一字閃、荒野の暴勇
2mはあろうかという巨体の男が、長斧を振り回している。
正確に突き、叩き、鎧を貫き、近づく兵は次々に絶命し、屍山を築いていた。見事な武術である。
十七歳だと聞けば、みな驚くであろう。
だが顔を見れば、まだ幼さが残っている。
この少年、姓は坤、名は斧という。
親に連れられ奏同啄飯道に入ったが、その親が病死。体格を買われて、軍に加わった。所属は秦州東部支部で、その内の秀道という小鎮の守備隊に配属された。
だが秀道は落ちた。
眞暦1796年11月。秦州王:穂泉煎が派遣した千人程の軍の前に、先ほどあっけなく城門が破られてしまったのである。
城壁の上で活躍していた坤斧は、「穎邑まで落ちるぞお」という声とともに秀道鎮を見捨てて、雪崩を打って城から抜け出す味方を、蔑みながらも、一緒に城外に押し出されてしまった。
「くそっ、くそおっ」
雄叫びをあげて長斧を回転させれば、敵は怯えて逃げ出す。逃げる敵は仕留めやすい。少し力を入れて突くと、大概斧先の大錐で串刺しに出来た。
しかし坤斧のニキビ面は、深い悔恨に満ちていた。
城を抜け出した軍勢は弱かった。
敗残兵で、士気は最低、ただ早く逃げるよう指示された群れである。素人の集まりで統制も取れてない為、隠密行動すらできず、裏門から脱出した所を秦州王軍にあっさり見つかってしまう。坤斧にしてみれば、この王軍も正規兵と思えぬ弱さなのだが、これに追撃戦をやられて、秀道城外の荒野で啄飯軍は簡単に殺戮された。
秦州王軍十数人が坤斧を取り囲んだ。
首は動かさず目だけを回して百八十度観察し、中腰のままひらりと体を反転、再び百八十度観察し、同時に長斧を握り直した。
(くそお。ほぼ壊滅かよ。)
戦場の随所で小戦闘が行われているものの、全滅まで左程時間はかからなそうだ。
取り囲んだ十数人 ―数えれば十三人― が、にやにや笑いながら包囲の輪を狭めてくる。
「大立ち回りもここまでだ。見ただろう、啄飯の奴等は全滅だ。」
包囲の歩兵達の隊長格が、美麗な戟をしごきながら言った。
こう言えば坤斧が萎えると思ったのだろう。隊長格は先程の坤斧の武術を見て、まともにぶつかったら大きな被害が出るのが分かっている。ともすれば降伏するかもしれない。これほどの武芸があれば軍にも有用だ。
だが坤斧の考えは、隊長格のまったく想像できないことだった。
(穣河を渡ろう。)
本能だった。理由はその時、なかった。
この秀道の戦場から穣河まで、南に3~40kmある。否、それ以前に秦州正規軍の前に味方が壊滅しており、いや何よりも坤斧本人がいま、十三人の歩兵に囲まれているのである。
「ふふ。もう刃先はささらのようになってるぞ。全く切れぬそんな棒を持ってどうする・・
「うおおお!」
隊長格の言葉を吹き飛ばすように、坤斧は天に向かって大音声、吠えた。
十三人はびっくりして、そして瞬時に恐怖に支配され、動けなくなった。
ボロボロになった長斧を中空にかかげると、次の瞬間、ぶん、と薙いだ。
とたんに包囲の内、五人が顔なり、首なりをぶっ叩かれ、吹っ飛んだ。
吹っ飛んだ五人に、隊長格も含む。
その死体から戟を奪う。朱塗りの美麗なものだ。
ボロボロの斧棒と、赤い戟を両手に、2mの巨体を高速で回転させながら、敵勢に突っ込む。
坤斧が回る度に、秦州兵の甲冑が砕け、肉が、首が飛ぶ。
この有様に逃げる秦州兵もいれば、勇敢に挑む兵もいたが、南進する坤斧の行く手にいる者はどちらも絶命した。たかが1人に!と叫ぶ武将が何人もいたが、いずれも死んだ。
だがまだ九百人は残っている。
密集隊形の一隊に切り込んだ際、額を真一文字に斬られた。が、寸前に体を引き、次の瞬間には踏み込んで、敵の脳天に斧棒を叩きつける。
ぐしゃっ、という音が騒然としていた戦場を鎮めた。
敵兵は兜ごと頭がひしゃげたのである。
秦州軍は手を止めた。
真一文字に額から血を流し、坤斧が睨めつけたのである。その形相は悪鬼か。斧棒と戟を持ち、屹立する姿は羅刹か。
九百の軍勢は何かに憑かれたように、ざーっと南の方向へ道を開けた。
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秦州