16: それは、ね——秘密
挿絵画像はチャットGPTによるAI生成画像です。
(……ボク自身が、自分の道を決めることができるのなら! どうか、もう一度だけ、伝えさせて欲しい……)
キュッと口を引き結んだ蛍が、透き通る翡翠の瞳を凛と輝かせて安倍晴明と向き合って声を上げる。
「それなら、ボクは、この命をかけて晴明に仕えたい! ——ボクは、ご主人様のために生きていきたい!」
安倍晴明のために蛍は生まれて来たのだと、そうまっすぐに伝える。
「……っ!」
その言葉に安倍晴明の新緑の瞳が一瞬大きく揺れた。
「蛍」
それは、まるで誰かの亡霊でも見たかのように……泣きそうな色を灯して、静かに伏せられる。
「俺は、お前さんの主やない……」
ゆっくりと再び、開かれた新緑の瞳からスッと感情を消えた。
「蛍が、俺以外の存在意義を見付けるのが俺の望みや。 ……ここまで、言うたら分かるか?」
一度、区切られた安倍晴明の言葉に感情はなく、淡々とした口調で続けられた。
「蛍……俺から離れや」
「ぁ……」
見たこともないほど、絶望に染まる安倍晴明の冷たい新緑の瞳が蛍を映し出す。
その温度のない声色に、蛍は思わず息を呑んで俯いた。
「…ご、ごめ……なさ……」
伝わらなかった——違う。
きっと伝わっているから、安倍晴明が絶対に受け入れてくれないことを、蛍はやっと理解した。
(……何故か、分からない。けど、晴明は……主として、ボクを絶対に受け入れてくれないんだ)
理解してしまったからこそ、蛍の頭の中の絶望と混乱は止まらない。
挙句の果てには、涙で視界が歪み始める
(……ボクが不出来だから? 違う。きっと、そうじゃないんだ。でも、分からない……)
とめどなく溢れてくる涙と一緒に、溜め込んでいた感情が勝手に口から零れてしまう。
「ごめん……なさいっ。でも、ボク……ずっと、頑張ってたんだ……」
安倍晴明に謝りながらも蛍の気持ちは止まらなかった。
「晴明の望んだ、ボクの好きに……するのを、頑張ってたら……晴明が認めてくれると思って……っ」
蛍は泣きながら安倍晴明に言葉を重ねた。
「……晴明は、ボクのご主人様だか——」
「もう——よろしい! そこまでや、蛍……っ」
初めて安倍晴明が声を荒げた。
「っっ!!」
驚きすぎた蛍の涙が一瞬、止まる。
涙で滲む視界で安倍晴明を見上げると、蛍はハッと翡翠の眼を開いた。
そう、いつも感情の乏しい安倍晴明が初めて今にも泣き崩れそうな表情を浮かべていたのだ。
「……一度、俺が居ないと思って生きたらえぇ。 それが一番蛍のためになりそうや。 しばらく、頭を冷やしや……」
そして険しく眉間に皺を寄せた安倍晴明が苦しげに言い終えると、そのまま、蛍の返事を待つ事なく去ってしまう。
「晴明……待って、お願いだ——」
蛍は、「……ご主人様」と小さく呟いて、安倍晴明の背中に力無く手を伸ばした。
安倍晴明を——仕えるべき主を、怒らせてしまった事実が恐ろしくて、その後を追いかける勇気はもはや無かった。
「……どうして、どう……して」
傷を負った心からとめどなく、血が溢れるみたいに止まらない涙が視界を歪めて、身体ごと崩れ落ちそうになる。
「……晴……明……っ」
「——はー、つっかれた! あの術式やばい、あれ禍ツ神仕様の弱体効果まで付いてるし……」
そんな蛍とは裏腹に、明るい蓮の声が耳に届く。
「本当に、捕まったら天部の神罰級の威力あるしで、意識じゃなくて、命が飛ぶって!」
どうやら、安倍晴明が去ったことで捕縛術式も解けて、蓮が解放されたのだろう。
「……ねぇ、蛍?」
「……っ」
「蛍、どうしたの? 大丈夫?」
ポロポロと溢れる涙のせいで、蛍は蓮に声をかけられても顔を上げることが出来なかった。
「ボク、晴明に……嫌われた」
「えぇっ!? そんな急に嫌われることないと思うけど……」
蓮が驚きながら答える。
「だって、さっき……晴明を怒らせた……」
途切れ途切れの蛍の言葉だが、自分で口にした途端、悲しみがさらに膨れ上がった。
「……ぅぅっ、うわぁ〜ん……っ」
ダバーッと、とうとう蛍の瞳の涙腺が崩壊して、滝のように涙が流れる。
(——えぇ……待って、待って? 僕が晴明の術式から逃げ回ってる、あの間で何がどうなったら、こうなるの……)
誰か、僕にこの状況を説明してくれないかな?と混乱しながら、蓮はそっと優しく蛍を抱きしめた。
「泣かないで、蛍」
「どうして……晴明はっ、ボクを作った、ご主人様なのに……ボクに何も望んで、くれないっ」
ただ、安倍晴明のために生きたいと思う。
なぜ、それがダメなのだろう——どれだけ蛍が、望んでも自由に好きに生きろと言われる。
しかも、それが、安倍晴明に造られた人工神にどれほど難しいことか、安倍晴明も理解した上での言葉なのだ。
人工神は造られる上では既に調伏されているのだから、蛍は安倍晴明を主と認識してしまう。
——だからこそ、主に仕えることが存在意義となるのだ。
「ボクは、一体……何のために生まれたんだろう」
雨のように泣き崩れる蛍に蓮も、どうしたらいいかわからない。
慰めようにも、蛍の涙の理由は蓮にとっては嬉しくない話だ。
ましてや、事情が事情だけに。
それを、蓮に解決することは不可能だった。
(安い言葉をかけられるほど、簡単な事情じゃないし。 蛍だって僕から同情が欲しい訳でもなさそうだ……)
もっと言えば、蛍は人工神の本能と心を丸ごと、安倍晴明にぶつけて、その矛盾した言葉と向き合おうとしている。
自分の存在意義を、何度も何度も、確かめるために、傷付きながら、自分の生きる意味を探し続けてるんだろう。
(とても、健気で愛おしい姿だけれど……。 その中身は、悲しく、難しい話だ……)
蛍の悲しみも、安倍晴明の願いも交わることはないのだから。
それでも、蓮が蛍にかけられる言葉があるとしたら——。
「……ごめんね、蛍。 僕は人工神じゃないから蛍の気持ちを正確に理解できる訳じゃないけど、晴明は蛍のこと嫌ってるわけじゃないよ」
ただ泣いて欲しくはなかった。
それが、自分の恋敵のためである涙なら尚更。
そして、その慰めが恋敵の——安倍晴明の利益になってしまうとしても、今は、蛍の涙が止まればいいと思う。
「蛍を見ている晴明の目は、優しくて……不器用だよね」
本当に……損しかしないのにな、と蓮は柔らかな笑みを浮かべて、蛍の涙を指先で拭った。
「でもね、本当はきっと蛍のこと大切なんだろうなって、僕は見てて思うよ」
「……蓮」
蛍が大きな翡翠の瞳からポロポロと涙を溢しながら、蓮を見上げる。
そんな、あどけない蛍の表情に、蓮はまだ止まらない涙も悲しみも吹き飛ばすように。
「だから、今はさ……」
——あえて、明るく蛍の手を取って笑った。
「難しいと思うけど、蛍の存在意義は晴明だけじゃないって思える様になるまで、一緒に頑張ろうっ!」
「……それは」
「——ダメ、今すぐ答えはいらないよ。 その代わり、もし、蛍が不安なら僕の手を離さないで?」
蛍のそれは難しい。と言いかけた答えを蓮はあえて遮った。
蓮は、蛍が一番大切なのは、安倍晴明だと理解している。
そして、それがいつの日か、変わるように——その場所を蓮自身が奪えるように、蛍に優しく笑いかける。
「そばに居るから、君が泣き止むまで、ずっと」
「……蓮。ありがとう、ボク、きっと不安だったのだと思う」
「うん、当たり前だよ。蛍にとって安倍晴明は親であり、自分の存在意義みたいなもので、とても大好きな人なんだよね」
蛍が泣いてしまっても無理はないと、理解はしているけど、実際に口に出すと蓮は内心穏やかじゃなくなる。
(……あーあ。本当に、さっき一発でも殴れれば良かったのに)
——ちぇっ、いいタイミングを逃してしまった。
本当に安倍晴明が羨ましい。
好きな人から好きだと言ってもらえることが。
安倍晴明にとっては不幸でしかないとしても、蓮にとってはこの上なく、羨ましい状況だった。
「でも、羨ましいなぁ。僕も蛍にそれだけ思われたい」
「……え、どうして?」
「僕が蛍のこと好きだから」
ふふっ、と蓮はあえて悪戯っぽく笑ってみせる。
「ボクの……ことが、好き?」
それは、きっと蓮が泣いている自分を元気付けるための冗談を言ってくれたのだろう。そう蛍は思った。
それでも、今、心が傷だらけになってしまっていた蛍にとって、蓮の気持ちは春の陽射しのように温かく感じた。
「——ありがとう、蓮。 ボクも君のこと大好きだ」
泣き腫らした顔で、それでも春のように、フワッと柔らかく笑う蛍。
彼女の好意が、親愛の意味であることは明白だった。
(……あ。 待って、これは不意打ち過ぎる)
それなのに、——どくん……どくん。と高鳴る自身の胸に手を当てる。
朝露に濡れる花のような蛍の笑顔に見惚れた蓮は、思わず頬を赤らめた。
いわく、胸の高鳴りが、もう答えだ。
(……あぁ、恋に落ちるって、こういうこと……)
もちろん、蓮は蛍の眼中に自分が映っていないことも理解している。
蓮は、安倍晴明しか見えていない蛍に——自分を意識させるところから始めなくてはいけないのだ。
「だとしたら、やっぱり……前途多難だよね……くぅぅっ」
「蓮、どうしたんだ?」
「あー、うん、たった今、完全に堕ちてしまったところ」
「一体、なにを落としたんだ?」
「それは、ね——秘密」
すごく綺麗な笑みを浮かべる蓮に、蛍は思わず目を瞬いて、そのまま見惚れてしまった。
* * *
始まりの章 終わり
めっちゃ長くなりましたが、始まりの章終わりました!次からは、高天原メンバー続々と登場です。引き続きお付き合いくださいませ。
そして、私はチャッピーに描き落とされた親指や人差し指に気付いたら、何度か黄泉まで拾いに行って差し替えております……。




