃されることまで分かっていた。私達は農作業こそしていたけど戦うための方法は知らないし、誰かを傷つけるために魔法を使うのは掟で固く禁じられていた。私達は戦えない。戦っても負ける。緊急時だから掟を破って魔法で戦うべきだと誰もが村長に訴えた。
その時の祖母の言葉が今でも忘れられないの。
――戦い、千人を殺めて勝てば、十日の命を永らえることが出来よう。しかし、殺された千人の仇を取るため、また十日後には千五百人が来よう。その次には二千人で殺しに来るだろう。戦う度に数千人の亡骸を積み上げる覚悟が、お前達にはあるのか?
村長は、抗って戦いを繰り返すくらいなら、自分達が全て受け止めて連鎖を断ち切るのが良いと考えていた。
賛成も反対も同じくらいあった。自分達が生き延びるために、千人を殺しても良いものなのか。でも自分達が理由もなく滅ぼされるのは納得できない。どちらも正しかった。でも村長は、時間がない中どうにか説得して、自らが滅ぶ道を選んだ。
もちろんただ無駄に命を捨てる訳じゃない。戦うべきだって言う人を説得させるには、それだけじゃ足りない。そこで数人で二晩かけて考えついた策が、今この世界で『呪い』と呼ばれているもの。世界中の人々の男女比を狂わせる、そういう魔法。全ての動植物ではなく、私達と同じ亜人だけに効く魔法を組み上げた。
ええ、ここからが本題で、あなたにも関係のあること。ちょうどその頃私達は、異世界の存在を知って研究を始めていた。つまりあなた達の世界。私達には素晴らしい世界に見えた。見たこともない高度な文明と莫大な数の『人間』が住む世界。程なくして二つの世界を行き来する方法も見つかった。方法は簡単、魔法で世界に穴を開けるだけ。そうして私達はまず二人の人間、男と女を一人ずつ誘拐した。彼らとはもちろん言葉は通じなかったけど、まず知りたかったのはそこじゃない。彼らがあれだけの文明を作れたのは体に何か秘密があるはずだと思った。ところが妙なことに、私達のように魔法を使う回路がある訳でもなければ、鳥や龍のようには飛べず、犬や猫のような鋭い感覚器官もないし、水中ではあっという間に死んでしまう。骨格や内臓の仕組みも大差ないのに、どうしてこんなにも違うのか、不思議でしょうがなかった。だから暫くの間はそれが研究課題になった。
その二人には記憶を消す魔法を施して送り返したんだけど、面白いことが一つ分かったの。彼らと私達の体は本当に近い。どのくらい近いかというと、私達と子孫を残せるくらい。どうやって知ったかって? 実際に試したからに決まってるでしょう、馬鹿なの? 種を植えられた女の方は無事出産したわ。今はあなたの親と同じくらいの年齢じゃないかしら……言ったでしょう、時間の流れが歪んでいるって。こちらで数百年前の事は、そっちの世界では数十年程度ってこと。
村長はこの異世界人を利用することにした。まず、この世界から男が生まれにくくなるように『呪い』をかける。世代交代が必要だから、男女比が崩れるのには五十年くらいかかった。もう少し短かった気もするけど。その計画はご存知の通り大成功。この状況では、男手が足りなくて村同士で争い、困窮するようになる。それが狙い。減らすのを女にしなかったのは、そうするといずれ滅んでしまうから。私達の目的は、この世界から人々を絶滅させることではなく、復讐をすることだから。
そして、そんな世界に私達が登場する。その時に呪いは最終形になり、男が一人も生まれなくなる。でも私達は、異世界から男を召喚する能力を持っている。するとどうなる? 村を存続させるために、世界中のありとあらゆる場所から人々が私達に会いに来る。そして、男を呼び出して貰うためにどんなことでもするようになるでしょう。魔法使いの機嫌を損ねたら、村は滅ぶか、近くの村を襲うしかなくなる。男がいることで豊かになった村には勝てない。だから従う以外の道はない。そうして私達はこの世界の救世主になると同時に、全ての村を思いのままに支配する暴君になる。
これが魔法使いの復讐。私達の最終目的。この未来を語って、滅ぶより戦うべきだって言った人を説得したのよ。
何よ? 文句でもあるの?
ダンソンジョヒ? 知らないわよそんなの。サベツ? そんなのあなた達の勝手な価値観だわ。どっちが上だとか下だとかどうだって良いじゃない。生物としての違いを利用しただけ。まだ何か?
……ふむ。確かに復讐としてはあまりに非効率だわ。形としてもかなり歪んでいると言えるし、それはクランチも理解してはいると思う。でも私達はあくまで誰とも戦わずに、誰を攻撃することもなく復讐を果たしたいの。復讐というのは、相手と同じ方法でやり返しては意味がない。それでは相手と同じ所まで自分を貶めることになる。復讐などとは呼べない愚かな行為でしょう。武器を取って魔法使いを滅ぼした彼らに、魔法使いは武器を使わないで報復を果たすの。魔法は武器じゃないのかって? 武器は武器でも性質が違うわ。これは、鳥や龍が空を飛べるのや魚が海の底を泳げるのと同じ、私達が生まれつき持っている特徴なの。槍や石斧と一緒にしないで。
これでもう分かったかしら? 滅ぼされたのに私だけがまだ生きている理由と、人間をこの世界に誘拐するようになった理由? ああそうだった、肝心な話がまだだった。
どうしようもないと悟ったのが襲撃の十日前、対処法を探るのに二日を要したから、準備期間はわずか七日しかなかった。当然、これだけのことをするには不十分。そこで、滅ぼされた後にも計画を遂行する存在が必要だった。そこで白羽の矢が立ったのが、最も大きな魔法の力を持っていた私。でも呪いを完成させるためには何百年も生きなければならない。そこで絶対に朽ちない体、霊体を作り、そこに私の魂を移植する。霊体の原材料? 魔法使いの命だけど? それで、その不安定な存在を保つために、靴とマントと帽子があてがわれ、私はあの狭間の世界へ送り込まれた。
残された魔法使いは、体が傷を負うとその肉体と魂が狭間の世界へ転送される魔法を仕掛けていた。その準備が完了する頃に、集落の連合軍が一斉に攻撃を始め、私達は呆気なく全滅。一回攻撃しただけで跡形もなく消えるのだからさぞ不気味がったでしょう。
そうして私達は居場所をこの世界から狭間の世界へと移した。あなたも見たあの花畑の世界、空には仲間の魂が統合された形なき存在、大いなるクランチ=ヴァニタスが広がり、彼らの元の肉体は花畑の下に時を止めて保存されている。私のもともとの体だけは、この世界に残されて朽ち果てたわ。ここからはかなり距離のある場所よ。もう村があったなんて思えないくらい。
死んだ肉体と魂を復活させ、なおかつ呪いを完成させるには多くの魔力と時間が必要だった。だから、新たに力を蓄えるための方法が必要だった。そこで、人間を誘拐することを思いついたのよ。でもそこにもやっぱり、言葉の壁を取り除くとか、姿形を適切なものに変化させるとかの魔法を発明しなければならなかったから、ある程度時間がかかったわね。
そうしてこっちの世界で百二十年くらい後、まさに男を巡っての争いが起き始めた頃に、最初の少年を送り込んだ。狼の村だったかしら。いきなり現れた余所者に最初こそ警戒していたけど、せっかくの男だからと村はすんなり受け入れて、少年が嫁を取って村の一員になろうとしていたその時に、私は彼を元の世界に戻す。するとどうなる? せっかく手に入れた希望が突然失われたことに対して、人々は嘆き悲しみ、怒り狂いもするでしょう。それが私の目的。私達の魔力の源は、感情の起伏が起こすエネルギーなの。その中でも特に、悲しみの心の動きが最も魔力を回収できる。ほら、強い感情が起こった時、涙を流したり誰かに話したりして、発散するでしょう。自然に消えることもある。感情エネルギーはナマモノで、放っておくと消えてしまう。それが消える前に回収するのが私の役目。魔法使いは自分のうちに起きたそれを自然と貯めておける力があったようなの。とにかく、人間の男を利用して意図的に悲劇を起こし、悲しみの魔力を吸い出す。この悲劇サイクルこそが、私があなた達を誘拐した理由。いつか来る復讐の完成のための予行演習っていう意味合いもあったけれど。
たとえ不審者でも同じ種族の若い男であれば、自然と村は受け入れる方向へと動く。だから誘拐した少年には特に何も指示しなかった。適当なところで帰りたくないかって訊いてから送り返すだけ。ほぼ全員帰りたいって答えるけど、何故かたまに迷う人がいる。返事にかかわらず強制的に連れ戻すんだけど。でも、そうする前に戻さなければいけないこともある。あなたのように、命の危機が迫った時とか。あなたは異世界の人間、その存在を一時的に拝借しているに過ぎない。でもそれをもし戻せないとなれば、世界の間に歪みが生じてしまう。歪みが何を引き起こすかはまだ分からないけれど、悪影響を及ぼす可能性は否定できない。だからそれだけは絶対に避けなければならない。
最初にこの村で生きろと命令したのはつまりそういうこと。だから誘拐するのはいつも若い男。でも今回はちょっと特殊。なんてったって、あの女の子も連れて来たんだから。それは単なる私の気まぐれだけど。面白そうだからクランチに訊いてみたら構わないって言うから急いで彼女も誘拐した。そのせいであなたの転送地点があんな高い場所になっちゃった訳だけど。ええ、それは悪かったと思ってる。助かったから良かったじゃない。
あなた達を選んだ理由? さあね。クランチしか知らない。誘拐する人間を選ぶのはクランチだから。その中からやりやすそうなのを私が選んで誘拐しているだけ。やりやすそうって言うのは、悲劇エネルギーを誘発しやすそうって意味。人間が現れて消えることで人々に起きる感情もそうだけど、送り込んだ人間からも回収は出来る。それが出来そうだなってことで、二人を誘拐したという訳。
何? 『本名を言ったら元の世界に戻せなくなる』って? 確かに言ったけど、え、嘘だって気づいてたの? だったらどうして従ったのかしら。ああそうよね、犯人の言うことに従うのは当然よね。たとえ嘘だと分かっていても、犯人の機嫌を損ねるとどうなるか分かったものじゃないものね。
どうしてそんな嘘を吐いたのかって? その方が悲劇が起こりやすいだろうと思って勝手に言っただけ、深い意味はない。名乗っても別に何もするつもりはなかったし。最初はね。おっと、今のは忘れなさい。もう私には何の力もないんだから、関係ないでしょ。
私から話せる、魔女の呪いについての話はこれで全てよ。他に何かある? ここまで全部聞いてくれたお礼に少しなら話してあげる。
この世界の人に話す? 止める理由はない、むしろ大歓迎。その真実がちゃんと広まれば、復讐の意義が強固になる。受ける相手が何故復讐されるのかを自覚していなくては、復讐の意味がないのだから。たとえ復讐が成就しなくても、戒めくらいにはなるでしょう。問題なのは、荒唐無稽な話だと思われかねないこと。誘拐された人間の男に遭遇したことのある人ならともかく、呪いと復讐はただの空想と区別がつかないのだから。何か考えはない? 今のところこの世界に影響を与えているのは男女比を狂わせる呪いと人間の誘拐だけ。そう、難しいの。何か天変地異らしきものを起こして魔女が見てるってことを教えようとしたこともあるけどクランチに止められた。魔力の消耗が大きいからって。
それから何? ふむ、もしこっちの世界で私が死んだら? まあ霊体だから飲まず食わずでも死にはしないし、触ろうと思ったものにしか触れないから戦いで死ぬことはない。でも何にでも例外はある。霊体に自分から触れる能力や、魂に直接影響を及ぼす能力も世の中にはある。そういうのに出会ったら死ぬかも。あるいは存在が不安定だから自然に消えるかも。死んだら私を核にして発動している呪いは消えて、しばらくすれば男女比は元に戻るはず。私という手足を失ったクランチは、復讐を果たせずに狭間の世界に永遠に閉じ込められることになる。それがどんな結果をもたらすかは、誰にも分からない。何だかんだで計画は続行するかも。既に必要総量の九割以上が回収済みだから、それを使って新しい人形を作って続ける、あるいは強引に呪いを完了させることも出来るのかしら。どちらも上手くいかなかったとして、戻った男女比はまた新たな争いの火種を生むことになると思う。バランスが取れれば国は豊かになるものだから。
何、まだあるの? ……そうそう、私もそこは驚いた。何も不思議がることはないじゃない。さっきも言ったでしょ、誘拐する人間を選ぶのは私じゃなくて魔法使いの魂の集合体ことクランチ。私はその指示に従って、人間を適した姿に変えて送り込んで監視、ただそれだけ。こっちの世界のどの集落にどんな人がいて、どんなことで困ってるかなんて私は知らない。そんなこと調べてたら監視なんか出来ないでしょう。だから、ゾディアークでつい最近亡くなったリゲルと顔のそっくりなあなたが選ばれたことも、あなたの知り合いによく似た人がいたことも、私に言わせればただの偶然。あるいは、村人やあなたの思い込み。そうとしか言えない。でも確かに、クランチはその全てを知った上であなたを選んだのかも知れない。私達が開発した魔法の中には、未来を見通すもの、相手の思考を読むものの他に、過去を覗き込むもの、記憶を盗み見るものもあるから、もしかしたらそれらを駆使して候補を探している、というのも不可能な話ではない。本人に訊いてみる? どうせ答えてはくれないけど。
そう。さすがにもうない? こんなにたくさん誰かと話したのは初めてだと思う。疲れたからしばらく寝るわ。誰か来たら起こして。




