07 彼は大丈夫です
「調子はいかがです」
「おかげさまで、無事であります。医師によれば、傷口がふさがっても、いささかひきつれることがあるかもしれないとのことですが、動かなくなるかもしれなかったことを思えば、どうということもない」
「それは何より」
「薬の効く内は痛みも覚えません。術師殿がすぐさま医者にと言ってくださったおかげです」
「上手に刃を引き抜いた、タイオス殿の功績かと」
サングはにこりともせずにそう言って、視線を伯爵に移した。
「閣下。そのタイオス殿から伝言です」
「聞こう」
キルヴンは、それ以上サングの素性について確認を取ることなく、うなずくとすぐさま話を促した。
「リダール殿は、〈青竜の騎士〉に何をそそのかされたものか判りませんが、タイオス殿を騙して館の外に出たようです」
「ううむ」
少年の父親は渋面を作った。
「そのようなことではないかと推測していた。しかし事実か。何故、そのような真似を……」
「あの、それで」
主人と客人の間に口を挟むなど普段のハシンであればやらないことだ。だが「坊ちゃま」のことが気になって仕方ない彼は、そっと声を出した。
「彼らは、いまどちらに」
「リダール殿を乗せた馬車は、カル・ディアを出てリゼンへ向かっているところです。タイオス殿はそれを追っています」
「カル・ディアを」
「出たと」
彼らは驚きと危惧を表情に上せた。
「タイオスは何を言ってきた。助力が要るか。要るはずだな。よし、すぐに兵を送ろう」
即断してキルヴンは、パンと手を叩いた。
「お待ちを」
魔術師は片手を上げて、腰を浮かせた伯爵を制した。
「戦士殿は、それを望んではいません」
「何」
「不要とは言いませんでしたが、私が依頼されたのは、概要を閣下にお伝えすることのみ」
サングの言葉に、キルヴンは顔をしかめた。
「伝えさせたのは、助力を望むからであろう。もとより、我が息子のためだ。助け手を送る。ハシン」
伯爵は少しだけ考え、よしとひとつうなずいた。
「シューとクルダルがよい。すぐ、彼らに支度をさせよ」
「はい、承知いたしました」
使用人は礼をして下がった。それを見送った魔術師は肩をすくめる。
「わたくしの意見を述べさせていただけるのでしたら、閣下」
「何だ」
「おやめになった方がよろしいかと」
それがサングの意見だった。キルヴンは判らないと首を振る。
「何故だ」
「出立させれば、彼らは死にます」
淡々と、サングは言った。キルヴンは口を開けた。
「怖ろしいことを言う。魔術師というのはみな、そうか」
「予言という訳では、ありません。私に未来を読む力はない。ですから、これはただの予測です」
「根拠は何だ。『街道は危ないから』などと言うのではあるまいな」
「そのようなことは申しません。リダール殿を連れた連中は、人殺しを躊躇わないというだけ」
「我が館の兵士が、腰抜けだと申すか?」
「いえ、そのようなことは」
「しかし、そなたが言うのはそういうことだ、術師。彼らの任務は危険に立ち向かうことであり、それを避けることではない」
「無闇に立ち向かう必要もないはずです」
諭すようにサングは言う。
「連中は危険な術を使う。閣下は、酷い海嵐が起きているところへ、わざわざ船を出すのですか」
「そうせざるを得なければ、そうすべきだろう」
「人死にが出るだけで、益はないとしても?」
「益があるかどうかは、船を出してみなければ判るまい」
「よろしい。閣下はそうお考えになる。しかし、港のありとあらゆる漁師が、この嵐を乗り切れる船乗りはいないと言い切れば?」
彼らはたとえ話を続けた。
「専門職の見識に、素人の気合いだけで挑まれますか?」
やめた方がいい、とサングは首を振った。
「無駄死にです」
「判るようではあるが……」
伯爵は躊躇った。
「しかし、言うなればタイオスは、ひとりで船出をしている訳だろう」
「彼は大丈夫です」
あっさりとサングは言った。
「〈峠〉の神の加護がある」
「……魔術師の台詞とは思えんな」
胡乱そうにキルヴンは眉をひそめた。
「魔術師だからと言って、神の御業を全て否定して回る訳ではありません」
むしろ、と彼は続けた。
「キルヴン閣下は、お判りなのではないですか。二代に渡る〈白鷲〉と交流をお持ちになった方だ」
「む」
「おそらく、閣下は」
サングは少しだけ、間を置いた。
「――シリンドル人ではないにもかかわらず〈峠〉の神を信じてしまうほどの、神秘的な事象をご存知なのでは」
「それは」
キルヴンはうなった。
「ないとは、言えん」
「やはり」
知ったようにサングはうなずいた。
「それは、どのような?」
やってきた質問に、キルヴンは片眉を上げた。
「それを語ることが、息子の危機を救う足しになるのか?」
「どうでしょうか」
「ええい、曖昧な返事を」
伯爵は苛ついたように手を振った。
「もう、よい」
彼は言った。
「伝言には感謝する、魔術師。礼金が必要か」
「いえ、報酬は協会から得ています」
答えてからサングは首をかしげた。
「まるで、追い払おうとするかのよう」
ゆっくりと伯爵を見て、サングは続けた。
「〈峠〉の神の奇跡。それは、私に……それとも魔術師に言いたくないこと、なのですか」
「少なくとも、いまの状況には関わりがない」
きっぱりとキルヴンは言った。
「そうであろう?」
「どうやら、そう答えざるを得ないようです」
魔術師は認めた。
「ならば、やはり語る必要はないな」
「致し方ない」
サングはうなずいた。
「いまのは、私の個人的な興味です。ですが、心に納めておくべきところでした」
謝罪の仕草をして彼は続けた。
「いずれ、そのお話を伺いにきてもよろしいものでしょうか」
「それは、サング術師、そなたのこれからの協力による」
キルヴンは両腕を組んだ。
「関係のない横道に反れず、語るべきことを語り、術が必要であればそれを振るうなど、方法はいくらでもあろう」
「さすが、お上手です」
いくらかわざとらしい追従にも聞こえる調子で、サングはうなずいた。