第17話 堕天使の契約
【注意書き】
本作には暴力・流血、死と喪失、記憶操作、精神的トラウマ、自傷・自殺に関する言及、性的描写(同意の揺らぎを含む)テーマが含まれます。体調にあわせて閲覧をご判断ください。
カゴノトリ指揮官の復帰に伴い、準備のため休みでも教授室に通い詰めだ。
今日で式典二日前。段取りは整った──はずなのに、部屋の空気は紙の匂いと、張り詰めた焦げたような気配で満ちている。
そんな中、俺は昨日の疲れが取れず、思わず一人、大きな欠伸をしていた。近くに座っていた聖明が声を掛ける。
「セレス、眠れなかったの?昨日は家に泊まらなかったけど……」
赤い瞳が印象的な彼は、キョトンとした表情でこちらを伺っている。
聖明との仕事の引き継ぎや式典準備が思いの外、大変だったのもあり、ここ一ヶ月ないぐらいは聖明の家に泊まることが多かった。
しかし、昨日は違った。
「ちょっとな。色々やってて寝てないんだよ」
──本当は朝まで女を抱いていた。
こんな忙しい中、何をやっている?と聞かれれば確かにそうなのだが、個人的にはそれなりに重要なことだった。
何故なら目の前の想い人を襲わないよう、散々発散してきたところだったからだ。
一ヶ月近くも据え膳状態。
流石にキツイものがある……自身の性欲の強さに、嫌気が差すな。
「いつも規則正しい生活してるセレスがねぇ。珍しい」
彼は珍しさからなのか、顔をじっと見ている。
そんな彼の様子を見つめながら、昨晩のことを思い出す。
──代わりではやはり足りんな。
「たまにはハメ外すこともある。
そういう聖明は、昨日も夜更かししてないだろうな?
油断すると、いつも夜更かしするから」
目の前にいる男は、集中すると周りが見えなくなる癖がある。
読書や研究など趣味に没頭し、寝るのを忘れることもしばしばだ。
「昨日は少しだけ読書しちゃった」
ヘラっと笑う彼の顔を、思わずじっと見てしまう。
ああ、今日もここにいる。
「少しボーッとしてる?」
「……ああ、少しボーッとしてるかもしれない」
「仮眠でも取る?式典準備もそこまで切羽詰まってないし、後で起こすよ?」
彼は部屋のとある扉に視線を向ける。
そこはベッドが完備されている仮眠室だった。
……眠いというより、怠いという気持ちが強い。
だが、横になるのも悪くないかもしれない。
「あー、じゃあ15分でいいから目を瞑るわ」
そう言いながら仮眠室に入り、ベッドまで移動し、ドサッと横になる。
慣れないベッドだが、疲れているせいか心地よくさえ感じる。
外から聞こえる学生たちの笑い声や鳥の鳴き声……全ての音が、子守唄のように聞こえる。
気付けば意識を手放していた。
ーーー
ふと目が覚める。
何をしていたか、ぼんやりした頭で思い返す。そういえば、準備の途中で──。
「っ!」
思わず跳ね起きようとするが、身体を軽く押さえられる。
何かと思って周りを確認すると、目の前に彼の顔があった。
「あ、おはよ。起きた?」
膝枕をされている状態に気づき、状況を飲み込めず固まってしまう。
「いいよ、そのまま、もう少し寝てなよ」
「え、いや、それより、式典の準備……」
「やれることはやっておいたよ。余程疲れてたんでしょ。寝たと思ったら全然動かないんだもん。まぁ、いいんじゃない?いつもお世話になってるし、たまにはね。」
彼は優しい口調でそう言いながら、俺の頭を撫でる。
心地よく、くすぐったい。
「さんきゅ……でも、なんで膝枕……」
「はは、起こそうとしたら抱きつかれちゃって。寝ぼけてたんだと思うよ」
全然覚えていない自分の行動に、頭を抱えたくなる。
「私は少し嬉しかったよ。珍しく君から甘えられてる気がして。いつもは私が甘えてばかりだからね」
まるで子どもをあやすように、優しい手つきで髪をサラッと撫でる。
よくよく考えたら、幸せすぎる状況で、思わず表情が崩れないか心配になる。
「充分、甘えてるから……」
「そう?いつもお疲れ様、セレス」
疲れていた原因は、到底言えるような内容ではないが、彼の言葉を素直に受け取ることにしてみる。
俺は彼の手をそっと掴み、甲にキスを落とす。
「何、じゃれてるの?」
「もっと甘えたくなった」
「えー?」
困ったように笑う彼は、あまり意味を理解していないようだった。
彼は変に鈍感で、自分にはそれなりに甘く、警戒心も薄い。
だから、これくらいは許されるだろう。
再びキスをして、少し指先を舐める。
じゃれていると思っている分、変に反応しないようにしている姿が、また愛おしい。
「ありがと。もう起きるよ」
名残惜しいが、いつまでもこのままというわけにもいかない。
俺は膝から身体を起こして座り直す。
「……そうそう、セレス。首にはあまり跡はつけないほうがいいと思うよ?」
「は!?」
「右の後ろ、光が当たると少し見える」
反射的に右首を押さえる。昨夜の女の意地の悪さが爪にかかる。
あの女……わざと付けやがったな。
思わず眉間に皺が寄る。
聖明とは恋仲ではないから言い訳するのも妙だ。
でも、特定の誰かと関係を持ったと察されるのも気分が悪い。どうしたものかと考えていると──
「私が言えたことじゃないけど、ま、ほどほどにね」
恐らく、遊んでいるのは察しているのだろう。
でも、何も言われたくなかった。
「いや、もう禁欲する」
「なんで!?」
その瞬間、喉もとで鈴が鳴った気がした。
昨晩は思わずガス抜きをしたが、こうも遊びがバレると良い気はしない。
「大人だ。どちらも、夜の処し方くらい知っている」
変に納得している様子に、少しイラッとくる。
同時に、ちょっとだけ意地悪したくなった。
「そういうお前はどう発散してんの?」
「へ?私?」
「戻ってきてから浮いた話の一つもないだろ。風真がいるせいか?」
聖明は昔、遊び人ではあった。
理由は色々あるが、それでも一ヶ月も何もなさそうなのは珍しいとは思う。
「教育に良くないから、当たり前だろ」
キリッとした顔で言い張る彼は、妹のとき以上に保護者になっている気がする。
あの貞操概念ゼロだった男が──ずいぶん成長したものだ。
嬉しいやら腹立たしいやらで、なんとも複雑な気持ちになる。
「……もう、昔みたいに誰とでも寝てないな?無理してないな?」
……苦い記憶が胸を過る。
この男は幼い頃、性犯罪に遭った。
そのトラウマを抱え、自分を守るために、求められれば誰とでも寝るようになっていた。
無理強いされてまで関係を持ち続け──そんな生活が平気なわけもなく、どんどん壊れていった。
あの姿はもう、二度と見たくない。
「……うん。セレスに散々心配かけて怒られたからね。
無理な行為は、しなくなったよ。まあ、自分も男だから、たまに遊んじゃうけど……昔みたいなことはないよ」
困ったような、苦笑のような表情を浮かべる聖明。
その様子を見て、俺は少し安心した。
「……でも、たまにはしてるんだな」
笑って返す。まあ、人のこと言えた立場じゃない。
「まあ、それなりには……一人だと寂しくて、つい」
お互い大人だ。それなりに、そういう付き合いがあってもおかしくはない。
「昔は酷かったからな。女遊びは激しいし、貞操観念なんてなくて、無理矢理じゃなければ誰でも受け入れるし。叱っても、意味わかってなかったし」
「耳が痛い……」
「……もう、自分を傷つけるようなことは、してないよな?」
俺は真剣に彼に問う。 昔は確かに事件のせいで苦しみ、人に体を弄ばれていた。 でも、今は昔と事情が違う。
……彼は妹が目の前で死に、ショックのあまりに失踪した。
俺は知っている。こいつの心は酷く弱い。
古巣に戻ってきたのは妹のことから立ち直ったわけではない。
目の前の問題だけを見て、がむしゃらに立ち向かっているだけだ。
こいつは自身の心を蔑ろにして、無視してここにいる。
「聖明……何度、自殺した?」
返事の代わりのように彼の肩がビクッと震える。
「気づいてないとでも思ってるのか?
俺とお前は、三年前に呪われた時から魂で繋がっている。あの瞬間から、俺はお前の生死くらい感じ取れるようになった」
あのとき、俺は死にかけていた。
聖明は、目の前で妹を喪い、自分自身も壊れかけながら、俺に不死の呪いを刻み込んだ。
俺の言葉も、意思も関係なく、ただ無理やりに──それでも、俺を生かすために。
あの時、俺は気を失った。
目が覚めたときにはすべてが消えていた。
聖明も、妹の遺体も、あの家さえも。
まるで最初からなかったかのように、何もかもが。
残ったのは眷属として繋ぎ止めた俺の命だけ。
「お前の激情は、時として俺にも流れ込んでくる。……何度も感じた。お前の命が灯火が、消えていくのを」
──三年間、ずっとだ。
何もできない。どこにいるのかも分からない。
ただ、遠くで燃え尽きていくような気配だけが繰り返し襲いかかってきた。
俺は苛立ち、自分の中の空虚に耐えきれず、欲で誤魔化すように人に触れた。
どれだけ抱いても、どれだけ笑っても、虚しさは消えなかった。
「お前も、感じてるだろ? ……俺の今の気持ちを」
聖明は、顔を逸らしたまま、苦しげに唇を噛み、黙って聞いている。
「俺は……何度、お前を失えばいいんだ……?
不死なんて、ただの皮肉だ。
お前の心が死ぬたびに、俺の中で何かが壊れていった。
俺は、どうすれば……お前を、もうこれ以上失わずに済むんだ……?」
──あの時、俺は何もできなかった。
あの瞬間、聖明の中で何かが決定的に壊れたことを、俺はただ傍観するしかなかった。
妹を抱いたまま泣き崩れた姿を、闇の中で一人佇む背中を──そして、俺を突き放すように消えた最後の視線を、ずっと、脳裏から追い払えないままここまで来た。
「……救われなかったんだな、お前は」
聖明が耐え切れないように肩を震わせる。
その姿は、三年前のままだ。時が進んだようで、何一つ癒えてなどいなかった。
「ごめん……っ」
急に抱きしめられ、俺は固まる。
「ごめん、本当にごめん……。謝って許されることじゃないって分かってる。……自分勝手でごめん……。私は、君に生きてほしいって言っておきながら……なんてことを……」
彼の鼓動が聞こえる。 今はこうして、生きて動いていると実感する。 胸の音を聞きながら、目を閉じて心からの願いを告げる。
「聖明、好きだ。だから、もう、独りでいかないでくれ……。せめて、俺を連れて行ってくれ……頼む、お前がいないのは、耐えられない」
……気づいたら、涙が流れていた。 こんなにも聖明を失うことが怖い。
「……約束する」
...…きっと、約束は守らないだろう。 こいつは必要とあらば、真っ先に自身を切り捨てる。本当に、酷い男だ。
少し離れて聖明の顔を見る。
「……せい、め、い?」
いつになく真剣な眼差しが、俺に向けられている。
相変わらず綺麗な赤い瞳は、深みを帯びて俺の心を掴むようだ。
次の瞬間、柔らかな感触が唇に触れる。
──今、何が起きてる?
俺は聖明からキスをされてるのか?
甘い余韻と共に徐々に舌が入ってくる。
流石に理由がわからず、引き剥がすように両肩を掴む。
「待て! 何で急に……っ!」
鋭く光る赤い瞳は、これまでにないほど暗く、そして魅入られるような輝きを放っている。 彼は真剣で、でも、今までと違い一切の思考が読めない。
──こんな聖明を、俺は知らない。
彼は無言のまま、首元のジッパーを緩めて鎖骨を見せる。 相手が聖明であるにも関わらず、底知れぬ恐怖のほうが上回る。 彼の顔が、再び近づく。
「お、おい、聖明! やめ……っ!」
触れる唇が熱い。 思わず身体が反応し、熱を帯びていくのがわかる。
──このままじゃ、ダメだ。
俺は彼の唇を思い切り噛む。
血の味が滲み、さすがに彼は口を離す。
先ほどと変わらぬ表情で、唇の血を指で拭い、口角が少し上がる。 狂気じみたその雰囲気に、たじろぎする。
──本当に、聖明なのか?
そう思わせるほどに、見たことのない彼だった。
酷く狂気的で、恐ろしく美しい。 まるで、悪魔のようだと、思ってしまった。
その心を見透かしたように、彼はふわりと近づき、耳元で囁く。
「セレス、抱かれてやる。好きにしろ」
心臓の音が高鳴り、動悸がする。
彼は距離を取ると、目の前でジッパーをすべて下ろし、肌を露出していく。 俺は魅了されたように、手を伸ばしかけた。
困惑と期待、恐怖と欲望。様々な感情が入り混じり、悪い夢でも見ているような錯覚を覚える。
──気持ち悪い。
ふと、自身の右目を隠すように手を当てた。その瞬間、唐突に気づく。 これは闇魔法だ……。
半分とはいえ堕天使になった今、何をされているのか感覚で分かる。 このままでは完全に飲み込まれてしまう。
俺は咄嗟に光魔法の短剣を呼び出し、自身の脚に突き刺した。 ドクドクと脈打つ傷口から、熱い血が流れる。
「……っ」
流石に驚いたようで、聖明の表情がわずかに揺らいだ。
その隙を見逃さず、俺は胸ぐらを掴み、彼を強く睨む。
「……おい、なめんなよ……お前の思い通りになってやるつもりはない。」
彼は微笑む。
それは、どこか壊れた人形のようだった。
感情の糸を切り落とし、己を切り捨てて、ただ「相手が望むもの」として自分を差し出す──あの顔。
ずっと前に見た、あの絶望の淵に立たされたときと同じ顔だ。
「……私にできることは多くない。セレス、君が望むなら、私は……」
「ふざけんなっ!」
怒りが込み上げる。
叫びは、自分でも制御できないほどに震えていた。
「そんな形でお前を手に入れても、嬉しくなんかねぇ!どうしてお前は、いつもそうやって……自分を捨てるんだよ!」
彼は目を閉じたまま、静かに呟いた。
「……私は、君の命を縛った。あの日、私は君から奪ったんだ。未来も、自由も。だからせめて……私が君の地獄になる。それが、せめてもの償いだ」
言葉は淡々としていた。
けれど、その瞳の奥では、今まさに何かが崩れ、音を立てて壊れ落ちている気がした。
「……セレス。君が私を想ってくれてたように、私にも刻んでほしい。
忘れないように、心に消えない、君だけの傷を。
私は、君を、手放せないんだ……」
その告白は、まるで呪詛だった。
なのに、なんでこんなにも俺の心は歓喜に震えるんだ。
──ああ、もう分かってた。こいつは、とっくに壊れてる。
俺も、もう手遅れなんだ。
「……選んだのは俺だ、聖明。もう逃さない」
聖明を押し倒す瞬間、確かに彼は笑っていた。
それは救済でも受容でもない。
自分を罰するために、俺に身を差し出しているだけの笑み。
狂気の底で、ようやく静けさを得た者の、壊れた微笑。
これは、契りだった。
堕天使の堕ちる先は、天国ではない。
ただ、互いの絶望に縋り合う地の底だ。
愛と呼ぶには歪すぎる。
だが、これが俺たちにできる「唯一の繋がり」だった。
吐息が零れる、血が流れ、赤色に染まる。
繋がりを確認するように、流れる涙を無視し、互いの絶望に名を刻むみたいに、白紙に朱を引く。
俺は熱を確かめるように何度も抱きしめる。
時が止まったような静寂のなかで、快楽と、恐怖と、狂気を抱え、彼の意識がゆるやかに沈んでいった。
「……愛してる、聖明。」
その言葉が、彼の頬に届く。
ひと筋の涙が、静かに落ちる。
──もし、このまま堕ちていくのなら。
その先が、どんな地獄でも構わない。
お前となら、笑って死ねる。
ーーー
「龍!聖明、知らない?昨日帰ってきてないんだ……」
そう言いながら俺のラボを訪ねてきたのは、肩に聖明の使い魔を乗せた風真だった。
「ん?風真?聖明は式典準備でカゴノトリにいるんじゃないのか?」
「それが見当たらなくて……セレスさんもいなかった」
二人揃っていないのは確かに珍しい。
「んー…あいつら忙し過ぎると缶詰になってることあるからな。待ってろ、セレスに連絡してみるから」
「うん」
俺はいつものように気軽に通信魔法を繋ぐ。
「あ、セレス?今日いないって聞いたけど、どうしたんだ?風真が心配してんぞ」
『……あぁ、家で缶詰になってるわ』
(声が少し掠れてる。背後はやけに静かだ)
「そかそか!じゃ、聖明も一緒か?」
『……一緒だ。まだ詰め切れてないのがあって……今日のうちに片付ける。風真には心配するなって伝えといてくれ』
「おけおけ!明日の式典、直接出る予定か?」
『……その予定だ』
「ギリギリまで大変だな、無理すんなよ!」
『ああ』
風真の肩のリリーが、ぴくりと耳だけ動かして黙った。
「風真、聖明はセレスと式典準備の追い込み中だわ!式典に明日そのまま出るらしいぞ」
「げ。セレスさんと二人っきりでいるの!?聖明、大丈夫かよ……襲われてないだろうな……」
「大丈夫、大丈夫!何やかんやで何年進展ないと思ってんだよ!」
「んー!明日は安否確認する!」
風真は不服そうな顔をすると、使い魔に何やら話を掛けながら帰っていく。
俺も仕事中だったので、次の開発資料に目を向ける。
ま、あの二人も忙しそうだ。
暇を見て差し入れでも持っていってやるか。
そんなことを思いながら開発室に向かった。
ーーー
「……セレス……龍から……?」
ベッドから聖明の枯れた声がする。
「あぁ、風真が心配してたみたいだな。問題ないって伝えておいたぞ」
「……ありがと…」
弱々しい声だった。 俺は水を準備し、聖明のそばまで行く。
「……水、飲めそうか?」
「うん……」
ぐったりしている彼に水を飲ませようとコップを棚に置き、体に触れようとする。その瞬間、彼の体が震え、咄嗟に手を振り払われた。
「あ、ごめ……」
聖明は反射的に動いた手を引っ込め、自力で上体を起こす。 彼は衣服を着ておらず、布団から露出した肌には昨晩の傷が残っている。
「……聖明、やっぱり、治療しよう……」
痛々しいまでの傷の数々は、俺がつけたものだ。心を傷つけるために、俺がつけた。
「このままでいい……私が望んだことだから……」
彼は弱々しく微笑んだ。酷く胸が痛む。
それでも俺は選んでしまったんだ。
「……それより……抱きついてもいい……?」
昔のようにねだる彼に、俺は唇を噛み締めた。
「当たり前だ」
布団で体を包み、優しく抱き寄せる。彼は震える身体でしがみつき、静かに泣いていた。これは昔のトラウマのせいじゃない。
「……聖明」
「……わかってる…悪いのは、私だ……こんな酷いことをさせたのは、私なんだ……」
俺を道連れにした罪悪感で聖明は傷つき、泣いている。
「……聖明、俺が選んだんだ。お前のせいだけじゃない」
「……っ」
俺は彼の顔に触れ、優しくキスをする。 彼は身体を震わせた。
「……もう、二度と、あんな抱き方はしない……」
「……良いんだ……私は君に優しくされる価値はない」
こいつはどこまでも自身を傷つける。 誰よりも、それを知っている。
「何言ってるんだ?連れて行けって言ったのは俺だ」
守りたかったのに、守れなかった。
それでも、一緒にいられるなら。
「俺にはお前だけだ。聖明、一緒にいられるなら、他は何もいらない」
だから、どこまでも堕ちてやる。
お前を救うためなら、どこまでも。
「聖明、愛してる」
もう、独りにはしない。絶対に。
そっと離れると、彼はポロポロと涙を零していた。 俺は再びキスをし、聖明を押し倒す。
噛み傷の跡をなぞると、昨晩の恐怖からか身体が震える。
指を離し、呼吸を数える。
震えが引くまで待ってから、額にだけ口づけた。
「ごめ、私は、君から奪ってばかりだ……」
「そんなことない、俺はお前がいるから今ここにいるんだ。一緒に堕ちてくれるんだろ?」
「……セレス……抱いて、ほしい。今は“償い”じゃなくて、君がいい」
「分かった。止めたくなったらすぐ言え」
「……うん」
慰めるように丁寧に、再び抱く。
今度は顔を見ながら、何度もキスをして、何度も言葉を紡ぐ。
彼が安心するまで、何度も肌に触れた。
涙は枯れず、熱に浮かされながら必死に謝る。
謝るたびに、何度でも愛を囁く。
「せ、レス……セレス……ッ」
「ああ……聞いてる…っ」
「……好き、セレス、好きなんだ……独りに、しないで……」
──ああ、想像とは違っていたけど、やっと聞けた。
「ああ、どこにもいかない。愛してる、聖明」
「……ん」
どうせ二人で堕ちるなら、その先がどんな闇でも、きっと大丈夫だ。 彼が安心し眠るまで、何度も優しく抱き続けた。
ーーー
「おーい、セレス!差し入れ持ってきたぞおおおお!」
深夜に大声で不法侵入してくる龍。 思わず凄い嫌な顔をして出迎える。
「顔で物言うのやめてくれよ。それより、聖明は?」
「見てわからんのか、寝てる」
ベッドでは穏やかな顔で寝息を立てている聖明が眠っている。 身体は治療したので綺麗な状態だ。 ただ──
「ホントだ、て、目が腫れてるな。どうした?」
「……寝不足だ。ずっと頑張ってて寝れてなかったんだ。あまり騒がず寝かせてやれ」
俺は寝返りを打つ聖明の頬にそっと触れる。
──実際は、泣き腫らした跡だ。今では泣かせるのも、笑わせるのも、俺だけであってほしい。
少し呻きながらも熟睡しているのか、穏やかな表情に戻り眠り続ける。
「何、まさかの進展でもあったの?」
何故か期待するような眼差しで聞いてくる龍に苛立ちを覚える。 が、そんなことも些細なことでしかない。
「まあな、付き合うことにしたよ」
──闇の奥深くまで、永遠に。
「ま、ま、マジか!式典前夜にしてか!?赤飯炊くぞ!!!」
「静かにしろ。うっせぇ」
大声の龍に対し、小声で怒鳴る。 全く能天気なやつだ……でも、それが今では救いに感じる。
「……あまり人に言いふらすなよ、特に風真だ。あいつは、知らないほうがいい」
この関係を知ったら、……俺は殺されるかもな。
「わざわざ言わねーよ。アイツ、知ったら切れ散らかすだろうしな!」
「……そうだな」
俺は眠る聖明の額に、そっとキスを落とす。
「それより、差し入れあるんだろ?腹減ってた」
「あ、ああ。夜食に軽い酒もな」
俺たちは聖明が眠る横で静かに酒を酌み交わす。 表面上はいつもと変わらない日常。
でもその下にあるのは、救いようのない痛み。
俺の中にまだ残っている、あの夜の記憶。
目の前で、あいつが瑠璃を抱きしめて、崩れていった──
何もできなかった俺は、もう二度と手遅れにしないと決めた。
気絶して、何もできなかった。
声すら届かなかった。 あの時、俺は守れなかった。
だから、もう二度と、手遅れにはさせない。
今度こそ、俺が守る。
これは聖明と俺だけの契約だ。 後悔はない。
あるのは底見えぬ深淵だけ。
闇の揺りかごで永遠に生きていこう。
それが地獄でも、俺はお前の手を離さない。




