第四話『お空を自由に飛びたいな。』
魔術。
律に則った力ある言葉によって、マナという力に形を、指向性を与えて奇跡としか思えない現象を発現する手段だ。
僕もそれを使えると知ってからはワクワクしていた。雷や炎を出したりするのは実に楽しそうなのだけども、それとは別にどうしても実現したいことがある。
それは、空を飛ぶ事。
前世では最後まで実現できなかった大空への憧れを、今度こそ実現できるとなれば興奮するのもわかってもらえるだろう。
さて。本日は魔術の教育の手始めとして、あるテストをするらしい。僕はこの空中庭園の中、モモが来るまでの間に指折り数えて予習に余念がなかった。
「確か全部の属性は熱。水。大気。大地。雷。生命。物理。……八つか。
よくファンタジーで聞く光の魔法は熱属性に分類される。
熱属性はもっともポピュラーで、正方向の熱属性が炎、負方向の熱属性が氷。
回復魔法は他者の水分に干渉し、再生を促すため水属性に分類される。
これらが全ての基礎の魔術であり、大抵はこれらの属性を複合させる事によってより威力と複雑さを増す。
火と大気を掛け合わせて、火炎嵐の魔術。水属性に、生命魔術の負の方向の作用である『腐食』を加えれば酸性雨とかそんな風に。
生命属性は肉体の再生や強化をつかさどる。そして水属性と特に親和性が高い。
特殊なのは物理属性の魔術で、これらは他の属性との親和性に欠けることが多い。……物理魔法は、要するに念動力。力場を操る属性だ。
力場で物質を軽くして輸送したり、指も触れずにものを持ち上げたりする力。魔術師があらゆる危険から身を守ることに使う魔術障壁の魔術もここに分類される。
そう、僕にとって一番大事な飛行魔術は、物理属性と大気属性の複合パターン……つまりそうだ。僕が生身で空を飛ぶにはまず熱心に物理属性と大気属性を会得する必要があるのだ……」
よしよし、と僕は頭の中の知識を思い起こしておく。
何の因果か死ぬはずだった僕がこうして蘇ったのだ。ならできる限り新しい人生を楽しもう。
本日は実際に魔術の試験を行う予定である。ここで完璧な成績を残して一刻も早く飛行魔術を習得するぞ!!
「……何か気合が入っている御様子ですね」
「もちろんさ、モモ! さぁ問題をちょうだい!!」
ふんすと気合を入れる僕に向けられるモモの視線はいつものようにクールだが、今日の僕はちょっとテンション高めだ
モモはそんな僕の前で木製の箱を、よいしょっ、と地面に置いた。
「これはなぁに?」
「本日の試験です」
なんなのかしら。
僕はその木箱を見つめる。……サイズは一抱えほどでそんなに重そうではない。まるで木製のタンスのように取っ手が三個ほど設けられていた。
特徴的なのは、中から葉っぱが擦れるようなカサカサという音。
「あけていい?」
「どうぞ」
モモに許可を貰って、そのタンスの一番上を引っ張ってみれば……ガラスで密封されたそこには、緑色の葉が敷き詰められていて――中で銀色の芋虫がわさわさと大量に蠢いていた。
芋虫が嫌いな人なら多分大声で悲鳴を上げるシーンであろうが、あいにく僕は虫は平気な性質である。
「わー、かわいい」
「左様ですね」
異論は認める。虫嫌いな人には受け入れ難いだろう。
しかしこの芋虫……食べているのはなんとなく桑の葉に似ている。それにこの形……目を覚まして最初の頃、なんかの虫のサナギを頭から齧った記憶があるぞぅ……?
「……ああ。じゃあこの芋虫が虹色蚕なんだっけ」
「その通りです、わーパチパチ」
僕はこれのサナギを食ったのか。
わざとらしい拍手の効果音と共に手を小さく叩くモモ。
となると、この虫が吐いた糸が僕の衣服となっているわけか。
しかしこの蚕が一体なぜ魔術の試練だと言うのだろう?
「で、この蚕で一体なんの試練をさせるのさ」
「はい。まずはこれをこうします」
モモはそう言うと蚕入りタンスの一番下の段……どうやら温度調節を行っている魔術機関の入った部分を……引っこ抜いた。
僕は首を捻る。
「あれ……それ取って大丈夫なの?」
「いいえ。取ったら駄目です。死にます」
「うわぁ!!」
僕は大声を上げて反射的にすぐさま温度調節装置を元の位置に戻した。
「なんてことするんだこの冷酷美人メイドロボ!」
「ありがとうございます」
「確かに美人だと言ったがこの場合は褒めてない! 虫さんをどうするつもりなんだ!!」
「生かすも殺すもシオンしだいでございます」
僕が心配しているのも気づかず、木の箱の中で虹色蚕はもそもそと桑の葉をのんきに齧っている。
命の危険にあった事を気づいていないのだろう。まぁしょせん虫だし。
「僕の魔術の試練じゃないのか? 試練ってなんかこう……火を出してものを壊したり魔術を使ったりとかそんなんじゃないのか?」
「シオンは。もう既に魔術を習得していますよ。頭の中に最初から知識を入力されています」
「え?」
……魔術ー。魔術ー。
僕が頭の中で念じると、ずらっと知識としてある魔術一覧が浮かびあがってくる。
もしかしてこれ全部、使えるのだろうか。
「……あれ、ほんとに使えるの? 魔術」
「はい、シオンは優秀です。生まれた直後に魔術を使っています」
使ったっけ。
覚えていないので記憶をたどってみる。生まれた直後。あれはそう……確か液体の中に入っていたときに溺れそうになったと勘違いして、がばがばと泡を吹いたんだっけ。
「……あ」
そもそもだ。あの僕が生まれたガラスの円柱の中には空気がなかった。
肺腑も水に浸かっていた……どうして泡を吐くことができたのか?
考えられるのは一つしかない。
「雷の魔術で水を電気分解して、酸素を無意識のうちに生成したのか?」
「正解でございます、シオン」
ふむむ、と頷く。なるほど、確かに僕は魔術をその気になれば使えるらしい。
しかしそれがどうして芋虫さんの命を危険に晒す事に繋がるのだ。
「試験の課題は、炎熱、大気の魔術を用いて……ちょっと熱かったりちょっと寒かったりしただけで死んでしまう、大変軟弱な虹色蚕の生活環境を適温に保つこと。すなわち、手加減の練習です」
「手加減」
モモはこっくりと頷いた。
「シオンの脳内には大量の魔術が刻み込まれています。その上、貴方の肉体は天蓋領域の大量の魔力を受けて成長した、魔術適性が極めて高い天上人です。魔力保有量は常人のはるかに上。そんな貴方が加減も知らぬまま魔力を放てばどうなるか」
「……どうなるの?」
「この航空母艦ムーンボウも外からの攻撃には頑丈でも、内側からの魔術攻撃にはそこまで強固ではありません。
もしシオンが魔術を暴走させれば、多大な被害が出るでしょう」
あー、と僕は呻いた。
言われてみれば大変もっともな話だ。サイズに圧倒されるけどこのムーンボウは空中を行き来する航空母艦。
内部で爆発でも起きたら修復には大変な手間とコストが必要だ。十分なスペースのある地上とは違う
「試練の意味は理解できましたか?」
僕は、こくん、と頷く。
ある意味、過酷とも言える試練。ここでしくじれば僕ではなく、もしゃもしゃとのんきに桑の葉を食べる芋虫さんが命を失う。
だが、彼らの生活温度を一定に保つ繊細な魔力コントロールを物にすれば、魔術師として一歩新たなスタートを踏むことができる。
飛行魔術に一歩近づくのだ!!
「分かった、やるぞ……!」
僕の決意にモモは頷き、温度調節機能を取り外す。僕は指から魔力を放ち、炎熱属性で生じた熱を、大気属性にて制御する気流に乗せ、適温を保つべく、全身全霊を傾ける。
隣で時間を計り始めるモモの姿も目に入らない。
「誰一人として……死なせるもんかぁー!!」
……こうして――僕は自分が無力であることを知った。
夕方の晩餐には、大勢の屍が小山の如く積み上げられて――お前のせいだ、と糾弾するような無惨な光景を晒している。
そして――僕が魔力の繊細な制御を獲得するまで、この後何回も残酷な試練は幾度となく繰り替えされ……。
大勢の犠牲と引き換えに……僕は魔力を御する術を学んだのであった。
蚕の素揚げ、おいしかったです。