第二十六話『失われし記憶よ、よみがえれ!』
おかしい。
まるで僕はタイムスリップしたかのような気分だった。
昨日、告白を受けた三人に対して悩み苦しみ、その事をギュスに相談して――そこから以降の記憶がすっぽりと抜け落ちている。
「僕の部屋から女の匂いがかなりする感じだ。……どういう事なんだろう」
眉間に眉を寄せて呟くけど考えても仕方ない。
僕は自室の窓を開けて換気してからスヴェルナ商会へと出勤した。
「おい、聞いたか。やっと塩の値段が下がったぞ?」
「群島諸国からのルートは駄目って聞いたんだが、復興したのか?」
「いや、なんでも山地から岩塩が見つかったらしい……」
「なんにせよこれで一安心だ。塩味の効かないスープなんて物足りなかったからなぁ」
道を歩けば自然と人々の顔には明るさが取り戻されたかのようだ。
人々の心に不安を与えていた塩の高騰が収まったからだろう。僕のつくりあげた技術が人々を幸せにする役にたったのだ。これもまた、技術者にしか味わえない喜びだろう。
ま、それはともかく。
僕は昨日の失われた記憶を探るべく――スヴェルナ商会の倉庫で縦横無尽号の傍にいるギュスターヴを見つめて話しかけた。
ギュスターヴは僕を見て振り向いた。
「なぁギュス」
「おう」
「実は昨日の事は良く覚えてないんだけど。なぜか凄く恥ずかしいのと凄く嬉しいのという感覚しか残ってないんだ。お酒を飲んでいたわけでもないはずなのに記憶が失われてるんだよ」
「言葉に酔わされたって奴だな」
「ん?」
僕はまだ疑問を続けた。
「それと。僕の部屋からなんだか女の人の匂いがしたんだけど。部屋に誰か入れた覚えがないんだ。何か知らないかな?」
ギュスは少しだけ微笑むと、答えた。
「シオン、俺がお前に与えられる回答は一つだけだ」
「うん」
「……俺は、お前の童貞を保障できない」
「へぇ……………………………………………………
…………
…………
…………
…………
…………」
…………
…………
…………
…………
………………
…………
「まぁそれはともかく昨日カマスのラゴンがやってきてな」
「おい」
「連合を戦争状態に追い詰めかけた恐ろしい大商人だ。奴が今日ここにやって来る」
「そんな事はどうでもいい!!」
僕は叫んだ。
心からの叫びだった。
「シオン……お前、どうでもいいはないだろう。連合を追い詰めた、下手な魔獣よりも遙かに恐ろしい手合いが何をしに来るのか気にならねぇか?」
「それより優先するべきことがあるんだ! わかれよ!!!!!」
そ、そうだ! 僕がギュスの言うような関係になるのはあの三人しかいない、彼女たちなら……! い、いや、嫌だ! 昨日『○○○○』した可能性がある相手に『しましたか?』などと尋ねられるわけがない!!
さっきだって思考がフリーズして地の文さえ三点リーダーになったぐらいの衝撃だったんだぞ!!
くそう、動揺している……思わずメタ発言をしてしまうほどだった!
そんな僕の動揺など些細な事だといわんばかりに時間は平等に過ぎ去っていく。
ギュスが勝手に決めた取り決めの時間通りに、バラグーダのラゴンが姿を現した。
こっちは僕とギュス。そして経済的なことに明るいアドバイザーとしてカルサさんがバックアップについてくれる。
僕とラゴンはテーブルを挟んで向かい合い、握手を交わす。
肥満でだぶついた頬。福福しい笑みとは裏腹にその両目は強い理性と知性の光を感じさせた。
「初めまして、あたしがラゴンと申します。……噂には聞いてましたが、シオン先生。……随分お若いかたですなぁ」
「僕も貴方の事はバルロフ卿から聞いていました。いずれ僕の前に必ず現れるだろうという預言付きでね」
ラゴンはぺしり、と自分の頭を軽く叩くと舌を出して笑ってみせる。
「あたし自身はあの御仁の事は好きなぐらいなんですがねぇ。
ですが、さすがバルロフ卿はあたしの事を良くわかってらっしゃる」
「と、言うと?」
「あたしが、儲け話には目がないという事ですよ、先生」
おどけたような彼の仕草と言葉に、僕はちょっと困ったように笑った。
参ったな、と思う。僕の前世で戦闘機の事を説明する際に、何度年下で若輩の官僚に『~くん』『きみ』付けされたことか。
その方面のプロフェッショナルにきちんと敬意を表す言葉選びは――僕の前世の政治家よりも、この悪辣非道なはずの大商人に対して好感さえ抱かせた。
だからこそ、なおのこと『好感を抱いた』ことが恐ろしい。
この大商人の一手で、危うくも帝国と連合は再び血みどろの大戦争にさえ陥りかけたのだ。
平和よりも、人命よりも、なお金を重視する魔物であると見なければならない。
単純な戦闘よりも遙かに強い緊張と共に僕は椅子に腰掛けた。
「それで、本日は僕に何の御用でしょう」
「はい。単刀直入に申し上げましょう。あたしに雇われる気はございませんかねぇ?」
引き抜きか、僕は首を振る。
予想されていたことではあった。
今や僕はスヴェルナ商会の技術顧問みたいなことになっている。バルロフ卿からの無重力金属の特許料はじわじわと増え続けていて、先日は一月白金貨二枚に増えた。感覚としては毎月宝くじの一等賞に当選しているような収入だ。
「貴方は有能な商人だからもう掴んでいると思います。
僕を買収するのは実に大変ですよ?」
「確かに」
ラゴンは顎を撫でながら笑った。
人は金に困っているから道徳に外れたことだって実行する。前世で聞いたがスパイの選考条件には、買収されにくい人材を選ぶ物差しとして『借金がないこと』があげられるらしい。
そういう意味では僕は実に買収しにくい人種だろう。
毎月、生きていくのに十分すぎる大金を得ていて。仕事も私生活も充実。公爵家に伝手もある。流石にこれは掴めていないとは思うが……その気になればクラウディア皇女殿下とのコネクションだってある。
ラゴンは笑う。
「先生。あなたは有能な若者ですから、あたしがどういう人間かご存知でしょう」
「塩を法外な値段で売りつけ、連合を困窮させ、最終的には二カ国を戦争状態に陥れようとする、戦乱を望む死の商人」
「……は、ここまで歯に衣着せぬ人は初めてですなぁ」
僕は言葉を続ける。
「……そう、貴方の話を僕なりに纏めた結果、そこだけが読めない。
確かに戦争で軍需物資が高騰し、一時的に儲けが増えるという事はあるかもしれない。けれども商人にとってはやはり平和こそ一番安定して儲けることができる時期のはずなのに」
「……あたしがどうして戦争を引き起こそうとするか。それは流石に教えて差し上げられませんなぁ」
一瞬、ラゴンの顔に浮かんだ色。
僕の眼には恐怖によるものだと映った。
「本気でもう一度いいましょ。あたしはあんたを助けたいと思ってますんや。
あんたの作った飛行機械は遠目で拝見しましたが、並の発想で生み出されたものや無いのは分かります。アレは今後の商売を何倍にもやり易くするモンです。あんたの才能に惚れたんや、あたしの味方についてはもらえませんかねぇ」
「……正直、意外です」
僕は素直に答えた。
「貴方はもっと奸智に富んでいて、僕の退路全てを塞いでから選択を迫る類の男だと思ってました。
ずいぶんストレートな勧誘ですね」
ラゴンは舌を出して笑う。
「そらあたしも確実に行くんなら、えぐい手ぇ使いまっせ? ……せやが、あたしの情報網を駆使しても、どこにもあんさんの痕跡をかぎ当てることはできなんだんや。
過去も、生家も、何をしていたかもすべて不明。まるである日突然天から降ってきたみたいしか思えん。
なにもかも分からん相手を口説こうと思うんなら、もう本気で頼むしかあらへんやないですかねぇ」
天から降ってきた、と言われて僕は苦笑した。
正解だ、まさしく僕は天から降ってきたのだ。如何に優れた情報網を持っていようとも、僕の出生が暴かれることは絶対にないだろう。
ある意味適切なラゴンの言葉に、僕は少しだけ笑って答えた。
「僕個人としては、あなたの事は嫌いじゃない。
だが、貴方の手口で命を落としかけた人命がある。貴方の手口で大勢の幸せを火にくべる業火のような大戦が発生しかけた。
貴方の申し出は拒絶する」
カマスのラゴンは僕の言葉を聞き届けると、頷き立ち上がった。
「……あんさんに会えてようござった。
今回は残念でしたが、気が変わったら話を持ちかけてください」
「もし僕が貴方の元で働きたいと思ったなら。
それはあなたが、商売とは人々の幸せのために働く道である事を思い出した時だけでしょう」
「…………人のために働いて、働きぬいて、自分が不幸になるんでは意味がないでしょうに」
最後の一言は、本心のように響いた。
僕の言葉に、ラゴンは頭を下げ……交渉が不備に終わったにも関わらず、気落ちした様子を微塵も見せずにそのまま退席したのであった。
相手の申し出を断わったとはいえ、商人としてやってきた相手には礼を尽くすべき。
僕らはカマスのラゴンをスヴェルナ商会の社屋の外まで見送るために出ていった。
「ふ~。肩凝ったわぁ。とりあえずこれで一区切りやなぁ」
「俺達結局一言も発言する暇がなかったけどな。……ん、あの二人は」
がらがらと馬車が出発する音が遠のいていく。僕の後ろでカルサさんとギュスの二人の声が響いた。
そこで――ラゴンを乗せた馬車が去っていくのと入れ違いで、私服のレグルスさんとキスカさんの二人がやってくるのが見えた。
そういえば、冒険者としての武装をせぬ服装のお二人を見るのは初めてだ。二人は――あれ? 意外な事に、馬車で去っていくラゴンの姿に視線を向け、その表情には明らかな驚愕を浮かべていた。
僕が話しかけるまで動けなかったところから、知り合いだったのだろうか?
「レグルスさん、キスカさん。どうしたんですか?」
「え? あ、ああっ?! ごめんよ坊や、あたいちょっと意外な奴とすれ違ったもんでね」
キスカさんは未だ動揺から抜け切れていないようだったけども、いつもの陽気な笑顔を浮かべ、おどけたようにぺろりと舌を出して笑う。
僕は言葉を続けた。
「活性水の採取ミッションは無事終了したみたいですね。お疲れ様です。本日は何の御用で?」
恐らくキスカさんと同様に、カマスのラゴンを見た驚きに動揺しているのだろうが……レグルスさんが口を開いた。
「あ、ああ。……少し、君に商売の話を持ってきた。儲け話だ」
「儲け話! いい言葉やなぁ!!」
後ろで会話に耳を傾けていたカルサさんが謎の感動で体をじ~んと震わせている。
そんな彼女を無視して僕らはまた再び応接間のほうに逆戻りすることとなる。




