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緑の園にて

 ゆっくりと瞼を開けば、ふたつの月が離れてあった。目尻に浮かんでいた玉を舐め取るのは大きな舌だ。


 『寂寥の味がする』

 「いいえ、ほんの少し懐かしい夢を見ていたの」


 降ってくる声は柔らかく甘い。

 首を上に向ければ『彼』のもたげた顎が見えた。そう、彼は人ではない。

 形こそ竜のようであるが、その体を構成しているのは血肉ではなく植物である。

 『彼』は緑竜と呼ばれる、この神緑の園と呼ばれる地の守護者であった。


 最初こそ出会いの際には悲鳴を上げて気を失ったが、会話してみれば意外と話が通じる御仁であったため、ここに永住すればいいとの好意を受けて住まわせて貰っている。家は巨木のうろだ。あてがわれた当初は蜘蛛をはじめとする樹木を住処とする虫の数々やヘビの類に叫び声が上がったものの、森の人、と呼ばれる長耳族の里から訪れる商人より様々な品を受け取っているうちに減少、慣れもあり野鳥もサーラの叫びに驚き飛び立つことも少なくなってきていた。

 

 『彼』をサーラは呼ぶ。『彼』は緑竜様、と長耳族から称されていた。

 しかしそれは個体の総称であり名ではない。ゆえにサーラは安直ではあったがみどり様、と許しを得て呼んでいる。

 

 「おなかが空きました」

 『ならばこちらへ』

 「はい」


 この森に辿りついた当初は骨と皮ばかりであった体も、栄養状態が改善したためかゆっくりと膨らみ始め、人間ではないものたちとの生活にも驚かなくなってきていた。

 慣れなかった最たるものといえば、今から貰う食事である。

 サーラの常識では人間が摂る食事の回数は1日に2回もしくは3回である。だがこの森に来てからというもの、多かった時で5回であり落ち着いた今では1日に1回程となっている。

 

 緑竜は森そのものだ。山をひとつの塊と見なすのであれば、それが10ほど合わさった存在であるらしい。

 らしい、というのは長耳族がそう言っていたからだ。

 この深緑の園は七柱のひとつ、緑を司るものの寝所であると伝えられているのだとか。

 世界の常識であるらしいが、サーラが知るこの世界は余りにも小さく狭い。暮らしていた王国すら満足に説明できないのである。


 サーラは緑竜の顎門あぎとが開かれるのを待つ。

 緑竜とは変わった生き物で、その体からどんどんと緑の葉が伸び出てくる。大まかには獣の範疇に入っているらしいが、肌触りもひんやりとしていて、動物というよりは温かい幹という感じだろうか。それゆえその胴体には毛ではなく、葉がたくさん生えていた。サーラは緑竜の背で、折り重なった柔らかな葉の中でまどろむのが好きでもある。興味津々にその体を探検させて貰うと、いたるところにつぼみだったり蔦だったりが対になって存在していた。

 そして緑竜という存在は、なかなかに腰が重い生き物でもある。サーラがこの森にやってきてから一度も動いたことがないのだ。

 森の人もそれが当たり前だというし、サーラはそんなものかと納得したのである。


 開かれた口の中から赤い舌が伸びてくる。サーラは手を伸ばしその赤に触れ、唇を寄せた。

 とろりとした蜜が滴る。それは甘露だ。緑竜がサーラに与える食事であった。森の人が受け渡しの現場を目撃した際、ほんの少しでいいから分けて欲しいと額を地面にこすりつけたことがある。

 だが緑竜は断固として否定した。

 理由を聞けば、緑竜の体液はどんな病でも癒す万病の薬として重宝されているのだという。

 そんな大切なものを貰っていたのかとサーラは愕然としたが、緑竜は弱ったサーラの身が与えれば与えた分だけ良くなるならば、もっと与えたいのだと体を摺り寄せてきた。

 

 結局、緑竜は頑として森の人の願いを聞き届けずすごすごと帰るその背を見送りもしなかったのである。


 サーラは深緑の森ですくすくと成長してゆく。

 骨ぼったかった体も程よく肉がつき、女の子らしい体つきにもなった。

 時間の流れが森と、その外とは違うと知ったのはサーラが森に来てから外時間で10年もの月日が経ってからのことだった。

 

 サーラはただ、愕然とした。

 実時間ではまだ、3年足らずしか経っていないような感覚だったからだ。

 物語では来年当たりに学園へ入学するのだろうなぁ、行かせて貰えるのかな。学校生活って楽しいのよね。テストとか進学とか、就職とか、胃が痛くなる節目イベントの繰り返しはかなり辛いが、それもまた一興とどこか他人行儀に考えていたくらいである。

 よもや物語の最高潮、主人公との対決が行なわれようとする18の年になっているとは全く思っていなかった。なぜならサーラの体がようやく、第二次生長期を迎えようかとしている時分であったからだ。


 出会った頃から姿の変わらぬ森の人の目の前で、あんぐりと口を開けぽかんとしたサーラに緑竜がくつくつと笑う。

 

 「ねえ、みい。私、学校へ行きたいわ」

 『……なぜ。なぜわざわざその身を汚す場所へ行きたいなどと言うのかな』


 サーラは口元をもごもごさせる。

 緑竜から今まで感じたことの無い怒気のようなものがひしひしと伝わってきたからだ。

 今まで一度たりともこの森から出たいと告げた事は無い。人間不信とまではいかないが、今までの体験からかなり人間に対し良い感情をもてないでいたからだ。


 サーラの中で希薄になりつつある彼女という存在が小さく声をあげる。

 彼女は現在サーラレリットとして生きているわけだが、大好きだった小説の存在を忘れたわけではなかった。

 元々居た世界が科学の発達した、不思議なんて全て科学で証明できるのだというある意味、浪漫の無い世界であった。もちろん、科学では判明しない背筋がぞくりとするなにか、も認知されているが基本的には目に見えるものこそが全てであった。

 

 だから魔法があり、不思議が不思議のままあるこの世界を巡れるものなら主人公のように歩き回ってみたいと思っていたのだ。

 緑竜はサーラをこの森から出すことを幼い頃から厭うた。そして森の人にも外部の情報を与えぬよう、禁じていたのである。

 なぜならこの森から離れれば離れるほど、大地の色のほうが濃くなっていたからだ。

 行きたいと願う学園がある場所はまさに、緑神によってサーラを取り上げられ飢渇に喘いでいる中心である。

 

 種を蒔いても芽が出ず、雨も降らぬために割れた大地の上で力なく肩を落とす人間達の姿が至る所で見ることが出来た。

 そもそもからして緑の子を大切にするようにと告げていたはずだったのだ。

 なんのためにサーラが生まれた際、生まれた国を緑神みどりがみがそっと祝福したのかわからない。

 

 諸国に飢饉が起きても、ルーセント王国の被害はわずかであったはずである。

 サーラの周りに集っていた末端がかなり濃度強めの蝶であり、濃過ぎて見えぬ者があったとしても、幼子の回りはいつであっても緑の園であったはずなのだ。


 しかし緑竜はひとつだけ腑に落ちぬ事象を覚えている。愛し子の意識が感じられぬ数年があったのだ。

 ゆったりと腰を落ち着け、むやみやたらに慌てない緑神がこの時ばかりはかなり焦っていたと緑竜は知っている。

 まるで人形のようだと言っていたのだ。魂が無い。それを探すのが先決であると。


 本来であれば緑竜が迎えに行かねばならない事案である。

 だがそれを緑神がならぬと断じた。緑竜は緑神の手足だ。主の許さぬ行動を取ることは出来ない。


 しかしサーラは自力でこの森へとやってきた。

 恐るべきことに蝶の力を纏い、危うくもありながらたどり着いたのだ。


 緑神は即座に行動に出た。

 どこかに迷い出ていた魂が戻って来、かつその力を強めていたからだ。

 まだまだ小さくはあるが、緑の力だけを具現化させているのではなくなっていた。いくつか他の色をも受け入れ、緑だけを継ぐ愛し子ではなくなっていたのである。他の柱に手を付けられてはたまらない。故に緑神は急いで自身の力が強く及ぶ場所に囲ったのだ。

 

 神は世界に容易く干渉してはならぬということわりに縛られている。

 だが今回ばかりはと緑神は理の隙間を掻い潜った。一歩間違えば神と言えど消滅の危機に瀕する可能性もあったのだ。

 結果的に他の色の神々に手助けされ、緑の愛し子は新緑の森に確保された。人の中でサーラがこの森に居ると知っている者は誰もいないはずである。そしてこの森が以前と変わらず深緑を保ち続けている事に疑念を持っている者もいないはずだ。


 ここは古き時代から緑竜がおわす深緑の森、であった。いみじくも緑竜がサーラの隠れ蓑となっていたのである。


 人間にとって緑の愛し子は喉から手が出るほど欲しい存在だ。なぜならそこに居るだけで大地が潤うからである。

 水や黄とも相性が良い緑の愛し子が存在するだけで、その地は命が溢れ喜び謳歌の歌を奏でる場所となるのだ。

 飢える心配などない。緑が深まれば、蝶ではなく緑竜のような要も生まれる。


 サーラは緑神の寵愛を受け、ただの人では到底扱うことの出来ない力を扱えるまでになっている。

 彼女が望まないに関わらず、蝶を連れ、日照りが続き割れた地面が続く荒野を歩いたなら、暗雲が湧き空から水の恵みがもたらされるだろう。そしてその道程には緑の芽が吹く。


 人間はサーラを巡り、争いを起すだろう。

 それは予想ではない。人間という存在が起してきた行動の再来である。


 サーラは頬を膨らませていた。

 こんこんと緑竜が諭す言葉は、もっともである。あと数日でも屋敷ここに居続ければ死ぬ、というぎりぎりを体験して知っているサーラだ。生まれた国の現状を聞き、ざまあみろとまでは思わないが、かなり大変なのだろうなぁとの憐憫さは感じてしまう。


 学園に通うのは諦めるから、だからちょっとだけ歩き回らせてくれと可愛く首をかしげながらねだってみた。

 しかし緑竜は手ごわかった。

 ぐぬぬ、とサーラは拳を握り締める。蝶を纏い魔法のように力を振るえたとて、腕力で緑竜に敵うわけもない。ぽかぽかと体のとある部分を、喉近くにある柔らかでふさふさした、とうもろこしのひげのような茂みの奥にある弱点を叩いたとて、ダメージのダの字すら与えられない非力さである。


 飢えるのは辛いものだ。

 おなかと背中がくっつくかもしれないと、笑っていられるうちはまだいい。

 空腹感すら感じなくなり、段々と眠気の方が勝ってくると息をするのもどうでもよくなってくるのだ。

 

 「救世主になりたいわけじゃないの」


 誰かに崇めて欲しいわけでも、感謝されたいわけでもない。

 王族や貴族などはどうでもいいのだ。

 一番の被害者であるのは、大地を耕して糧を得る農民達である。どうして大地に実りがつかなくなったのか。全くわからないに違いない。原因はサーラの放置だ。放置を行なったのは生母とその父である。育成を任された多くも同罪であろう。

 

 大地や空が乾き、真っ先に死んでいくのは民たちだ。

 話を聞いただけでは曖昧だが、富めるときと違わず、支配階級によって搾取され続けているのだろう。

 そもそも国とはそういう仕組みになっている。端的に言葉は悪いが、民となる者たちを国という枠で囲い害から守るから、税という名の見返りを納めろ、なのである。そしてその国の民であることに利点を見出してもらうために、国独自の対策、例えば町を囲う壁を分厚くし水害を少なくするため灌漑工事を行なうのだ。て

 かつて彼女が在った国で得ていた数多くの権利もそうである。ただ納税の義務を怠っての権利主張はなかなかに厳しい批判があった。


 「みい、私は知ってるの。おなかが空きすぎると生きることが億劫になる」


 パソコンの画面で見たことがある。飢饉でどうしようもなくなった国の写真を。おなかの下部だけが膨れた、サーラもあのままではなっていただろう姿を。


 ひもじいのは辛いのだ。

 どうにかならないだろうか、と願うことこそなんの苦労も知らぬお嬢様たる見高けんだかであるのだろう。


 サーラは記憶を反芻する。

 そもそも世界が滅亡に近づいているのはなぜなのだろうか。ふと疑問に思い、緑竜に尋ねてみる。

 すると緑竜は首を、まさしくぐねっ、っと首を真横に、それこそ直角かと思われるほどに曲げた。サーラは焦り、折れちゃう! 折れちゃうから!と緑竜の奇抜な行動をやめさせた。お互い落ち着いて話し合おうと言えば、慌てているのは愛しのサーラだけであると笑みを含まれる。

 

 『質問に答えよう。世界の滅び、とは大雑把すぎるが。それは人の滅びと捉えてもよいのかな』

 「へ? 人が滅ぶだけ? って、いやいやいや、それもすごくだめなことじゃないのかしら」

 『そもそも世界にはれっきとした律があり、神のしもべたる我などは行動を制限される身であるよな』


 こくこくとサーラは頷く。

 世界には容量がある。神々が降りてくれば潰れてしまう脆弱な枠で組まれていた。

 だからこそ神々は、世界が壊れない範囲内で力を振るう。その最たるは蝶だ。神々はこの世界が愛おしい。そこに生まれ出る存在たちもまた愛おしい。だから力を注ぐ。そして力を注いだ世界から、とても低い確率であるが愛し子が生まれる。神々はその愛し子が特に可愛くて仕方が無いのである。だから愛し子をより大切に扱うのだ。


 愛し子は人間だけに生まれるものではない。獣であったり、昆虫であったり、樹木の芽や、空に形成される雲であったりと様々である。


 「……知らなかったわ」

 『そうであろうな。知ろうともせぬから』


 人間だけが特別なのだと思いたいが故に、その他の可能性を全て見知らぬ振りをしているのだろう、というのが緑竜の言である。

 異を唱えた者は緑竜が知る記憶の中では全て異端審問にかけられていた。

 世界は人間を特別扱いなどしていないのだ。世界に生まれた数多くの生命と同じひとつの種なのである。


 『サーラが心痛めぬともよい。世界はあり続ける。なぜなら我らに変化が起きておらぬのだ。この世界が終わる時、真っ先に我らを神々は潰すであろうからな』


 人間という種が蒔いた、滅びという種が芽を吹いて、人間という栄養素を吸いながら花を咲かせようとしているだけのことだと緑竜が淡々と語った。

 人間同士で争い殺しあっている現状も、もうしばらくすれば終わる。なぜなら戦えぬまでに疲弊するからだ。

 人間も生き物である以上、栄養を得られなければ枯れるのである。

 

 そしてサーラは地脈が崩れようとしているというが、自業自得であると。人間に地脈を通る力が扱えなくなっているだけの話だと緑竜が静かにため息を落とした。

 

 『言ったであろう。わざわざ汚れに行くのかと』


 愛し子を自分達の欲望を優先し、自浄作用以上に醜く膨れ太りはらわたがヘドロのように腐りきった人間の中へ放り込むなど、神々が許したとしても長年、その側に付き添い清き乙女を護り続けてきた緑竜にとって許せぬ道理であった。


 『サーラ、何を隠しておる。素直に全て、吐くがよい』


 サーラは背筋を這ったぞくりとする良くない寒気に後ずさる。緑竜に初めて身の危険を感じたのだ。

 

 「あっ、あの、みい……」


 しゅるりと何かがサーラの手首に巻きついた。葉が大きく擦れる音が続く。

 緑竜がのそりと動いたのだ。首を大きく持ち上げ、尻尾を左右に振る。

 鳥獣が危険を察知したのか、鳴き声をあげて飛び立ち、大地を駆けて去ってゆく。


 『人間など矮小なものにしがみ付くならば、それ以外にしてしまおうか。愛しい、愛しいサーラ。緑の愛し子である君は、緑の指先である我にとって最もその存在を優先しなければならぬ大切なものなのだ』


 ならば人ならざるものにしてしまおう。我と同じものに変えてしまおう。

 神は気にもせぬだろう。愛し子が愛し子であれば良いのだから。


 「……みい、話し合おう、ね、人間じゃなくなるって良くわからないし、話せばわかるから!」

 『なればこそ我と繋がっても良かろう。我もまた番を持つことを許された竜であるのだ』


 手首だけに巻かれていたはずの蔦が、肢や腰に巻きついてくる。

 番、とは。

 サーラは脳内で辞書みたく、ぺらぺらと検索するふりをする。

 番とは獣の、夫婦だ。一夫多妻いっぷたさい一妻多夫いっさいたふ一妻一夫いっさいいっぷと様々な形はあれど、ようは、子供を成すために致すということである。


 みどりの事は好きか嫌いかの二択であるなら、好きである。好意しかない。みどりになら身も心も許せたし、水浴びの際も拭き残しがあるからと丹念にありとあらゆる場所に触れられてもいる。……残念ながら嫌ではなかった。

 だがしかし、こんなにも性急に求められても戸惑ってしまうのだ。

 なぜなら月に一度来るであろう女性の証もまだだし、胸もそんなに育っていない。洗濯板ではないと思う…思いたいが、かろうじて膨らみかけているような気がする、という曖昧な大きさだ。


 自身の欠点を次々に挙げるが、緑竜にとっては全く問題の無い、問題にすらあげる必要性すらない事柄ばかりであった。

 だから緑竜は大事に囲っていた最愛の愛し子をなだめすかし、自ら望んで番になるのだと舐めて蕩かして神に向かって宣誓させた後。


 サーラはきっちりと緑竜の番である証をその身に刻まれることとなった。



 △▽△▽△▽△▽△▽△▽


 ルーセント王国から緑の愛し子が失せて早10年の月日が経とうとしていた。

 七柱の中でも国を根本から支える重要な緑の力を司るものの具現に沸き立ったのもつかの間、宣告されたとおり年々、大地に実る作物の量が減り続けてゆく。民たちは訝しんだ。緑の子が生まれたと発布されたにも関わらず、年数が嵩めばかさむだけ、大地は割れ作物が育たぬ地へがじりじりと増えていったからだ。


 緑の子がもたらす恩恵に関して、民たちは昔語りを通して詳しくは無いがこういうものだ、という話を知っていた。

 曰く、実りがたわわにつくと。

 曰く、飢えることが無くなると。

 曰く、災害が減り、人が人らしく生きていけるようになると。



 国は具現化が起きた初年度、司るものが残した言葉の意味を曲解して発布した。

 緑の愛し子が生まれたと。

 王やその場にいた者たちの聞き間違いだったとして、その年に生まれた赤子の全てを検分したのである。

 だが緑の子は見つからなかった。

 

 支配者階級の者たちは次年度に生まれるのだろうと、見つからなかった事実を安易に流す。

 蝶の声をかすかにでも聞くことの出来る少数もそうだ。いつもであればもう少し蝶の囁きがあっても良いのにと思いつつも、うるさくなくていい、こういう事もあるのだろうと難しく考えずにさらりと意識の外へと追いやってしまったのである。

 地脈に触れ、蝶の姿を見ることの出来る彼らには国の中枢を支える役目があり、小さな出来事にいちいち構っていられなかったのだ。


 短い安定季を始まりとして雨季と乾季の3回にに分けて国は緑の子を探した。

 安定季に見つからずとも誰も焦らなかった。雨季も同様に、である。乾季となり収穫が行なわれる時分になってようやく焦燥を感じ始めたのだろう。


 やはり得たのではなく、奪われたのだと。


 国中に散らばる学者たちをかき集め、国王は事例を探した。

 何が原因であったのか。その因果をほぐすべく、行方がわからなくなった誰かを探してはみたものの、王国の領土は広く平民から貴族までどの階級に属するのかも分からぬため捜索は困難を極めた。

 学者達の奮闘もむなしく、柱の愛し子がどれだけ貴重であるかを書き留めた資料は見つかれど、奪われた時の対処などが書かれたそれなどどれだけ探しても発見には至らなかった。

 司るものの宣告から、2年も経っているのである。日々の生活に忙しい庶民ほど、記憶が曖昧になっていた。

 特に無法地帯での調べに時間と労力が嵩んだ。


 魔力を持つ子を探すのは簡単である。世界に満ちる七柱の力である蝶を見ることが出来る存在を探せばいい。だが愛し子は違った。愛し子が内包する色の力が濃いために、その身辺へ蝶が集まったとしても感知できないのだ。だからその存在がある事で植物の成長が早かったり、実りが多く得られたりとする曖昧な条件で探さねばならなかった。

 どんなに裕福な国であっても貧民街が広がる地域が無くなるわけではない。貧富の差などはいとも簡単に出来てしまうものなのだ。

 そして5年の月日を経て、ようやく誰が緑の子であったのかが判明した。

 灯台下暗しとはよく言われたものである。

 サーラレリット・リツヴァ・ランベルグ、現王の兄である公爵が一人娘であった。

 すぐさま兄を呼び、王は緑の子の安否を確認する。が、兄である人は全く把握していなかったのである。妻が愛おしんで育てているはずだと。そう信じて疑っていなかった。

 

 兄と結婚した相手は誰だったかと、王は記憶を手繰り寄せる。

 そして側近のひとりが王にそっと囁いた。数々の噂とその噂の裏を。

 

 そういえばと王も思い出す。人形のような少女が居なかったか、と。

 親の欲目からとはいえ、長男として生まれた息子は---ジルラフィードは王族の良いところばかりを受け継ぎ、容姿端麗でありかつ勤勉で幼い頃から能力的にも秀でた存在であった。父王よりも長く地脈に触れられ臣下からの評判もよく次期王の継承は決まったとも言われている。

 現在は王都にある学園にて未来の王となるべく、多くの身分差のある同年代たちに混じりその能力を磨き研鑽しながら生活しているはずである。

 そんな自慢の息子には多くの令嬢たちから熱い好意がいくつも向けられていた。息子はあまりにも熱烈な令嬢たちを疎んじていたが、それもまた王族に必要な経験だと父としても笑い飛ばしていたのである。


 だが息子が、女性を避け始めたのはいつであっただろうか。

 王にも忌避していた時期があり、同じものだと思っていたのだが。

 

 王は兄の娘、と言われてもとんと記憶に無かった。

 貴族であれば数年に一度は画家に子供の成長を願い絵姿を描かせる風習がある。だから一枚くらい絵姿が在るだろうと探させたが、その一枚すらも存在すらしていなかった。

 兄ならば持っているだろうと尋ねても持っていないという。どういう事だと王が兄に詰め寄った。

 だが兄は娘の事は妻に任せたままだと言うだけである。それもそうだろう。王の兄は妻を娶ってからもこの王城で生活し続けていたからだ。これに関してのみ王としては苦言をいう事が出来ない。


 兄は文官として王を支えていた。王としても兄が近くに居てくれるほうが助かっていたからだ。国と国の交渉ごとも、裏の裏、そのまた裏があるならば鋭い臭覚にてそれを嗅ぎ取り、交渉ごとを己の手の中で転がしてゆくのである。

 兄が以前、こう言っていたのを王は思い出す。

 相手が欲する言葉を先に出しつつも、こちらの望む優良な言葉と結果を交渉の末に引き出すのが面白いのだと。

 側近にも頼めぬ様々を全て伝えずとも察し、最も良いように整えてもくれた。兄弟であるからの気安さもあったのだろう。こればかりは頭を抱えても致し方なかったのである。


 王の職を弟に譲り、側近として弟を支え続けた兄には屋敷が与えられていた。だがその屋敷に戻るのは、その屋敷にて働く者等へ払う給金を持っていくときと、妻から金銭を無心されたときだけだった。

 妻となった女性とは見合いである。お互いが政略結婚だと了承して契った。

 貴族の義務として、ひとりは子を成さねばならない。王族であるのに地脈に触れず王にもなれなかった兄は家の存続など望んではいなかった。だから生まれたのが娘であったと知ったとき、胸を撫で下ろしたくらいだ。


 娘の育成は妻に丸投げしていた。妻も夫である彼との義務を果たした気楽さもあったのだろう。

 余生を楽しみながら、娘への執着を強くしていったと報告を受けていた。だからこのままが一番いいのだと判断したのである。

 妻はかなり良い血筋の令嬢であった。教育の何たるかを知っている家から来たのだから、娘の教育にも熱心に取り組むだろうし、社交界に出る年齢になればエスコートくらいすれば良いだろうと。

 

 ゆえに金の心配だけはしなくても良いと妻には伝えていた。彼の妻はその言をしかと受け取ったようで、彼の邪魔をすることは一妻無かった。

 彼はまさしく仕事が生きがいという人物であった。

 国の繁栄を願い、身を投じていた王の兄はそれすら億劫であるときは部下に金貨が入った袋だけを持って行かせてもいたのである。それが裏目に出た。甘かったのだ。


 王の兄はここにきてようやく己の失態を自覚したのか、屋敷に向かって走り出た。馬車が慌しく用意され、彼は家路を急ぐ。

 屋敷は以前と見たときと同じまま、そこに佇んでいた。全てが小奇麗に整えられ、過不足などない。

 主が突然、屋敷に戻ってきたことに驚きを見せた召使や執事たちに向かい、彼は娘の部屋に案内しろと命じる。

 だが誰もその場から動かない。どういうことだと問えば、お嬢様はこちらにいらっしゃいません、との苦々しい声が放たれる。


 ならば妻はどこだと尋ねれば、同じくここにはいらっしゃいませんという答えしか戻って来なかった。

 彼は妻の実家へと向かった。


 そこで知る。

 この屋敷がどういう名目で使われていたのかということを。


 教養の薔薇屋敷と名高く、嫁にやった娘もその学び舎の主として大いに華やいでいるようであると。

 義父となった人物にその名誉を褒めに褒められたが、彼の耳には全く入ってはいなかった。彼は義父に妻はどこかと聞けば、彼が買い与えたという別荘にて礼儀作法教室マナースクールを開催していると言った。近頃は王都も住み難くなっている。だから夫が別荘を与えてくれたのだと喜々として、とある夜会にて語っていたと言う。


 彼にとっては寝耳に水である。


 王都を離れられない彼に代わって、騎士がその別荘へと向かった。

 そして騎士たちは狂乱の宴を眼にした。


 報告を受けた王は、緑の子がどこにもいない事実を再度、目の前に突きつけられる。

 兄を断罪しても何も事態は変わらない。

 事実を知り抜け殻となった兄は、使い物にならない状態となっている。

 何が一体悪かったのか。今となっては全てが後の祭りであった。


 「父上、サーラが行方不明というのは、どういうことです」


 そんな折、学園に通っていた息子が城へと戻ってきた。学園に入れば王族といえど、卒業まで出ることが出来ない封じられた園だ。簡単に出られないよう幾重にも防御陣が張られているはずである。そこから息子はどうやって出てきたのか。王は疑問を感じながらも息子が出した名に興味を引かれていた。


 「なにを暢気なことを。サーラは叔父上の娘で、従兄弟ではありませんか」


 緑の子と称していたため、名をすっかり忘れていた王は苦々しい思いを噛み締める。王の息子はやり取りしていた手紙を持参してきた。何か役に立てばと思い、とそう言って。


 筆跡はすべて美しかった。

 息子が送った手紙が無いため一方通行であったが、筆運びに関して最初は代筆して貰っていると残っていた。思いの他、手紙を書くのが緊張すると。震えてしまって書けないので代筆を頼んだ。学んでそのうちに綺麗な文字でやり取りできるだろう。そう綴られている。


 手紙のやり取りが始まったのはサーラとジルが8歳の頃からである。

 始まりを出したのはジルの方だ。毎日毎日飽きもせず、やってくる従兄弟に辟易しながらも、根が素直であった彼女は、だれそれからこう言いなさいといわれたとその無表情に近い人形のような顔にほんの少し微笑みを乗せてジルへと話しかけてきていた。

 そしてジルの屋敷で聞いたことをそっくりそのまま、侍女へと伝えるというのである。


 伝書鳩かと最初は思った。


 侍女ぶぜいに良いように扱われているのではないかと、ジルは幼いながらもそんなことを思ったのである。

 だがある日を境に、従兄弟は変わった。人形のような面持ちに感情の色が加わったのだ。

 交わす会話も今までと違い、実りあるものが多くなってゆく。そしてジルにとって、最も話しやすい唯一になるまでそう時間はかからなかった。


 そして数ヶ月の時が経ち、サーラが全く姿を見せなくなったのを不審に思ったジルは母や乳母にサーラがどうしているかを聞いたのである。そうすれば、もともと体が弱かったらしいサーラが体調を崩してしまったのだという。

 見舞いは不要だが寂しいので手紙が欲しいとあった、とジルは聞く。彼はその日から律儀に20日に一度、必ず手紙を書いた。どんなに開けたとしても50日を越えた事は無い。


 手紙のやり取りは些細な日常であった。

 好きなものはなにか、庭に母が植えて育てている薔薇が咲いたので持たせるなど、たわいな事ばかりである。

 恋愛の相談なども書かれていた。夜会には行けないが、好きな色のこういう形のドレスを着て母と共に向かう夢を見るなど、女の子の可愛らしい想いも綴られていた。事実、ジルはその手紙を読んだ後、サーラが言っていたのはああいうドレスかと思いながら、そのドレスを着る令嬢といくつか会話をしている。


 ジルが学園に入学が決まると、サーラを誘ってもみた。試験期間は遠方からやってくる者もいるため、50日と長く置かれているからだ。

 だが学園での生活に体が持たない、ジルと一緒に通えたら楽しいだろうにと悲しみが書かれていた。

 ジルは学園の様子をサーラに送った。こういう授業があったと、先生とこういう話をしたと。友人が出来、その名前も書いた。学園祭の様子や冬季の遠征合宿など、受けられぬサーラに変わり、サーラが共にあれば楽しいだろうと思いながら綴った手紙の返事を読むのがたまらなく待ち遠しかった。


 全てを読み終えた父王が厳しい表情を崩さず、息子を哀れに思いながらも息を吐いて告げる。


 「ジルラフィード、この手紙の相手は、残念ながらサーラレリットではない」

 「どういうことです!」


 息子は父に食って掛かった。サーラでなくては一体誰なのだと。


 「サーラレリットは6年も前に緑を司るものに連れさらわれているからだ。手紙など書けるわけがない」

 「どういう……こと、ですか」


 どうもこうも。この手紙の主は一体、誰であろうね。預からせて貰うよ。

 そう言い、父王は手紙をひとまとめにし、執務室を後にした。

 ジルは立ち尽くす。将来座ることになるだろうその椅子を、重厚な机上を呆然としたままに。


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