第2話 闇を操る者
三年前。
最愛の妹・瑠璃を失い、私は絶望の果てに皆の前から姿を消した。
死ぬために。
だが私は、堕天使――不老不死という運命を背負った存在だ。
死は許されず、ただ罰のような時間だけが流れていった。
そんなある日、瑠璃の魂を半分宿した少年・風真と出会った。
悪魔へと転化した瑠璃。
そして、悪魔によって作られた肉体に魂を閉じ込められた風真。
どちらの魂も不完全なままでは、やがて消えてしまう。
私は、ふたりとも救いたい。
けれど今のままでは、あまりにも情報が足りない。
かつて私は、魔法都市国家のエクソシストだった。
闇魔法医療科 《カゴノトリ》のトップとして、最前線にいた。
もし元の立場に戻れれば、今よりも多くの情報が手に入る。
救う手がかりも、きっと見つけられる。
覚悟を決めた私は、再び“都市”へと戻る決意をした。
だが三年の空白は重く、大天使ミカエルの命により――
“通常のエクソシストでは対応できない任務を果たす”という条件付きで、《カゴノトリ》への復帰を許されることになった。
今はその条件を果たすため、仮のパートナーである風真と共に、各地を巡る旅を続けている。
「聖明、次はどんなところに行くの?」
隣を歩いていた風真が、首をかしげながら聞いてくる。
私は足を止め、魔法で仕事内容の情報を空中に表示させた。
「次は小さな村だよ。謎の風土病が出てるらしくて、調査しろってさ」
「うわ……それ、移ったら厄介じゃない?」
「うん、だからこそ早めに原因を突き止めないとね。
風土病ってのは、その土地特有の自然条件――たとえば気候や地形、生態系なんかが影響する病気のことなんだ。
今回のは、たぶん“地域のマナバランス”が関係してると思う」
「マナって……魔力のこと?」
「ざっくり言えばそんな感じかな。
マナっていうのは自然界に存在するエネルギーの粒子で、生命活動の基盤でもある。
マナが豊富な土地は豊かになるし、少ない場所は痩せてしまう。
ときには魔石を生み出すこともある、天然の魔力源ってわけ」
「へぇ……」
「人間も、知らず知らずのうちにマナを取り込んで生きてる。
食べ物を摂って、それを魔力や体力に変えてるんだよ。
ただ、ひとつ問題があって――過剰に偏った属性のマナを取り込みすぎると、身体に悪影響が出ることがあるんだ」
「例えば?」
「たとえば、雨が多くて水属性のマナばっかり満ちてる土地があったとする。
そこに長く住んで、毎日同じ属性のマナばかり取り入れてると、身体が過剰に反応してしまう。
結果として体調を崩したり、風土病になったりする。
……これは、風真が“闇の刻印”を受けるときと同じ原理だよ。
適性のない属性を無理に取り込めば、身体は拒絶反応を起こす。あれと同じ」
風真は真剣な顔で話を聞きながら、メモ帳を取り出してなにやら書き留めていた。
本当に、こういうときの彼は真面目で可愛げがある。
「つまり、次の村は“マナの偏り”が激しいってことなんだね」
「そう。土の属性が強くて農作物はよく育つみたいだけど、その分リスクもある。
それと――村に入る前に注意しておきたいことがある」
私は表示していた魔法のウィンドウを閉じ、風真のほうを向く。
「この国は“魔法都市国家”とはいえ、全員が魔法を使えるわけじゃない。
むしろ地方では魔法の存在すら知らない人も多いんだ。
今から向かう村もそういう場所だ。
だから、魔法の使用は必要最低限にとどめてくれ。
今回は“訪問医療に来た医者”として動くから、私も治療以外では魔法を使わないつもり」
私は少しだけ声を落とし、真剣な調子で続けた。
「人間は、未知のものに対して恐怖を抱き、排除しようとすることがある。
怖いのは病気よりも――人の心だよ。
だから風真、くれぐれも私から離れず、無茶はしないように」
一瞬、不安げな表情を浮かべた風真だったが、自分の頬をパチンと叩き、気合を入れて頷いた。
「うん、大丈夫!気をつける!
場所が違えば、そこの人たちの考え方も違うってことだもんね」
「うん、いい子だ」
思わず笑みがこぼれる。
風真のまっすぐさに、私はいつも救われている気がする。
「ここから村までは、あと1時間くらいかな。もうちょっと歩こうか」
「はーい!っていうか、聖明の方がちょっとバテてない?」
「うっ…体力は……あまり自信ないんだ……」
「うん、わかる。聖明って魔力はすごいけど、肉体戦には向いてなさそうだもんね」
「……気にしてるから、あんまり言わないでくれ……」
そんな風に冗談を交わしながら、私たちは静かに村への道を進んでいった。
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村に着くと、住人たちは私たちをジロジロと見てくる。
だが、目が合うとすぐに視線を逸らし、まるで関わりたくないというような態度を取る。
どうやら歓迎はされていないようだ。
居た堪れない空気に、風真が小声で話しかけてくる。
「聖明……なんか、雰囲気へんじゃない?」
「……私の目のせいだろう。
堕天使の知識はなくとも、赤い目の人間なんて滅多にいない。
悪魔や魔人の類いと思われても仕方ない」
「そんなこと……!」
風真は反論しようとしてくれるが、その唇を人差し指でそっと塞ぐ。
「大丈夫……何度も経験しているから。気にしないでくれ」
そう。前世も含めて、私は幾度となくこの視線と声を浴びてきた。
ひそひそと交わされる言葉も――人の心が読める私には、すべてが丸聞こえだ。
"わからない存在は、怖い"
人と違えば、恐れられ、排除される。
風真が私の顔を見て、悲しげな表情を浮かべる。
……こんなふうに気にかけてくれる彼は、本当に優しい子だ。
「さて、この村の診療所に――」
「このヤブ医者!!!」
突然、怒鳴り声が響いた。
“医者”という言葉に思わず反応して身構える。
前方を見ると、白衣を着た男がひとりの少年を乱暴に掴んでいた。
どうやら口論になっているようだ。
あまり良い光景ではない。私は足早に二人へと近づいた。
「なんでお前が出した薬は母さんに効かないんだよ!おかしいだろ!?」
「何度も言わせるな、このクソガキ!みんな治ってるんだ、黙って飲ませとけ!」
「治ってないから言ってんだろ!!!」
「理由もわからず喚くな!」
男が手を上げかける、その瞬間――
私はその腕を掴み、力強く止めた。
「なっ……!?」
「子どもに手を上げるとは何事だ!?医者が聞いて呆れるぞ!」
男は驚いたように私を見た後、赤い目に気づいたのか、低く呟く。
「…その目……堕天使か」
私は思わずビクッと反応してしまう。
まさか、この辺境で“堕天使”の存在を知る者がいるとは……。
男は私の手を振り払い、白衣を整えながら睨みつけてくる。
私は少年を背に庇うように立ち、視線を返した。
そして――
「闇をお使いになる堕天使様が、この村に何のご用ですかな!?
災厄でも振り撒きに来られたのですかねぇ!」
わざとらしく叫び、周囲に聞かせるような口ぶり。
次の瞬間、村全体がざわめきに包まれた。
「闇を使うって……悪魔じゃない!?」
「やっぱり、あの目……気持ち悪いと思ったんだわ!」
「お医者様が言うんだから、間違いない...きっと悪いものよ、あれは……!」
マズい――
このままでは医療活動どころか、風土病の調査すらできなくなる。
「お前らっ……!」
風真が悔しそうに声を上げかけたのを、私は慌てて押し止めた。
「風真、ダメだ。今は…堪えてくれ」
私は男を睨みつける。
鼻で笑った彼が、こちらに詰め寄ってくる。
「お前らみたいな胡散臭い医者なんざ、この村には必要ない。
俺ひとりで十分だ。
何しに来たか知らねえが、さっさと帰れ。
お前みたいな堕天使がいると、悪魔まで寄ってきちまうからな!」
――なんという、醜悪な男だ!
だが……それは事実でもある。
堕天使は、悪魔にとって格好の獲物。
濃く純度の高い闇は、悪魔にとって甘美なご馳走だ。
堕天使は、その特異な存在ゆえ、常に悪魔に狙われ続けている。
だからこそ、私が長くこの地に滞在することは、確かに危険を招く。
反論したい気持ちはある。
でも――ここで騒ぎを大きくするわけにはいかない。
今は、引くしかない……。
「兄ちゃん!こっち来て!」
先ほど私が庇った少年が、手を取ってどこかへ走り出す。
私はそのまま引っ張られるようにしてついていく。
「聖明、待ってよ!」
風真も慌てて追いかけてきた。
振り返ると、あの男が嫌な笑みを浮かべてこちらを見ている。
「もう来ないでくださいね!」
彼は大声で笑い、人々は相変わらず敵意のこもった視線を向け続ける。
――まったく、嫌な場所だ。
しばらく少年についていくと、大きな木の下に、可愛らしい小さな家が一軒見えてきた。
彼は手を離し、笑顔を向ける。
「兄ちゃん、助けてくれてありがとな!
この村、嫌なやつばっかでさ…兄ちゃんみたいに助けてくれた人、初めてだぜ!」
ニカッと笑うその顔には、どこか寂しさも混じっていた。
……この子も、きっと辛かったのだろう。
私はしゃがみ、彼と目線を合わせる。
「私も、君にお礼を言わなくちゃね。連れ出してくれてありがとう。助かったよ」
「お互い様だな!」
「どなた様……?」
か細い声が聞こえ、顔を上げる。
先ほどの家から、一人の女性が姿を現す。
彼女の顔には、まるでヒビの入ったガラスのような模様が浮かび、ゴホゴホと咳き込んでいた。
――マナの侵食を受けている。
模様の濃さから見ても、症状はかなり進行している。
私は慌てて駆け寄り、彼女の手を取った。
冷たい……顔色も悪く、やせ細っている。状態はよくない。
「お騒がせして申し訳ありません。突然ですが、この顔の模様はいつから出ているのですか?
咳以外に、ほかの体調不良はありませんか?」
彼女は困惑したように視線を彷徨わせ、戸惑っている。
「母ちゃん、大丈夫!この兄ちゃん、いい人だよ!
さっき俺のこと助けてくれたんだ!」
少年が笑顔で声をかける。
……この子の母親だったのか。
「失礼しました。慌ててしまい、自己紹介が遅れました。
私は闇魔法医療科 《カゴノトリ》所属のエクソシストで、医者の紅 聖明と申します。
こちらの少年は、助手の風真です」
「こんにちは!」
風真が礼儀正しく挨拶をする。
その様子に、私は思わず微笑んでしまった。
「魔法都市の依頼により、この村で訪問診療を行うために参りました」
私の説明に、女性は安心したように微笑み、口を開く。
「あら、お医者様だったのね。
私はローネ・マルロ。こっちの子が、レムレス・マルロよ」
「兄ちゃん、医者だったの!? やったー!
あんなヤブ医者じゃなくて、兄ちゃんに診てもらおうよ!」
レムレスが母に甘えるように抱きつきながら、こちらを向いて言う。
ローネは困ったように息子の頭を撫でる。
「こら、グラ先生のことを悪く言っちゃだめよ?
村のみんなを癒してくれている人なんだから」
「でも母ちゃんの病気、全然治ってないじゃん!」
……あの男は“堕天使”の存在を知っていた。
地方には基本的に堕天使はいない。知っていたということは、以前魔法都市にいたのだろう。
医療行為は国家資格であり、エクソシストに所属しているはずだ。
――あとで調べてみる必要があるな。
「ローネさん。もしよろしければ、私に診察をさせていただけませんか?
必ず、お役に立ってみせます」
彼女の手を包み込み、安心できるように微笑む。
「あ……はい。そう言ってくださるなら、お願い致します。」
少し照れたように頷くローネさん。
可愛い人だ。
「聖明……」
ふと風真に名を呼ばれて振り返ると、ジト〜っとした目で私を見ていた。
「ふ、風真?」
「お前、たらしだよな」
「はいっ!?」
あまりにも突然の言葉に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「兄ちゃん、あんまり笑顔ふりまかない方がいいぞ」
レムレスくんまで!?
なぜ、そんなことを…少し、傷つくじゃないか。
しょんぼりしていると、ローネさんに案内され、私たちは家へと招き入れられた。
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家の中には手入れの行き届いた花々が飾られており、色鮮やかな花の香りが柔らかく漂っていた。
私たちはキッチンテーブルの席に着き、ローネさんから淹れてもらったお茶をいただいていた。
可愛らしいカップが三つ、並べられている。
「美味しいお茶ですね!」
「ありがとうございます。趣味で育てたハーブを使ってるんです。そう言ってもらえると嬉しいわ」
ローネさんは、ふわりと嬉しそうに微笑んだ。
レムレスくんは、そんな母の笑顔をじっと見つめ、満面の笑みを浮かべている。
その気持ちが伝わってきて、なんだか微笑ましくなった。
私は一度席を立ち、ローネさんの隣に膝をついて目線を合わせる。
「ローネさん、早速ですが診察をさせてください。手を取ってもよろしいですか?」
「あ……はい」
少し照れた様子で、彼女は両手を差し出してくれた。
私はそっとその手を取り、脈を見ながら魔法で体内の様子を探っていく。
淡い光が彼女の手の上に浮かび、魔法陣が静かに輝き始めた。
「わーっ! なにそれ!」
レムレスくんが興味津々でテーブルに乗り出してくる。
「今、体の状態を調べてるんだ。魔法を使って治療する医者だからね。ある程度は、すぐにわかると思うよ」
私は目を閉じ、集中する。
脈拍は弱く、体温も低め。呼吸も浅く弱っている。
そして――何より、マナバランスが悪い。
体の中に土属性のマナが滞留し、淀んでいるのがはっきりと感じ取れた。
ひとつ深呼吸をして目を開き、魔法の発動を止める。
「おおよそわかりました。ご協力ありがとうございます」
私は彼女の手をそっと離し、席へと戻る。
「聖明、どうだったんだ?」
「そうだね……。ローネさん、顔の模様が出始めたのは、いつ頃からか覚えていますか?」
ローネさんは少し考え込んだあと、壁に掛かったカレンダーを見つめ、ぽつりと答える。
「三ヶ月ほど前……かしら」
――思っていたより長い。
ここまで弱っているのも無理はない。
「では、簡単にご説明しますね。
ローネさんの体には今、土属性のマナが溜まり、それが滞留して毒素を生み出しています。
その毒素が強いために身体に不調が現れ、呪いのような形で模様となって顔に浮かび上がっているのです」
「……それは、治るんでしょうか?」
不安げに尋ねる彼女に、私はにっこりと笑顔で応える。
「大丈夫ですよ。時間はかかりますが、ちゃんと治ります。
おそらくローネさんは、土属性のマナを吸収しやすい体質なのだと思います。
趣味の園芸などで、無意識にマナを取り込んでしまっていたのかもしれません。
でもご安心ください。体質もお薬で改善できます」
ローネさんはほっとしたように胸を撫で下ろし、微笑んだ。
私はその様子を見ながら、さらに説明を続ける。
「まずは、体内に滞留した土属性のマナの流れを良くして、溜まった毒素を体外に排出する必要があります。
治療法としては、毎日お薬を飲んでいただき、排泄物とともに毒素を出していく方法になります。
そうですね…二週間ほどで、かなり元気になれると思いますよ」
「本当に!? 母ちゃん、やったね!」
「ありがとうございます、先生!」
親子の嬉しそうな笑顔を見ていると、医者をやっていて本当によかったと思える瞬間だ。
「ローネさん、もしお許しいただけるなら、キッチンをお借りしてもよろしいでしょうか?
お渡しするお薬ですが、一から調合する必要がありまして」
私は自分のトランクを手に取る。
このトランクは特別製で、見た目以上に多くの物を収納できる。
衣類や医療器具、薬剤や薬の材料――必要なものを思い描けば、中からすぐに出てくる仕組みになっている。
「……本来なら、診療所をお借りして調合すべきなのですが……どうも、嫌われてしまったようで。
この様子では、村に戻るのは難しいかもしれません」
本来、どの村にも診療所が設置されており、訪問医師にはその施設を貸し出すのが国の定めたルールだ。
しかし、あの男は、私が医者であると知ったうえで追い出した。
堕天使が嫌いだったとしても、それは許されない行為のはずだ。
だがここは、都市の手も届きづらい奥地。
だからこそ、私のような者が派遣されている。
……ならば今は、穏便に済ますのが最善だ。
「……グラ先生は、こだわりの強い方ですからね……」
ローネさんの目が、一瞬で暗く淀む。
……何か、あったのだろう。やはり後で調べてみるか。
「あ、キッチン、どうぞお使いください! 狭い家ですが、ご自由に使っていただけたら嬉しいです」
「ありがとうございます」
私はそのままキッチンを借りて、薬の調合を始めた。
トランクから必要な道具、薬草、魔石を取り出し、テーブルにずらりと並べる。
風真にも指示を出して、鍋で煮込んだり、魔法で結晶化させたりと、さまざまな工程を踏んでいく。
その様子に、レムレスくんは興味津々といった様子で、傍でじっと見守りながら次々と質問を投げかけてくる。
私が風真にも教えながら調合していたため、まるで授業のような雰囲気になっていた。
そして、一つ、また一つと薬が完成していく。
「よし、完成だ!」
「「おお〜!!」」
液体の薬瓶が二本、結晶化した薬が三本。
私は瓶ごとの内容と服用のタイミング、服用量を紙に丁寧に記していく。
「聖明、それ書いてる間に道具片づけちゃうね」
「ああ、ありがとう」
書き込んでいると、テーブルの下から顔を出して、私の顔を覗き込んでくるレムレスくん。
気づいて微笑むと、彼もにっこりと微笑み返してくれる。
「聖明先生って、本当にすごい先生なんだな! あのヤブ医者とは大違いだ!」
「……グラ先生は、ローネさんを治してくれなかったの?」
私はふと疑問を抱く。
医者であれば、マナバランスの乱れくらいは分かるはず。
それに、ローネさんは三ヶ月も患っていたという。
正直、あと少し遅ければ手遅れだった可能性が高い。
顔に浮かび上がった模様は、身体が内側から蝕まれている証拠。
このまま進行すれば、体内のマナが結晶化し、岩が割れるようにヒビ割れて死に至っていた。
体質のせいとはいえ、それを見抜けないような者が医者になれるはずがない。
「……あいつ、村の人の病気はちゃんと治してるんだ。
でも、母ちゃんの病気だけは治してくれなかった。
“同じ薬を出してる”って言ってたけど、全然良くならなかったんだ」
――村の住人は治っている、か。
「その医者の薬、まだ残ってたりするかな?」
「あるよ! こっち!」
レムレスくんが棚を指差す。
私はその指の先をたどり、棚を開ける。
「これだよ!」
「ありがとう。……うん、確かに処方箋も一緒に残ってるね」
私は薬と処方箋を手に取り、確認する。
処方箋を見る限り、特におかしなところはない。
あえて言うなら、今のローネさんには効力がやや弱い程度。
完治しなくても、悪化はしないはずの内容だ。
私は薬をテーブルに並べ、解析魔法を展開する。
よほど複雑な薬でなければ、この魔法で大体の構成は割り出せる。
「……なんだ、これは……」
処方箋に書かれたものと、薬の内容が異なっている。
本来の薬に加え、別の薬が混入されている。
特に結晶化された二種類の薬が、処方とは明らかに違う成分だ。
解析を進めていくうちに、思わず息を呑んだ。
――これは、避妊薬と堕胎薬……?
なぜ、こんな薬が処方されている?
しかも、本来必要な薬の代わりに――。
……これでは、治るはずがない。
嫌な予感が頭をよぎる。
「聖明先生…?」
レムレスくんの声に、ハッと我に返る。
「あ……ごめんね。ちょっと考え事をしていたよ。
でも、君の“言いたかったこと”、ちゃんと分かったよ」
「うん!」
私は彼の頭をそっと撫で、解析を終えた薬を棚に戻す。
早々に処方箋の記入を終え、立ち上がった。
「よし。風真、私はローネさんに薬を届けてくる。ここはお願い」
「はいはーい」
「あ、俺も行く!」
私はレムレスくんとともに、ローネさんのいる寝室へと向かう。
ドアを軽くノックすると、中からか細い声が返ってきた。
「はーい……」
「失礼します」
「母ちゃん! 薬できたよ!」
彼女はベッドに座り、読書をしていたようだった。
私はベッド横の棚に薬と処方箋を置き、そばの椅子に腰掛ける。
「キッチンを使わせていただき、ありがとうございました。
おかげで薬の準備が整いました。
数は多くなってしまいましたが、どれも必要なものです。
毎日、朝晩、記載された分量を守って服用してください」
「…なんとお礼を言えば……」
彼女は目元を手で押さえ、涙ぐんでいる。
「これが、私の仕事です。
ローネさん……よく、ここまで頑張りましたね」
「あ……」
ローネさんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
これだけ身体が弱っていたのだ。
ここまで耐えてきた時間は、どれだけ辛かったことだろう。
その姿を見たレムレスくんは、心配そうにベッドに駆け寄る。
「母ちゃん! どこか痛いの!?」
「違うの。これは……嬉し涙よ。
元気になれるって聞いて、安心して……」
私はそっと椅子を離れ、部屋を後にする。
今は、あの親子だけの時間にしてあげたい。
……だが、ここからが本番だ。
私はキッチンに戻り、風真に声をかけた。
「風真、お疲れさま」
「聖明もな。……ところでさ、もう夜だけど宿どうするよ?
あの様子だと、村に戻るのは絶望的だろ」
外を見れば、辺りはもう真っ暗。
小さな村だけあって街灯もほとんどなく、静寂な闇だけが広がっている。
「……そうだね。"女性だけ"の家にいるのもよくない。野宿かな?」
「やっぱそうなるよな〜」
旅をしていると野宿は日常茶飯事だ。
風真も何度も経験しているため、ちょっとうんざりした表情を見せる。
……仕方ない。下手に村へ戻って問題を起こすよりは、今夜は静かにやり過ごしたほうがいい。
そんなことを考えていた矢先、玄関の扉を叩く音が響いた。
今、この家の主は休んでいる。
「風真、私が出るのはまずいと思う。代わりに頼める?」
「オッケー」
私は玄関から見えないように物陰へ移動し、風真に対応してもらうことにした。
「はーい!……って、お前かよ」
「なんでよそ者がローネの家にいる!?」
この声……あの男だ。
私は慌てて玄関に出て、風真を背中にかばう。
「どうも」
「お前、なんでここにいるんだ!」
目に見えて敵意を向けてくる。眉間に皺を寄せ、まるで獲物を見るように睨みつけてくる。
「……どっかの医者が役に立たないらしくてね。私が治療してたんだよ」
自覚はしている。
私は今、怒っている。……あんな薬を出しておいて、何を考えてる。
「若造が……俺の患者を横取りするつもりか!?」
ああ、もうダメだ。腹が立って仕方がない。
「患者にも選ぶ権利がある。それに――」
私は憎たらしい男の顔を掴み、じっとその目を見据えて言い放つ。
「……患者に手を出すクソ野郎が、医者を名乗るな」
男の瞳の奥に、恐怖の色がにじむ。
――図星だ。
なんていうクズだ。……このまま闇に飲み込んでやろうか。
「聖明!」
風真の声が耳に届き、私はハッと我に返る。
男を離し、そのまま睨みつける。
「クソ……気持ち悪い目をしやがって!! あいつは俺のものだ!お前には関係ねぇだろ!!」
「な、何の騒ぎ!?」
奥の部屋から、ローネさんが姿を現す。
男の姿を認めるなり、慌てたように彼の前へ駆け寄り、叫んだ。
「グラ先生!ごめんなさい!彼は悪くないの!私が……私が頼ってしまっただけなの!」
「ローネさん……」
彼女の震える声。泣きそうな顔。
その姿に、男は満足げな笑みを浮かべる。
ローネさんは私たちに向けて、必死に訴えるように口を開いた。
「ご、ごめんなさい、聖明先生……私は、大丈夫ですから…少しだけ、グラ先生と……お話してきます。それまでレムレスを、お願いします……」
震える声で、震える手で。
彼女は恐怖を必死に押し殺していた。
「そんなこと……!」
風真が前に出ようとするが、私は手で制す。
「おい、聖明!」
「……は、聞き分けはいいみたいだな、堕天使。じゃあ、行こうか、ローネ」
男はローネさんの肩を抱き、闇の中へと消えていった。
「……聖明、なんで止めたんだよ!」
風真が私の服を掴み、問いかけてくる。
「風真、君はエクソシストに通報を。……私は、少しやることがある」
私の顔を見た風真が、ビクッと震えた。
……いけない。表情に出ていたか。
私は慌てていつものように微笑みを作る。
「大丈夫だ。すぐに戻るよ」
「あ、ああ……。あの、聖明……」
「ん?」
「……あんた、おかしくなってないよな?」
――ああ、怖がらせてるな。
でも、仕方ない。今の私は、風真から見てもきっと“異様”に映っている。
私は外へ出て、闇に消えたふたりの後を追う。
……本当に、“嫌な仕事”だね。
気づけば、私は――笑っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
私はいつも、この診療所に連れ込まれる。
誰もいない。誰も助けてくれない場所だ。
「おい、ローネ!まさか、あの男に身体を許してないだろうな!?」
「そんなことしてない! あの人は、私を治療してくれただけ!」
腕を掴まれ、乱暴にベッドへと投げつけられる。
肩を強く打ち、そのまま蹲る。
「お前は、俺を信じて薬さえ飲んでりゃよかったんだよ。
それを...よりによって、あんな堕天使に!」
「…堕天使?」
聞き慣れない言葉に、思わず聞き返してしまう。
「あいつらはな、悪魔と同じ“闇”を操る天使だ。
闇を支配してるくせに、善人のフリして人に近づくんだ。
油断したら…あいつらは平気で人を殺す。殺人鬼だよ!」
「…そんな人には、見えなかった!」
あの人は、真剣に話を聞いてくれた。
私のために、時間をかけて薬を作ってくれた。
会って間もないけど...悪い人には、とても見えなかった!
「それが奴らの手口だって言ってんだよ!
まったく…身寄りのないお前を、この村に受け入れたのは誰だと思ってんだ!?」
……グラ先生は、両親を亡くした私を引き取り、この村に住まわせてくれた人。
身寄りもなく、行く宛もなかった私は、先生にすがるしかなかった。
最初は…本当に、嬉しかった。
でも、この村は、よそ者に優しくなかった。
私は簡単に孤立して…それでも、どこにも行けなかった。
それでも平気だった。
だって、ラグ先生だけは味方だったから――
……ある日、グラ先生が家にやってきた。
私は喜んで出迎えた。
でも、彼はいつもと様子が違っていた。
不敵な笑みを浮かべて、私に襲いかかってきた――
――その日から、私は汚され続けた。
何度も、何度も…
でも、この村には味方なんていなかった。
逃げる場所なんて、どこにもなかった。
…私はこのまま、この村で骨を埋めるんだと、そう思っていた。
だけど、ある日――私の身体に、希望が宿った。
小さな、小さな、けれど確かに存在する“希望の光”。
――私の、レムレス。
彼はそれに気づいて、怒り狂った。
何度も、何度も、私を傷つけ続けた。
それでも――あの子がいたから、私は耐えてこれた。
これからも、きっと…!
「それが、君の過去なのか」
聞き慣れた男の声が、闇の中から聞こえた。
「お前! 付いてきたのか!?」
私を押し倒していたグラ先生が、慌てた様子で周囲を見渡す。
すると、ゆらっと赤い光が闇に浮かんだ。
「ローネさん、大丈夫?」
「聖明先生…」
彼はいつも通り優しい笑みを浮かべている。けれど、どこか様子が違う。
目が……仄かに光っているように見える。妖艶でいて、底知れぬ暗さを湛えていた。
「おい、そこのクズ。お前は何人の女性を孕ませ、殺してきた?」
グラ先生がビクリと体を震わせる。
私も、その言葉に背筋が凍る思いだった。
「変だと思っていたんだ。
定期的に“いなくなる”女性。その全員が“風土病で死亡”とされていた。
エクソシストが不信がって、私を呼びつけたわけだ。
蓋を開ければ、とんでもない。
これは風土病を隠れ蓑にした、立派な強姦殺人だ」
彼は片手に幾つものカルテを持っており、それらをグラ先生に投げつけた。
私は地面に落ちたカルテを覗き見て、血の気が引く。
身寄りのない女性が“風土病で死亡”と記載された内容。
そして――
コレクションのように撮られた、辱められた女性たちの写真の数々。
気持ち悪い…!
「君は、身寄りのない女性を囲い、依存させ、何度も性犯罪に手を染めた。
子供ができたら堕胎させ、それでも出産間近になれば殺していた。
しかも、土地特有の風土病を放置することで、自然死のように見せかけた。
村人たちも、“あんたが連れてくる女は皆死ぬ”と思い込んでいたようだ。
疫病の患者を匿っていると噂されれば、そりゃ孤立もするだろう。
まったく…どっちが“悪魔”かわかったもんじゃないな」
「はっ! 堕天使に言われたくないな!!
お前らだって人を殺してるだろ!
俺はエクソシストにいたんだ!
知ってるぞ! お前らは闇魔法で治療してる傍ら、国の暗部として人を殺して回ってる集団だ!!
都合が悪くなれば殺す! 俺と何が違うってんだ!?」
(そうだ、こいつは俺と同じ“殺人鬼”だ……)
(話せばわかるはずだ)
(きっと、こいつも女が目当てのはず…!)
『お前だけは、許さない』
急に、部屋の温度が下がる。
背後から、何かに掴まれたような気配。
ラグ先生の身体が固まり、目の前の堕天使を見る。
赤い瞳の男は、不敵な笑みを浮かべてニヤリと笑った。
「お前が殺したのは、女性だけじゃない。
……子供たちもだ」
彼は、グラ先生の背後を指差す。
恐る恐る振り向いたその先に――
『お母さんたちを不幸にした恨み』
複数の、子供のような化け物が襲いかかる。
「やめろおお!!! あああああああ!!!」
響く、断末魔の叫び。
飛び散る、血飛沫。
「本当に嫌な仕事だねえ」
私は、目の前で繰り広げられる惨劇にただ怯える。
男だった“それ”を引き裂き、潰し、殺した存在たちが一つに重なり――
一人の“子供”になる。
「…レムレス…」
そこに佇んでいたのは、私の愛しい子、レムレス。
なんで…この子が、こんなことを...…?
赤い瞳の彼は、血の付いたカルテを拾い上げ、口を開いた。
「ローネさん。あなたの赤ちゃんは……妊娠三ヶ月で流産してる」
頭の中が、真っ白になる。
「嘘! 嘘! 目の前にいるじゃない!
あなたも話してたじゃない!!」
そう。レムレスと話していた。触れていたはず!
「……この子は、今まで亡くなった子供の集合体だ。
いわば“幽霊”。
私は少なからず霊との親和性があって、見えるんだ。
そして、母の一人であるローネさんと、父であるこの男にだけ見えていた。
思い返してほしい。
キッチンで出されたお茶の数。この子の分だけはなかった。
それは、触れられないからだ。あなたはそれを“無意識に”理解していた。
そして、私の助手――風真には、彼が見えていない。
私は、何もない空間に向かって話し続けていた。
……風真も、さすがに怯えてしまってね。申し訳ないことをしたと思うよ」
私は記憶を手繰る。
レムレスが……最初からいなかった?
今まで耐えてこれたのは、レムレスがいたからなのに...?
目の前がぐるぐる回る。
呼吸の仕方が、わからない。
「レムレスくん。君の望みは……本当にこれで良いのかい?」
『うん。母ちゃんが、これ以上苦しまないようにしてあげて』
綺麗な赤い瞳が、私をまっすぐ捉える。
「大丈夫。目が覚めたら、怖いことはないよ」
恐ろしくも優しい堕天使の微笑みが、闇に溶けていった――
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「ローネさん、結果は順調ですよ」
私は、ハッとする。
気がつけば、診療所で“赤い瞳の先生”の診察を受けていた。
「あれ…?」
何か、大切なことを忘れているような気がする。
「どうかなさいましたか?」
とても優しく微笑む、聖明先生。
彼は、私の風土病を治してくれている先生。
おかげさまで、体調は少しずつ回復の兆しを見せている。
本当に感謝している。けれど…どうしてだろう。
彼が微笑むたび、どこか“違う笑顔”が脳裏をよぎる気がする。
「そういえば、ローネさん。私はそろそろ他の地域へ移るんです。
でも、安心してください。ここには新たに別のエクソシストが派遣されます。
その先生は私と違って、長期で滞在なさる方ですから。安心して頼ってくださいね」
「あ、はい……」
彼は再び、優しく微笑むと、薬の瓶をそっと手渡してくれた。
どこかで見たことのあるような瓶。どこか懐かしい気がする。
「処方箋どおり、飲み続けてくださいね。
ローネさん、よく頑張りましたね」
――その言葉を聞いた瞬間、どうしようもなく涙があふれてきた。
先生は何も言わず、慰めるように私の背中をそっと擦ってくれる。
胸にぽっかりと穴が空いたような感覚。
何かを…大切な何かを、失ったような気がする。
けれど同時に、不思議と心の奥から温かいものが芽生えてくる。
それは、何かに守られているような...包まれているような、優しい感情だった。
「……先生、私、きっと元気になりますね」
聖明先生は、ニッコリと微笑み返してくれた。
私は診療所を出て、太陽の光を浴びる。
――眩しい。
早く治して、大好きな園芸をしよう。
たくさんの花を、庭に植えよう。
春になったら、きっと色とりどりの綺麗な花が咲く。
私はそんな未来を想像しながら、静かに前へと踏み出した。
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「聖明」
怯えるような声で、風真が私を呼ぶ。
「どうしたの? 風真」
私は、いつもと変わらない様子で微笑みながら応じた。
膝の上では、使い魔の黒猫が喉をゴロゴロと鳴らしている。
私はその毛並みに指を滑らせる。
「今回の件、本当に“風土病の調査”だったの?」
風真の問いかけは、どこか探るような響きを帯びている。
「僕が通報したエクソシストが来て……あのヤブ医者は消えた」
「……私としたことが、あの男を逃してしまってね。
今は、エクソシストに後始末を頼んでるよ」
私は、息を吐くように平然と嘘をついた。
「でもそれだけじゃない。ローネさんは“夜のこと”を覚えてなかった。
あのヤブ医者のことも、まるで記憶から消えてる」
「彼女、襲われてたんだ。
ショックで記憶を失ってしまった。
……風真の言うとおり、家で止めておけばよかったね」
――今は、風真はまだ知らなくていい。
「……聖明、あの日は、あんたもローネさんも様子がおかしかった。
いったい誰に向かって話してたんだ?」
私は、笑った。
「秘密だよ」
闇魔法医療科 《カゴノトリ》。
闇を操り、人々を癒す医者の集団。
そして――
闇に潜み、闇を引き受ける殺人集団だ。
必要があれば、私たちは命を奪う。
それは、普通のエクソシストにはできない“闇の仕事”。
――ああ、また闇に戻ってきた。
本当に怖いのは人間
ホラーっぽいのを目指しました。




