第111話 月映りの入り江
守り人が残した航路記録には、湖底の祠へ向かったことが記されていました。
満月が昇るまで湖畔の宿で準備を整え、誠司たちは月映りの入り江へ向かいます。
誠司たちは船着き場を離れ、湖畔の宿へ向かった。
宿は湖を見渡せる少し高い場所に建っていた。
二階建ての木造の建物で、湖に面した側には広いテラスがある。
窓には明かりが灯り、夕方の湖面へ柔らかな光を落としていた。
宿へ続く森の道には、青や紫に光る小さなきのこが並んでいる。
大きなものでも手のひらほどで、丸い傘の内側から淡い光が漏れていた。
「昼間は普通のきのこに見えるのかな?」
早希が足元を見る。
湖の妖精が答えた。
「日が沈むと光るの。湖へ向かう人が、暗い森で道を間違えないように植えられたって聞いているよ」
道の両側には、霧の小島で見た湖明かりの花も咲いていた。
青白い花と、青や紫のきのこが、宿まで続く道を照らしている。
船着き場を管理していた猫耳族の男性は、家族と一緒に湖畔の宿も営んでいた。
宿の玄関を開けると、猫耳族の女性が誠司たちを迎えた。
「湖から戻られたのですね。守り人の船まで見つかったと聞きました」
「船は戻せましたが、守り人は湖底の祠へ向かったようです」
煌成が航路記録を見せた。
女性は記録板に表示された地図を確認する。
「月映りの入り江ですね。満月の夜には、宿のテラスから入り江の方向が見えます」
「湖底へ下りる階段があるそうですが、入口について何か知りませんか?」
久美子が尋ねた。
「詳しいことは分かりません。ただ、満月が湖の中央まで昇った時、入り江の水面に月の道が現れると聞いています」
女性は窓の外を見た。
夕日はすでに山の向こうへ沈み始めている。
空には濃い青色が広がり、東の山の上が少しずつ明るくなっていた。
「満月が昇るまで、まだ少し時間があります。先に装備を整えてください」
宿は安全な拠点として登録されていた。
端末で購入する装備や薬品も、猫耳族の村と同じ通常価格になっている。
誠司たちは荷物を置くと、宿の広間に集まった。
優が必要な水中探索用品を端末へ表示する。
【水上探索用品】
【水中呼吸薬】
【防水ランタン】
【防水袋】
【滑り止め付き水上靴】
【簡易浮き輪】
猫耳族の村で購入した水中呼吸薬は数本だけだった。
今回は湖底の祠へ下りる可能性がある。
全員が使えるように、不足分を追加で購入することになった。
「水中でどのくらい移動するか分かりません。予備も用意しておきましょう」
煌成が言った。
かすみと優が水中呼吸薬の本数を確認する。
一人一本ずつに加え、予備を三本購入した。
薬は一種類につき一つの薬品枠へ、まとめて端末ポケットに入れられる。
レイナは防水ランタンの残数を確認した。
「二隻に一つずつでは、湖底へ下りた時に足りないわね」
全員が持つ必要はないが、先頭、中間、最後尾を照らせる数を用意した。
翔と久美子は、水中でも使える長いロープを購入する。
階段や通路で離れないよう、途中の柱や岩へ固定するためだった。
大地は斧を取り出し、防水用の革カバーを刃へつけた。
早希も短剣と手裏剣を確認する。
水中では地上と同じように動けないため、必要以上の武器は持たず、すぐに使えるものだけを残した。
誠司たち魔法担当も、大きな杖を使うか、小さな杖で進むかを話し合った。
「水中では大きな杖を振りにくいかもしれません」
かすみが言った。
「通路の広さが分かるまでは、小さい杖を使いましょう」
優が答えた。
煌成もうなずく。
「戦闘が必要になった時だけ、大きな杖へ切り替えましょう」
準備を終えた頃、宿の広間に夕食が運ばれてきた。
大きな皿には、湖で捕れたマスの香草焼きが並んでいる。
表面は香ばしく焼かれ、輪切りにしたレモンに似た山の果実が添えられていた。
ほかにも、根菜と豆を煮込んだ温かい料理、きのこと木の実の炊き込みご飯、焼いたかぼちゃに手作りチーズをのせた料理が並ぶ。
「湖の魚を食べるのは初めてですね」
久美子がマスの身を取り分けた。
骨を外した白い身から、香草の香りが広がる。
「身が柔らかくて、香草ともよく合います」
大地は炊き込みご飯を大きな器へよそう。
「湖へ戻る前に、しっかり食べておかないとな」
湖の妖精にも、小さな木の器に果実と木の実が用意された。
妖精は窓際へ座り、東の空を何度も確認している。
食事を終える頃、窓の外が明るくなった。
山の向こうから、白い満月がゆっくりと昇ってくる。
月の光が湖面へ落ち、細長い銀色の道を作り始めた。
湖の妖精が窓辺から飛び上がる。
「満月が昇った」
誠司たちは席を立ち、装備を端末ポケットへ入れた。
宿のテラスへ出る。
夜の湖は、昼間とは違う景色になっていた。
湖面には大きな満月が映り、山の影と白い霧を淡く照らしている。
中央に残る霧も、月の光を受けて銀色に輝いていた。
管理人の男性が入り江の方向を指した。
「あの山の影が低くなっている場所が、月映りの入り江です」
湖の右奥。
木々の間に、細く入り込んだ水路が見える。
「満月が湖の中央まで昇ると、月の道が入り江へ向かいます」
「船を用意します」
翔が言った。
誠司たちは再び二隻の船へ分かれて乗った。
一隻目には、大地、早希、久美子、誠司、優。
二隻目には、翔、レイナ、煌成、かすみ。
湖の妖精は、早希と一緒に一隻目へ乗る。
新しいロープで二隻をつなぎ、全員が救命胴衣を身につけた。
管理人が二隻の船を桟橋から押し出す。
「入り江の中は岩が多くなっています。月の光から外れないように進んでください」
大地と久美子、翔と煌成が櫂を動かす。
ザブッ。
ザブッ。
船は満月が作る銀色の道へ入った。
湖の中央に残る霧へは近づかず、その外側を通って月映りの入り江を目指す。
少し進むと、水面に二本の長いひげが現れた。
大湖ナマズだった。
大湖ナマズは二隻の船の前まで泳ぐと、入り江の方向へ向きを変えた。
「また案内してくれるみたい」
早希が言った。
大湖ナマズは船から離れすぎず、時々振り返るように身体の向きを変える。
誠司たちはその後を進んだ。
入り江へ近づくにつれ、湖岸の木々が両側から迫ってくる。
岩の間には湖明かりの花が咲き、水面近くで青白く光っていた。
森の奥にも青や紫のきのこが見える。
満月の白い光と、花やきのこの淡い光が、入り江の水面で重なっている。
やがて、大湖ナマズが泳ぐのを止めた。
その先には、切り立った岩壁があった。
水路は岩壁の前で行き止まりになっている。
「ここが月映りの入り江なの?」
久美子が周囲を見る。
湖の妖精は岩壁と水面を確認した。
「航路記録では、この場所で合っていると思う」
しかし、湖底へ続く階段は見当たらなかった。
岩壁にも入口らしいものはない。
優が端末の地図を開く。
現在地の印は、航路記録に描かれた月映りの入り江と重なっている。
「場所は間違っていない」
レイナが月の位置を見る。
「まだ月が入り江の中央まで来ていないのかもしれないわ」
二隻の船を岩壁から少し離し、しばらく待つことになった。
満月は少しずつ空を進んでいく。
湖面に映る月の道も、ゆっくりと向きを変えていた。
銀色の光が、入り江の奥へ入り始める。
大湖ナマズは水面近くで静かに待っている。
やがて、満月の光が岩壁の正面まで届いた。
湖面に映った月が、ちょうど二隻の船と岩壁の間に現れる。
リン……。
早希が持つ銀色の鈴が、小さく鳴った。
早希は鈴を手に取る。
「今、何もしてないのに鳴った」
湖の妖精が自分の鈴を確認する。
妖精の鈴も、月の光を受けて淡く光っていた。
「二つの鈴を鳴らしてみて」
早希と湖の妖精が、同時に銀色の鈴を動かす。
リン……。
リン……。
二つの音が、入り江の岩壁へ届いた。
岩壁に細い銀色の線が現れる。
線は魚と三日月の形を描き、その中央へ満月の光が集まっていく。
水面に映っていた月が大きく揺れた。
チャプン……。
銀色の波紋が、入り江全体へ広がる。
岩壁の前にあった水面が、ゆっくりと左右へ分かれ始めた。
水が消えたわけではない。
満月の光によって、水の中が透き通って見えるようになっていた。
湖底へ向かって下りていく、古い石の階段が現れる。
「本当に階段がある」
大地が船の上から水中を見た。
階段の両側には、月の形をした小さな石灯りが並んでいる。
満月の光が石灯りへ入ると、一つずつ白く輝き始めた。
一番上の段は水面からすぐ下にある。
その先は深い湖底へ続き、途中から暗くなっていた。
端末が反応する。
【月映りの入り江を発見しました】
【満月と二つの湖の鈴により、湖底への階段が現れました】
【水中呼吸薬を使用し、湖底の祠を調査してください】
煌成が階段の状態を確認した。
「まずは入口近くの安全を確かめましょう」
翔と久美子が船を岩壁の近くへ固定する。
二隻が流されないよう、岩へ新しいロープを結んだ。
全員が救命胴衣を外し、船の中へ置く。
水中では浮力が強すぎるため、湖底へ下りる時には使わないことにした。
防水袋を身体へ固定し、滑り止め付き水上靴を履く。
煌成が水中呼吸薬を一本取り出した。
透明な小瓶の中に、淡い青色の液体が入っている。
「水へ入る直前に使用しましょう。全員で離れず、階段に沿って進みます」
「水の中でも、声は聞こえるの?」
早希が湖の妖精に尋ねた。
「普通に話すより聞こえにくいけど、水中呼吸薬を使えば近くの声は届くよ」
誠司は長いロープを持った。
「階段の手すりに固定しながら進みます」
先頭は翔と大地。
その後ろに早希、久美子、誠司。
中央に湖の妖精とかすみ、煌成。
レイナと優が後方を確認することになった。
全員が水中呼吸薬を飲む。
青い液体を飲み終えると、端末に表示が現れた。
【水中呼吸薬を使用しました】
【一定時間、水中で呼吸できます】
翔が最初に水へ入った。
ザブン。
階段の一段目へ足を置き、滑らないことを確認する。
大地も斧を防水カバーに入れたまま、水中へ下りた。
続いて、ほかの者も一人ずつ階段へ移る。
湖の水が身体を包む。
呼吸をすると、水中にいるにもかかわらず、地上にいる時と同じように空気を取り込めた。
「本当に息ができる」
早希の声が、水の中で少しくぐもって聞こえる。
誠司は階段の脇にある石の手すりへロープを固定した。
全員がそのロープをたどりながら下りていく。
頭上には、湖面に映る満月が揺れている。
月の光は階段の石灯りへ順番に入り、誠司たちの足元を照らしていた。
階段の周囲には、小さな魚が泳いでいる。
湖牙魚とは違い、青や黄色の丸い魚だった。
魚たちは誠司たちを遠くから見ているだけで、近づいてこない。
階段を下りるほど、水の色が濃くなっていく。
レイナが防水ランタンを点けた。
続いて、久美子と優もランタンを灯す。
白い光が湖底へ伸び、階段の先を照らした。
しばらく下りると、平らな場所へ出た。
湖底の岩壁に、古い石の門が作られている。
門の左右には、銀色の鈴を持つ二人の姿が彫られていた。
中央には、魚と三日月を組み合わせた模様がある。
守り人の船や記録板に刻まれていたものと同じだった。
「湖底の祠の入口だと思う」
湖の妖精が門の前へ進む。
石の門は完全には閉じていなかった。
中央に、人が一人通れるほどの細い隙間が開いている。
その隙間から、淡い銀色の光が漏れていた。
大地が門の近くへ進もうとした。
その時、翔が盾を前へ出した。
「待て。入口の前に何かある」
ランタンの光が、門の下へ届く。
石の階段の最後の段に、一本の杖が落ちていた。
銀色の飾りがついた、細長い杖だった。
杖の先には、小さな三日月と鈴の飾りがついている。
湖の妖精が杖を見た。
「守り人の杖……」
誠司たちは門の周囲を確認した。
守り人の姿は見えない。
しかし、石の門の隙間から漏れる銀色の光が、ゆっくりと強くなっていく。
カン……。
門の向こうから、硬いものが石へ当たる音がした。
全員が武器や杖を構える。
少し間を置いて、もう一度音が響く。
カン……。
石の門が、内側からわずかに動いた。
湖の妖精は守り人の杖を見つめたまま、門の前で動きを止めた。
湖底の祠の中に、何かがいる。
誠司たちは水中の石段に立ち、ゆっくりと開き始める門を見守った。
満月と二つの湖の鈴によって、月映りの入り江に湖底への階段が現れました。
階段の先で見つけたのは、湖の守り人が使っていた銀色の杖。
湖底の祠の石門が、内側からゆっくりと開き始めます。




