1人目
俺はそのままバーカウンターで賑わいを眺めていたら、目の前にぶどう酒が置かれた。
ウェイトレスの娘だ。
「俺は頼んでないぞ」
「ねえお兄さん、草原を根城にしていた盗賊をやっつけたでしょ?」
突っ返したつもりが、質問が返ってきた。
「まあな」
「へぇ、あんな怖い盗賊やっつけちゃうんだ。すごぉい。じゃあ、これはおまけ」
熱っぽい視線で、ぶどう酒のカップを俺に寄せる。
「ならいただくとしようか」
俺は酒をあおった。
アルコールが腹に染み渡り、体内で火が熾される。
気づくと娘が俺の傍らに座っていて、豊かな胸を俺の腕に押し付けた。
おお、やわい……。
「良かったら盗賊をやっつけたお話、今晩ききたいなぁ」
ほぼ盗賊を倒したのセレナータだけどなぁ。
まあ、こんなお誘いめったにあるわけじゃないし、攻略団をやめたし、景気づけに今晩くら
「ご主人さま」
い……、と思っていたら、セレナータが、ずい、と俺たちの間に割って入った。
「なんだよ」
いい感じだったのに。
それは娘も同じ気持ちだったようで、
「安心して。部屋は別にしてあげるわよ」
冷たくあしらう。
「ご主人さまのおそばを離れるわけにはいきません」
「セレナータ、この宿は安全だ。部屋が別でも問題ない」
「それが命令なら仕方ありません」
あ、今日は一日好きにしていい、と言ったのを忘れてた。
それでも不服そうではなく、単に確認を取っただけのように見える。
「ただし廊下で侵入者を見張ります」
いやがらせか?
大きな眼が俺を映している。
まったく感情が読み取れないのに、俺は目をそらしてしまった。
ああ、そうか。後ろめたいのか。
仲間が死んだ後、するべきじゃない。
思ったより酒が回っていたか、意外と気が参っていたのか。
興も酔いも醒めてしまったようだ。
せっかくの申し出を俺はやんわりと断ると、娘は軽い返事で奥へ下がった。
あの翻り方、常習犯だったか。
「というわけだ。セレナータ、今日は一日お前の好きにしていい。どうしたい?」
「私は……」
~魔法国 南の農村 宿屋2階 客室~
夜も浅いうちに俺はベッドで横になっていた。
静かだ……。
そう思うと、隣のベッドから聞こえる音が気になってしまう。
衣擦れ、ベッドのきしみ、呼吸音。
寝返りを打って、うっすら目を開けると、美少女がいた。
セレナータである。
目を閉じて横になった姿は、眠り姫のように神秘的だ。
俺は思い出す。
『ご主人さまにぐっすり眠っていただきたいです』
1階の食堂で彼女が願ったことだ。
『そのためにおそばでお仕えし、いつでも敵襲に備えます』
うーん、健気。
回想おわり。
ベッドで寝ていいと言ったのは俺だ。
だってそうでも言わなきゃ扉の前で門番しそうだし。
耳をそばだてる。
すぅ……、すぅ……。
規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
もう少しセレナータを観察すると、月明かりで身体の輪郭が光沢となって顕れていた。
なるほど。
寝返りを打って天井の木目を眺め、目を閉じる。
……。
…………。
……………………。
寝れるか!
カッと目を見開く。
こんな美少女が隣にいて眠れるかよ!
もし眠れる男がいるならそいつは男じゃねえ!
なんでお前は俺に対して無防備なんだよ。
守れよ、自分の貞操も!
うおおおお!
一緒に寝てるってことは良いってことなのか?
別々の部屋にする選択肢もあったのに。
……よし!(何がよし!なんだ?)
自分でもよく分からず、セレナータの方を向く。
瞳。
月光に似た輝きで、俺を見ていた。
「ご主人さま、眠れないのですか?」
「あ、ああ」
教会で祈りを捧げる時のような気分になる。
「眠れない原因はわかりますか?」
「いや……」
お前だよ、とは言えなかった。
「私はご主人さまに安心して眠っていただきたいのです」
「安心ねぇ。セレナータはどういう時に安心するの?」
「ご主人さまが剣を握っている時です」
寝ながらだとなぁ。
一応、剣は枕元にあるのでいつでも非常事態に対応できる。
「わかりました。ご主人さまは私が眠っていないから、眠れないのではないですか?」
一理ある。
もしセレナータが爆睡していたら、俺も悶々とせず寝ていただろう。
「そうかもしれない」
「わかりました。では」
急にセレナータがベッドから下りる。
俺のベッドの横で床に膝をついた。
「私の手を握っていただけますか?」
手のひらを差し出し、そう提案するのだった。
「いや、意味がわからないのだが……」
「実は私も眠れなかったのです。ですが、こうすれば安心して眠れる気がします」
安心するのは俺に握られている時か。
それくらいでセレナータが眠れるのなら手を貸そう。
「ほら」
シーツから手を出す。
そこにセレナータの手が重なり、やさしく握られた。
少し冷たいと思った温度がやがては同じになる。
……ちゃんと生きてる。
最初に思ったのはそれだった。
自称「伝説の聖剣の精霊」で、出たり消えたり幽霊じみた少女。
どう見ても人なんだよな。
「じゃあこれでもう眠れそうか?」
手を離そうとセレナータに視線をやると、彼女の表情が和らいでいる気がした。
いや、光の加減のせいだ。
ふたたび見てみるが、やっぱり優しい顔をしている。
手が離しづらくなってしまった。
セレナータが床に膝をついたまま寝そうだ。
「そのまま寝るつもりか?」
「はい、この方が私は安心します」
そんなにか。
まだ出会って1日も経ってないのに、ずいぶんと信頼されてしまったな。
「はは。それじゃ風邪ひくよ。そうだ、一緒に寝るか?」
冗談で誘ってみた。
まあ、さすがにそこまでの関係ではない。
きっと食材を切らせようとした時みたいに断られるだろう。
「……」
なのに返ってきたのは沈黙で。
「セレナータ?」
今までほぼ即答だったのに。
彼女が握る手に、力がこもったのを感じた。
「……私は剣でございます。それ以上は……、望めません」
剣。
なんだろう、俺は違和感を覚えた。
たぶんセレナータにずっと感じていた苛立ちと面倒臭さにも通じている。
彼女の手を握り返す。
地図の果てを目指すと言った時も、この手応えがあった。
「セレナータは剣じゃないよ」
「いえ、私は」
「仲間だと思ってるよ」
セレナータが顔を上げる。
片目を隠す前髪の間から、青い瞳がじっと俺を見ていた。
「仲間……。わかりました。でも、私は剣であることに変わりありません。……ですが、ご主人さま、いいえ、今宵だけは……、ロンド様、とお呼びして、も、いいですか……?」
たどたどしい物言いの提案は、もしかしたら彼女がキチンと考えて出した初めての言葉だったのかもしれない。
剣の立場を抜きにしたセレナータは、神秘的な精霊の面影は薄れていた。
そこにいたのは口下手な少女だ。
「いいよ、セレナータ」
「はい、ロンド様」
うおぉ……。
そう呼んでほしかっただけに、いざ呼ばれると動揺する。
「あの、先程ロンド様が仰った提案なのですが……」
「あ、ああ」
「一緒に寝ること、私は構いません」
え?
耳を疑ったが、そういえば冗談で一緒に寝ないか誘ったんだった。
セレナータが俺を握る手が強まる。
もう冗談とか言える空気じゃなかった。
「そうだな。うん、いいぞ」
「はい。では、失礼して……」
もぞもぞとセレナータが同じベッドの中に入ってくる。
肘が当たって、俺の方が「すまん」と謝る始末だ。
さらさらの髪が頬に当たる。
すまん。
めっちゃ良い匂いがする。
すまん。
「ロンド様、狭くはありませんか?」
耳元のささやき声が気持ちいい。
すまん。
くそっ、俺はこんな子に手を出そうと思っていたのか。
小一時間前の俺を問い詰めたい。
そんな時。
ぎゅっ
「ふぇっ?」
俺は恥ずかしい声を漏らしてしまう。
シーツの中で手を握られた。
さっきと握り方は変わらないんだけど、見えないところで手を繋ぐのはこんなにドキドキするものだったのか。
「すいません。驚かせてしまいました」
「だ、大丈夫です」
敬語になってしまった。
しばらく無言が続く。
心が休まらない。
「体があたたかくなってきましたね、ロンド様。眠くなってきましたか?」
「そ、そうかもな……」
天然かぁ? こいつは……
俺が変な気を起こすとか1ミリも想像してないんだろうな。
いや、うん。きっとそうだ。間違いなくそうだ。
逆に安心した。
なんかドッと疲れが押し寄せてくる。
俺の意識はまどろみの中に沈んでいくのだった。
セレナータ出会い編 ~完~
ここでセレナータ出会い編は一区切りです。
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