第九話『血路の道行』
「レグルスッ!」
「キスカ?! 無事だったか……」
レグルスは己の体を支える魔力の力場に支えられ、綿毛のようにゆっくりと降下する。そこにやってきたキスカに答えながら……いまさらながら、鎧の下のインナーをべっとりと塗らす冷や汗の量に気づいた。手の甲で頭の汗を拭う。
「……ああ。なんとか」
「良かった……今はワイバーンの眼が向こうに向いてる。脱出できるかも知れない」
キスカの言葉にレグルスは頷きながら、空を見上げた。
困惑は大きい。どうして飛翔甲冑を男性であるあの少年が操ることができるのか。
だが今は優先するべきことがある。
「あの魔女に今は任せるしかないよ」
「そうだな。……ああくそっ」
レグルスが忌まわしげな声を上げる。
……空中で十何匹ものワイバーンと交戦しているあの黒い魔女騎士を狙わず、逃げようとしていたレグルスとキスカたちのパーティーを狙って、何匹かのワイバーンが不吉な羽ばたきの音と共に迫ってくる。
「交戦準備!」
レグルス達の冒険者パーティーはワイバーンの群れから命からがら脱出した直後の安堵と……再び迫り来る生命の危機に膝を折りそうになったが、それでもなお生き足掻こうと武器をそれぞれに構える。
「ブレスが来るぞ、構えろ!」
口蓋に煌く炎の赤は、火炎放射の予兆。レグルスが盾を構え、後ろに控える魔術師たちが魔術障壁を張り巡らせようと構える。
だが……一匹のワイバーンが口蓋から火を噴こうとしたが……まるで燻ったような弱弱しい火勢しかでてこない。
その異常事態にワイバーン自身が困惑したような動きを見せた瞬間――空中から降り注ぐ白い弾丸の雨に打ちのめされる。
一撃、二撃、着弾と同時にワイバーンの体表に氷華が花開き、ワイバーンの生命を、心臓の鼓動を凍てつかせ、息の根を止めるかのごとく氷付けにしていく。
そして全身の龍鱗が霜に覆われ動きを止めると共に……ワイバーンはまるで氷細工のように粉みじんに砕け散った。
「皆さん、ご無事ですか?」
「あれは……白銀嶺?! 連合のフラッグ機がどうしてここに?」
キスカの驚愕の声に、仲間達も全員驚きの表情を見せた。
連合の魔女騎士達の中でも最強と称される飛翔甲冑が、どうしてこんなところにいるのか?
空中からゆっくりと降下する雪山のような純白一色の機体の美しさに目を奪われつつも、キスカが一歩前に進み出る。
「エクエス公爵令嬢様、救援はありがたい。ですけどもワイバーンを相手に我々を守りながらでは貴女も危険に晒しかねません……!」
「心配ありません――アレを」
エクエスがそう指差す先には――戦闘を避けた位置で八の字飛行を行う飛翔船がいる。
「あの船のいる場所を目指してください、あそこに行けば何とかなります、早く!!」
エクエスの急き立てる声と共に、彼女の飛翔甲冑は氷結装甲を形成。重装甲で知られる古代王国期の白銀嶺は堅牢無比の姿となり、一斉に襲い掛かってくるワイバーンを相手に戦闘を始める。
ワイバーンは空中へと飛翔、その高密度のマナの籠を得て次々とエクエスの白銀嶺へと追いかけ射殺す息吹の集中砲火を放った。
だが、通常の飛翔甲冑ならば一撃でも危険な攻撃も……稀代の重装甲を誇る彼女の愛機には全く通用しない。
シオン=クーカイのザスモーを見た時、エクエス=バルアミーは最初とても驚愕した。彼女の白銀嶺と同等のシールド出力を有しながらも、機動性能は隔絶したあの飛翔甲冑。
だが、白銀嶺はザスモーほどの機動性能はないが、強力なシステムを有している。
「わたしの白銀嶺の代名詞とも言える氷結結界は、ありとあらゆる火炎系統の魔術を阻害する効果を持ちます。ワイバーンのブレスは本来の威力を失っている」
ワイバーンの獣程度の知性にもはっきりとこれが変だと分かった。
彼らは王者だったはずだ。空中を飛び、他の魔獣を手に掛け、時折姿を現す、鉄を身に纏った人間であろうとも一撃で射殺すことのできる吐息を持っていたはずだった。
だが、体内で火炎を膨らませ、本能に刻まれた魔術式にマナを込めて敵に放とうとしても力が十全に震えない。
炎が小さい。体が寒い。奴のせいだ。無知であるが故の直感でワイバーンは正解を知り――翼から大気属性魔術の力を放出し、飛翔する。口蓋を開き、その鋭い牙で噛み殺そうと迫る。
その相手に、エクエスが答えた。
「ゆえに――わたしを仕留めるならその爪牙を用いるしかない。ですが」
言葉と共に、長大な銃身を持つ魔術銃が構えられる。
ブレス攻撃で動きを封じられた彼女に、数匹のワイバーンがその牙と爪で襲い掛かろうとするが、銃身より発される強烈な白銀の凍光が輝くたび、翼を射抜かれて羽ばたけなくなり、落下していくものが多数続出する。
ザスモーのものよりも更に巨大で、より遠くにまで威力を発するために作られた大型銃。シオンの前世の記憶からより似つかわしい形状のものを選ぶなら、対戦車ライフルが最も酷似していただろう。
彼女が、帝国との戦争で恐れられたのはその組み合わせだ。
普通の魔女騎士は飛翔の際、大気属性と熱属性:正を組み合わせた複合魔術『制御された爆発』を用いて飛翔する。
だが、白銀嶺の結界魔術の下では、熱属性に強力な干渉を受け――敵機は本来の出力の四割近くを制限された状況で空戦機動を行わねばならなくなる。
機動力を失った敵など、彼女にとっては鴨撃ちに等しくなる。
ましてや、魔女よりも機動性能に劣るワイバーンなど――目を瞑っていたところで必中させる自信が、エクエスにはあった。
「さぁ……季節はずれになりますが、ワイバーンの間引きの時間です!」
レグルス、そしてキスカたちは絶対絶命の窮地を、最強の航空戦力である魔女の心強い近接火力支援に守られながら、指定された場所を目指して走り続けていた。
不意に、パーティーの斥候が目ざとく接近する魔獣を見つける。
「キスカの姉御、右から新手! 追跡狼だ!」
「どうなってる……どうなってる?! まるでよく練られた殺しの編成じゃないさ! もしワイバーンから逃れていたとしても、こいつらに見つかったらダメだったわけだ!」
キスカが罵声めいた憤りの声を上げるのも無理はない。
追跡狼は、これもワイバーンと同様に古代王国期に生み出されたという説が根強い魔獣の一種だ。
野外で人間を確認すると、遠吠えで近隣の魔獣を招き寄せるような行動を行う。のみならず、魔獣の第一波を撃退成功しても、蛭のように付かず離れずの位置を維持して、何度も遠吠えを繰り返して魔獣を招きよせる。
野生の歩哨、魔獣の先触れと呼ばれる、戦闘力はともかく敵を招き寄せる性質から、最警戒の魔獣として知られる奴だ。
こんな場所に生息しているなど聞いた事もない――だが、驚きはあっても一流の冒険者チームである彼らは対処を迷うことはない。
仲間の射手が即座に矢をつがえて、弓をキリキリ……と引き絞る。
連携の取れたキスカとチームの魔術師が共に必中の加護を付与。放たれた矢は一直線に木々の隙間を縫い、追跡狼の眉間へと、どすり、と突き刺さった。
「数が多い、みんなっ!」
だが――後方に控えていたと思しき追跡狼が姿を現した時、その数に射手は焦りの声を上げる。
奴らは、レグルスたち冒険者パーティーの最大射程距離を今の一撃で察した。
先ほどまでの射程外にいたから大丈夫――などという油断はない。魔獣特有の俊敏な動きで狙いを付けられないように警戒しながら、アオオオオォォォォ~~~……と魔獣を呼び寄せる不吉な遠吠えの声をあげる。
レグルスはこの森の殺意の高さに舌打ちをもらす。
「どうもいかんな。この一帯全てが罠臭い」
「あたいも同感だけど、後のこたぁ生き残ってから考えるよ!」
その時だった。風が一陣吹きぬけたと思った瞬間、頭上をあの奇怪な飛翔船が駆け抜けていく。
飛翔に伴う轟音と共に、木々がざわめき強風が頬を撫でる。
瞬間、空を飛ぶ船から人影が飛び降りてくる――それも、落下制御の魔術を使った様子もなく、そのまま生身で、だ。
危ない! 声が彼ら冒険者達の喉奥からあふれ出ようとした時、その人影は手を伸ばし、枝を掴み、その枝のしなりで減速。一本がへし折れる寸前に手を離し、爪先でもう一つの枝に体重を預け、墜落死するような落下の勢いを木々に預けて減速し――地面へと落ちると共に足を折りたたむようにしながら地面を二度三度転がる。
両足が跳ね上がり、独楽のように回転しながら起き上がった瞬間、間合いの中にいた追跡狼を纏めて二体斬り飛ばした。
頭から被った獣の皮とその両手に携える刀光きらめく剣鉈と手斧。柔らかな体つきとは裏腹に張り詰めた空気の狩猟民族の姿がそこにはあった。
「高地人?!」
「や?! これは奇遇なとこで出会うもんだねぇ、ルコッチャちゃんじゃないかい」
「あれ? ……もしかして。キスカさんと、レグルスさん?」
レグルスとキスカの二人は、彼女と知り合いだった。
活性水の回収ミッションを冒険者ギルトで受けた彼らは、深い山頂付近へと足を踏み入れる前に、彼ら高地人の里で一夜の宿を借りたり、食料品を買い付けたりするうちに住人とも知り合いになっている。
中でもルコッチャは、彼らの中でも一番の腕利きで何度もガイドとして雇い入れたことがある。
思わぬところで知人と出会い、ルコッチャがその長身とは不釣合いな童顔に驚きを浮かべたのは一瞬のこと。
彼女が両手に携える剣鉈と手斧の動きは止まるどころかますます勢いを増して魔獣たちの死を量産する。
自由に暴れさせては危険と判断した追跡狼の判断は正しかった。俊敏極まる動きで四方八方へと撹乱し、牙を剥いてその女らしい柔らかな肉に歯を突き立てようと飛びかかる。
だが、ルコッチャの反応は迅速無比。剣鉈を片手に持つと、噛み付きを横に避けつつ、頭へと刺突で一撃。魔獣の頑丈な体毛を貫き、頭蓋を砕いた。
……魔獣の毛皮はなるべく傷をつけないほうが高く買い取ってもらえるという生活の知恵から生まれた……必要最小限の一手。
続けて踏み込んでくる魔獣に対し、彼女は激しく動く。人間同士の戦いを想定した武術ではない。人対人外を想定して生み出された狩人の動きは、大雑把な間合いの把握と共に相手の爪牙から身をかわし、手斧を鋭く凄まじい剛力で打ち込んでいく。
一匹を貫いた刃が、痙攣する魔獣の骨肉に喰い締められ、引き抜けない。
「刀身延長」
小さな囁きと共にルコッチャの魔術が発動する。ナイフのようなサイズの剣鉈が光を帯びて刀身を延長――その伸びた刀身と共に、みしり、と筋骨を唸らせた。好機と襲い掛かる魔獣を迎え撃つのは、長大な力場の刀身と、ルコッチャの恵まれた長身に見合った凄まじい剛力。
突き刺した獲物ごと振り回して斬り飛ばし、相手をもろともに一刀両断にしながら、風車のように剣鉈がきらめく。
殺戮の車輪、刃光の風車。獣の遺骸を頭に被り、舞い踊るかのように攻撃を避け、一閃ごとに血泥に沈めていく。
だが、ルコッチャは顔に嫌悪と困惑を浮かべて叫んだ。
「やっぱ、り、いつもより変! こんなに仲間殺されてまだ逃げな、い、とっても変!!」」
「概ね同意さねっ!!」
魔術による爆炎で、新手の魔獣――体の前面を岩石めいた生体装甲で覆った猪が突進してくる――を吹き飛ばしながらキスカがルコッチャの言葉に頷く。レグルスも大盾で魔獣の突進を阻みながら戦い続けていた。
彼らも熟練のパーティー。ワイバーンのような危険な代物ならともなく、普通の魔獣なら十分に対処できる自身があった。
「しかし、あの船に向かっても……」
満身創痍で疲れ果てた仲間の心を支えているのは、エクエスに指示された場所へと到着すれば、助かるという見込み。
だがレグルスはパーティーリーダーという責任感から周辺の地理の把握も誠実に勤めていた。指示された位置には、飛翔船が離着陸可能な湖などどこにもないという事を。
それを知りつつも口に出さなかったのは、事実を知れば仲間達の肉体を支える、生還への希望が断たれてしまうからだ。
そして、ようやく上から見えた飛翔船の位置へと近づけば……僅かに開けた場所の空中に……今まで見たこともない船が、空中に……あった。
ふわふわと、空中に浮いていた。




