第十二章 五月闇(十二)
そして、数日が過ぎたある日のことである。
秋の太陽が西の山影に隠れ、急速に肌寒くなってゆく。
「おい、篁」
文章生である篁は、普段は大内裏の南に位置する大学寮内の寄宿舎で寝起きしている。講義を受けるのは、文章科の講堂である都道院だ。
この日、篁は昨夜試験の勉強でほとんど一睡もしていなかった。そんなわけで講義が終わるや即座に自室に戻って眠りこけていたその身体を、同室の友人が揺さぶる。名を安部河良といい、小太りで背が低い。細身で長身の篁と並ぶと、まさに巨人と小人という感じでどことなくユーモラスである。
「篁、おい、起きろ」
不快気に、篁は手を動かす。
「何だ、何の用だ……」
眠たげに眼をこする。
「良峰中納言どのが見えているぞ」
「良峰どのが!?」
がばっ、と篁は跳ね起きた。河良はぎょっとして思わず身を引く。
「どこにっ!」
噛みつきそうな剣幕である。河良は及び腰になって言った。
「おっ……驚かすなよ。二条大路だ」
☆
「やあ、久しぶり」
矢のような勢いで飛び出してきた篁に向かい、安世はしごくのんびりとした口調で言う。神野の件で会って以来、二人はしばらく音信不通のままに過ごしていた。
「正子内親王が、懐妊なさったとか―――!」
駆け寄る間ももどかし気に篁は言った。安世は苦笑する。
「君は相変わらず、単刀直入だな」
「どうするんです」
「どうもしない。―――が、わたしには少しやることがある」
「………?」
篁はきょとんとして安世を見た。
「どういうことです?」
恒世親王に正子内親王との恋を貫く情熱がないということを、安世は篁に語っている。その辺りは当人同士の問題だと、多分に不満を抱きつつも篁も納得したのである。
「やはり、恒世さまを説得なさるんですか?」
「いや。わたしの相手は、主上だ」
「主上?」
得心がゆかない様子の篁を見て、安世は少し笑った。
「少し、君の真似をしてみようと思ってね。どうやら、ぶつからずには片がつきそうにないから」
「良峰どの?」
篁は慌てる。
「どういうことなのです。わたしの真似とは?」
「どうあっても、主上に目を開いて頂かねばならない―――ということさ。わたしは今夜とのいに当たっているから………そう申し上げてみようと思って」
不審気に、篁は眉根を寄せた。
「わざわざ、それを言いにいらしたんですか?」
「忙しいところを呼びつけられて怒るかもしれないが、実はそうだ―――と言ったら、どうするかな」
「別に、忙しくしていた訳でもないですから怒りはしませんけど。―――でも、一体どうなさったんですか? なんだか、あなたらしくないですね」
安世はひょいと肩を竦める。茶目っ気のある仕草だった。
「はは。たまには景気づけが必要なときもあるよ」
「ひとを祭りの太鼓打ちか何かのように」
ぷっと安世は吹き出す。
「うまいたとえだ。―――しかし、まあ、実はひとつ、頼みがあってね」
「…………はあ」
怪訝な表情の篁に、安世は言った。
「悪いが、今夜少しつきあってもらいたいのだよ」