バスボム
ある朝、起きてトイレに行ったら、大事件が起こっていた。
「え、何これ…!」
どどどどどどうしよう…!
「お母さん!お母さんお母さんお母さん!」
大慌てでトイレから出て、キッチンで朝ごはんの用意をしているお母さんの背中を、ばしばし叩く。どうしようどうしよう。
「八重、痛いよー。」
振り返ったお母さんが、あたしの頭に手を置く。
「ああああああのねお母さん、えっと、あの、えっと…!」
大事件!大事件!
「八重、八重ちゃん。焦ってもええことあらへんで。」
お母さんが、へらりと笑って、頭を撫でてくれる。少し頭の中が静かになった。お母さんは、あたしの頭を撫でながら、
「何かあって、びっくりしたんよね。」
どうしたん?って目を細めている。
その顔を見て、心が、落ち着いてきた。けど、
「あのね、お母さん、えっと…。」
何でかわかんないけど、急に、恥ずかしくなってきた。言いたいけど、言えない。言葉が出てこない。あの、えっと。
「あれやろ、パンツに血が付いてたんとちゃう?」
「え?お母さん、エスパー?」
お母さんは、へらへら笑っている。
「月経、生理、月のもの。保健室で習ってへん?」
食卓の椅子に座って待っていると、お母さんが、レンジでぬくめたミルクを渡してくれる。
「そういえば、聞いた気もする。」
ずずず、とすすると、胸がほんわか温かくなって、指の感覚が戻ってきた。夏も間近なのに指が冷たくなっていたことに、今気づいた。
そしてお母さんは、コーヒーをずずず、とすすりながら、ゆっくり教えてくれた。
女の子のお腹の下の方には、子宮と卵巣という臓器があること。
子宮は赤ちゃんを育てるところで、卵巣は赤ちゃんの卵を保管しておくところってこと。
女の子が大きくなると、赤ちゃんの卵は、毎月1つずつ、卵巣から子宮に飛び出してくること。
男の人の精子と出会わなかったとき、赤ちゃんの卵は、子宮のベッドで一休みしてから、ベッドシーツを剥がして、女の人の身体から出ていくこと。
そのベッドシーツが、血として、おまたから出てくること。
その血が下着につかないように、ナプキンやタンポンというグッズがあること。
あと、ベッドシーツを剥がすときに、お腹が痛くなることがあること。
月経。生理。昔は、月のものって言ったらしい。
ふむふむ、なるほど。
「さて。」
お母さんは、コーヒーを飲み干した。
「今、何時でしょう。」
え。時計を見ると、
「やっば、もう9時やん…!」
学校行かなきゃ!遅刻!こんなん初めてや!
「まあ待ちたまえ、八重くん。」
え、でも。
「もう、今日は学校休みいな。」
え。
「休んでまうの?」
ええのん?ずる休み?
「そ。ほんで、ちょっとお買い物行こ。」
お母さんは、少し目を細くして、人差し指を口に当てて、笑った。
車で10分。近所のショッピングモールに着いた。
「八重、お腹痛いことあらへん?」
さっきお母さん言ってたな、ベッドシーツ剥がすときに痛いって。
「だいじょうぶ。痛ないよ。」
さよか、とお母さんは笑った。
車を降りて、さくさく歩くお母さんの後ろについて行く。パステルピンクのお店の前で、お母さんは立ち止まった。
「まずは、ここ。」
ブラジャーがいっぱい並んでいる。目のやり場に困るなあ。
「最初は、サニタリーショーツから選ぼうか。」
ぬるぬるとブラジャーの間を抜けて、少し奥まったところにある、パンツの棚の前に来た。
「サニタリーショーツ?」
「月経で血がでると、どれだけ気をつけてても、パンツに血が付いてまうことがあってね。それを、お洗濯したときに落としやすくする工夫がしてあるんよ。」
それに、と、お母さんは続ける。
「ただでさえ血が出て面倒なんやから、可愛い下着で気分持ち上げんと、やってられへんでしょ。」
なるほど。
無地でシンプルだけど可愛い色のパンツたちを、何枚か手に取る。
「これがいい。」
「ええやんええやん。そしたら次は。」
少し変わったブラジャーの前にたどり着いた。
「今度はスポーツブラを選びましょ。」
女の人は、月経がはじまると、お胸も大きくなってくるらしい。ふむふむ。ブラジャーの入門編ってことか。
可愛い柄のスポーツブラたちを何枚か選んで、パンツと一緒に、レジのお姉さんの所に持っていく。お姉さんたち、にこにこしてはるけど、ブラジャーに囲まれてお仕事していて、照れくさくなったりせえへんのかな。
「続きまして。」
イエス、マム。
再びさくさくと歩いて、次は薬局へ来た。圧倒的な種類のナプキンに、文字通り圧倒されていると、お母さんはぶつぶつと、
「ナプキンって、直接お肌とか粘膜に触れるものやから、相性が悪いとかゆくなったりするんよね。」
と言いながら、小さいパックを何種類か、かごに放り込んでいく。
「とりあえず使ってみて、どれが良かったか、また教えて。」
「わかったー。」
その後、念のために、と子供用の痛み止めをかごに放り込んで、
「最後は、ここです!」
…入浴剤?
「湯船に浸かっている最中は、水圧で血は出にくいんやけどね。湯船から出るときに、ばさっと出たりするんよ。」
せやから、月経のときは、お風呂の順番は最後の方がええんやけどさ。とお母さん。
「ただでさえ月経っていうだけで疲れるのに、一日の終わりのお風呂も後回しにされるとか、やってられへんやん?」
好きな入浴剤で気分をアゲてこ、ってことですな。
「お母さんって、気遣い大魔王よね。」
「大魔王って何さ。」
へらりと笑いながら、お母さんは言った。
「自分と一番一緒に居るのは自分なんやから、自分が自分のこと、一番大事にせえへんとね。」
わかりました、マム。
二人でくすくす笑いながら、入浴剤の棚を端から眺める。温泉気分ばっかり。なんかこう、もっと可愛いやつ…。
「あ。これ、ええな。」
カラフルなボールがたくさん入った箱。
「バスボムか、ええんちゃう。」
なんか、特別って感じ。
その日のお風呂の順番は、最後。だけど、待っている間もずっと、どのボムちゃんにしようかなって、わくわくしていた。
お兄ちゃんも興味津々で覗いてきたけど、
「炭酸水素ナトリウム…なるほど、それで湯につけると…」
って、裏面の成分表示を見てぶつぶつ言っていた。
「夢があらへんなー、お兄ちゃん。高校生めー、お勉強大魔神めー。」
「大魔神って何さ。」
へらりと笑うお兄ちゃんがお母さんと似ていて、なんだかあたしもおかしくなってしまって、二人でへらへら笑っていた。
そんな、特別で平凡な、一日の終わり。




