第18話 式典と父親(後編)
僕は式典後、聖明に呼ばれて一緒に商店街を歩いていた。
学校行事の一環として参加していたため、終了後に合流した。
空は綺麗な橙色に染まり、すっかり夕方だった。
「聖明、式典すごかったよ! カリオンなんて大興奮で、式典後に大騒ぎだったんだから!」
聖明は楽しそうに僕の話を聞きいてくれる。
「でもさ……聖明、大丈夫?」
「ん?」
「式典の時、ちょっと辛そうな顔してた気がして……」
聖明は驚いたような表情を浮かべた後、少し唸って口を開く。
「いや……なんか、『今度こそ逃げられないなあ』って思っちゃってさ。式典とかやると、余計に自覚させられるというか……」
そうだった。
聖明は「戻りたくて」ここに来たわけじゃない。
僕や瑠璃を助けるため、情報を得るために、この地位に戻ったんだった。
自分だけ浮かれていたことに、少し罪悪感を覚える。
「ま、いつまでも籠もってるわけにもいかないし。気にすることじゃないよ」
聖明は、僕の心を見透かすように微笑みながらそう言った。
──こういうところ、本当に敵わない。
「でさ、聖明。式典終わったばかりなのに、なんで喫茶店?」
僕がわざわざ呼び出された理由は「喫茶店に行きたい」だった。
普通なら打ち上げとかありそうなのに、どうして僕を誘って、しかも喫茶店なんだろう?
ちょっと不思議だ。
「君に会わせたい人がいるんだ」
「……へ?」
会わせたい人?
聖明はニコニコと嬉しそうな顔で答えるものだから、それ以上聞くのをやめた。
きっと良いことなんだろうと思う。
商店街の脇道を入り、少し奥まった場所にあるその店は、年季を感じるレトロな佇まいで静かに営業していた。
大きな窓枠がドアの左右にあり、中の様子がうっすら見える。
聖明がレトロなドアをゆっくり開けると、「チリン」とベルの音が鳴った。
コーヒーの芳ばしい香りと、少しザラついたクラシック音楽が店内を満たしている。
右手の壁沿いにはカウンター席が並び、その背後の棚にはコーヒー豆や紅茶の葉が詰まった瓶がぎっしり並んでいた。
その前に、聖明と同じ黒髪の、少し年配の男性が立ち、「いらっしゃいませ」と穏やかに微笑む。
「マスター、お久し振りです」
「聖明くん、久し振りだね。元気だった?」
「はい」
親しげな会話から、どうやら顔なじみのようだった。
「マスター、この子を紹介しておきますね。風真。私の……可愛い弟なんです」
急な紹介に、僕はびっくりして、思わず声が裏返る。
「あ、はじめまして! 風真です!」
「そうかそうか。イヴァンから話は聞いてるよ。可愛い弟くんだね。よろしくね、風真くん」
温かな笑顔に、自然と嬉しくなってしまう。
……でも、今「イヴァン」って名前が出たような……誰のことだろう?
「マスターは私が幼い頃からお世話になってる人なんだ。マスターの淹れるコーヒーはとっても美味しいんだよ」
聖明は、人差し指を立てて誇らしげに語る。
そこへ、奥のボックス席から声が飛んできた。
「おい、聖明。こっちも待ってるんだぞ!」
聖明の名前を呼ぶ、大柄な男性の声。
赤いタッセルピアスにサングラスという派手な出で立ちで、にっと笑っている。
「あ、ごめん。マスターにも紹介したくて。風真、こっち」
「あ、うん」
どうやら、聖明が本当に紹介したかった相手は、あの大柄な男性のようだった。
「よ、来たな」
「……誰?」
見慣れない相手に少し身構えてしまい、思わず僕は聖明の影に隠れるように身を寄せた。
「父さん、お待たせ」
「はぁ!? 父さんって、聖明のお父さん!?」
あまりに驚いて、つい大きな声を上げてしまった。
「うん、そうだよ。とりあえず座ろうか〜」
誘導されるまま、僕は聖明の父の前に座った。
聖明はその横に座って手を挙げ、喫茶店のマスターに声をかける。
「コーヒー二つ、お願いします!」
──そこで、ようやく冷静に気づいた。
……ちょっと待って?
僕、この人の娘の魂、持ってるんだけど!?
何考えてるの聖明!? ねぇ!? ねぇ!!?
内心大パニックになった僕は立ち上がろうとしたけれど、聖明に肩を押さえられ、座らされてしまう。
「ふふ、だーめ」
端のソファ席だったこともあり、聖明が隣に座るともう逃げ道は完全に塞がれた。
「いやいや! 待ってよ! 聖明! だって僕は……!」
必死に訴えかけようとしたそのとき、目の前の彼──聖明の父が口を開いた。
「おうおう、見た目はそっくりでも、中身はちゃんと男の子だな!」
「へっ!?」
じっと僕を見つめた彼は、サングラスを外してテーブルに置き、穏やかに言った。
「……本当に、そっくりだ」
そう言いながら、彼は突然手を伸ばして僕の頭をクシャッと撫でてきた。
え、え、え!? どういうこと!?
意味がわからず聖明を見ると、彼はただ、微笑んでいた。
穏やかで優しい目をして。
「風真……で合ってるか?」
「は、はいっ!」
「いい名前だな。……お前の兄ちゃん、名前のセンスだけは良かったな!」
──兄ちゃん?
「……兄ちゃん……?」
「ったく、案外鈍いな、俺の愛息子は!」
「むす、こ……?」
何を言ってるのか、本当にわからなかった。
え?お兄ちゃんに……息子?
「そうだ!お前は俺の息子だ!」
「……は?」
「自己紹介するぞ!俺は紅イヴァン!
聖明の父親で、瑠璃の父親で、風真の父ちゃんだ!
ようこそ、風真!よく来てくれたな!」
豪快に笑う彼に、聖明が静かに補足を入れる。
「父さんにお願いしてたんだ。風真を、養子縁組してほしいって」
何度も、何度も、聖明は僕を「家族」だと言ってくれた。
弟だと言ってくれた。
それは、言葉だけじゃなくて──
「それって……」
「ああ、正真正銘、風真は私たちの家族だ」
聖明が、僕の髪を優しく撫でる。
イヴァンさんが手を上げ、マスターに声をかけた。
「マスター! 人数分のケーキもくれ!」
「はいはい、わかったよ」
マスターもにこやかに返事をし、準備を始める。
あまりに突然の展開で、僕の気持ちは追いつかないままだった。
「風真、ケーキ食べよ」
「……う、うん」
しばらくして運ばれてきたコーヒーとチーズケーキ。
僕はふたりにつられるように、ぼんやり「いただきます」と呟いてフォークを手に取る。
一口──甘くて、とろけるような味。
美味しい、美味しいはずなのに、涙がこぼれてきた。
「うお!?どうした!?愛息子!」
「風真、大丈夫?」
慌てて声をかけるふたりの顔を見て、ようやく僕は小さく笑った。
「ぼ、ぼく……聖明に、家族だって言われただけでも嬉しかったのに、こんなに優しくされて……本当に、いいのかなって……」
聖明に家族だって言われたときも、泣いてしまった。
でも、今度は違う。
“正真正銘”の家族になったって言われて──
そして、聖明の父親からも『愛息子』って呼ばれて。
それが、嬉しくて、こわくて、幸せで……
遅れて追いついてきた感情が、胸いっぱいに広がっていく。
本当に、いいのかな?
僕は、きっと、瑠璃の魂を奪ってしまったことを謝らなきゃいけない立場なのに。
それなのに──何も聞かず、家族だなんて。
「風真、家族になってくれてありがとう」
聖明が、そっと僕の手を包むように握ってくれる。
「私は、ずっと家族だと思っていたけれど……
これで正真正銘の家族だね。風真は、私の弟だよ。
遅くなったけど、父さんを紹介できて、本当に嬉しい」
「俺も嬉しいぞ!」
続くように声を上げるイヴァン。
「最初はちょっと驚いたけどな!
でも、お前を見た瞬間、細けぇことなんて吹っ飛んだわ!」
イヴァンさんは、僕の頭を軽くポンと叩いて、にかっと笑う。
「確かに、お前は瑠璃にそっくりだ。
けど性格は全然違う。……お前はお前だ。俺の息子だよ」
……なんでこの親子は、同じことを言うんだろう?
どうして、こんなにも簡単に受け入れてしまうんだろう?
「お、そうだ!」
イヴァンさんが、にやりと笑った。
「試しに“父ちゃん”って呼んでみろ!」
「ふ、ふえっ!?」
「お前の父ちゃんだからな!俺としても呼ばれたいわけよ!」
僕はごくんと喉を鳴らした。
本当に……いいの?
戸惑う僕に、聖明が優しく声をかけてくれる。
「風真、君が受け入れられたタイミングでいいんだ。
いきなり言われても困っちゃうよね」
聖明の優しさが、胸に沁みる。
でも、もし今できることがあるなら──
それは、きっと、彼らの想いに応えることだ。
僕は、勇気を振り絞った。
「と、とう……」
「うんうん、いいぞ」
やっぱり、急に呼ぶのは恥ずかしい!
でも、必死に絞り出してみた。
「……っ!オヤジ!!」
イヴァンの目がぱちくりと見開かれる。
正直、呼び方を間違えたと思った。
けれど、今さら訂正するのも違う気がする……!
数秒の沈黙のあと──彼は腹を抱えて大笑いした。
「オヤジか!それは想定外だが……いいな!
今日から俺はお前の“オヤジ”だ!風真!」
想定外に元気な“オヤジ”だった。
でも、こんなに笑顔で受け入れてくれる父に、僕は素直に返事をしていた。
「……うん!」
◇
父さんと風真が喫茶店の中で盛り上がる中、私はそっと席を立ち、外へ出た。
月明かりが射し込む石畳の道。
その先には、壁にもたれて静かに佇むセレスの姿があった。
「……もういいのか?」
振り返らずに問う声に、私は頷いた。
「ん、風真と……ちゃんと家族になれたよ」
「そっか」
少しの沈黙。
その間に、喫茶店の中から微かに笑い声が聞こえてくる。
「セレス」
「ん?」
「ありがとうね。君がいてくれなきゃ……きっと、父さんとも向き合えなかった」
「俺は……何もしてない」
落ち着いた声が、今はとても心地よかった。
「……セレスは、いつもそう言うね。助けてくれてるのに、何もしてないような顔をする」
「実際、してないからな」
「まったく……」
私はこうやって、いつもセレスに甘えていた。
想像以上に長い間、彼に支えられてきたのだと──最近になって、ようやく実感している。
「まあ……そんなセレスが好きなんだけどね……」
つい、本音が口からこぼれた。
私は思わず口元に手を当て、セレスを見る。
すると彼は、優しい笑顔で私を見つめていた。
「……煽ってんのか?」
いつもと同じ、でもどこかあたたかい目で。
──こんな当たり前のことに、どうして今まで気づかなかったんだろう。
「……素直になってるの」
父さんたちの視界から外れた路地の影で、私はそっと手を伸ばし、セレスに触れる。
彼は優しく微笑み返し、顔が近づいて──軽く、唇が重なった。
「……そんな甘えた顔するな。襲いたくなる」
顔が熱くなるのを感じる。
こんな感情──私は、知らない……!
「な……っ!き、君が、甘やかすから……っ!」
急に押し寄せてくる、身に覚えのない感情に戸惑う。
どうしたらいいかわからずにいると、喫茶店の中から風真の声が響いた。
『あれ?そういえば聖明は?』
「──あっ、ヤバッ!」
私は抜け出していたことを思い出し、跳ねるように振り返る。
「セレス、私、戻るね!」
「……ああ。俺も帰るわ。家族団欒、楽しんでこいよ」
セレスは小さく手を振った。
その姿を見て、私はふいに伝えたくなった。
「セレス!」
自分でもわかるくらい、声が少し弾んでいた。
「明日からも、よろしくね!」
「──当然だ」
セレスの返事は、いつも通り淡々としていたけれど──その目は、優しかった。
……こんな闇に引きずり込んでおいて、幸せを感じてしまうなんて……私は、酷いな……。
そんな罪悪感を抱きながらも、父さんと風真のもとへと戻った。
「ごめん、外の空気吸ってた」
「おう、それより、聖明。家はどこ消えたんだ?」
「しまった!? えっと、その!」
「聖明……親父に言ってなかったのかよ……」
「いや、うん、ごめんっ!」
賑やかな声が、喫茶店の明かりと共に夜の街へ溶けていく。
それは、穏やかで──幸せな時間だった。
どうか、これからも幸せなひとときが続きますように──私は、心から願った。
ここにきて聖明の心が初めて変化を始めます。




