第5話 魔法生物と薬の素材(前編)
風真の成長日誌みたいなイメージ!
少し大きめの街に訪れていた。カラフルな建物が多く、街の人々もどこか楽しげな雰囲気を纏っている。
今回の滞在は少し長めらしく、僕たちはキッチン付きの宿を借り、昼食を取っていた。
「はい、お待たせ〜」
今日の昼食は、聖明お手製のオムライス。僕がよく食べるのを知っていて、大きめに作ってくれた。他にも彩りの良いサラダと具だくさんのスープが並んでいる。相変わらず美味しそうな料理に、自然と感謝の気持ちが湧いた。
「聖明、ありがとう!」
「どういたしまして」
聖明はにっこり笑いながら、向かいの席に座る。彼は僕と違って食が細く、今日も小さな器にサラダとスープだけ。
「……聖明、あまり言いたくないけど、もっとしっかり食べようよ。不死だからって疲れないわけじゃないし、風邪も引くんだろ?しっかり食べたほうが健康的だよ。」
堕天使は不死とはいえ、痛みも怪我もある。致命傷の治りが早いだけで、基本的には僕とそう変わらない。以前よりは少し食べるようになったが、まだ心配になるくらい少ない。
「んー……そうだね。わかってはいるんだけど……」
困ったように笑う聖明に、僕はオムライスを一口分すくい、スプーンを突き出した。
「聖明、一口でもいいから食べて。ほら、あ〜ん。」 「え……」 「ほら、口開けて」
戸惑いながらも聖明は口を開け、一口食べる。
「よしっ」
飲み込んだのを確認してから、僕は自分の食事に取りかかる。ふわとろのタマゴがチキンライスに絡んで、とても美味しい。
「聖明、美味しいよ!」
ふと顔を上げると、聖明は口元を押さえて青ざめていた。
「せ、聖明?」
聖明は無言で立ち上がり、トイレに駆け込んで嘔吐する。慌てて駆け寄り、背中をさする。
「…っ、ごほ…うっ」
「聖明、大丈夫!?どうしちゃったの……」
すると、聖明の影から黒猫の姿をした使い魔リリーが現れる。
「……恐らく、長年あまり食べていなかったせいで、脂っこいものを受け付けなくなっているのかもしれません。普段もスープや野菜ばかりでしたから。」
確かにこれまでの旅でも、聖明が食べていたのはサラダやスープばかりで、パンを少しかじる程度だった。
「……ぅ、ごめ、食事中に……油の匂いが、何か来ちゃって……」
「……僕の方こそごめん、無理に食べさせたから……」
僕が背中をさすっている間、リリーは女性の姿に変わり、キッチンへと入っていく。しばらくして、コップに水を入れて戻ってきた。
「主、水を。胃液で喉が荒れてしまいます。」
「……うん、ありがと……」
トイレを流して出てきた聖明は、ふらふらしながら水を受け取り、喉を潤す。
「ごめん、少し横になるね……食事、続けてて……」
コップをリリーに渡し、顔色の悪いままベッドへと倒れ込む。
「風真様、食事をしましょう。主は少し休んでいれば大丈夫です。」 「う、うん……」
席に戻るも、心配で落ち着かない。それに気づいたのか、リリーが聖明の代わりに席につき、サラダとスープを食べ始める。
「スープ、美味しいですね」
優しく微笑む彼女に、少しだけ心が和らぐ。
「……うん!野菜いっぱいで好きだよ!」
「次は私が作ってみましょう。ウィンナーやベーコンを入れても良いかもしれませんね」
「それも美味しそうだね!リリーが作る時は僕も手伝うよ!」
「ありがとうございます」
そのやりとりを、ベッドで横になっていた聖明が微かに微笑みながら見守っていた。
「……聖明、オムライスの作り方、今度教えて!僕も作ってみたい!」
驚いたように目を見開く聖明。
「……ああ、一緒に作ろうね」
「うん!」
結局、聖明は食事ができなかったが、僕は代わりと言わんばかりに綺麗に平らげた。
リリーと一緒に食器を洗い、片付けも済ませる。
その後、リリーがカモミールのハーブティーを淹れてくれた。
蜂蜜入りの甘いハーブティー。
ベッドで目を閉じていた聖明に声をかける。
「主、カモミールを淹れてみました。蜂蜜入りの好きでしたよね? よろしければお飲みください。」
反応した聖明は、ベッドの端に座り直し、マグカップを受け取る。
「ありがとう、リリー。私の好み、覚えてたんだね。」
「ええ、主のことですから。」
そんな二人の穏やかなやり取りに、僕の心もふわっと温かくなる。
聖明がハーブティーを飲んで幸せそうに微笑む姿を見て、僕も同じお茶を口にする。
甘くて、香りが心地よい。
「風真」
聖明がカップを片手に、僕の前の席へ戻ってくる。リリーは黒猫姿に戻り、聖明の肩にちょこんと乗った。
「……次の仕事の話をしてもいいかな?」
吐いたばかりのせいか、顔色はまだ優れない。それでも仕事の話をしようとする聖明に、僕は戸惑いを隠せない。
「話はいいけど……いつから?
僕としては、少し聖明に休んでほしいんだけど。
吐いたばっかりだし、それに街に来たばかりで、全然休めてないじゃん」
この宿を取ったのは今朝のこと。
ここへ来るまでの三日間は、ずっと野宿が続いていた。
僕はもう慣れてきたし、体力にも自信があるから問題ない。
でも、聖明はもともと体力がある方じゃない。
今の様子を見れば、なおさら無理をさせたくなかった。
「……うん、気持ちは嬉しいんだけどね。今日の夜から、この街の診療所に行かないといけないんだ。
闇魔法医療を使える医師なんて、堕天使くらいしかいないから。
定期的に地方に赴いて、訪問医療をする必要があってさ。
今回は、自由に動ける私に依頼が来てる。
魔法都市にいると、地方にはなかなか行けないから……今のうちにって。」
「今日の夜からか……」
思った以上に早いスケジュールに、僕の中に不安が募る。
聖明はハーブティーを一口飲み、ほっとしたように小さく息をついた。
「……でも、今日は診療所のお医者さんに挨拶して、診てほしい患者さんのカルテに目を通すだけ
本格的に診察を始めるのは明日からだよ
予定では、ここに二週間ほど滞在するつもり。街の結界がしっかりしてるから、私に引き寄せられる悪魔や魔物の心配もないしね。」
「……わかった。でも、心配だから僕もついて行くからね」
聖明って、案外頑固なんだよな……。
一度決めたら曲げないというか、変に真面目というか。
だからこそ、せめてそばにいて、何かあったときにはすぐに対処できるようにしておきたい。
「それと! 夜までは休んでて!買い出しとかは僕がするから!」
僕は勢いよく席を立ち、聖明に指を向けて念を押す。
「リリーにも見張っててもらうからね!」
「え、でも、風真も疲れてるだろ……」
「いいから!」
「主、たまには甘えるのも大事なことです」
肩に乗っていたリリーも、聖明にすり寄りながら優しく言う。 聖明は彼女の頭を撫でながら、困ったような顔をした。
「……うーん……わかった……」
渋々ながらも頷いた彼の姿に、ようやく少し安心する。
これで、少しは休んでくれるはずだ。
「じゃ、準備できたら買い物行ってくるね!必要なものがあるなら、メモ書いておいて」
「わかった、風真……よろしくね」
ーーー
夜。
僕は夕方までに買い出しを済ませ、宿に戻ってから聖明とともに仕事へ向かった。
目の前にあるのは、程よく年季の入ったレトロな建物。
周囲には草花が豊かに咲き、街の中でも自然が多く感じられる場所だった。
三階建ての木造建築で、最上階には特徴的な丸い窓がある。
夜の闇に照明の淡い光が溶け込み、窓からこぼれる灯りが幻想的な雰囲気を醸し出していた。
聖明は、いつものトランクを片手にドアをノックする。
「ごめんください。カゴノトリより派遣された医師です。国の要請により、お伺いさせていただきました」
そう告げると、ドアは自然にガチャリと開いた。
聖明はそのまま中へ入り、僕も続いて家の中へ入る。
ドアを閉めてから室内を見渡す。
診療所の中もまた、自然に満ちていた。植木鉢には鮮やかな花や草が茂り、さらには光るキノコの姿もある。
マナが豊富なのだろう。植物から、ほのかに光の粒子が舞っていた。
「すまんのお〜、わざわざ来てもらってしもうて」
奥の部屋から現れたのは、一人の老人だった。
杖をつき、長く伸びた白い眉と髭。眉に隠れて目は見えず、頭は磨き上げられたように光っている。
声だけでなく手足も小刻みに震えており、白衣を着ていることから、この人がここの医師だと察した。
「夜分に失礼します。闇魔法医療科・カゴノトリ所属の、紅 聖明です。こちらは助手の風真です」
「こんばんは!お邪魔します!」
僕は元気よく挨拶する。
「ああ、助かるねえ。奥で話をしようかのう。ついておいで」
僕たちは案内されるまま奥の部屋へ移動した。
そこは診察室のようで、医師の机と椅子、診察台、そしてベッドとソファも完備されていた。
老人は自分の椅子に腰を下ろすと、「ふう」と息を吐く。
「よくいらした。儂はこの街の診療所を任されておる、エクソシスト所属医師、シルロ・ガレノア。齢400ン十歳の天使じゃ。詳しい歳はもう忘れたわい」
「ええっ!? 400歳!?」
僕は思わず声を上げてしまった。
天使の寿命はおよそ500歳前後だと、聖明から聞いたことがある。
けれど、ここまでのご長寿に出会ったのは初めてだった。
「ふぉっふぉっふぉっ。今どきの天使は、すぐに戦場に出てしまうからのう。儂のような長生きは、もう珍しいんじゃろうて」
シルロ先生は、自慢げに髭を撫でて愉快そうに笑う。
「早速で恐縮ですが、患者さんのカルテを拝見——」
聖明がトランクを床に置き、前を向こうとしたその瞬間——
さっきまで椅子にいたシルロ先生が、一瞬で目の前に現れて聖明の顔をガン見していた。
「うわっ……!?」
そのあまりの早さに、僕も思わず息を呑む。
「あ、あの……シルロ先生……?」
「おぬし、顔色が悪いのう」
「へっ……?」
次の瞬間、シルロ先生は杖を使って、聖明の足を器用に引っ掛けた。
「なっ——!?」
聖明はバランスを崩し、そのまま診察台に尻餅をつくように座らされる。
きょとんと目をぱちくりさせる聖明に、先生は短く詠唱を唱え、腹部に魔法陣を展開した。
「どれ……」
「……っあ! いっ、痛っ!?」
驚いた表情のまま、聖明は先生の手を掴みながら肩を震わせた。
「聖明!?」
「安心せい。胃の様子を診てるだけじゃ。
……聖明、と言ったか?
おぬし、酷く胃腸が弱っとるな。
逆流性食道炎じゃ。それも、もう少しで穴が空くほどになっとる
……普段から、さぞ痛かったじゃろう」
聖明は何も言わず、視線を落とし、そっと先生の手を離した。
「聖明先生、まずはおぬしの治療が先じゃの」
「は……?」
聖明が、らしくもない間の抜けた声を上げる。
「滞在期間、増やしなされ。1週間は入院じゃな」
「え、いや、待ってください! 私は堕天使で……!」
「関係ないのう。不死だろうが、病気にはなる。 特にストレスは厄介じゃ。……おぬし、普段からどれだけの薬を飲んでおる?
儂の目は誤魔化せんぞ」
聖明はバツが悪そうに目をそらし、口を噤む。
僕も彼の体調が良くないのは知っていたから、こうして誰かに“止めてもらえた”ことに、むしろほっとしていた。
「聖明。僕は医療のことは詳しくないけど、確かにずっと調子は悪そうだった。
……家を出てから半年以上一緒に旅を続けてるけど……ちゃんと休めてないんじゃないか?食事も睡眠も、まともに取ってないだろ?」
聖明は、限界まで頑張って倒れるまで眠らず、気づけば食事も抜いているような人だった。
最近は口うるさく言った甲斐もあって、ようやくベッドに入るようになったけれど、それでも悪夢に魘され、まともに休めているとは思えなかった。
「ふむ。……助手のほうがよほどおぬしのことを見とるようじゃな。聖明先生、自身の健康を蔑ろにして、患者を診ることなどできんぞ」
「……しかし……」
まだ何か言いたげな聖明に、シルロ先生は大きくため息をついた。
「やれやれ、仕方ないのう。では、こう言えば従うかの?」
眉を上げ、ぎろりと目を光らせると、シルロ先生は静かに告げた。
「おぬし、カゴノトリの指揮官じゃろう」
「……へ?」
「今は都市で代理の指揮官がおるんじゃろう?
確か、セレスティーナ・ラファ……何とか、という名前だったかの」
——その瞬間、聖明は血の気が引いたような顔で立ち上がり、勢いよく土下座した。
「聖明!?」
「すみません、それだけは勘弁してください!! 治療、受けます! 受けますのでお願いします!!」
僕はぽかんと口を開けたまま、固まってしまった。
え……なに?
代理? 指揮官?
……聖明って、その人と何があったの?
「ふぉっふぉっふぉ、素直でよろしい。 しっかり診察してやるからのう。診察台に横になりなされ」
「……はい」
聖明は大人しく診察台に横になる。
「ほれ、腹を出しなされ。」
「……はい。」
聖明は着ているハイネックのファスナーを下げ、お腹を出しながら、どこか複雑そうな表情で天井を見つめている。
僕も様子をうかがうため、そっと近くに寄った。
シルロ先生は先ほどと同じ魔法陣を、聖明のお腹の上に展開する。
「中を調べるからのう。ちと痛いぞ」
「んっ……!!!」
聖明は歯を食いしばり、目元には涙がにじんでいた。
「やはり、しっかり穴が空きかけておるのう。普段、何の薬を飲んでおる?」
「粘膜保護薬……胃液分泌抑制薬……」
「まだあるじゃろ?」
「……抑制剤、睡眠導入剤、抗うつ薬……時々、鎮痛剤」
「まったく、典型的なうつ患者じゃの。おぬし、人の心の病を治している場合ではなかろうて。
念のため、後で薬の成分も見せなさい。おぬしのようなやつは、強い成分を勝手に調合してそうじゃからのう」
聖明は腕で顔を隠し、視線を遮った。
「まあ、堕天使は特殊じゃからの。うつも薬でどうこうできるレベルではないのじゃろう。
せめて胃腸だけでも良くなれば、少しは違う。1週間もあればマシになるじゃろ。
それと、寝るときは導入剤ではなく、睡眠薬に切り替えるぞ。
よく寝て、身体を休めて、少しずつでもまともな食事を摂ることじゃ」
そう言い終えると、シルロ先生は魔法陣を消し、カルテを書き始めた。
僕は正直に、先生に感謝した。
きっと僕では、こうやって聖明を止めることも、治してあげることもできない。
聖明は起き上がり、座ったまま服を整える。
その表情はいつになく暗く、いつもの笑顔もない。
――きっと、体調不良を知られるのは、聖明にとって恥ずかしいことだったのかもしれない。
僕はしゃがみ込み、彼の顔をのぞき込んだ。
「……聖明、ずっと頑張ってたんだ。休暇をもらったと思って、ちゃんと休んで?
僕にできることがあったら、何でもするからさ」
「……風真」
聖明は――泣きそうな顔をしていた。
「ほう! なんでもするとな!」
「ん!?」
突然、シルロ先生が嬉しそうな声をあげ、僕の腕をがっしり掴んだ。
「薬を調合するにも、ちょうど材料が尽きてのう。おぬし、いくつか調達してくれぬか?」
「へ? 僕が?」
「そうそう。風真じゃったな? 治療のためにも、協力してくれぬか?」
聖明のためになるなら、断る理由はなかった。
「僕でできることなら、頑張ります!」
「おお、良い返事じゃの! ではまずは――アース・ドラゴンの鱗とな……」
――ん? ドラゴン……?
「ちょっと待ってください! 風真に何をさせるつもり――」
「おぬしは黙っておれ!」
聖明が立ち上がって口を挟もうとしたその瞬間、
シルロ先生は杖で彼の頭をどつき、勢いで診察台に倒れ込んだ聖明は、魂が抜けたように気を失った。
「ぎゃーーー! 聖明!!!」
「ほれ、このメモに聖明先生の入院に必要なもの書いておいたぞ! 材料調達は明日からお願いしたいのう!」
「な、何この爺さん!? ちょっといい人かと思ってたのに、急に殴るなんてありえないだろ!」
「アイツのようなやつは、これぐらいがちょうどいいんじゃよ!
このままあやつは2階で入院じゃ。ほれ、運ぶの手伝うんじゃ! なんでもするんじゃろ?」
「ああ、もうっ!!」
シルロ先生の勢いに押され、僕は水魔法で身体強化をして、聖明をお姫様抱っこする。
……正直、自分より身長の高い聖明は重いし、持ちにくい。
「2階のどこ!?」
「ほれ、こっちじゃ!」
玄関前の階段を上がり、案内されるまま右奥の部屋へ。
個室らしく、ここにも自然の気配があり、空気が澄んでいた。
「この病室を使うといい」
僕は窓際のベッドに聖明を寝かせる。
その表情はどこか苦しそうで、胸が痛んだ。
「安心せい。精神的な部分まではカバーできんが、胃腸はちゃんと治してやるからのう。今よりは元気になるはずじゃ」
「……うん」
――普段から笑顔で元気に振る舞って、誤魔化してたんだよな。
そう思うと、胸の奥がきゅっと痛くなる。
「……それにしてもじゃ」
「うん?」
「聖明先生の服装、どうなっておるのじゃ? 開けすぎじゃないかの?」
「……あ〜……」
改めて言われると、まあ、確かに。
肩出しの黒いハイネックはファスナーで前が開くタイプで、インナーもなし。
ズボンはレギンスタイプで身体のラインが妙に出る。
その上に白衣のような白い制服の上着を羽織っているが、脱いだらかなり露出が多い。
「……趣味じゃない? 知らんけど」
「……趣味か。今どきの若いもんは破廉恥じゃの」
そんなやりとりを交わし、僕は一度宿に戻って、下着や寝間着、タオル、歯磨きセットなどを準備して再び診療所に戻る。
戻ってきたとき、聖明は点滴を受けており眠っていた。
「聖明、ちゃんと休んでよ……?」
眠る彼に届くことはないかもしれない。
それでも僕は、そっと願うように呟いた。
ーーー
翌日の早朝。
僕は再び診療所を訪れていた。
病室では、なぜかナース姿のリリーが、聖明の服を脱がしている――
「は?」
「おはようございます、風真様」
「え、うん……おはよう、リリー。……聖明?」
「おはよう……風真」
聖明は死にそうな表情をしながら、パジャマに着替えていた。
僕がいない間に何があったんだ……?
「ふぉっふぉっふぉっ! ピチピチの女性のナース服はええのう!」
振り返ると、シルロ先生が真後ろにいて、思わず仰け反った。
「背後取らないでよ! ていうか、リリーに何させてんだよ!」
「聖明先生を看病したいと言うのでな、せっかくならと思ってお願いしたんじゃよ」
僕は思わずリリーに視線を向ける。
「……主が喜ぶかもしれないじゃないですか」
凄まじく真剣な顔で言うリリー。
それとは対照的に、聖明の表情筋は明らかに死にかけている。
「リリー! 聖明の顔、もう限界だから! 気づいて!」
「ふぉっふぉっふぉっ、元気じゃのう。それより風真、お使いの時間じゃ!」
シルロ先生にがっちり肩を掴まれ、そのまま引きずられていく。
「は!? ちょっと待って!」
「あ……風真……」
一瞬、聖明が不安そうに僕を見ていたけど、結局その声を最後まで聞くこともできず、部屋を出されてしまった。
この爺さん、見た目に反してすごい力だ。手足は細いのに、1階まであっという間に引きずられた。
「でな、薬に必要な素材なんじゃがな」
「はいはい、何!?」
「まずはアース・ドラゴンの鱗! これは必須じゃの!」
アース・ドラゴン……。
四足歩行で、環境に合わせて甲羅の色が変わる魔法生物。
温厚な性格だけど、敵と見なしたら容赦なく襲ってくる。
甲羅は魔法無効の効果を持ち、余程の高出力魔法じゃないと傷すらつけられない。
鱗というなら、顔や足の部分だろう。
実際に見たことはあるけど……大きかった。5メートルはあった。
「いきなり大物すぎない!?」
「次はの……」
「まだあるの!?」
1個目で既に頭が痛い。
「まだまだあるぞい。マンドラゴラ、ピクシーの鱗粉、アオアシキノコに、トレントの根っこ……」
「ちょっと待って!? なんで全部、魔法生物系なんですか!!」
驚くほど魔法生物だらけ。
どれも採取に苦労するものばかり。
聖明が時々採っていたから方法は知っているけど……一人でやったことはない。
「この街の北に“精霊の森”という場所があってのう。
マナが豊富で魔法生物も育ちやすい。
そこの素材は効果も高く、薬に使うには最適なのじゃ。
ほれ、儂も医者じゃからのう、もうすぐ患者も押しかけてくる。採取に行ける暇がないのじゃ。
おぬしが行ってくれると、薬がより多く作れるしの、なにより――聖明先生の治療効果が、断然上がるのじゃ」
「~~っ!!」
……聖明の名前を出されると、弱い。
経験ゼロじゃないし、やるしかない。
「……わかったよ! 採ってこればいいんだろ!」
「ふぉっふぉっふぉっ! 助かるのお。ほれ、これが必要な素材リストじゃ~~」
先生がメモを差し出した瞬間、素早く引っ手繰る。
「僕がいない間、聖明のこと見ててよね!!」
僕はドタドタと玄関へ向かう。
「……風真」
階段の上から、聖明の声が聞こえた。
見上げると、パジャマ姿にカーディガンを羽織った彼が、不安そうに佇んでいる。
いつになく頼りなく見える、そんな彼の姿。
――今こそ僕が、聖明のために動くときだ。
僕は彼を安心させたくて、思いっきり笑顔を作る。
「聖明、休んで待ってて!
きっと面白い話、いっぱい持って帰るから!」
聖明は一瞬、目を見開いて固まったけど、すぐにいつもの穏やかな笑顔を見せてくれた。
「うん、待ってるね」
その言葉を背に、僕は診療所を後にした。
――さあ、頑張りますか!
ーーー
「さてと……聖明先生」
階段から風真を見送っているところで、シルロ先生の声が背後から掛かる。
「これで、聞かれたくない相手はいなくなったの。
ちゃんと“診察”することができるの」
「……そう、ですね」
聖明は静かに病室へ戻り、ベッドに腰を下ろす。
それに合わせるように、シルロ先生も丸椅子に座り、向かい合う。
「さて、聖明先生。
抑制剤をどれだけ打っておる?」
聖明の肩がビクリと震える。
無意識に左腕を擦る仕草を見て、シルロ先生はすかさずその手を取り、袖をめくった。
「あ……」
左腕は青あざだらけだった。
複数回にわたり注射を打った痕がくっきりと残っている。
「……堕天使特有の発作じゃな。発作の頻度は?」
「……最低でも一日一回。仕事の後は、必ず出てます」
シルロ先生は腕にそっと手をかざし、低く何かを呟く。
次の瞬間、魔法陣が展開され、青あざが見る間に消えていく。
「見た目だけでも、よくしておこうの」
その声は優しく、どこか切なげだった。
「……おぬし、一度、魔法都市に帰るべきじゃ。
堕天使特有の“闇発作”は、普通の医師では対処できぬ。
抑制剤と光のマナを取り入れれば、ある程度の制御はできるかもしれぬが……おぬしの場合は“心”が問題じゃ。
同胞に……他の堕天使に診てもらうべきじゃな」
「……それは……」
声が詰まる。
「“闇魔法医療科カゴノトリ教授”にして、“指揮官”であるおぬしが、三年ほど前から姿を消したと聞いておる。
何があったかは、わからぬ。
だが三年も、一人で発作を抱え続けるのは、さぞ苦しかったことじゃろう」
シルロ先生は聖明の手を、そっと包み込むように握る。
「……無理に帰れとは言わぬ。
だがな、守りたいものがおるのなら、話は別じゃ」
聖明の目がわずかに揺れる。
「聖明先生。
“本当の意味で守る”というのは、自己犠牲だけではない。
時として“見守る”こと、“頼る”ことも、守るということなんじゃ」
――何のことを言っているのか、すぐに分かった。
「あの少年は……風真は、いい子じゃの。
その子のために頑張っているのなら、まずは自分を治すことを考えるべきじゃ。
これは老体からの……ちょっとしたアドバイスじゃよ」
その言葉に、抱えていた心を見透かされたようで、聖明の肩がわずかに震えた。
気づいたリリーが影から現れ、女性の姿になって静かに寄り添う。
そっとベッドに腰掛け、聖明の肩を抱きしめる。
「……聖明」
「……ごめん……少し、一人にしてほしい」
リリーは寂しげな顔でうなずき、静かに立ち上がる。
それを見たシルロ先生も、ゆっくりと席を立ち、リリーとともに病室を後にした。
部屋に、静寂が満ちる。
音も、声もない。
ただ、静かに、冷たい空気が聖明を包む。
「……助けて……」
それは、聞き取れるかどうかの小さな声。
聖明は自分を抱きしめるように腕を組み、小さく、小さく蹲った。
ーーー
歩けど歩けど、深い自然。
僕は――精霊の森に来ていた。
本当に“精霊の森”と呼ばれるだけあって、自然は豊かで、少し歩くだけでも珍しい薬草や見たことのない花々、キノコが目に入る。
朽ちた大木の跡には鮮やかな緑の苔が生い茂り、マナが溢れてかすかに輝いていた。
足元を流れる小川も澄んでいて、砕けた魔石の粒なのか、砂がガラスのような輝きを放っている。
「すごい……こんな綺麗な場所があるんだ」
上を見上げれば、魔石化した木々の枝が触れ合い、ガラスがぶつかるような澄んだ音が響く。
ヒラヒラと舞う葉は、地面に触れた瞬間に「パリン」と小さく割れた。
そんな幻想的な空間を楽しみながら、僕は素材集めに励んでいた。
アオアシキノコは、すでに採取済みだ。
その名の通り、青い足を持つキノコ型の魔法生物で、苔の上をポテポテと歩く。
大きさは15cmほど。足がよく動く個体ほど、青が濃くなる。
傘は真っ白で、光に照らされるとキラキラと輝く。
苔から離すと動かなくなり、普通のキノコのようになるという不思議な存在だ。
そもそも生物と呼べるのかも曖昧な、謎のキノコ。
僕は入ってすぐに見つけて、いくつか腰の袋に入れていた。
「うん、幸先いいな!」
次は、マンドラゴラを採取したい。
これは綺麗な土と水が揃った場所でしか生息しない。
今いる場所は、まさにその条件にぴったりだった。
あたりを見回し、岩陰や草をかき分けて探していると、小川の近くで草がわさわさと揺れていた。
――あ、いた。
鮮やかな緑の葉を揺らしながら、土の中から手のような根っこを二本出し、頭をぶんぶんと動かしている。
「さて、防音魔法っと」
マンドラゴラは引き抜くと、恐ろしい叫び声をあげる。
とはいえ、人間の耳には聞き取れない“精神干渉魔法”による脳へのダメージが本体らしい。
音としては聞こえなくても、防音魔法で遮断しておけば問題ない。
しかも、マンドラゴラは“無効化できない相手”にしか干渉を行わない。
そのため、実はそこまで危険ではなかったりする。
僕はそっと近づき、揺れる葉を一気に掴んで引っこ抜く。
手の中でしばらく暴れたあと、脱力する。
マンドラゴラは、引き抜かれる際に全力で叫ぶことで絶命してしまう。なんとも不憫な生き物だ。
見た目は意外と可愛らしく、窪んだ目のような穴は、どこか潤んだ瞳のようにも見える。
手のような根っこが2本、足のような場所にも短い根っこが2本生えている。
聞いた話では、極稀にこの短い根っこで歩き回る個体もいるとか……都市伝説だろうけど、ちょっと見てみたい気もする。
僕はそのマンドラゴラを別の袋に入れ、腰に下げる。
「よし、順調、順調!」
……と、油断したところで、周囲に気配を感じた。
そして、囁くようなヒソヒソ声が聞こえる。
『人間がいる』『人間の子供ね!』『何をしてるのかな?』『悪戯しちゃう!?しちゃう!?』
これは……ピクシーだな。
聖明が言ってた。
「ピクシーは無邪気でイタズラ好き。だけど、時に残酷で、決して約束事をしてはいけない。交渉で留めるべき」と。
ピクシーは、普通の目では見えない。
ちょっと変な話だけど、頭に“クローバー”を乗せることで姿が見えるらしい。
僕は聖明の荷物から、クローバー入りのネックレスを持ってきていた。
それを頭に乗せると……
目の前に、ピクシーたちの姿が現れた。
赤い髪、尖った耳、20cmほどの小柄な身体。
トンボのような羽をパタパタさせて、僕の周りを飛び回っている。
「君たちと交渉がしたいんだ」
そう言うと、ピクシーたちは目を丸くし、ヒソヒソと集まって話し出した。
「何この人間?」「しゃべった!」「交渉だって!お菓子あるかな?」「クッキーがいいな!」
ラッキー。欲しいものを言ってくれてる。
聖明も交渉用にお菓子を持ち歩いていたから、僕もいくつか持ってきていた。
僕は袋からクッキーを取り出し、ピクシーたちに差し出す。
「君たちの鱗粉を分けてくれたら、クッキーをあげるよ」
すると、ピクシーたちは嬉しそうに舞い上がる。
「やった!」「この人間、いい人間!」「おいしそうなクッキー!」「交渉成立ね!鱗粉ならあげちゃうわ!」
そう聞こえた瞬間、ピクシーたちは姿を消し、クッキーも手の中から消えていた。
代わりに、キラキラと輝く鱗粉が手のひらに残っていた。
僕はこぼさないように袋へ入れ、丁寧にしまう。
「よかった……ピクシーって気分屋なところがあるから、ちょっと怖いんだよね」
そこからも森を歩き回り、素材リストにある花や薬草を順調に集めていく。
気づけば、カバンはもういっぱいだった。
「あらかた集まったかな……。でも、アース・ドラゴンとトレントだけは見つからなかったな。うーん、粘りたい気もするけど……そろそろ日没だし。いったん帰ろう。荷物も多いと、アース・ドラゴンは厳しいしな」
あたりを見渡し、安全を確認すると、僕は魔力を練り始めた。
「今の僕じゃ無詠唱は無理だけど、詠唱ありなら一回は飛べる!」
深呼吸して、詠唱を始める。
「飛べ、翔べ……
遥かなる場所、記憶ある場所、空間を超え、我彼の地へ誘え!
《転移魔法 (トランスラティオ・マギア)》!」
次の瞬間、視界がぐにゃりと揺れ、風景が切り替わる。
目の前には――レトロな診療所。
「よし!成功した!」
……正直、無茶苦茶嬉しかった。
まだまだ使えない魔法は多いし、やってみたいこともたくさんある。
その中でも、憧れていた“転移魔法”を補助なしで自力で使えたことは、僕にとって大きな一歩だった。
僕は嬉しさを隠しきれないまま、診療所に入っていく。
「素材、取ってきたよ!」
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胃痛はマジで痛い。




