第21話 囚われるもの
ラッパが破裂する寸前まで鳴り響き、女王が扇を振り上げた。
「次の証人を呼べ!」
もうもうと白煙が立ちのぼり、その中から水煙管をぶら下げた青虫がふらふら現れる。
きらりと金メッキの吸い口、むっと鼻をつく安物の刻み煙草の匂い。
「ふむふむ……」
青虫は偉そうに顎を上げた。
「この異国の娘は、あいさつの仕方が気に入らなかった。アリスは、姿勢が正しすぎて生意気だった。要するに──身分をわきまえていない! だから罪だ!」
陪審員席のトランプたちは『身分罪』と殴り書きし、紙をばらまく。
真理は思わず頭を抱えた。
「ちょっと! 身分をわきまえない罪なんて存在しないでしょう!」
ホームズがパイプを軽く掲げ、落ち着いて告げる。
「異議あり。身分なるものを罪の基準に据える時点で、この裁判のナンセンスが露呈している」
「身分は秩序の柱だ!」
青虫が煙をぷうと吐いた。
「下々がわきまえねば国は乱れる!」
その瞬間、玉座脇で静かに立ち上がる影があった。
黒いスーツに細い眼鏡、抑えた声。
「王よ」
ハートの王様が半眼のまま振り向く。
立っていたのは、シャーロック・ホームズの兄マイクロフトだった。
「我が国でも、わたくしのような人材は、階級にかかわらず中枢に参与して政務を支えております。一概に身分だけに重きを置くのは、いささか時代遅れかと存じます」
王は髭をつまみ、うむ……と唸る。
「ふむ。確かに一理あるが、伝統というものもあるのだぞ」
マイクロフトは視線だけで青虫を測った。
声は淡々、しかし刃のように正確だ。
「恐れながら、陛下。
この証人の装いには、もと職工にて新たな地位を得た者にしばしば見られる兆がございます。
まず一点、懐中時計の鎖にございます。
素材は真鍮と見受けますが、過剰に長く垂らしており、実用よりも誇示を意図したものでございましょう。
近頃、工房勤めの者が小商人へと身を転じた折、地位の象徴として好んだ流行にございます」
マイクロフトの指摘に、青虫は目を白黒させた。
王の侍臣は構わずに続ける。
「次に、上衣のベスト。
布地の艶は派手ながら、縫いは粗く、ボタンのみ過度に装飾的。
これもまた、上流の服飾を模しながら実用を欠く趣向と存じます」
ホームズはパイプを指先で止め、兄の推理に耳を傾ける。
視線は言葉を先取りするように鋭く、けれどどこか誇らしげでもあった。
「最後に、その香りの強き煙草。
葉は安価なものでございますが、香料を混ぜて高級品に似せております。
以上三点、いずれも身分を上げた者が形で示そうとする際の典型にございます」
彼は水煙管の灰受けを示す。
青虫は顔を真っ赤にして、むっと口を尖らせる。
「な、なにを根拠に――」
マイクロフトは淡く肩をすくめた。
「故に、この者が『身分をわきまえぬ罪』などと主張するのは――まさに、ナンセンスにございます」
ハートの王様は髭を撫で、こくりとうなずく。
「……確かに。青虫の証言は矛盾しておる。却下する」
「そ、そんなはずは……!」
青虫はぶつぶつ言いながら、煙に紛れてしょんぼりと退場した。
陪審員席がざわつき、場内はようやく秩序を取り戻しはじめる。
傍聴席の端で、伊藤博文が扇を軽く打つ。
「身分に拘泥しすぎては、国は満足に動かぬ」
老政治家は、小さく評した。
ホームズはそちらへ目だけで挨拶を送り、伊藤もまたわずかに口角を上げて応えた。
薔薇の茂みを撫でる風が、塗りたての赤をさやさやと揺らす。




