第6話 もう帰らないのかもしれない
今回は、欲望の街へ進んだ二人と、初期エリアに残った四人の差がさらに大きくなっていきます。
同じ世界にいるはずなのに、立っている場所がもう少しずつ変わりはじめる回です。
朝になっても、レイナと翔は戻ってこなかった。
かすみは目を覚ました瞬間、まず外の気配をうかがった。
足音はない。
小部屋の並ぶ道も、朝の風に揺れる草の音しかしていない。
昨日の夜も帰ってこなかった。
でも、また朝には戻るのだろうと思っていた。
そう思いたかっただけかもしれない。
広場へ出ると、誠司ももう来ていた。
優は眠たそうな顔であくびをしながら歩いてくる。
久美子は少し不安そうに、何度も小部屋の並ぶ道を振り返っていた。
「……まだ帰ってこないね」
かすみが言うと、久美子は小さく頷いた。
「うん……」
誠司は何も言わなかったが、その顔は固かった。
その時、かすみの端末が小さく震えた。
新しい通知かと思って画面を開いた瞬間、指先が止まる。
『初期リンク:4』
「え……」
思わず声が漏れる。
昨日まで、初期リンクは六人だった。
そこから二人分、消えている。
誠司もすぐに自分の端末を開いた。
「……こっちもだ」
久美子も息をのむ。
「名前、ない……」
初期リンク一覧から、レイナと翔の名前が消えていた。
優が眠たそうな顔のまま、少しだけ眉を寄せる。
「リンク売る案内、前に来てたよね」
その言葉で、かすみの胸の奥が冷たくなる。
初期リンク。
売るものとして表示されていた、あの文字。
まさか本当に、とどこかで思っていた。
けれどもう、画面が答えを出している。
「あの二人……私たちとのリンク、売っちゃったんだ」
久美子の声は小さかった。
誰もすぐには返事をしなかった。
同じ通知を見て、同じ世界に落ちて、同じ小部屋を与えられた六人だった。
それが、端末の中ではもう四人になっている。
かすみは端末を握ったまま、しばらく動けなかった。
昨日、欲望の街へ向かう途中で、あの二人は何を話していたのだろう。
どんな顔でそれを決めたのだろう。
寂しい、という言葉だけでは足りないような気がした。
でも、それ以上の言葉も見つからなかった。
誠司が先に口を開いた。
「仕方ない」
低い声だった。
「こういうこともある」
少し間を置いて、もう一度言う。
「気にしても仕方ない。四人でやるしかないだろ」
その言い方は冷たく聞こえそうで、でもそうじゃなかった。
今ここで崩れないように、無理やり言葉を立てている感じがした。
かすみは小さく頷いた。
「……うん」
そう返しながらも、胸の奥はまだ少し痛かった。
◇
その頃、欲望の街の外れでは、レイナと翔が小さな路地を歩いていた。
欲望区の中心は夜ほど派手ではないが、それでも初期エリアとはまるで違う。
高い建物。
色の強い看板。
香水や酒や甘い菓子の匂いが混じる空気。
朝だというのに、眠らない街の名残がそこかしこに残っていた。
案内役の女が、細い路地の先にある古いアパートを指差す。
「狭いですけど、その分かなり安いですよ。登録業者経由なので、初期費用も抑えられます」
レイナは建物を見上げた。
壁は少しくすんでいる。
廊下も狭い。
でも、初期エリアの簡素な小部屋よりはまだずっと街らしい。
「まあ、狭いけど……あっちよりはマシかも」
レイナが言うと、翔も短く頷いた。
「寝に帰るだけなら十分だろ」
部屋は一緒ではなかった。
けれど同じアパートに、ちょうど空きが二つ並んでいた。
狭い部屋。
小さな窓。
簡単なベッドと棚だけ。
それでも欲望区の中にあるというだけで、二人には少し価値があるように見えた。
「今日、もうあっち帰らなくていいよね」
レイナが軽く言う。
「帰る意味ないならな」
翔の返事も短い。
レイナは端末を開き、昨日の表示を見返した。
『初期リンク』
その文字を見て、小さく笑う。
「これ、もう売っちゃお」
翔は少しだけ黙ってから言った。
「向こうに寝に戻る必要もなくなるしな」
レイナは迷わなかった。
指先で操作し、初期リンク売却の手続きを進める。
翔も同じように、自分の端末を開いた。
それは思っていたより簡単だった。
確認表示が出て、条件が流れ、承認するだけで終わる。
『売却完了』
二人の端末が、ほとんど同時に光った。
もうそれで、初期エリアへ戻る理由はひとつ減った。
◇
広場には、新しい通知が届いていた。
『重要案内』
『これから居住エリア周辺に敵性存在が出現する場合があります』
『また、一部依頼では戦闘行為を伴う可能性があります』
『本日は戦闘準備を進めてください』
優がぼんやり読み上げる。
「戦う準備って」
「急に物騒になったね」
久美子が言う。
誠司は表示の続きを見ていた。
『推奨準備』
・武器作成
・防具補修
・回復用品確保
・連携確認
「ちゃんと準備しろってことだな」
かすみは小さく息を吐いた。
「四人で、か」
昨日までなら六人だった。
今はもう違う。
それでも、通知は待ってくれない。
世界はそのまま進んでいく。
掲示板には、今日の仕事も並んでいた。
『本日の依頼』
・鉱山で鉄鉱石採取 報酬:40
・石炭採取 報酬:30
・武器作成補助 報酬:50
・防具縫製補助 報酬:45
・回復薬品作成補助 報酬:35
「今日は鉱山か」
誠司が言う。
「鉄と石炭を取って、午後は武器作りに回す流れだな」
優が少し嫌そうな顔をした。
「海の方がよかった……」
けれど、その声には前ほど本気の逃げ腰はなかった。
「でも武器いるなら、やるしかないか」
かすみは端末を見ながら頷く。
「午前中に鉄鉱石と石炭を取って、午後に刀とか剣とか作るんだね」
「私は防具の方かな」
久美子が言う。
「布とか縫う方が、まだできそう」
誠司が四人を見回す。
「じゃあ午前は俺とかすみと優で鉱山だな。久美子も一緒に来て材料だけ確保するか、先に縫製の準備してもいい」
「最初だけ一緒に行く」
久美子はそう答えた。
「鉱石ってどんなのか、見ておきたいし」
◇
鉱山は初期エリアの外れにあった。
洞窟というほど深くはないが、岩肌がむき出しになった斜面が広がっている。
ところどころに黒い石炭の層と、鈍い色の鉄鉱石が混じって見えた。
貸し出されたつるはしは重かった。
優は最初から嫌そうな顔をしていたが、誠司が打ち方を覚えると少しずつ形になっていく。
「ここ、色違うだろ」
誠司が岩を指差す。
「その辺りが鉄鉱石だと思う」
かすみも真似してつるはしを振る。
腕に響く。
簡単ではない。
でも海辺の作業とはまた違う、重みのある手ごたえがあった。
久美子は最初こそ戸惑っていたが、割れた岩の中から鉄鉱石らしい塊を見つけると、小さく息をのんだ。
「これ?」
「たぶん」
かすみが答えると、久美子は少しだけ嬉しそうにそれをかごへ入れる。
優は石炭を掘り当てた時だけ、妙に機嫌が良かった。
「黒いのはわかりやすいな」
「さっきまで文句言ってたくせに」
誠司が言うと、優は少しだけ笑った。
午前の終わりには、それなりの量の鉄鉱石と石炭が集まった。
初期エリアで使うには十分だと案内役は言う。
◇
午後、材料は加工場へ運ばれた。
熱と金属の匂いが強い。
武器作りの補助は、誠司とかすみ、それに優が担当した。
刀や剣といっても、最初は簡素なものだ。
刃を整え、柄をつけ、ようやく形になる。
久美子は別の場所で、防具縫製補助に回っていた。
厚手の布を重ね、紐を通し、簡易な防具を作っていく。
鎧ほど重くない。
でも、ないよりずっといいらしい。
加工場の隅では、回復薬品作成補助の作業も進んでいた。
乾燥させた薬草をすり潰し、液体に溶かし、瓶へ移していく。
ポーション、ハイポーション、毒消し。
まだ見習い向けの簡易な薬品ばかりだったが、それでも備えとしては十分だと案内役は言った。
「防具って、もっと固いものかと思ってた」
久美子が言うと、年配の女性が答えた。
「最初はこれで十分よ。動けなくなる方が困るからね」
布を重ねていく作業は地味だった。
でも昨日より、久美子の手つきは少し落ち着いている。
夕方になった頃には、粗削りながらも短剣と細身の剣がいくつかできあがっていた。
久美子の作った防具も、簡易ながらちゃんと身につけられる形になっている。
数字にすれば大きくない。
それでも、自分たちで作ったという実感は強かった。
「これ、本当に使うことになるのかな」
かすみが小さく言う。
「使わないで済むなら、その方がいい」
誠司はそう答えた。
「でも準備しておくしかないだろ」
優は出来上がった短剣を持ち上げてみて、
「魚相手ならいけそう」
と、よくわからない感想を言った。
久美子は少しだけ笑った。
◇
その頃、欲望区でも別の通知が届いていた。
『重要案内』
『街中および周辺エリアに敵性存在が出現する場合があります』
『各自、戦闘または避難の準備を進めてください』
レイナが端末を見て顔をしかめる。
「え、ここでも?」
翔も表示を見下ろした。
「戦う準備しろって」
レイナはすぐに周囲を見回した。
「武器とか持ってないんだけど」
「買うしかないだろ」
二人は近くの武器屋をのぞいた。
けれど並んでいる値札を見て、すぐに顔が変わる。
「高っ」
レイナが言う。
「こんなの無理でしょ」
翔も小さく息を吐いた。
欲望区では、仕事の報酬は高い。
けれどその分、必要になるものの値段も高かった。
少し稼いだくらいでは、まだ足りない。
「どうする?」
レイナが聞くと、翔は少し考えてから言った。
「戦わなきゃいいだろ」
「え?」
「敵が出たら、どっかに隠れてればいい」
レイナはその言葉に少しだけ安心したように笑った。
「たしかに。別に正面から戦う必要ないしね」
「武器買うなら、もう少し金貯めてからでいい」
翔の答えはいつも通り冷静だった。
レイナもすぐに頷く。
「だよね。まずはもっと稼がなきゃ」
二人にとって、戦う準備ですらまず金の問題だった。
◇
夜になっても、レイナと翔は戻らなかった。
初期エリアの小部屋には、もう二人の気配はない。
かすみはそのことを、まだ完全には受け入れきれていなかった。
けれど端末のリンク一覧は、何度見ても四人のままだった。
誠司は広場の端で、出来上がった武器を確認している。
久美子は縫い上がった防具を膝に置いたまま、少しぼんやりしていた。
優は珍しく早めに寝ると言って小部屋へ入っていった。
かすみだけが、しばらく空を見ていた。
同じ世界にいるはずなのに、もう住む場所も違う。
見ているものも違う。
そのうえ、つながりまで切られてしまった。
それでも明日は来る。
仕事もある。
敵も来るかもしれない。
四人でやるしかない。
誠司の言葉が、今になって少しだけ重く残った。
読んでくださりありがとうございます。
つながりが切れたこと、残された四人で進むしかないこと、その現実が少しずつ形になってきました。
同じ世界にいても、選ぶ道で見える景色はずいぶん変わってしまうのかもしれません。




