第十二章 五月闇(三)
「良峰どの!?」
「君は少し黙っていなさい」
安世は厳しい口調で命じた。
「良峰どの―――?」
「いえ―――小野どのが腹を立てられるのももっともです」
恒世は安世を見た。安世はそれを見返し、
「ええ、確かにね」
と言った。
「わたしとて腹が立たない訳ではありませんよ」
「良峰どの………」
恒世は僅かに苦しげな表情になった。
「でも、わたしは篁よりももう少し主上とあなたを、そして院を知っているから―――もう少し、この状況に理解が及ぶというだけの話です。―――篁、乱暴して済まなかった。ただ、君も少し落ち着きなさい。恒世さまを責めても仕方がないだろう」
「しかし―――」
不満気に反論しようとする篁を、安世は手で制する。
「いいかい、確かに君には判らないかもしれない。君は下手をすると主上や院とだって好きな女を争って、駆け落ちでもしかねない男だからね。だが、それも二人だけの問題であればの話だ。もしそれで、たとえば岑守どのが責任をとらされて島流しにあうとか、相手の女の両親が死罪になるとか、そんな条件下なら君だって少しは考えるはずだ」
「―――」
「判るね? 相手の置かれた状況も考えずに、部外者が一方的に非難するものではないよ」
篁は口をきつく結んだ。それから恒世に向き直り、両手を床について頭を下げる。
「―――申し訳ありません」
きっぱりした口調だった。恒世は首を振る。
「いいんです―――言ったはずですよ。あなたが怒るのはもっともだと」
しばらく、沈黙があった。ざあっと、庭の樹々がなる。風が出てきたようだ。
「恒世さま」
篁は真っ直ぐに恒世を見据えた。
「こうなったら、正子さまを連れてお逃げになるべきです」
恒世はぎょっとした眼で篁を見る。
「想いあっている二人でしょう。こそこそと人目を忍ぶようなことをせず、一緒になってしまえばいい。逃げるのを潔しとしないなら、いっそ主上に直談判してもいいではないですか。強く願えば、きっと道は拓けます。―――拓く努力をするべきです。大切なもののためになら、命を賭けて進んでこそ、真の人生というものではないのですか」
恒世の表情が、苦しげに歪んだ。
「わたしは―――」
「篁」
安世は篁を睨む。
「軽々しくそのようなことを言うものではない」
「何が軽々しいのです。わたしは真剣に申し上げて―――」
「黙りなさい」
ほとんど叱りつけるように安世は言った。篁はまったく怯まず、真っ直ぐに安世の眼を見る。
「では良峰どのは、このままでよいと仰るのですか」
「そうは言っていない」
「では、どうせよと言うのです」
一瞬、安世は黙った。それから恒世に眼をやり、静かに口を開く。
「恒世さま」
恒世はその眼を見返した。
「お気の毒とは存じますが―――御自重下さい。この度のようなことは、今回限りに」
篁は顔をしかめた。
「良峰どの、それでは―――」
「君は少し黙っていなさい。―――恒世さま、お気の毒に思います。あなたも、正子さまも、主上も―――」
そして院も―――
胸の内で安世は呟いたが、それは言葉には乗せずに続ける。
「わたしからも、折を見て正子さまに何とか働きかけてみましょう。とにかく、あなたはこれ以上関わってはなりません。恐れながらあなたの失脚を狙うものは、少なくはございません。ここは一旦、この良峰にお任せ下さいますよう」
「………判りました」
恒世は顔を伏せた。安世は次いで不満気な表情の篁に視線を移す。
「君もだよ。口外は論外だが、くれぐれも軽はずみなことはするな」
「しかし―――」
「しかしじゃない。君も、わたしに一旦任せてくれ。―――いいね」
「判り………ました」
命令を下すように、安世は言った。不満をあらわにしたまま、ともかく篁は頷く。安世も頷き返し、立ち上がった。
「では、恒世さま。風雨も強くなってまいりましたし、今宵はこちらでお休み下さい。何のお構いも出来ませんが」
「何もかもお世話になってしまって、申し訳ありません」
「お世話などと大げさですよ。―――篁、君も泊まってゆくといい。この天気だ」
「わたしは―――」
篁は一瞬躊躇し、立ち上がった。
「邸に戻ります」
「ひどい天気だよ」
安世は言ったが、篁は反応しない。安世もそれ以上は強いて勧めず、見送りのために立ち上がった。二人は並んで、部屋を出た。
「―――くれぐれも、約束だよ。決してひとりで動かないように」
安世邸を去る篁を送り出しながら、安世は念を押す。篁は何も答えず、ただぺこりと頭を下げてから、横殴りの雨の中へ駆け出していった。




