第十一章 遊糸繚乱(十三)
神野はそれをじっと見てから、静かに、
「……そうか」
と呟き、盃を干す。
神野と冬嗣の間の摩擦―――「皇族」対「藤原北家」という―――を目の当たりにしているせいかもしれない。
あるいは、皇族として産まれながら臣籍に下されたという、その出自のせいなのかもしれなかった。
「良峰」という姓は、安世が生を享けた長岡京近くにある、彼の母永継の出身地の地名である。桓武の子で臣籍に下されたのは安世とあと一人だけだが、そちらの姓も「長岡」という、実に味も素気もない姓である。桓武らしいと言えば実に桓武らしい。
親王として皇族の中に入るわけでもなく、臣下といっても他の氏族たちと違い、良峰などという氏は存在しない。真夏や冬嗣といった異父兄はいても、彼らの姓はあくまでも藤原だ。
いずれにも属し、いずれにも属しない、ただひとり与えられた「良峰」姓―――良くも悪くも、それが自分の宿命というものかもしれないと、安世は時々考えるのである。
だからこそ、政治の世界―――より正確には、渦巻く勢力争いの世界が、安世にはどこか遠いもののように思われるのかもしれなかった。息詰まる攻防を繰り広げてまで守るべきものが、安世にはない。
「……永継どのが、もう少しお子をもうけておられればな」
柔らかな口調で、神野は言った。安世は驚く。
「主上―――?」
「わたしが源姓を与えたぐらいに人数がおれば、そなたも少しは心頼もしかっただろう」
言われて、安世は笑った。
「そんな、無茶ですよ。主上が源姓を与えたのは、皆母違いの兄弟じゃないですか」
「では何故わたしが、全員に同じ姓を与えたと思う?」
「―――皇族としての、まとまりを守るため―――ですよね」
その言葉に、神野は頷く。
「そう、その通りだ。母親が違おうと、自分たちが同じ源を持ち、ひとつの流れを汲んでいるということを、自覚していてもらいたかったからだ。あれらは皇族というひとつの流れを汲み、『源』という、ひとつの氏をなす」
一瞬―――
安世の眼に、滔々と流れる大河が見えた。緩やかに流れる大河のような、落ち着いた、しかし力強い口調。そこには、どこかみことのりかのような厳かさすら感じられる。
ああ―――
改めて、安世は思った。
冬嗣が藤原北家の長ならば、神野は皇族の長なのだ―――と。
たとえば、皇女でない嘉智子にとって、皇室の自律云々は必ずしも重要な問題ではない。ある意味で、我が子の地位さえ安定するなら、藤原氏と癒着しても一向に差し支えはないだろう。
だがそれは、神野にとってはやはり重大な関心事なのだ。現実認識が鋭いだけに、決して早急になることも、無理強いをすることはない。それでも、皇族としての、そしてその長としての自負を、神野は強く胸に抱いているのである。
「―――あなたは……まさしく桓武帝の血を受け継いでおられる」
「そなたもそうだろう、安世」
間髪入れずに、神野は言った。じっと安世を見つめる。
「臣籍に下ろうが帝位に即こうが、わたしとそなたは同じ父をもつ兄弟だ。皇族云々よりも何よりも―――わたしが言いたいのは、そのことだ。父上は、そなたを大切に思っておられた。それだけは、覚えておいてほしい。わたしや冬嗣のようにする必要はないが、そなたは、父上の息子で、わたしの兄なのだ」




