第30話 紅 聖明(後編)
ゆっくりと目が覚める。
何となく身体を動かして確認する。
──感覚がある。
僕は両手で自分の体を支えて、起き上がろうとする。
どうやら車椅子から落ちていたらしい。
ふと横を見ると、師匠が血塗れでうずくまり、倒れていた。
「──っ!? 師匠!!」
僕は駆け寄り、師匠を仰向けにして抱き上げる。
体中に闇の刻印が広がっていて、身体が熱い。
発作の症状だ……!
苦しそうに息を荒らし、険しい表情のまま、薄っすらと目を開ける。
「……やっと、起きたか、馬鹿弟子……っ」
「し、師匠! どうしたらいい!?」
「……俺の左腰のポーチに、予備の抑制剤がある……脚でいい……打ってくれ……っ」
師匠の上着をどけて腰を見ると、小さなポーチがあった。
中からケースを取り出すと、短めの針がついた注射器が入っていた。
──打ったことないけど、やるしかない!
僕は注射器を取り出し、服の上から師匠の左脚に打ち込んだ。
すると、徐々に闇の刻印が薄れ、呼吸がゆっくりと整っていく。
「っ……はぁ……っ、こんなキツいって、聞いてないぞ……っ」
憎まれ口を叩いた時点で、何だか少し安心した。
「こんなこと、普通にやってた聖明はおかしいっ!
今度、やったら縛っき上げる……っ!」
──うわあ……めちゃくちゃキレてる。
師匠はふと僕を見上げ、じっと見つめたあと、口を開く。
「……魂、どうにかなったみたいだな」
「へ?」
「気づいてないのか?
髪、伸びてるし……色も瑠璃と同じになってる。
多分、身長も伸びてるぞ」
ビックリして、自分の横髪を掴んでみる。
すると確かに長くなっていて、以前より5cmはある。
しかも、ピンク色だった髪が、瑠璃と同じ白銀の色に変わっている。
さらに立ってみると──視界が少し高くなっていた。
「え!? なにこれ!?」
師匠は地面に転がったまま、呆れたようにため息をついた。
「今まで魂が半分だったんだ。完全になって、成長が促されたんだろ」
「あ、なるほど……」
師匠は弱々しくも立ち上がろうとするので、僕は支えて車椅子に座らせた。
そして、聖明が封じられている結晶を見上げながら、ポツリと尋ねる。
「……それより、聖明は?」
師匠にとって、最重要事項だろう。
「起こせるよ。
ただ──聖明からお願いされたんだ。
自分の闇保有量が未知数だから、封印を解くなら堕天使を集めてくれって。
普通に解いたら何が起こるかわからないから、怖いってさ」
師匠は深く息を吐き、そして微笑んだ。
「……オッケー。じゃ、準備しますか……」
顔に手を当て、天を仰ぐ師匠の口元は、確かに笑っていた。
ーーー
カゴノトリ本部の奥深く──
結界と領域魔法で完全に隔絶された、黒曜石の闘技場。
ここは、堕天使たちが強大な魔法を使うとき専用に用意された、戦いの場だった。
──だが、今回の使用目的は異なる。
中央には、結晶に包まれた聖明が安置されている。
その周囲を囲むように、堕天使とそのパートナーたちが一定間隔で立ち並ぶ。
カゴノトリ──総出で、聖明の封印を解く。
俺は初めての堕天使発作でろくに動けず、車椅子に座ったまま、抑制剤の点滴を受けながら風真に押されての参加だった。
そんな様子に──
「珍しいわね、セレスちゃん! 発作の辛さに気づいちゃった?」
と茶化してくるリリス。
「ガッハッハ! 男前が上がったな!」
「うっせぇ、ジジイ!」
「ベレド卿〜、後で絶対に怒られますって!」
左右に陣取るリリスとベレド卿は、ここぞとばかりに弄ってくる。
……まったく腹立たしい!
気持ちを切り替えるため、俺は深呼吸し、風真に尋ねた。
「これでいいのか?」
風真は、聖明から直接指示を受けていたため、それに従って堕天使たちを集め、全体の準備を整えていた。
堕天使たちは、封印が解かれた際に聖明から漏れ出すかもしれない闇が地上に溢れないよう、闘技場内に闇で作った結界を張り巡らせている。
最悪、全員で聖明の闇を負担することになる。
そのため、各ペアは多めの抑制剤と鎮痛剤を所持していた。
俺自身は、闇の結界の外側に、光の結界を三重にして張ってある。
「うん、多分大丈夫だと思う!
僕が魔法で合図を送ったら、聖明が自分で封印を解くって言ってた」
「わかった」
俺は拡声魔法を使って、全体に伝える。
「お前ら、聞こえたか! 今から始める! 覚悟しておけよ!」
ふざけ合っていた堕天使たちも、その声に反応し、表情を引き締めた。
「風真」
「うん!」
風真は白紙の封印魔導書を取り出し、前に浮かせ、目を閉じる。
「解除する者になり。我が言葉は──解放の赦し」
聖明と風真の真下に、同時に同じ魔法陣が展開される。
「繋がれた楔を断ち切れ!
封印解除!」
詠唱が終わった瞬間、魔法陣は光と共に消失し、代わって聖明の足元に赤黒い魔法陣が現れる。
そして、結晶にひびが入った。
全員が構え、聖明を注視する。
やがて魔法陣から闇の茨が現れ、聖明を包み隠すようにうねり出す。
──そして。
大輪の薔薇が咲き誇る。
花は咲ききると同時に飛び散り、赤黒い薔薇の花びらと、白く光る薔薇の花びらが宙を舞った。
そして──結晶の中から、ガラスが割れるような音を立てながら、聖明らしき人物がふわりと現れた。
彼は衣服を身にまとっておらず、その上、容姿が大きく変わっていた。
短かった黒髪は床に届くほど長くなり、顔立ちもどこか変化している。
骨格そのものも、女性のような柔らかなラインとなり、造形の美しさは人間離れした印象すら与えていた。
その姿に、暴走しているのか否かの判断がつかず、皆が息を飲む。
聖明は右手をゆっくりと持ち上げ、その動きを自らの視線で追う。
──魔法を放つのか?
誰もが緊張し、構えを取ったその瞬間──
「案外、平気なもんだねえ……」
と、呑気な声が響いた。
その一言で、場の緊張は一気にほどけ、あちこちから安堵のため息と笑い声が漏れ始める。
「はぁぁぁ〜……ちょっと緊張したっ! 師匠、僕がんばった!」
「ああ、お疲れ様」
「聖明く〜ん! おかえり!」
「暴れるかと思って、緊張しちゃったじゃない!」
周囲がわいわいと声を上げるなか、聖明は自分の髪の長さに気づいたのか、不思議そうに自分自身を見回しはじめる。
──そして。
「きゃあああああああっ!!」
と、場に似つかわしくないほど甲高い悲鳴を上げ、そのまま地面に座り込んだ。
「聖明!?」
俺は思わず点滴を引き抜き、縺れる足で彼のもとへ駆け寄る。
「師匠!?」
転びそうになりながらも必死に辿り着き、自分の上着を彼の身体にそっとかけ、肩を抱き寄せる。
顔を覗き込むと──
「聖明っ!」
──っ!
至近距離で見ると、目元は以前よりも母親そっくりになっていて、男性の面影はほとんどない。
触れた肌も驚くほど柔らかく、細く、身長も心なしか小さくなったように感じる。
胸が高鳴り、思考が一瞬止まった。
「セレス……」
その声も──変わっている?
以前よりも高く、女性のように響いた。
「……聖明、どうした?」
邪念を振り払って、今は彼の話を聞こう。
不安そうな顔で、泣きそうな表情で、俺に縋るように言葉を紡ぐ。
「セレス……ない……」
「?」
「わ、私の……その……男としての、大事なモノが、消えた!!!」
──闘技場中の空気が、凍りつく。
「…………はい?」
ようやく絞り出した俺の声は、それだけだった。
それに対して、聖明は本気で深刻そうな顔で、涙を滲ませながら必死に続ける。
「〜〜っ! セレスっ! 下! 見て!」
あまりに必死な様子に、そっと下半身を確認する。
───……ない。
な、何も──ない?
「………………」
俺は、無言のまま聖明と目を合わせた。
「はあああああああああっっっ!!??」
俺の叫びが、無駄に大きく闘技場に響き渡った。
ーーー
それから、暫くいろんなことがあった。
師匠は──案の定というか、発作のついでみたいに疲労で倒れて、そのまま一週間は寝込んでいたと思う。
無理もない。今回の件、いちばんの功労者と言っても過言じゃない。
オヤジはというと……無事に回復しつつあるけど、怪我のダメージが大きくて、まだ入院中。
普通の生活に戻れるまでは、もうしばらく時間がかかりそうだ。
僕は、仕出かしたことの大きさに、正直──勘当される覚悟で謝りに行った。
そしたら、「男前が上がっちまったな!」なんて、意味のわからないことを笑いながら言われて終わった。
……器の大きさも規格外らしい。
あの人の息子でよかったと、心から思った。
さて、聖明のほうはというと──いろいろ、あった。
悪魔を一体まるごと飲み込んだだけでも前代未聞なのに、その上、身体に明らかな変化が出た。
さすがに大天使様たちが動き、国家機密として、内々に身体検査の日々が始まった。
もちろん、かつての堕天使実験のような非道な真似は絶対に起こさせないと、正式な約束を取り付けてからの実施だった。
一週間にわたる検査の結果──
結論から言うと、性別が変わっていた。
正確には、大天使様たちと同じく「無性体」と呼ばれる状態になっていた。
必要に応じて、男にも女にもなれるという特殊な身体。
ただし、先天的にそうである大天使とは異なり、聖明の場合は感情の揺れ動きによって変化が起こるようだ。
その点には慣れが必要だろう、とラファエル様が話していた。
ちょっと面白かったのが──使い魔であるリリーにも影響が出たこと。
性別を自由に変更できるようになったらしく、「男手がいる時は助かりますね!」と、元気いっぱいに語っていたのが印象的だった。
それ以外にも、いろいろと分かってきたことがある。
まず、聖明の闇の保有量が高すぎて、もはや測定不能の領域に達していた。
それでも、発作が起きる気配はまったくない。
試しに闇魔法を連続で使用しても、以前のような暴走や疼きは起きなかった。
……どうやら、発作とは無縁になったらしい。
ただし──その代償なのか、体内の光のマナが減少しており、上級の光属性魔法が使用できなくなっていた。
以前は使えていた回復魔法の一部も、今では制限されるようになっている。
光以外の属性値は以前と変わらないとのことだった。
魔力量そのものも、大幅に上昇していた。
大天使クラスには届かないが、かなり近いところまではきているらしい。
龍の仮説によると──
僕と出会ってから約一年、彼は僕に魔力をずっと分け続けてきた。
その影響で、魔力の上限自体がゆっくりと、でも確実に増えていったのではないか、とのことだった。
……魔力の上限って、使えば使うほど少しずつ増えていくらしい。
努力と鍛錬の積み重ねってことだ。
堕天使特有の不死性については、国としても真相を知りたがっているけど、契約の都合で、公的な場での検証はされていない。
本人曰く、「不死性は失われていない」とのこと。
……どうやって調べたかは、聞かないでおいた。
そして、僕は──
瑠璃の魂を受け継ぎ、融合して一人の天使となった。
髪色も、目の色も、瑠璃の色に染まったけれど、僕は僕のままでいられた。
それが、ちょっとだけ誇らしかった。
このことを、僕は一番に楓に伝えに行った。
……結果から言うと、驚かせて、泣かせてしまった。
それだけ、楓にとって瑠璃は大切な親友だったんだと思う。
だからこそ、ちゃんと瑠璃がどうなったのかを、僕の言葉で伝えた。
最初は戸惑っていた彼女も──
最後には一緒に弔って、一緒に泣いて、一緒に笑ってくれた。
きっと、いろいろ思うことはお互いにある。
でも、それでも瑠璃にもらったこの命、大切にして前に進んでいこうと、心から思えた。
ちょっと嬉しかったのは、身長が伸びたこと。
……聖明には言いにくいんだけど、彼の身長が“ちょっと”減った分だけ、偶然、僕の身長も伸びたらしい。
とはいえ、まだ167cm。まだまだ育ち盛りなので、今後に期待しようと思う。
それからもうひとつ、驚いたことがある。
以前の僕は、聖明から供給された魔力のみで魔法を使っていた。
そのせいか、思ったよりも力が出せていなかったらしい。
でも──融合してから魔法を使うと、明らかに威力が違う。
ざっくり言えば、最低でも1.5倍以上のパワーが出ている感じ。
これには、正直びっくりした。
僕の中で、瑠璃も一緒に頑張ってくれてるのかもしれない。
そう思うと、心があったかくなる。
そんなふうに、それぞれの変化に揉まれながら──
僕たちの日々は、少しずつ、でも確かに、進んでいっている。
ーーー
今日は家で、師匠と聖明が仲良くソファに並んで座り、話をしている。
師匠はやっと体調が戻ってきて、顔色もだいぶ良くなった。
聖明の長い髪はアクアさんの手によって整えられていた。
と言っても後ろ髪は長いまま。
「女性にもなれるんじゃから、可愛くするのじゃ!」とか言われて、後ろ髪だけ腰くらいの長さを残し、前髪や横髪は以前とあまり印象が変わらない程度にカットされたらしい。
その姿は、闇の中で見た学生時代の聖明にどこか近しく、懐かしさを感じる。
そんなふたりは、聖明の検査結果を見ながらのんびりと話していた。
「聖明、いよいよ人間離れしてきたな……」
「ほんとにねぇ。そもそも私、医者を名乗ってていいのかな?
以前より回復魔法も制限されてるし……」
「ま、基本は闇魔法での治療だし。外科とか内科系は専門に任せればいいんじゃないか」
「……いいのかねぇ」
そんな、穏やかな会話をしているふたりを見ていると、僕はひっそりと嬉しくなる。
ふたりとも、笑顔だった。
でも………
「……聖明、可愛い」
「なっ……ど、どう反応すればいいか、わかんない」
「それでいい」
とか言いながら、僕の目の前でイチャつくのはやめてほしい。
イラついて、師匠を殴りたくなる。
そんなふたりの時間を邪魔するのも悪い気がして、僕はそっと家を出た。
ゲートを抜けて商店街を歩き、いつもの公園の、お気に入りのベンチに腰を下ろす。
ここからの景色は、いつ見ても好きだ。
──色々あったな。
聖明に助けられて、名前をもらって、旅をして。
世の中の理不尽や悪意をたくさん見た。
でも同時に、色んな人の優しさや温もりにも出会えた。
見たことのない景色を一緒に笑って、一緒に歩いた。
多くの人と出会い、支えられ、僕は僕として今ここにいる。
そんなことを思いながら座っていたら、
横にスッと、聖明が腰を掛けてきた。
「師匠は?」
「……まだ本調子じゃないみたいだったから、寝かしちゃった」
「そっか」
その横顔が、なんだかすっきりして見えた。
「聖明。少しはさ……肩の荷、降りた?」
それは素朴な疑問だった。
今回の出来事は、聖明にとってきっと大きな意味を持っていたと思う。
望んでいた形ではなかったかもしれない。
でも、こうして僕は生かされ、救われた。
瑠璃はもう戻らない。
だけど確かに、人として“還る”ことはできた。
今は、僕の中で静かに息づいている。
──聖明には言わないけど。
僕は闇の中で、彼の過去を、闇を、見た。
それは、簡単に耐えられるようなものじゃなかった。
不死でなければ、何度も死んでいたであろう記憶の数々。
絶望と孤独の中で、狂うこともできず、死ぬことも叶わず、
何度も──何度も、自分を殺してきた人だった。
その末に、僕は彼に出会った。
……後悔していないだろうか。
僕と出会って、よかったのだろうか。
幸せを、感じられているだろうか。
世界を、呪ってはいないだろうか。
自分自身を、好きになれているだろうか。
そんな言葉が僕の中で浮かんでは消える。
すると、僕の疑問に答えるように聖明が口を開く。
「……軽く、なり過ぎて、不安だ」
どこか遠くを見ながら、聖明がそう呟いた。
飾らず、虚勢もなく、
ただひたすらに、まっすぐで、正直な想いが込められた言葉だった。
「軽くなったのならさ、一緒にいろいろ見ていこうよ。
お互い、人生は長そうだし。
今まで見えなかったものを見て、考えて、感じて、生きて──いろんなことを、一緒に考えていこう。
僕には、誰かを背負ったり、助けたりする力はないかもしれない。
でも、一緒に悩むことならできるからさ」
夕日に照らされ、聖明の赤い瞳がキラキラと輝く。
やっぱり、好きだな──この目。
そのとき、聖明は目を細め、
まるで自分のことのように嬉しそうに、微笑んだ。
「……暫く見ないうちに、成長しちゃって」
──ああ、やっぱり。
聖明が家族で、兄でよかった。
「身長も急に伸びてるんだ! きっとそのうち、聖明のことも抜かすから!」
笑い声が響く。
「見上げる相手が増えちゃうのかあ。
……首が痛くなりそう」
そんな、なんてことのない会話。
だけど、僕にとっては、それこそが何よりの幸せだ。
これは──
僕が生まれて、とある人物と出会い、
その生き様を見守っていく物語だ。
これからも紡いでいこう。
いつか、最期の時が来る、その瞬間まで。
死が、我らを別つ時まで──
第30話にて大きな物語は一旦終わりです。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます!




