青光麗弟、閲血平に散ず
戦場は酷暑。
闔州東部の閲血平は緩やかな丘陵が連続する草原であるが、昼までまだ時間はあるのに炎天は容赦なく照りつけて、草木から陽炎が昇っていた。
眞暦1815年8月。
その大地の上で、美獣連合と塊協半連合の一大会戦が行われている。美獣陣営は皆、猛暑によって体力を奪われ足元がふらついていた。一方、塊協半陣営は、滝の如く汗を滴らせながら、笑顔が弾けていた。
それもその筈、塊協半の連合軍が圧倒的に有利な戦況なのであった。
美萊峩は、優美な顔をひき締め、戦場にゆったりと立っている。
「密集し、槍を揃えて突き出せっ」
そして、鈴のように凛とした声を自軍の頭上に響かせた。士卒が一斉に従う。
丘の麓、緩やかな窪地の底に、美萊峩軍は孤立していた。
しかし、因州王美獣の弟として、因州龍牙として、そして穣界に「青光麗弟」という名を轟かせた一世の英傑として、彼は屹立している。兄と同じ鮮やかな青い外套をはおり、兄とは異なる青の光沢ある総甲冑をまとい、この美萊峩の戦場装束は、眼に痛い程に真夏の陽射しを跳ね返し、まぶしい。
とても敗軍の将には見えぬ。
彼は悠然と青の外套を翻しながらも、しかし、その心中では静かに敗戦の処理方法を検証していた。
(諳軍と揆軍が兄上を包囲しつつある。)
南東の丘を見上げると、先ほどまで八合目辺りに踏ん張っていた美獣本軍は、背後を證州王諳幟に攻められ、前面は坡州軍の先鋒である揆朋楓に押されている。
だが、退路が無いのは、美萊峩の軍も同じだ。
「美萊峩様、他隊を懸念してる場合ではおりません。」
気づくと、すぐ脇にすらりとした武人が立っていた。
「お。鯨嬢。」
美萊峩の表情がふっ、と緩んだ。
上背があり、甲冑を装着していても華奢な姿形は露わで、目庇の下には針の如く尖った細い目が炯々、そして透き通るような肌、知らぬ者が見れば美少年と見紛う所だが、さにあらず。
「磐周挿様が朦罠に玉砕攻撃を仕掛けて、南方は混乱しています。御身一つ、すぐそこから離脱下さい。」
女武者であった。
姓は夕路、名は鯨綬。大渤帝国建国の功臣である夕路冷棗の嫡流である。この武功の家系は齢十七の姫を、隣国の名将、「青光麗弟」美萊峩の軍に一兵卒として参加させて、経験を積ませんとした。
「鯨嬢。」
今回の戦線で、美萊峩は彼女をこう呼び、十八も年下の娘を可愛がった。
「我が軍に今当たっているのは誰ですかな?」
「磨損です。」
夕路鯨綬は、子供扱いするな、という怒気を一瞬、発した。だが、そんな戦旗を見れば分かることを、何故この因州龍牙が言うのか、必死に考えてもいるようだった。
彼女は白い兜をもたげ、自軍の戦況を見回す。美萊峩軍の槍衾は少しづつ綻び、磨損軍が防衛線から入り込んできている。素早くそれを見て取ると、美萊峩に頬を寄せて、小声で言う。
「悔しいですが、磨損め、噂通りの戦巧者ですね。」
「兵が手足の如く、だね。」
美萊峩は、猛暑の戦場に似つかわしくない涼やかな微笑みを、若い女武者に向けた。睫毛が長く、「麗弟」と称されるのもうなずける。
「相手が揆朋楓なら、自身が先頭に立って突撃をかけてくる所だ。だが磨損はこの調子で確実に包囲を狭めてくる。それだとどうなりますかな?」
「お味方は潰滅ですね。しかも、突撃されるよりも結果が早く出るでしょう。」
「そうです。だから。」
美萊峩は、ふっ、と丘の上へ視線を移した後、娘に向き直った。
「あなたこそ北に帰りなさい。我が美家が貴国をこの負け戦に巻き込んだのですから。」
「そ。そんな、美萊峩様とともに。。。その。」
共に死ぬ。
彼女は強い気持ちでそう言おうとした。美萊峩の表情から死の覚悟を見てとり、また一武人として身を捨てる方が自然な事態である。ただ彼女は周りの士気を気にして言葉を飲み込んだ。
夕路鯨綬の背後に、肥えた兵卒が音も無く馬を引いてくる。美萊峩は、気が利く、とその兵卒を心中褒めた。
「貴女が、我が兄、美獣の巻き添いを食ってはならん。向後、渤因の復活は、鯨嬢のような若い逸材が成し遂げねばならない。」
美萊峩は、夕路鯨綬の薄い両肩をぐっ、と掴んだ。
「いいですね。」
がくがく、と夕路鯨綬はうなづいた。
くるりと体を回し、ぽん、と背中を押すと、彼女は丁度良く背後にいた馬に軽くまたがり、さっき自分で目星をつけた南の方角に一目散に駈けていった。
背の低い肥った兵士が、美萊峩にペロリと舌を出したが、他の士卒たちは隣国の姫の行動に驚いた。
だが、そこに間髪を入れず、鈴の如き声が響く。
「当軍解散っ。我、錐と為って敵軍に突入す。これにより因州王本軍の戦場離脱を扶く。我に続く者は、齢三十を超え、犬死にしたき者のみとする。他の者は何としても因州に帰り着き、美家における今後の捲土重来に尽力せよっ。」
バサッ。
鮮やかな青き外套をひらめかせ、美萊峩は傍らの大馬へヒラリとまたがると、南東の方角に駈け出した。
この指揮官の突然の宣言に、兵卒たちは少し逡巡した。だが、それもつかの間で、思い思いに行動を開始する。美萊峩を追い玉砕に参加する者。夕路鯨綬が奔った南方へ奔る者。みな、判断は早かった。
先程の肥った兵士は何の迷いもなく、大馬の腹を蹴って美萊峩に付いてきている。
「太赤、おかげで大渤の御令嬢は戦場を脱けられた。礼を言うぞ。しかし、お前。。」
「美萊峩様。私は三十を超えてますよ。こんな老け込んだ『若い逸材』はおりますまい。」
太赤 ― と呼ばれた兵士は確かに、あご下にだらしない肉を揺らしており、肌ツヤも悪く、とても二十代には見えない。双刀をたばさんだ左腕も脂肪に膨れている。美萊峩はふっ、と柔らかく笑い、馬上の会話をそれ以上続けなかった。
「磨損よっ」
美萊峩が発する言葉は、それが絶叫であっても、鈴の如く清冽なる音階であった。
轟く騎馬の蹄音。自身が先頭に立つ決死隊の馬蹄は鬼気迫る轟音であるが、
「見ろっ。この青き総装備、因州龍牙にして州王美獣が次弟、美萊峩なり!庇州王尼竺を裏切った厚顔無恥の軍人を、天に代わって成敗せん!」
とて、眦を決し、磨損の中軍に駈け入っていく。
磨損軍は明らかに虚をつかれた。
磨損の方針はこうだった。手際よく着実に包囲を狭め、美萊峩を屠ってから、揆朋楓や諳幟の軍と合し、美獣の本隊を攻める。磨損は、前に所属していた庇州王尼竺の軍中にいる頃から、老練な各個撃破を旨とする手堅い将として有名だった。そして彼は、現在交戦している美萊峩も自分と同じような専守防衛型だと、断じていたようだ。
双刀を頭上に旋回させ、太赤が絶叫する。
「何だ、何だっ、庇州の謀反人めっ。支えられぬか。我が青光麗弟軍の突撃に驚いたか?」
そう。
「青光麗弟」美萊峩は、遮二無二特攻などはしないだろう、と敵は踏んでいた筈である。
(私はずっと、そういう男であった。)
兄・美獣とは、我ながら顔や背格好が良く似ていると思う。だからこそ、兄の白銀の甲冑と差別化すべく、敢えて真っ青な鎧を鍛造した。だが、それは不要な意識だったかもしれない。美萊峩は、生まれ変わっても兄のような獰猛な目付きになるまい。配下も、敵も、二人への対応の仕方が違う。二人の戦術も違う。
美萊峩は大馬で縦横に駆け巡った。太赤を筆頭に、彼に続く者たちが磨損軍を分断した。
(だが、私にとって突撃は奇策だ。)
程なく、磨損は体勢を立て直す。そうなると、錐の先端として斬り込んだ美萊峩は包囲され、殲滅を待つしかない。右から駈け入ってきた騎馬兵の大刀が、美萊峩の籠手を削り取って、鮮血がほとばしる。左から来た騎馬兵の偃月刀が、錣をザリリ、と切り裂き、焼け付くような痛感が後頭部に走る。
突撃軍が不利になっていく。討ち取られていく。だが因州軍はただでは討たれず、粘る。
美萊峩の突撃隊が耐える内に、太陽は中空にさしかかった。
美萊峩はまた、丘の上を見る。美獣軍は突破口を開き、少しづつ戦場を退きつつあった。
(我がこと、成れり。)
これを見た美萊峩が、また、やさしく笑った。
そして。
「塊協半ーっ」
美萊峩は、今度は敵総大将の名を、凛とした声で呼んだ。鐙にすっくと立ち、拳を夏の蒼天に突き上げる。
「因州王は、脱出に成功したっ。いつか必ず、貴殿を焼き、貶め、討ち果たすであろうっ!」
青の外套、青の鎧。
戦場の真ん中に伸び上がった美々しいその姿は、夏の日の下、鮮烈に輝き、磨損軍にとっていい標的となって、鉄箭、鉄槍百数十本が、馬上の美萊峩に集中した。
「美萊峩さまあーっ」
太赤は、主君に針鼠の如く投げ槍や矢が突き立ったのを、見たかどうか。主君の名を叫ぶと同時に、彼は馬から引き摺り降ろされ、その小柄な丸い体を刀剣で斬り刻まれた。「青光麗弟」と呼ばれ、その凛々しさを讃えられた自慢の主君が、この時馬上で無残な骸となっていたわけである。太赤が最期で眼にしたのは空に輝く夏の太陽であり、美萊峩の最期の姿を見ずに済んだとすれば、その方がよっぽど幸せだっただろう。
因州王美獣の弟、美萊峩。闔州閲血平に死す。
享年35。
この閲血平の戦いで美獣は多数の兵を損傷しただけでなく、有能な武将を数多く失った。このため美獣は失速し、後発である塊協半陣営が、強大な渤因勢力に対して一気に迫ることとなる。
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眞暦1852年、葬州において当代歴史叙述に執念を燃やした葷史罫の『獣髯記』が発表され、巷間で大いに流行した。この軍記物には当場面も描かれており、ここに一部抜粋する。
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時は眞暦1815年、炎熱の盛夏。
閲血平に乱軍横溢す。
精強比類なしと言われた渤因軍は四分五裂し、穣界無双の勇猛を誇る坡州軍は功焦り統率を欠く。
坡州王褐剣髯に味方せる遜州王暹命匠と、證州王諳幟の奇襲をもって、この一大会戦の趨勢は俄かに決す。
(中略)
渤因各師団は、各々孤立し、包囲され、玉砕か撤退かの二択を迫らるる。
(玉砕は易し。撤退は十に一つも叶うまい。)
ここに一人、目元涼しく、青き外套に身を包み、甲冑も青、鮮烈なるその色彩は大海や天空を思わせて、炎天下に颯爽と立つ、麗々しき将軍有り。
姓は美、名は萊峩。
「青光麗弟」と言えば、今や楽界三籠の遠きにまで鳴り響く名将として、知らぬ者は無し。
「鉄槍兵、棘壁体制っ」
号令一下、一瞬にして間隙無き槍衾が完成す。統率見事なり。
(だが、斯く守備するより今は他無し。磨軍、討つに能わず。)
美萊峩軍は閲血平の窪地に立ち、雲霞の如き磨損軍による重囲の中、絶体絶命の危機にあり。そしてまた、それは因州連合のいずれの軍も同様なり、総大将の美獣本隊も例外では無し。
南東の方角、丘陵を仰げば、頂上付近の美獣軍も諳幟や揆朋楓に前後左右を封じられ、滅殺せらるは確定と見ゆる。
敬愛する兄、美獣。共に歩み、穣界最強の勢力を構築しぬるも、この閲血平に一敗地に塗れ、栄華は泡沫の如く、夏の一日に露と消えるか。
されど美萊峩は汗をかかぬ。
猛暑の中、甲冑と外套に身を包み、兄も己も滅亡必定の状況なれば、大汗発すが自然。
「美萊峩様。南方に隙あり。」
側近の太赤、肥満の体躯を揺らして、言う。
「げに。我が意を得たり。」
美萊峩、これに笑う。磨損の包囲、弛緩する機を待つが故、焦慮もせざる也。兄を救う策は最前より定まるが為、まさに明鏡止水、汗も出ず。
即、青き外套を翻し、美萊峩、紅き口を開きて曰く、
「我、磨損に突撃し、死して陽動す。仍りて美獣公を救わん。当軍、一剣尖と為り、死に給え。」
と。
太赤、これ受けて真ん丸な顔で笑い乍ら、馬上に槍をしごく。
「やあやあ、穣界皇の為、青光麗弟と共に死ねるなぞ、此程の倖せが有るか。やよ、皆突っ込まん。」
言うが早いか、美萊峩と太赤は大馬の腹を蹴り、途端に速駈けす。他、みな即応し、二人を追う。
美萊峩以下、死兵と為り、磨損の大軍に駈け入る。散々に掻き乱し、多いに混乱させるも、徐々に磨損は自軍を静め、再度の包囲体制を整えたり。
しかし、美萊峩は丘を仰ぎ見、
(諳幟、揆朋楓も当方へ配慮し、注意散ず。而して、兄上の隊、包囲離脱せると見ゆ。)
と喜ぶ。
激戦の中、全身に創痍負い、返り血浴び、既に息は絶え絶えなるも、あくまでその双眸は涼やか也。
「因州王本隊、離脱に成功す。此れ、磨損の我に突撃を赦したるが故也。我は美獣が弟、美萊峩、良く此の姿記憶すべし。我が名を後世へ、伝え給え。」
清涼なる声に、磨損軍は一瞬気圧され、聞き入り、刀槍の手を止めて、美萊峩に注目す。
美萊峩、馬上に死を覚悟す。
「今、為す可き事し遂げて、一切の後悔無し。」
と叫ぶやいなや、気を取り直したる磨軍より、無数の鉄箭飛来し、美萊峩の全身に突き立ちたり。
美萊峩、即死。
享年35。
因州美家、此の閲血平に大柱石を喪う。損害、計り知れず。
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闔州東部




