第20話 開廷
太鼓とラッパが一斉に鳴り、庭がたちまち法廷へ化けた。
赤と黒の天蓋の下、女王は玉座にどかりと腰を下ろし、金の扇を風車のように振り回す。
「この二人――金髪の娘と、見慣れぬ異国の娘を告発する!」
女王の声が石畳を震わせた。
「罪状は……庭を歩いたこと! 空気を吸ったこと! わたしの前で瞬きをしたこと!!」
トランプ兵は顔を見合わせ、慌てて羊皮紙に走り書きする。
『歩いた罪』『呼吸罪』『瞬き罪』――ぐしゃぐしゃの文字が紙を黒く埋めていく。
「えっ……そんなの、誰でもやってることじゃない!」
真理が思わず声を上げると、アリスは肩をすくめた。
「そうよ。ここでは女王の気に入らないことが全部罪になるの。タルトを盗んだのと同じくらい根拠はないわ。」
「黙れ!」
女王は身を乗り出し、扇の先で二人を刺すように指した。
「この者たちは、首をはねられるべき顔つきをしておる! ――それが最大の罪だ!!」
どうやら審理が始まる前から、もう判決が落ちているらしい。
「証人を呼べ!!」
兵がばたばたと走り、お茶会の三人――三月ウサギと帽子屋とヤマネ――が、砂糖壺ごと引き立てられてきた。
「えーっと、確かこの二人は……『お茶の飲み方が気に入らなかった罪』でございます!」
帽子屋が胸を張る。
「違う違う、『ティーカップを持つ手が時計回りでなかった罪』だ!」
三月ウサギが時計を逆さに振る。
「……すやすや……『紅茶の香りをよく嗅がなかった罪』……むにゃ……」
ヤマネは証言の途中で寝込んだ。
陪審員席のトランプたちが必死でメモを取るが、紙はぐちゃぐちゃになるばかりだ。
「ちょっと待って!」
真理が手をあげる。
「そんなの、お茶会のマナーの問題でしょう!? 罪じゃない!」
そのとき、落ち着いた声が空気を割った。
ホームズが一歩前に出て、パイプを指先で転がす。
「異議あり。――この国の裁判がナンセンスであることは承知のうえだが、作法を罪に格上げするのは筋が通らない。作法の本質を知る参考人に意見を求めよう。」
霧がふっと晴れ、畳の匂いが庭へ流れ込む。
竹の露地が一瞬だけ重なって見え、そこから二つの影が歩み出た。
千利休は静かに座し、茶器を整える。
古田織部はにやりと笑い、歪みのある茶碗を手にした。
利休は女王にも庭師にも等しく頭を垂れ、柔らかく言う。
「茶の道は和敬清寂。人を裁くためのものではございません。心を和し、互いを敬うための座のこと。作法は、相手を楽にする手つきに他なりません。」
織部が茶碗を掲げ、目を細める。
「まったく。それに、この無軌道なお茶会こそ『へうげ』ていて一興! 型からはみ出す奇が場を生かすこともある。罪どころか、笑って味わうべき景ではないか。」
陪審員たちは頭を抱え、紙束を落とし、拾ってまた落とす。
女王の顔は熟れた林檎みたいに真っ赤になった。
「な、なにをぬかす! お茶の作法が罪でないだと!? 首をはねよ!!」
ホームズは一歩進み、静かに、しかし刃のように言葉を置いた。
「陛下。
作法とは、相手の尊厳を守る約束であって、女王の機嫌を守る口実ではない。
罪に問うなら、まず被害と因果を示されたい。
――それができぬ限り、ここで裁かれるべきは作法ではなく、理不尽そのものだ。」
扇がぴしりと鳴り、庭の風まで息をひそめる。
利休は一服点て、湯のたぎりを静かな音に変えた。
織部は歪んだ口縁を愛おしげに撫で、にやりと笑う。
「――さて、どちらが乙かのう。」
法壇の上で紅の天蓋がわずかに揺れた。
女王が真っ赤な顔で「首をはねよ!」を連呼する最中、玉座の脇で舟をこぎながらまどろんでいたハートの王様が、のそりとまぶたを持ち上げる。
「ふぁぁ……確かに……そのおかしな異国人たちの話には理があるな。」
「な、なにを申す!? わらわの命令に逆らうのか!」
女王は扇を床に叩きつけた。
ハートの王様は気の抜けた欠伸をもう一つこぼし、ゆるゆると手を振った。
「証人の証言は却下する。お茶の作法を罪とするなど、あまりに馬鹿げておる。裁判は続行するが……もっと筋の通る訴えを持ってこい。」
ざわ……と法廷がさざめく。
トランプ兵と陪審員たちは互いに顔を見合わせ、帳面をばたばためくった。
帽子屋と三月ウサギが「異議あり!」「時計回りが正義だ!」と――いつもの調子で騒ぎ立てる一方、利休と織部は静かに一礼し、湯気のようにその場から気配を消した。
真理は胸の内でつぶやく。
(……ハートの王様、頼りなさそうに見えたけど、本当は女王を抑える最後の砦なのかも……)
ホームズは短く頷き、アリスはほっと息をつく。
塗りたての赤い薔薇が風にふるえ、庭全体が甘い香りを漂わせた。




