第四十三話『血路』
ギュスターヴが帰還する数時間前に遡る。
人間とは慣れる生き物である。
どれほど危険で恐ろしい状況であろうとも、繰り返せば慣れる。
「ありゃ」
火蜥蜴の氏族の里から岩塩を積み込み、首都ガランシューへと帰還する途中で、右後方のサブスラスターが突如謎の爆発を起こしたにも関わらず、ギュスターヴは実に冷静な声で呟いた。
元連合の騎士ギュスターヴは二つ名を持つ。胴体着陸の達人だ。
果たしてこれは名誉であるのだろうか、不名誉であるのだろうか、考え込むことがある。飛翔船の操縦者として『よく墜落する』というのはまぎれもなく不名誉だ。しかし何度も墜落するような状況に陥りながらも生還しているのは凄いことだ。
ただまぁ……人生何度目かの命に関わる緊急事態であったにも関わらず、彼がまるで動揺の気配を見せなかったことは事実である。
慣れとは、恐ろしい。ギュスターヴは生死のかかった土壇場でさえ冷静に対処する。
「三番スラスターへのマナ供給ラインを閉鎖。他にまわす。レーダーに……敵影なし? いかんね、悪い風の根元が見えねぇ!」
ギュスターヴは背中が散りつき、操縦桿を握る手に感じる自分の緊張を悪い風と表現すると――即座に推力レバーを限界まで押し上げる。
この縦横無尽号は、連合はおろか大陸全土を見渡しても類を見ない超高速機。運動性は高くとも推進力で劣る魔女騎士が相手であろうとも無事逃げ切る自身があり……。
「どわっ?!」
……にも関わらず、今度は四番スラスターが爆発を起こした衝撃で、船体全体がシェイクされる。操縦席の拘束具が食い込む痛みを押し殺し、ギュスターヴは股の辺りに設置された――緊急脱出レバーの存在を確かめる。
今回は墜落といっても随分気楽なものだ。
何せこの操縦桿を引くだけで、座席が射出。そのあとパラシュートと呼ばれる魔力なしで地面へと軟着陸できる装置が内臓されている。今まで操縦桿を引き絞りながら無事船体を着陸させようと腐心する必要さえない。
幾度となく不時着を体験した男ギュスターヴが、いつもより気楽な気分でいるのも当然だろう。
『……おうおう。今回の獲物は随分と粘るなぁ』
だが――突如としてギュスターヴの耳朶にヘドロでも注がれたかのような、強烈な嫌悪を誘う男の声が響き渡った。
「なんだお前! 念話の類か?! なんの用だってんだ?!」
『いやいや。今まで大勢、男も女も、この光獣の邪視で燃やしてきたが、お前に少し興味を惹かれてな?』
「あ?」
くくく、と不気味で邪悪な意志が、こっちの心情を無視して一方的に送り込まれる不快感にギュスは顔を顰める。
『何せ、光獣は遠隔操縦。……前はせっかく魔女を焼き殺してやったのに、悲鳴が聞けなくて欲求不満なんだよ』
ギュスは自分の頭を軽く叩いて頭から気味の悪い声を振り払った。
「やべぇ。あれは真性の殺人狂だ」
他人が苦しみ、悲鳴を上げる様に愉悦を見出す邪悪な意志が、たっぷりと詰まっていた声。
ギュスターヴは緊急脱出レバーに頼らない事に決める。殺人に喜びを見出す外道が、果たして空中に打ち出された自分を殺さずに済ませるだろうか? 自分の命を使って試してみる気にはならない。
「それに……レーダーに映らず、訳も分からぬまま相手を焼き殺す攻撃。アレがシオンの言ってた『レーザーウェポン』って奴か!」
確かに話に聞くとおり、攻撃の予兆もなく、気づいた時には既に炎上している。群島諸国からの船が途絶えるのも無理もない。
そのまま彼が手を伸ばした先は、点火キーの下に備えられた……保護ガラスで覆われたボタンのスイッチだ。
……この縦横無尽号の限界性能はまだまだこんなものではない。スラスターの可動域を制限し、本来の出力を封じているのは、搭載した貨物の安全を守る為だ。
だが、命に代えるわけにはいかない。ギュスターヴは腹を括り、そのガラスに覆われたカバーを殴って粉砕しスイッチを押す。
「縦横無尽号、V-MAXマニューバ!!」
その瞬間、大気中のマナを吸引、制御された炎として噴出していた船のエンジンが先ほどにも増して巨大な噴射炎を吐き出した。
『なに? ……なんという加速だ。『あの方』がこの光獣を差し向けてまで破壊しようとするのも頷ける。
……ええい?! なんだ頭のおかしい軌道は! 邪視に捕らえることさえできん!!』
「いいこと、聞いたぜ?!」
全身が操縦シートに押し付けられるような強烈な加速Gの中、ギュスターヴは船に搭載されているスモーク弾を射出する。
あの謎の炎上が邪視によるものであるなら、攻撃の予兆が読めないのも当然。だが睨みつける事で燃やすというなら物影に隠れれば相手の攻撃を避ける事ができる。
咄嗟に張り巡らせた煙幕弾は空中に分厚い遮蔽物を生み、相手を燃やす視線から船体を覆い隠す。
『……やるやる。だが『あの方』からは確実に破壊を命じられている。此処で死ね』
「なにっ?!」
突如としてレーダーに三つ、光点が煌く。
それは飛翔船としては驚くほど小さく、また異様な速力でこちらに迫ってくる。
ギュスは操縦桿を捻りつつ、生き残ったサブスラスターで船を傾け、最大出力で旋回。敵攻撃を回避しようとした。だが……。
「追尾してきやがる?!」
『光獣の内臓兵器、マンティコアの尾針だ。滅多に見れるものではないぞ? 感動しながら木っ端微塵に散華せよ』
避け切れない――そう思った瞬間には至近距離で大爆発。ギュスターヴは船体を飛行させながら再度煙幕を発射し――運を天に任せて緊急脱出レバーを引いた。
ばすん、と爆発と共に天井の風防が吹き飛び、次の瞬間、彼の五体は空中へと放り出されていた。幸いなのかどうかは分からないが……敵の攻撃で広がる爆炎と煙が、相手の邪視から身を隠してくれたらしい。賭けに勝ったか? ギュスターヴは考えた。
ばさり、と広がる音と共に、まるで丸い傘のように広がったパラシュートが空気を掴んで落下速度を緩めていく。
「くそ……」
彼の視線の向こうでは、まるで空中を泳ぐ魚のように、尻から火を吹きながら突進する生体ミサイルが縦横無尽号へと殺到し、次々と爆発を起こす様が見えた。
自分がつい先ほどまで乗っていた愛機を見捨てなければならない無念を噛み締めながら、ギュスターヴはそのまま森の中へと降下していく。
ベイルアウトした荷物の中には愛剣と、救助が来るまでのサバイバルグッズも一セット収まっている。これで数日は凌がねば――そう思った矢先であった。
ギャアアアアアアアアアアァァァ!!
「……魔兵か」
ギュスターヴは、先ほどの声の主が、確実に生存者を抹殺するため刺客を放ったのだと悟った。
これは――逃げ切れない。自分はたった一人で、魔兵は10や20ではきかないだろう。敵が迫り来る。
助かるまい。遺体は残るまい。奴らは殺害した獲物の血肉を、一滴のこらず胃に納める。
死ぬ。
だが……ギュスターヴはむしろこのなりゆきに納得する思いだった。
半年前、自分は帝国の『地図』を破壊せんとする一団によって命を落とすところであった。しかしそれは、シオンという少年の横槍によって妨げられる。
きっと……何か偉大な存在が、あるいは情け深い死神が、メーコだけは助けて欲しいという自分の懇願を聞き届けて……半年間の間、死の運命の執行を待ってくれたのだろう。
死ぬなら、一人がいい。未だ15にも満たないメーコを巻き添えにして死ぬより、今の状況はずっと簡単に受け入れられるものだった。
剣を抜く。
「よし。わかった。俺はここで死ぬ。だがせめて一匹でも多く道連れにしてからだ!!」
ギエエエエエエエェエエェェェエ!!
奇怪な叫び声と主に次々と魔兵どもが森の影から姿を現してこちらへと殺到してくる。
怪力、俊敏、その他あらん限りの自己強化魔術を掛けて、怒涛の如く迫る魔兵へと切り込んだ。
鋭い爪が振り下ろされるのを、皮一枚の差で裂けつつ切っ先を口蓋にねじりこむ。そのまま横に動きながら口を切り飛ばし、勢い任せにもう一匹へと一太刀。
動く。とにかく動く。一秒でも長く留まれば四方八方より降り注ぐ斬殺の群れに殺されるだろう。
独楽の如く旋回して避け、回転に巻き込むように刃を叩き込み蹴り飛ばし、一匹に狙いを定めて閃電の踏み込みと共に首を裂く。
今俺は無事なのか、半瞬後には無事ですまないかもしれない。高ぶった精神は傷の痛みさえ騙しているかも知れず、もしかすると今の俺は臓腑を引きずる半死人かもしれない。もしかすると今の俺は切断されて宙に舞った首の、最後の思考のきらめきなのかもしれない。
殺到する命の危険に頭脳は要を成さず、ひたすら体に染み付いた剣技と本能に体を明け渡し血戦する。
「……お」
呻くような声が漏れ――ギュスターヴは僅かの間、意識を取り戻した。
魔兵どもが自分から距離を開けている。なぜ? そう思っていると……少し離れた位置から一匹、魔兵が姿を現した。
他の連中と違い、ぼろい外套を巻きつけるようにして、こちらを見ている。少し体格も大きめなので、こいつらの将なのかもしれない。
なら、最後の道連れはこいつか、ギュスターヴは服の切れ端を掴んで腕と剣を巻きつける。幾度斬ったか覚えてはいないが、血で歪んだ剣を握る腕の握力はあやしく、何かの衝撃で剣を取り落とすことを防ごうと、握った手を剣に固定したのだ。
さぁ、来い――そう思うギュスターヴに、予想だにしない声が掛けられた。
「無事か」
「……は?」
ギュスターヴは思わず間の抜けた声を上げる。
その……少しだけ毛色の違う魔兵は彼に近づくと、その殺傷以外に何もできそうにない鋭い爪を備えた腕から、確かに治療の魔術を掛けたのだ。
馬鹿な、それは常識を覆すことだった。
魔兵には知能はなく、共食いさえしながら生き延び、誰かを殺して食らうことしか知らない最悪の生物であるのだとそう思っていた。
だが、例外がいた。
その魔兵は確かな知性とこちらを気遣う様子を見せ……ギュスターヴの治療を済ませると……二つのダガーを取り出し、魔兵の群れを見据えた。
目に浮かぶその感情の色の、余りの深さは一言では言い表せない。
悲しみのようであり、その悲しみの向こう側に凄絶な憎悪の炎を燃やすようであり。
想像を絶する重荷を背負い続けた罪人のようでもあり、魂すら長い戦いにすり減らし疲労しきっているにも関わらず……なお両足に力を込めて戦う決意を込めた闘士でもあった。
「血路を開く。乗りたまえ」
「は?」
「早くだ」
その魔兵は四つんばいになると、背をギュスターヴに向ける。
どういう事だ。頭の中は混乱に満ちていたが……しかし逃がすまいと迫る敵の魔兵に尻を叩かれるようにギュスターヴは彼の背に乗った。どうせこのままでは死ぬ。ならば信じるほかなかった。
「ええいくそ、何がなんだか分からんがわかった!!」




