第十話『思う心が開く』
「あの……シオン」
「え、ああ。モモ?」
椅子に座り、ブツブツと難しい顔をしていた僕にモモは控えめな声を掛けてくれた。
僕は返事しながらモモに向き直る。彼女は相変わらずの無表情のまま……しかし確かな気遣いの色を瞳に滲ませて話しかけてくれる。
「何か、用かな。ちょっと考えないといけないことがあるんだけど」
「……それは……残り少ない時間を削ってでも成さねばならない事ですか?」
気遣いから、僅かに苛立ちと拗ねたような感情が心に響いてくる。
モモの手が伸びて僕のこめかみのあたりを掴むと……ぐぐぐぐ、と強く握って首を引っ張り無理やり視線を合わせる。
「いたいいたい、は、離してよぉ」
「では、きちんとわたしの目を見て話して下さい」
そんな風に多少無理やりではあったものの、僕はモモのほうに視線を向けた。
「もう、二週間もありません。意味は分かりますね」
「うん」
言われるまでもない。今ほど焦りと共に時間を過ごした事は前世を含めてなかったろう。
「そして、貴方が13歳の成人を迎えればまとまった時間も取ることが出来なくなるでしょう。
ですので……事前に誕生日プレゼントをご用意いたしました」
「ふえ?」
僕は思わず変な声を上げる。今は誕生日プレゼントなどよりも重要な事で悩んでいたからすっかり忘れていて意表を突かれたのだ。
モモはそんな僕の変な反応に何一つ言わず、小さなペンダントを手渡した。それは木の枠に嵌められた小さな水晶の珠だった。不思議なのは、それは二つある。どうやら元々一つの水晶球を半分に切断し、それをネックレス風にあしらったものらしい。
ひと組の、おそろいの品物だ。
「この……これは?」
「お守りです」
「あ、ありがとう」
例えここが異世界であっても旅立つ人の安全を祈願するのは変わらない。
彼女はそれを自分の胸元に吊るし、ついで僕の首の後ろに手を回して付けた。
「お誕生日……を迎えたわけではありませんが、前祝いです。成人おめでとうございます、シオン」
「ええと、ありがとう。それとゴメン。何もお返しを考えてなかった」
「いいえ。祝われる側がわたしを祝う必要などありません」
「まぁそうなんだけど。でもモモの誕生日を祝うのも大変そうだね。確か『王国』が存在していたのが五百年前だから、ケーキに突き立てるろうそくの本数もごひゃ……」
僕が言葉を発する事ができたのもそれまでであった。
今まで見た中で一番怖い無表情で僕の顔面をベアクローで握りつけ、爪を食い込ませる。
「痛い痛い痛い痛い!!」
「わたしそのものであるこの航空母艦ムーンボウは常に万全のメンテナンスと補修を繰り返しています。また酸素も存在しないためわたしの外装部は経年劣化とは無縁です。すなわちわたしは新造艦同然、永遠の乙女です。分かりましたか?」
「わかりましたわかりましたってばぁっ! モモは若いです、永遠の十八歳、五百歳+αじゃありまぎゃああぁぁぁ!!」
さっきから降参の証として腕をタップしてもクロー攻撃は終わらないし、下手な事を言ったせいで余計に食い込む!
ぎりぎりと頭蓋骨を万力で締め付けられるような痛みにのたうつ姿に、ようやくお仕置き終了と満足したのかやっと許される僕。
クールな統合制御体のはずなのに、どうして歳の話でこうも過剰反応するのだろうか。年齢を気にするのはガイノイドでも同じなのか。その辺はちょっと気になったが、好き好んで虎の尾を踏むこともあるまい。僕は黙っておくことにした。
よし、話題を変えよう。
「それで……このお守りってどういうご利益があるの?」
「旅立つ子供に母親が渡す作法のお守りです」
「へ、へぇ……」
あれ、僕は成人間近じゃなかったっけ、子供扱いなの……? と思ったが気を取り直す。
「何か謂われでもあるのかな」
「元々一つのものであった物体は、たとえ二つに分割されても魔術的には一つとされています。
その結びつきは強く、母親はこのお守りに祈りを捧げれば、どれほど離れていてもお守りを通して子供に祈りが伝わるとされていました」
「へぇー……」
感心したように僕は呟く。モモとの通信確立のため文献を漁ってみたけど、それは初耳だった。
そんな僕の反応に気を良くしたのか、モモは説明を続ける。
「魔術的な繋がりがあるとされたのは大昔ですが、それが本当であると実証され始めたのは王国の末期です。
シオン、水晶に触れてください」
首を傾げつつもお守りの水晶部に指で触れてみる。
モモはそれを確認すると、僅かに指先に魔力を込めて彼女のほうのお守りに触れた。
すると……僕のほうのお守りからうっすらと魔力が押し当てられているのを感じる。
「……凄い。伝わってくる」
「はい。とはいえ、伝えられるのは魔力や振動のみで、かつての王国はこれを何か役立てることが出来ないかと試行錯誤したそうですが」
「ふーむ。……うん?」
あれ……僕は今、頭の中に何か重要なものが閃いた気がした。
もしかして、これは使えるかもしれない。
「ねぇモモ。……これってどれほど遠く離れていても、繋がっているのかい?」
「はい」
「……モモ、この鉱石のサンプルって他にもある?」
熱情で上ずった声が自然と喉からあふれ出る。
望みを叶える夢の素材の出現に、ごくりと生唾を飲んだ。これがあれば叶う。
けれども、モモはなんとなく不満そうな無表情のまま僕の頬を引っ張った。そんなに痛くはない。先ほどのクロー攻撃がおしおき掴みなら、今僕の頬を引っ張っているのは愛情抓りと呼ぶべきか。
「いひゃい」
「……それは二週間を切った残りの時間を一緒に過ごすことより大切な事なのですか」
僕は、ちょっと黙った。
モモの顔はなんだか悲しそうな気配を漂わせている。新しい研究対象を見つけて、残り僅かな共通の時間を削られるのが辛いのだろう。
それは、僕も同じ気持ちだった。
けれども今頭の中で着々と固まりつつある通信装置さえ完成してしまえば、いつでもどこであろうとも、話をする事ができる。寂しくなくなる。
ただ……僕はそれをまだ伝えられないでいた。
本当に通信機は完成するのか。完成する『かもしれない』と言って彼女をぬか喜びさせて終わりだなんてことにはならないだろうか。
通信機は完成させなければならない。けども、モモの寂しそうな瞳を前に『そうだ、君よりも重要な仕事がある』と言う事ができない。
「はぁ……」
モモは小さく溜息を吐く。まるで僕の瞳の中の戸惑いを見透かしたようにさえ思えた。
「提案があります」
彼女の言葉と共に、お手伝い用の自動ロボットがやってくる。
それはアームに抱えたお盆の上に、お守りとして分割された水晶と同じものを持ってきた。
今喉から手が出るほどに欲しい代物だ。
するとモモは――ひょい、と僕を抱え上げる。成人間近だけど、平均より小柄な僕の体は軽い。そのままモモは椅子に腰掛けて……僕を膝の上に座らせた。
えっ、なにこれ。どうして僕、モモと密着してんの?
やばい恥ずかしい。
「……あの。モモさん」
「折衷案を提示します。シオンは作業を続けてください」
「集中できないんですが」
「我慢してください」
いや我慢と言われましても。
ガイノイドなのに妙に柔らかい人造の体とか、密着する人肌の感触とか色々と集中を阻害する要素が満載なんですが。
あふぅん、やめて! 呼吸の必要がないガイノイドなのにどうしてうなじに息を吹きかけるの!
なんか変な声がでそうになるのを我慢しつつ、僕は心の中でお経を唱えて仏様におすがりしながら作業を続ける。
つまるところ、音とは振動だ。
糸電話は繋がった糸同士が振動によって伝わっているに過ぎない。そしてこのひと組の水晶が、距離の壁さえ無視して振動を伝えるのであれば、やることは簡単だ。
振動を正確に伝え、それを音声として再生させる装置さえできればいい。それさえ完成させてしまえば……そんな集中を乱すように、僕は頬をふにふにと突く彼女の指に耐え切れず、眉を寄せて彼女を睨んだ。むぅ、と眉間の辺りにイタズラはやめてくださいと怒りを込めてみる。それでも相変わらず無表情のままなので僕は諦めて作業に戻ることにした。
集中する。没頭する。……いやだってそうしないと彼女の肌の温もりとか柔らかさとかそういうもので落ち着きを失いそうだったし。
「つまらない反応です。シオン」
「そりゃモモを楽しませるために作業してるんじゃないからねー」
僕は意識して素っ気無くそう答える。
悩み続けていた通信の確立に光明が見えた。やるべきことが分かれば後は突き進むのみ。
「どの程度で完成しそうですか、シオン」
「二三日程度かな。それから一日かけて動作の確認。……一番の難関はこの水晶の魔術的な特性が解決しちゃったから、比較的単純な機構で完成しそうだ」
と、答えてから僕は言う。
「……モモ、まさかずっとこの姿勢のままでいるつもりじゃないよね」
「そのつもりですが」
「困るんだけど」
「何がですか」
「何って……」
僕は口ごもった。思春期で二次性徴を迎えた体の僕にとっては女性と寸分違わぬモモの体は煩悩を掻き立てるもので……その、なんだ。困るのだ。口にするには恥ずかしい理由で。
そんな僕の悩みなど気づいていないのだろう。モモは僕の頬をつんつんしながら言葉を続けた。
「どういう理由で困っているのでしょうか。正確に、事細かに、下半身の状態に対する分かりやすい説明を求めます」
「分かってやってるだろう!!」
前言撤回!
彼女は人間の性的なことに無知なロボメイドの振りをして僕を辱めようとしている! くそう負けるか!
膝の上に僕を乗せる彼女から脱出しようとするけれど、まるで動きの起こりを見抜かれているかのように要所要所の動作を巧みに精してくる。実に見習うべき体術の極みを無駄に駆使して僕を逃がすまいとする彼女。
まるでお気に入りの人形を抱きしめる子供みたいに腰の辺りをぎゅーっとする。
「気に入りません。シオン」
「……だから頬をつんつんするな。何が気に入らないってんだ」
「わかりませんか」
「わかりません!」
ぎゅー。
「頬をつねるなー!!」
……結局。
何が気に入らないのか最後まで教えてもらえずじまいのまま。
なんか、妙にスキンシップの激しくなったモモを避け、時には捕まり、時には抱きつかれて精神を疲弊させながらも……僕は通信機械を製造する事ができたのだった。




