第12話 聖明のトラウマ(前編)
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この物語には、登場人物同士の親しいやり取りや、性にまつわる軽い会話、そして過去の出来事として性被害やトラウマに触れる場面が含まれています。
描写は過度に詳細なものではありませんが、人によっては苦手に感じる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
最近、気付けば、ある人物を目で追ってしまう。
その相手は──かつて大嫌いだった男だ。
いつも愛想笑いを浮かべ、本心を決して見せない。
あまりにも完璧で、人間味の欠片もない態度が気味悪く、見るたびに苛立ちを覚えていた。
だが、ふとしたきっかけで会話を交わしたとき、その印象は大きく崩れた。
不器用で、怖がりで、妙に強がっている。
世間では闇を操る堕天使として恐れられる存在──紅 聖明。
実力も魔力も確かに一流なのに、精神面はどこか危うく、放っておけない脆さがあった。
一度だけ、彼が心から笑った瞬間を見たことがある。
あれほど嫌悪していたはずなのに、その笑顔だけは今も鮮明に記憶に焼き付いている。
あまりにも眩しくて、胸が締め付けられるようだった。
──そして今、その聖明が俺の隣の席に座っている。
柔らかな黒髪を風に揺らしながら、静かにノートを取っている。
俺の視線に気付いたのか、不思議そうにこちらを見つめ、少し困ったように微笑んだ。
あの頃の作り笑顔とは違う、どこか素直な笑みに、心臓が跳ね、慌てて視線を前に戻す。
彼は美形だ。後ろ髪が長く、横顔だけ見れば女性と見間違えるほど。
最近は彼を目で追うたびに、胸の奥がざわつき、落ち着かない。
まるで熱でも出たように、体が不安定になる。
チャイムが鳴り、授業が終わる。
教師が教室を後にすると、生徒たちは思い思いに休憩を取り始めた。
「セレス? 最近、ぼーっとしてること増えてない?」
隣から聖明の声がする。
黒髪の隙間から覗く赤い瞳が、こちらを探るように見つめていた。
眼鏡の奥に隠れきらないその光に、思わず心が揺れる。
「あ、いや……別に、何もない」
──本当はある。
だが、それを言葉にするのは難しい。
ただ、ほんの少し……目の前の男に興味を抱いてしまっただけだ。
将来、彼は『カゴノトリ』という堕天使の集団──闇魔法医師たちの組織に配属されることが決まっている。
そこではエクソシスト同様、ペアでの行動が基本だ。
俺は、そのパートナーになる約束をしている。
他人に興味などなかった自分が、そんな約束をした──それだけでも、異例中の異例だ。
「そう? 風邪引いたりしてない?」
聖明は以前より距離が近い。
あれほど避けていたはずなのに、今ではこうして自然と話しかけてくる。
「それより、龍はいないのか?」
いつもなら、やかましく絡んでくる存在が見当たらない。
「ああ、龍ね。今日は仕事優先で休みだよ。
国家お抱えの魔導機械博士様だし、多忙期は学校に来なくなるの。
普段の様子を見てると忘れちゃうけどね」
確かに、と俺は内心で頷く。
普段の馬鹿っぽさのせいで、本業を忘れがちだ。
「……静かに過ごせるってことか」
「セレスは、いつも絡まれてたからね」
「あいつは絡みすぎなんだ。何度教室を追い出されたと思ってる」
教師にうるさがられ、何度も廊下に出されたことは数知れない。
だが、聖明が知識を共有してくれるおかげで授業に出ずとも成績は維持できている。
気付けば聖明から首席の座を奪ってしまっていた。
少々申し訳なく思うが、油断すればすぐに奪い返されるだろう。
龍といい聖明といい、天才は努力の影を見せずに結果を出すから腹が立つ。
無意識に眉間に皺が寄った。
「あはは、それに関しては私からも謝るよ。ごめんね」
「お前が謝ることじゃない」
「せいめい」
「は?」
「“聖明”って名前で呼んでって言っただろ?」
顔を近づけてくる彼に、思わず身を引く。
鋭い眼差しが輝くたびに、鼓動が早まるのを感じて、焦ったように声を返す。
「…わ、わかった。気を付ける」
いたたまれなくなって、立ち上がった。
「!? セレス?」
「…トイレ」
「い、いってらっしゃい?」
そのまま教室を出て、トイレに向かう。
洗面台の前に立ち、ため息を一つついた。
本当に、どうしてしまったんだ、俺は。
あいつと話すたび、鼓動が速くなる。
元々、口数が多いわけではないから何とかなっているが、このまま一緒にい続けるのは少しキツい気がする。
制服の上着とズボンは俺と同じはずなのに──上着の中に着ている服のせいで、あいつは妙に目を引く。
肩出しの黒いハイネックに、制服の胸元を押さえる青いベルト。
首元のファスナーには変わった形の十字架の飾り。
袖口が和装のように広がり、そこからのぞく白い指先や、長めの後ろ髪のせいで、同じ制服でも不思議と異国風で柔らかい雰囲気を纏っている。
一方の俺は、水色のカッターシャツに薄手のクリーム色のカーディガン。
鎖骨が見えるくらいボタンを開けている程度だ。
……並んでいると、どうしてこうも違って見えるのかと、ため息がもう一つこぼれた。
「お、セレスもトイレ?」
同じクラスの男子生徒が入ってきて、声をかけてくる。
「あぁ」
「今日は龍がいなくて静かだよな!」
「たまには静かな方が良いだろ」
「違いない!」
そう言いながら便器の前に立ち、ゴソゴソと用を足す準備をしている。
視線を逸らしながら、会話を続けた。
「そういや、セレスって最近ちょっと丸くなったよな」
「そうか?」
「眉間の皺は相変わらずだけど、龍や聖明と一緒にいるせいか、前より声かけやすいぜ」
「あいつらと関わるのも大変なんだぞ」
「お前は絡まれてばっかだもんな! よっと……」
男子生徒はズボンのベルトを直しながら、洗面台の隣に立ち、手を洗い始める。
「紅もさ、最近ちょっと雰囲気変わったよな。前より女子にモテてない?」
「……そうなのか?」
「元々人気はあったけど、なんか最近やけに告白されてるっぽいぞ? あーでも変な噂も聞くな」
「変?」
「遊び歩いてるとか、そういう話。まぁ聖明に限ってそんなことないと思うけどさ」
「遊び歩いてるねぇ……」
実験で夜に出歩くことはあるが、それのことだろうか。
どちらにせよ、あまり良い噂とは言えない。少し気にかけておこう。
「セレス、教室戻ろうぜ。チャイム鳴っちゃうぞ」
「あぁ、そうだな」
トイレでの短い会話を終えて、俺は教室へ戻る。
次の授業は魔法史だったか。特に退屈なことで有名な教師が担当している。
扉を開けて席へ向かうと、聖明はすでに自分の席に戻っていた。
……というより、机に突っ伏して寝ている。
「おい、聖明」
声をかけても反応がない。
すうすうと寝息を立てていて、普段の張り詰めた雰囲気はどこにもない。
何やってんだ、こいつ。
そう思いつつも暫くは放置した。
先生の声が子守唄のように聞こえる。
そんな中、やはり気になり、隣の席から少し身を乗り出して顔を見る。
長い前髪が顔にかかっていて、仕方なくそっと手で払いのけた。
ふと、額に手をかざすと、微かに熱を感じる。
……まさか、熱か?
昨晩、実験があるとか言っていた気がする。
その疲れが出たのかもしれない。
一瞬、以前の闇の暴走を思い出してぞっとする。
服の下の刻印が暴れ出していないか確認したいが、今は秋。
制服の長袖が邪魔で見えない。
このまま授業を受けさせるのは不安だ。
意を決して、手を挙げて教師に声をかけた。
「先生、紅が体調悪そうなので保健室に連れていきます」
「あら? それは大変、セレスくん、紅くんをよろしく頼むわね」
その声に反応したのか、聖明がぼんやりと顔を上げた。
「ん……? なに……?」
「おい、行くぞ。立てるか?」
「え、ちょ、セレス……?」
寝ぼけたままの彼の手を引いて、俺は教室を後にした。
ーーー
保健室の前に着くと、扉を軽くノックして中へ入った。
室内では、書類を片手にくつろいでいた男が、こちらに視線を向ける。
「ん〜? あれ、聖明くんじゃん。また倒れたの〜?」
飄々とした声。名はクロ。
聖明と同じ堕天使で、赤い瞳が印象的な保健医だ。
「クロ、こいつ頼む」
そう告げると、聖明は眉をひそめたまま、無言でベッドに向かう。
「うるさい……」
「はいはい〜、言いたい盛りだねぇ。ほら、横になって〜」
クロが手慣れた様子でシーツを整えると、聖明は素直に横たわった。
普段は何かと口を挟むくせに、体調が悪いときだけは従順だ。
「ノッポくん、ありがとね〜。ほんと、君も大変だねぇ。あの子、無理しすぎだからさ〜」
「俺に言われてもな」
肩をすくめて保健室を後にする。
廊下に出た瞬間、ふっと息をついた。
……どうして俺は、こんなに世話を焼いているんだろう。
いや、本当はわかっている。
あのとき見た笑顔が、頭から離れないだけだ。
気を紛らわせるように、教室へ足を向ける。
すでに授業は終わっており、にぎやかな声が飛び交っていた。
「セレスくん、おかえり。紅くん、大丈夫だった?」
「保健室で休ませた。少し顔色が悪かっただけだ」
「そっか、良かった〜。そういえば最近、聖明くんちょっと雰囲気変わったよね〜」
その一言を皮切りに、女子たちの視線が集まり、話題が広がる。
「この前、中庭で猫と戯れてたの見た〜。すごく優しい顔してた!」
「仕草も色っぽいよね。前より話しかけやすくなった感じ!」
「隙があるっていうか……可愛いって思っちゃう」
笑い声は悪意のないものだとわかっている。
それでも、胸の奥がざわつく。
……何を言ってるんだ、こいつら。
見た目や雰囲気だけで、あいつをわかったように語るな。
黙って席へ戻ろうとすると、近くの男子が声をかけてきた。
「大変だったな。女子もああいう話好きだよな」
「ああ」
「でも最近ほんと変わったよな。前はもっと近寄りがたい感じだったけど、今は男子からも話しかけやすいって評判だぜ」
「……」
「ちょっと妖艶っていうか……惹かれる感じ。放っておけない空気あるよな」
その言葉に、苛立ちがじわりと広がる。
……妖艶? 放っておけない?
あいつがどれだけの努力と葛藤を経て、今の姿にたどり着いたかも知らずに。
悔しさと苦しさが入り混じった感情を押し込み、視線をそらす。
──授業が終わったら、迎えに行こう。
そう決めて、背もたれに体を預けた。
ーーー
業後、足早に保健室へ向かう。だが、そこに聖明の姿はなかった。
「ん〜? あ〜エクソシストのおねーさんが用事あるとかで連れ出してたよ〜」
相変わらず気の抜けた口調の保健医が、いつものように適当に返す。
「……何いってんだ、あいつは。もう少し気にかけとけよ!」
苛立ちを押さえきれず、俺はすぐに聖明を探しに出た。胸の奥で嫌な予感が膨らむ。
人目の少ない場所を順に当たりながら、足音を速める。
やがて、あまり使われていない旧校舎の一角で、人の気配を感じた。
近付くと、扉の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。
──男女が絡み合うような、熱を帯びた声。
「学校で何盛ってんだよ……!」
眉間に皺を寄せ、苛立ちが込み上げる。
だがその時、声の中に混じって、聞き慣れたものを聞いた。
──聖明の声だ。
甘ったるく、相手を誘うような響き。あいつがそんなことを言うなんて──。
怒りと不快感で沸き立つ胸を抑え込みながら、飛び込む機会を伺う。
やがて音が止まり、中からは何食わぬ顔のエクソシストの女性が出てきた。
彼女の姿が廊下の奥に消えるのを確認し、扉を開く。
「何、学校で盛ってんだ! 病人がやることじゃないだろ!」
怒鳴るように言った俺に、聖明は驚いたように振り向いた。
「あ……セレス……」
その姿に、言葉を失う。
机に腰かけた聖明は、制服の上着こそ着ているものの、胸元は大きく開き、肩出しハイネックのファスナーは半ばまで下ろされ、そこから覗く肌が汗で艶やかに光っていた。
長い黒髪はところどころ頬に張り付き、ふわりと乱れて肩を滑り落ちる。
潤んだ赤い瞳がこちらを見上げ、吐息が熱を帯びて唇から零れる。
──人を惹きつける姿だ。
けれど、これは絶対に人に見せるべきじゃない。
思わず、自分のカーディガンを脱いで掛けた。
布越しに伝わる体温が、逆に動揺を増幅させる。
「お前、本当に何やってるんだ……!」
怒りと戸惑いが混じった声が出る。
だが聖明は、飄々とした笑みを浮かべ、あっけらかんと言った。
「え、楽しいことしてた」
その無邪気すぎる返答に、堪えていた苛立ちが一気に膨れ上がる。
「…お前、いつもこんなことしてるのか?」
「求められたから」
「は?」
「頼まれたからしてるだけだよ」
感情のこもらない口調。
「いつからだ? どうしてそんなことを……」
静かに、淡々と、聖明は語る。
「2年前だっけかな……犯罪に巻き込まれて襲われたんだ。
それがきっかけかはわからないけど、度々襲われるようになった。
堕天使実験の科学者や、堕天使に嫌悪を持つ人たち、権力絡みで欲しがる人とか……色々」
ふっと笑みを浮かべ、さらに続ける。
「どうせ襲われるなら、主導権を握って利用すればいい。情報と引き換えに身体を差し出す。駒も得られる。……ほら、合理的だ」
それはあまりにも狂気じみた思考だった。
「どうやら、私の容姿は使えるらしい」
その微笑みは、冷たく歪んでいた。
唇だけが形を作るのに、そこには一片の温度もない。
笑っているのに──いや、笑顔という形をしているだけで、そこに宿っているはずの感情はどこにもない。
まるで、感情を模倣するだけの人形。
聖明の淡々とした語りが終わった瞬間、胸の奥で何かが切れる音がした。
「……お前、本気で言ってるのか?」
拳を握ったまま、その場から足が動かない。
怒りなのか、悲しみなのか、それとも別の何かなのか、自分でもわからない。
ただ、胸の奥がぐちゃぐちゃにかき乱される。
「何で……何で、自分をそんな風に扱えるんだ!?」
問い詰める声が、ほとんど叫びに近くなっていた。
聖明は一瞬だけ、きょとんとした表情を見せた。
その仕草すら、妙に無防備で、苛立ちと哀しみを同時に煽る。
「……求められるから。利用価値があるなら、それを使わない手はないだろ?
利用できるなら誰とでも寝るよ。私にとってはそれが一番効率が良い」
淡々と吐き出された言葉が、冷水のように胸に落ちる。
「そうじゃない……! そういう話をしてるんじゃない!
何で自分を大事にしないか聞いてるんだ!」
気づけば声を荒らげていた。
廊下に反響するその声に、自分でも驚く。
聖明の表情が、わずかに止まった。
けれど、すぐにあの貼りついた笑みが戻る。
「……大事にする必要なんて、あるか?」
胸を締めつける一言だった。
それがどれほど自分自身を否定する言葉か、本人は気付いていないのか。
あるいは、気付いていてなお、その選択をしているのか。
「……聖明、服を直せ。こんな格好で出歩くな」
それ以上は言葉にならなかった。
「あ、そうだね」
軽い声とともに、聖明は乱れた制服の上着を整え、半ば開いていたファスナーをゆっくり引き上げる。
その仕草まで、やけに無防備で、挑発的ですらあった。
──俺は、何も知らなかった。
勝手に理解した気になっていただけだ。
ほんの少し距離が縮まったと思っていたのも、結局は自分の幻想だったのかもしれない。
「……聖明、お前は……」
言葉が続かない。
机から立ち上がり、背を向ける彼の姿を見ながら、ただ胸の奥が重く沈んでいく。
この先、こいつと向き合えるのか──。
答えは出ないまま、俺は一人、旧校舎を後にした。
◇
扉が閉まる音が遠ざかる。
その気配が完全に消えるまで、机に腰をかけたままじっと息を整えた。
「……ああ、また怒らせた」
口の端に浮かべた笑みは、もうとっくに形だけのものになっている。
さっきまで胸を覆っていたカーディガンの温もりが、まだ肌に残っていた。
思わずそれをぎゅっと抱きしめる。
──優しいな、あいつは。
その優しさに触れるたび、胸の奥で何かが軋む。
望んで得たわけじゃないものに、これ以上期待してはいけない。
期待すれば、いつかまた壊れる。
「……大事に、ね」
ぽつりとこぼれた声は、静かに空気へ溶けていった。
あの問いかけが、なぜか頭から離れない。
ーーー
感情を整理できないまま家に帰り、制服のままベッドに倒れ込む。
脳裏には、あの赤い瞳が焼きついたままだ。
──笑っていた。
壊れた玩具みたいに、意味も温度もない笑顔で。
こんなに感情を掻き回されたのは、父が──大魔導師の器だと知ったとき以来だ。
いや、それ以上に困惑しているかもしれない。
胸の奥がざわつき、息が詰まりそうになる。
深く吐き出した溜息は、やけに重かった。
……それでも、このまま放っておく気にはなれない。
そんな思いを巡らせていると、勢いよく部屋のドアが開いた。
反射的に飛び起きる。
「!?」
「よおおおお! セレス! 学校行きそびれちまった!」
まさかの龍。
当たり前のように家に不法侵入してくるとは誰が予想しただろうか。
「お前、鍵はどうした?」
治安のいい場所じゃない。戸締まりには気をつけている。
「天才にかかれば鍵などないに等しい!」
両手にピッキングツールを持って見せびらかす龍の脳天に、苛立ちもあって拳を落とす。
「いでえええっ!」
「せめてインターホンぐらい押せ、この野郎」
「俺達の仲じゃん♡」
もう一発いこうかと右手を握り直すと、慌てて両手を上げた。
「ウソウソ! ごめんごめん! ……て? セレス、どうした?」
普段は騒がしいくせに、こういう時だけはよく察する。
「いつもに増して眉間の皺がひでぇぞ。何かあった?」
ムカついて、もう一発殴る。
「いってええ! 何だよもう! 殴るくらいなら話せよ!」
「別に話すことは……」
言いかけて、口をつぐむ。
──そうだ。こいつは聖明の幼馴染だ。
『2年前、犯罪に巻き込まれて襲われたんだ』
あの言葉が脳裏をよぎる。
もしかしたら、あいつがあんなふうになった理由を知っているかもしれない。
「……龍、2年前に聖明に何があった?」
龍は目を見開き、少し沈黙してから頭をかく。
「んー……あれかぁ。誰から聞いた?」
「本人からだ。話していたら、そんなことを零した」
龍は深く唸ったあと、視線を落とす。
「あの馬鹿、何で口にしちゃうかな……まぁいいや。でも前もって言うけど、気分いい話じゃないぞ」
「わかってる」
俺はベッドに座り直し、龍は床に腰を下ろして話し始めた。
「2年前、聖明は拉致監禁された。しかも3日間。犯人はエクソシストの女だった。一目惚れしたとか、くだらない理由でな。
……救出された時は酷い状態で、性的な暴力を受けてたらしい。詳細は聞かないでくれ。俺も思い出したくねぇ」
胸が締め付けられる。
自分の中の何かが軋む音がした。無力さの音だ。
「救出されたあとも地獄だった。誰とも話せず、触れられず、飯も眠りも拒否。手が触れただけで錯乱して過呼吸で倒れたこともあった。でも、ある日突然“普通”に戻ったんだ」
「普通……?」
「そう、何事もなかったみたいに。あれは……正直、怖かった」
もしもっと早く気づけていたら。
無意味な後悔が頭を離れない。
「それからあいつ、変わった。襲ってきたやつは容赦なく殺すし、目的のためなら誰でも使い捨てる。非道な判断に迷いがねぇ。でも……最近は少し丸くなったかな」
その話を噛み締めながら、俺は迷う。
知ったところで、俺に何ができる? ただの他人に過ぎない。
そんな迷いを見透かしたように、龍が笑った。
「俺さ、セレスに感謝してんだよ」
「は?」
「聖明にズケズケ物を言うやつなんていなかった。俺でも踏み込めねぇことを、お前は平気で言う。あいつ、ペース崩されてさ……少し変わった気がするんだよ。お前といる時、楽しそうなんだ」
聖明の仕草が脳裏をかすめる。
偽りの笑顔、闇の奥で見た鋭い眼光、弱々しくも必死に立ち向かう背中、妹を守るための愚かしいまでの献身──そして、一度だけ見せた屈託のない笑顔。
もうとっくに巻き込まれている。
あいつの言動に一喜一憂して、目で追って、日常の一部になってしまった。
今さら躊躇う意味なんてない。
「龍、当時の事件の資料……揃えられるか?」
龍はにやりと笑う。
「あったぼーよ。これでも国のトップに近ぇ男だぞ。権力は使える時に使わなきゃな」
「……頼む」
「資料は明日までに。聖明にバレたら面倒だからな」
──あいつと、俺なりに向き合ってみるか。
ーーー
pixiv版より全体的な修正及びに文面を追加しております。




