第三話『キケンのケハイ!(下)』
「大丈夫だった? 怪我はない?」
「え?」
彼女は一瞬何のことか分からない様子で左を見て、右を見て、そして誰もいないことを確かめると戸惑い気味に自分を指差した。
なんだそのリアクションは。
「ああ、あの。わ、わたしに言ってるの?」
「お姉さん以外誰がいるというのだ……」
「だ、だってそ、その、心配されるの初めて……」
彼女は照れくさそうに俯くと、自分の指をもじもじと絡めあわせている。
どうして声を掛けただけで、心配されたことが意外そうな反応を見せるのだ……。何か周囲に虐げられでもしてるのかしらん?
むむむ。僕は心の中で唸った。自分が心配されていることを意外だと感じるとは。高地人は仲間意識が薄いのだろうか。
ならば、と僕は思った。前世と今生を加えれば90歳間近になる人生の年長者として、心配された経験の少ない子供には優しく接してあげねば。
「……あの、この町の子です、か? あの女の人の妹さんですか?」
「……この町に住む男の子だ!」
がるるる、と僕はうなり声をあげて性別の勘違いを否定する。
「ご、ごめんなさいっ! あんまり綺麗な顔してたから……と、ところで、ちょ、長男? 家を継ぐ?」
「??? いや、そもそも継ぐべき家とかは持たないけど」
エクエスを示して答える。
高地人の彼女、僕の声に向き直るとちょっと驚いた様子。僕のような背の低い小柄な男が気遣いの言葉を掛けたのが意外だったのか。うぐぐ、早く身長198センチ、体重120キロオーバーのマッチョになりたい。
そんな僕の返答に彼女は軽く頭をさげて自己紹介する。一緒にフードに縫い付けられたキツネ耳が揺れた。何か意味のある装飾なのかな? あのキツネ耳。
「その、火蜥蜴の氏族のルコッチャと言います」
「初めまして。シオン=クーカイです。連合首都のガランシューにようこそ。この町にはなんの目的で? 観光ならグラナダ湖に離着陸する飛翔船の姿とかがお勧めだよ」
僕の返答は正直な話、最初この町にやってきた時メーコちゃんに教えてもらった事を丸写しした回答だ。
とはいえ飛翔船の改良が楽しくて観光なんかする気になれなかったからなぁ……。
「あ。あの……こ、婚活準備に来まし、た」
「ああ、婚活。……そ、そうか、婚活か」
……あまりにも意外な言葉ではあったけど、僕は適当に相槌を打って誤魔化す事にする。
こ、婚活ねぇ。僕は内心ちょっと意外であったりする。僕の前世と違ってこの世界で独身でいるという事は難しい。人の数を増やす事は共同体にとって重要な事だし、もし良い人が見つからないなら、親戚に一人はいる仲人を生き甲斐にするようなおじさんおばさんが縁談を取りまとめることがほとんどだ。
そんな世界で……婚活しなければ結婚できないという事態に、なんだか一瞬もとの世界に戻ったような錯覚さえ覚える。
考え込んでいた僕だったが、火蜥蜴氏族のルコッチャは僕をじっと、穴が開くかのように見つめてきた。おずおずと唇を開く。
「あ。あの。……抱き締めて、いい?」
「ん?」
僕は反射的に『なんで?』と尋ね返しそうになった。
だが……僕は、ルコッチャの震える唇や足の指先に気づいて言葉を呑む。心の中に湧き上がったのは憐憫だった。
確かに彼女の力量は……先ほどの男達を上回っていたかもしれない。しかし、他人から刃物を向けられることへの恐怖というものは、簡単に慣れるものではない。
顔は赤らみ、呼吸は荒い。今になって緊張と興奮に襲われているのだろう。
エクエスや僕は見誤っていた。高地人のルコッチャは確かにならずものを圧倒する力量を持っていた。それに相応しい強靭な精神を持っていると勘違いした。だが本当は……刃を向けられ、相手に弱みを見せまいと懸命に虚勢を張っていただけなのだ。
だとすれば、大人の男を自認する僕としては優しく包み込んであげなくては。僕は頷いた。
「ああ。……いいよ」
「すごい。都会凄い……! 生まれて初めて見る凄くきれいな男の子にハグさせてって言ったら、即OKキタ!! 都会の男の子、進んでる、都会凄い!」
今何か凄い勢いで全てを台無しにする台詞が聞こえたような気がしたが気のせいだろう。
顔を真っ赤に、指先を(興奮で)震わせながら僕ににじり寄るルコッチャ。僕を見る目つきになんだかよこしまな光がぎらついているような気がするが、そんなわけないよね?
約束は約束なので、さぁどうぞ、と手を広げて大人しくハグされた。
前世でのおぼろげな記憶で母がそうしてくれたように、今生でモモがそうしてくれたように、僕はルコッチャの背中に手を回し、心を落ち着かせるように彼女の背を優しくさすってやる。
「はううっ……こんなきれいな男の子に密着してる……!」
しかしなぜだか横から聞こえる声は、落ち着きを取り戻すどころかどんどんと落ち着きを失っていくかのようだった。なんでだよ。
押し付けられる胸の感触に対して心の中で般若心経を唱えることで冷静さを保った僕は、そこでようやく身を離した。
僕はちょっと黙った。彼女の顔が触れていた僕の服からなんか涎が引っ付いて彼女の唇へと糸を引いてる。どういうことなの……?
「落ち着いた?」
「もっとぉ……」
「……だ、大丈夫か」
なんだかこの高地人の女の子、見ていて不安になるな……。
ハンカチで彼女の涎をふきふきしながら見つめる。
「す、凄い……今だけで都会キタ甲斐あった。これでみんなに行き遅れ、言われても耐えられる」
「ルコッチャさん、だ、大丈夫?」
「で、でもちゃんと婚活成功させない、と!」
ちょっと強い口調で彼女は言った。
「い、一緒にきてください!」
「??? ……良いけど。どこへ」
意味が分からないけど僕はとりあえず頷く。確かに僕に抱きついていれば少しは落ち着きを取り戻すかと思ったが、彼女はますます落ち着きを無くす有様だ。
こんな僕でよければいくらでもハグするけど、そう思った僕の返答に……ルコッチャは目を大きく見開き、興奮しすぎた様子でフラフラとよろめき……案とか踏みとどまった。
「あの、だ、大丈夫?」
「ご。ごめんなさい。……こ、興奮しすぎてめまいが……」
そして大きく息を吸って吐いて、深呼吸すると……ルコッチャは、僕に近づく。
またハグかな? さぁおいで、と思いながら両手を広げて待っていたら……彼女は僕の腰を掴んで、ひょい、と肩に担ぎあげた。
「ん?」
「はぁはぁ……こんなかわいい子をお山に持って帰れば……も、文句なしの婚活せ、成功。待っててね。お姉ちゃんがきれいなお婿さんを持って帰るからね」
「おい」
そこに至って僕らはなんだか致命的な勘違いをしていた事に気づいた。
ルコッチャの顔がこう、大変はしたないことになっている。顔は赤らみ、口元からは涎を垂らしだらしない笑顔を浮かべている。顔立ちそれ自体は整っているのになんか残念な子だ。
しかし困ったぞ。僕がどれほど優れた体術を誇ろうと抱えあげられた状態では脱出できない。
ルコッチャは山野を駆ける動物をいなす術を心得ているのか、僕が暴れても平気で取り押さえて歩いていこうとする。
これじゃ僕はまるで山賊にさらわれる村娘役ではないか! 冗談じゃない!
「離せ!」
「え? や、いや」
ふるふると首を振るルコッチャに僕はうぬぬと呻いた。
そんな僕に救いの女神の声が!
「待ちなさい、そこの高地人の貴女」
「え?」
「え。ではありません。……貴女からも事情を伺いたいのですが?」
「あ、はい。……えっと、ごめん。待っててね? 後で迎えに来るね?」
ルコッチャはそう言うと、肩に担いだ僕を壊れ物でも扱うようにそっと地面に降ろした。僕が嫌がって勝手に帰るなど考えてもいない様子である。もちろん待つわけがない。
僕は大変胡散臭いものを見つめる目でルコッチャに視線をやる。……そうしていたら、エクエスが近づいてきた。
「ごめん、助かったよエクエス」
「……まぁ言いたい事は山ほどありますが、後回しです。シオン。……先ほどあのならず者から話を聞いたのですが」
「うん? 何かあった?」
エクエスは神妙な顔つきで頷いた。
「あの娘……一族の祭りに合わせて沢山の毛皮や希少な霊草をお金に換えに来たのですが……。
その中の一つに、大きな岩塩の塊があったそうなのです」




