第十一章 遊糸繚乱(十五)
確かに、この用件は朝廷の手には余った。
「―――あの……馬鹿者が」
差し出された書状を見た神野は、思わず額を押さえ、呻くような声を出す。
中納言を辞す―――
三守が朝廷に提出した書状である。
「如何いたしましょうか」
神野は苛立ちもあらわに、几帳面な字で書かれたその紙をびりびりと二つに裂いた。
「このような馬鹿げた話を真面目に取り上げる必要はない、捨て置かれるようにと言っていたと、主上に申し上げよ」
「かしこまりました」
言って使者を返し、即刻、
「三守を呼べ」
と命じる。半刻(一時間)とたたず、彼は来た。
「お召しにしたがい、参上いたしました」
文机の前に腰を降ろしている神野の前に、三守はいつも通りきっちりと挨拶をして平伏する。それに向かって、神野は丸めた紙を放った。言うまでもなく、先刻二つに裂いた三守の辞表である。三守はそれを手に取り、神野を見た。神野は三守を睨め付ける。
「どういうつもりだ。何を考えている」
「中納言の職を辞します」
「わたしが訊いているのは、理由だ。―――何故、突然そのようなことを言い出したのか、その理由を申せと言っている」
三守は手をついた。
「わたしは、ひとえに院のお力を以て今の地位にまで昇らせて頂きました。もとよりわたしには過ぎた重職でございます。院が位を退かれた今、その官職も返上させて頂くのが筋と考えます」
「そんな筋があるものか。馬鹿を申すな」
強い口調で神野は言った。
「わたしは一度たりともそなたを能力に不釣り合いな取り立て方などした覚えはない。今の地位に昇ったのは誰のお陰でもない、そなたの実力だ」
「いえ。院が退かれた今、わたしは朝廷で中納言を勤める資格などございません」
「三守」
神野は立ち上がり、三守に歩み寄る。三守の肩に手を置き、片膝をついた。
「子供ではあるまいし、聞き分けのないことを言うものではない。よいか、よく考えろ。そなたひとりだけですむ問題ではないのだぞ。まだ若いそなたが官職を退くなど―――。息子や娘たちの事を考えたか?」
「……」
嘉智子の姉で三守の妻となった安万子は、三守との間に一男二女をもうけたが、六年前にふとした風邪がもとで死亡している。また後妻の間に一人男の子が生まれていた。上から長女有子十五歳、長男有統十四歳、次女貞子十一歳、次男仲縁五歳である。
三守は顔を上げて神野を見る。
「―――そのお言葉をかけて頂いたのは、二度目です」
「何?」
咄嗟に何の事を言われたのか判らず、神野は眼を見開いた。
「十七年前、主蔵正の地位をお与え下さったときにも、院は同じことを言って下さいました。―――わたしひとりの問題ではない、よく考えろ―――と」
「―――」