晴天に色を失った光
春はまだ続いていた。
朝から暖かな陽射しが街を照らし、穏やかな風が咲き誇る花々の香りを運んでくる。通りには、それぞれの一日を始める人々であふれていた。
美しい一日。
少なくとも、みんなはそう言う。
俺はゆっくりと目を開けた。
白くくすんだアパートの天井が視界に映る。
枕元に置いたスマホを見ると、時刻は七時三十分を過ぎていた。
もう遅刻だ。
それでも、不思議と急ぐ気にはなれなかった。
ただ何分もの間、天井を見つめながら、頭の中を空っぽにしていた。
昨日。
あの夕方。
有華の声が、今でもはっきりと耳に残っている。
「ごめん……私、もう好きな人がいるの。」
俺は静かに目を閉じた。
胸の奥は今でも重い。
怒っているわけじゃない。
憎んでいるわけでもない。
ただ、何年もかけて積み上げてきた想いが、ほんの数秒で崩れ去ってしまっただけだ。
俺はゆっくりとベッドの端に腰を下ろした。
昨夜掛けておいた制服は、まだきれいなままだった。
何の感情もなく袖を通す。
部屋の隅には、花屋のビニール袋がそのまま転がっていた。
少しだけ視線を向ける。
そして、すぐに目を逸らした。
朝食も取らず部屋を出る。
昨日の夜から何も食べていないはずなのに、不思議と空腹は感じなかった。
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大学までの道が、今日はいつもよりずっと長く感じる。
通る道は同じ。
信号も同じ。
建物も同じ。
街路樹も同じ。
それなのに。
すべてが見知らぬ景色のようだった。
まるで、自分だけが知らない場所へ迷い込んでしまったみたいに。
大学の正門前は今日も賑やかだった。
楽しそうに笑い合う学生たち。
友達を追いかけて走る者。
ベンチで飲み物を分け合う者。
そんな光景を横目に、俺はただ通り過ぎていく。
何一つ心を動かされることはなかった。
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講義が始まる。
俺は教室の一番後ろの席へ移動した。
ノートパソコンを開く。
ノートを開く。
ペンを握る。
準備だけは整っている。
なのに、何かを書こうという気持ちは少しも湧いてこなかった。
結局、最初のページは白紙のままだ。
教授の声は、意味のない雑音のように耳を通り過ぎていく。
周りでは学生たちが頷き、
時折、小さな笑い声が聞こえる。
俺は窓の外を眺めていた。
風に乗って花びらが舞い落ちる。
綺麗だ。
そう思うはずなのに。
何も感じない。
「浩司。」
突然名前を呼ばれ、俺は我に返った。
教授がこちらを見ている。
「さっきの質問に答えられるか?」
俺はゆっくり立ち上がる。
教室が静まり返る。
何を聞かれたのか分からない。
「……すみません。」
教授は小さくため息をついた。
「座っていい。」
俺は静かに席へ戻る。
何人もの視線が俺へ向けられていた。
けれど、気にならなかった。
どうせ誰も、俺のことなんて気にしていない。
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昼休みになった。
いつもなら、有華と一緒に食事をしていた。
飲み物を買って、
弁当を買って、
他愛もない話をしながら笑っていた。
でも今日は違う。
彼女の姿は朝から一度も見ていない。
どこへ行ったんだろう。
いや、もう考える必要もない。
近くのコンビニで温かい弁当とミネラルウォーターを一本買う。
それだけだった。
公園のベンチに腰掛け、
静かに食事を済ませる。
ふと足元へ目を落とした。
そこには四つ葉のクローバーが咲いていた。
幸運の印。
そんなものだと誰かが言っていた気がする。
……馬鹿らしい。
今の俺はそんなもの信じない。
もし本当に願いを叶えてくれるなら。
俺を大切に想ってくれる恋人が欲しい。
そう願ってみる。
だけど。
そんな奇跡なんて、きっと起きない。
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帰り道。
俺は足を止めた。
遠くに。
有華がいた。
友達と楽しそうに話している。
いつもと変わらない笑顔。
風に乗って笑い声が聞こえてくる。
俺は数秒だけその姿を見つめた。
そして静かに背を向ける。
遠回りの道を選んだ。
まだ。
彼女と向き合う勇気はない。
明日かもしれない。
来週かもしれない。
あるいは――
もう二度と。
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青かった空はゆっくりと夜へ染まっていく。
俺はアパートへ戻った。
部屋の中は静まり返っている。
誰もいない。
鞄を床へ放り投げ、
そのままベッドへ倒れ込む。
天井を見つめる。
時計の針だけが静かに進んでいく。
一秒。
また一秒。
時間だけが過ぎていく。
俺は何もしたくなかった。
やがて夕陽は消え、
窓の外から街灯の光だけが部屋を照らす。
腹は減っている。
でも食べたくない。
喉は渇いている。
でも飲みたくない。
ただ。
静かにしていたい。
今日も。
明日も。
そして、できることなら――
ずっと。
外では今も春が続いている。
けれど。
俺の春は、
昨日で終わってしまった。




