第十二章 五月闇(七)
篁を通して、神野は真相を知った。
要するに、ばれたのである。元々神野と篁は私的な交流がある。正子を大伴に嫁がせたのは神野であり、それに対する批判を胸の内に抱えたまま、黙って交友を重ねるなどという芸当が、そもそも篁に出来る訳はなかった。それを知るとすぐに、神野は安世を冷然院に召している。
目の前に平伏する安世に向かって、神野はむしろ穏やかにいきさつを語った。
「隠しおおせぬと判るや、肚を据えたのかわたしに申した。『院にも、責任があるはずです。お咎めになるのではなく、むしろ主上に対して何らかの働きかけをお願いできないものですか』―――と。確かに、責任はわたしにある。あれの申す事はもっともだ」
「―――」
「安世」
しばらく沈黙があって、安世の頭上に、うって変わった厳しい声が投げられた。
「金輪際、わたしを局外に置こうなどとはするな」
黙ったまま、安世は深く頭を垂れる。
「よいか」
「―――はい」
答えを得て、神野は頷いた。
「わたしのことよりも、むしろ篁だ。あれが下手に関与することを、わたしは恐れる」
安世は顔を上げる。
「篁には、何とお答えになったのですか」
「確かにわたしにも責任はあることだから、恒世を咎めるつもりは一切ない。関係を断つというなら尚更だ、と言っておいた。だが安世、そなたには判っているはずだろう」
切れ長の眼が、真っ直ぐに安世を見つめた。全てを見通したような透徹なまなざしは、どこかひやりとした印象がある。
「咎める咎めないの話ではない。恒世の命運は、既に尽きている」
「―――」
「正良が立太子したばかりの今、しばらくは何も起こるまい。高志の死に続いて、恒世にまで万一の事があれば、立太子に対して、世人も何かと疑いを抱こう。だが、そのほとぼりが冷めれば―――」
そこで神野は言葉を切り、眼を閉じた。
安世が有間皇子の歌を口にしたのは、このときである。
磐代の浜松が枝を引き結び ま幸くあらばまたかへりみむ
ふっと、神野の眼が開く。僅かに唇の端を歪めた。
「そう―――ことを仕掛けるのは、ひょっとするとわたしかもしれぬな」
天皇のひとり息子―――その存在はあまりにも大きい。有間はそれゆえに狂気を装ったとも言われる。
まして、恒世は今上帝のひとり息子なのである。
心の揺れを振り払うように、神野は真っ直ぐに安世を見つめる。
「それは、今はどうでもよいことだ。とにかく、出来ることなら篁を恒世に近づけたくはない」
「院―――」
それが、幾多の争いを見続けてきた彼に出来る、ただひとつの優しさの表現であることが、安世には痛いほど判っている。
安世は一瞬口を噤んだ。それからはっきりとした口調で言う。
「篁については、わたしも少し気をつけて見てゆくつもりでおります。しかしそれよりもわたしが考えているのは、正子さまのことです。そして、主上と」
「そうだな。同じことだ。出来ることなら正子を恒世に近づけたくはない」
神野は一旦そこで言葉を切り、じっと静かな眸で安世を見た。
「どちらかといえば、わたしの方からそなたに対処を頼みたいぐらいだ。主上―――大伴は、伊予どのが死んだ頃からか―――わたしや冬嗣を氷か何かを見るような眼で見る」
「―――」
「だが、判らぬことがある。何故、この件に限ってそのように関わろうとする?常のそなたとは思えぬが」
虚を突かれて、安世は一瞬眼を見開いた。
「そう言われてみれば……何故でしょうね」
ぽつりと呟く。
「………自分でも判りません。たまたま関わってしまったというのも事実なのですが―――ただ、どうも手を引いてはならぬという気がしておりますので………」
安世が苦笑すると、神野の眼元が僅かに緩んだ。
「有難い話だが、だが珍しいな」
「そうですね」
確かに、安世がこれほど深入りするのは珍しい。
とにかく、出来るだけのことを試みてみます―――と言って、安世は冷然院を退がったのである。




