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はじめてのよびだし

 小学校から電話が掛かってきた。八重のことで相談が、とのことらしい。仕事を少しだけ早く切り上げさせて頂き、小学校へ向かう。


「あれー、お母さん!どうしたん!」

 友達ときゃっきゃしていた八重が、こちらを見た途端、笑顔を爆発させながら廊下まで駆け出し、抱き着いてくる。3年生になっても愛いやつめ。

「それじゃあ、二人とも、こちらに…。」

 今年も担任の浜田先生が、今日は紺色のブラウスにジーンズの装いで、空き教室へ案内して下さる。


「お母さんも先生も居ると、何か照れくさいね!」

とご機嫌な八重様だが、対して先生の表情はやはり曇っている。

「それで、相談、というのは。」

「はい。英語の授業中、八重さんが教室から出て、遊びに行ってしまうみたいなんです。他の授業では、そんなことは無いんですけれど…。」

 今回は何も濁そうとせず、それでも優しさが拭い切れない先生が、私と八重を交互に、心配そうに見つめてくる。

 何でもそつなくこなす優太とは違い、八重は、概ね並み程度の成績だ。それでも、文字や言葉については、異様なまでの喜びようで食らいついていたはず。英語についても、スポンジのように吸収してしまう八重のことを私と優太が面白がって、ネイティブの小学生レベルの本が読める程度には、色々と教え込んでいる。子供には、苦手の克服も教えなければいけないが、それより何より美点を磨いてやりたい。

「八重、どうしたん?英語、嫌いになったん?」

 心底不思議で本人に尋ねてみると、不満そうな声が返ってきた。

「英語は好きやで。でも、英語の時間は嫌!つまらんねんもん。」

教科書を見てみると、ほとんど日本語と絵の中に、最初は大きなアルファベットがひたすら並び、その後お情け程度に挨拶やちょっとした会話が載っているだけだ。話の内容も、なんというか…。

「確かにまあ、面白くはないなあ…。」

 お姫様は、味方を得て勢いを増し、せやろー!と机の上に置かれた教科書をつんつんとつついている。

「それでも、授業中は周りの子にも迷惑かかるし、お利口さんにしてなあかんなあ。」

 先生が優しく嗜める。

「えー…。」

 正論だ。でもまあ、姫の気持ちもわかる。そうやなあ。

「そしたらさ、八重。」

 お互い平行線で見つめ合っていた4つの黒目が、揃ってこちらを向く。

「教科書の内容を、他の国の言葉でも勉強してみるのはどう?」

「他の国の言葉?」

 多言語を同時に学習するときに重要なのは、言語圏が全く違う言語を選ぶことだ。似た言語だと、混同してしまうから。

「おすすめは、スラブ語圏か、東南アジアか、中東のあたりの言葉かなあ。」

「スラブって、ロシアの方やんね?中東?ってどこ?」

「トルコとか。でもトルコ語はアルファベットでごっちゃになりそうやから、アラビア語とか、ペルシャ語とかかなあ。」

 ペルシャ語、と聞いた八重の笑顔が輝く。

「ペルシャって響きが可愛いね!それにする!」

 ふふふ、何も知らずに、愛いやつめ。ペルシャ語はあのミミズと名高いアラビア語に、さらに4文字加わった、ミミズの中のミミズなのだ。なお、文法はアラビア語とは完全に異なり、どちらかというとトルコ語と似たところがあるが、これともまた微妙に違う。一方で、単語はそれぞれに共有されていたりいなかったり。同じ中東地域なのに、歴史的には中々興味深い発展を遂げていて…。

キラキラ笑顔の八重とは対照的に、先生の顔には焦りが広がっていく。

「ペルシャ語なんて初めて聞きましたよ!誰も教えられませんよ、お母さん…!」

 そりゃそうだ。

「大丈夫です、教科書は私が訳しておきますし、宿題やテストの採点も私がしますので。その代わり、提出物に英語とペルシャ語が併記されることをお許しください。」

 すみません、と形だけ頭を下げる。そして、ペルシャ語という響きが気に入った八重にも、釘を刺しておく。

「八重、授業中はちゃんと授業を受けなあかんからね。英語とペルシャ語、両方やるんやからね。」

「はい。」

 尻尾がはち切れそうな八重と、対照的に抜け殻のような浜田先生の返事が、ようやく重なった。

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