白桃の策、蹂躙さる
「楽界に手を伸ばすべきだと思うの。どう?堕叉様。」
堊蹌は、坡州の西部、地博山地から吹き下ろす冬の寒風が身を刺す中、首府:墨銘楼から二十kmの遠路を馬で飛ばし、ここ墩召関の砦までやって来た。夜半二十一時を回り、月光に砦の防壁が寒々しかった。
墩召関。
穣界の風雲児たる「褐剣髯」塊協半のもとで坡州龍眼に就き、辣腕を振るっている堕叉の根拠地である。砦にある堕叉邸は、石造でどっしりしていたが、山風に吹きつけられるたびに揺れていた。
堕叉邸の中では。
「ねえ。」
冬でも二十km馬上に揺られれば汗だくで、堊蹌はその湿った騎馬服から、ゆったりした睡衣にいそいそと着替えながら、言う。長く艶のある黒髪が背に広がっている。ちらちらのぞく素肌が白く、張りがあって、まぶしい。
対する堕叉は、炕の上に踏ん反りかえっているが、こちらも睡衣が大きくはだけ、ひょろりとした体の割に荒々しい股間が剥き出しになっていた。
「穣界だけではもう、因州に抗せないわ。諳幟や暹命匠を取り込んだってねえ。美獣なんて、芥揚、异粽、薙扁買、莞包旅礼甦、とか葬州の輩を渤方経由で全部抑えたでしょ。さらに砂州王の碇恩憶とも手を握ったじゃない。そうよ、そもそも美獣が奉忙を赦したのが悔しいのよ。あのモヤシ男、左脚が利かなくなったくせに前より素早く穣界中を飛び回っていやがる。」
堊蹌は堕叉の隣に座り、炕の暖かさを尻に感じながら、太ももも露わに脚を組む。
「去年、『褐剣髯』様に言われて如堯峰を口説いてさ、おかげで諳幟や暹命匠はいっぱしになったけどさ。弱いよね。それだけじゃ。そろそろ美獣との交戦を再開するでしょ。少し不安よね。」
棗型の眼と蕾のように小さい口を、目一杯開けて、堊蹌は喋り続ける。右のあごに薄桃色のあざが有り、肌が白い為か、それがひどく目立った。
「これから楽界も乱れるわ。見込みのある連中と今から仲良くしておくのよ。早いうちに連携する時がくる。それにね、美獣の視野にはまだ、楽界が入ってないわ。」
堊蹌は、堕叉の青ざめた顔と、その下半身とを、交互に見ながらまくしたてる。
「それでお前、懦州のジジイとしけ込んだのか。」
ふいに、堕叉の目付きが変わった。
一重の目を三白眼にして睨まれ、直線的な鼻が刃物のように鋭く、ことさらに冷たく見えた。
「え。ええ?」
しまった、都の行動は筒抜けだったか。
彼女が混乱をきたすと同時に、黒髪を鷲掴みにされ、ぐいっと引き寄せられると、
「ぐぅっ」
歯が当たる程の勢いで口がぶつかり、唇を吸われた。
石造の邸は、冬の山風に強く揺られ、ご、ごう、と居室まで轟き鳴る。その度に燭台が乾いた音をたてた。
堊蹌は長い時間息もできず、眉根を寄せ、体の力を吸い取られ、何度目かの風音が聞いたあと、解放された。
「『褐剣髯』に言われてちょっと都に行ったとて、さかしらに。」
炕から落とされ、冷たい床に這って、荒い息をぜいぜいつきつつ、ふと見上げると堕叉が見下ろしている。
(踏まれる)
今寝ている石床よりもはるかに冷たい嗜虐的な眼だ。直感したが、彼女は動けなかった。
ぐにゅっ
次の瞬間、顔を踏まれ、踏みにじられた。
「遠交近攻、とは言わぬわ、そんなもの。くだらんことを言ってると、また坡路の妓楼に売り戻してやるぞ。」
「ご、ごめんなさいい。」
堕叉は脚をどける。その目はいつ間にか冷たいどころか、烈火のごとく赤く充血していた。
「立て」
否やはない。女はふらふらと立ち上がり、せっかちな男はまた黒髪を掴むと、ぐいっと女を引き上げた。
眞暦1814年12月のこの時点では、懦州はまだ混沌としており、一方で他の楽界諸州はよく治っていた。駆け出しの非正規外交官が吐露した提案は、確かに実現性に、まだ、乏しかった。
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やがて。
堊蹌の右あごのあざは、薄桃から限りなく赤に近く、変色していた。真っ白だった体のほうが、いつか、薄桃色にほんのりと染まっている。
深夜になってもまだ、地博山地からの寒風が墩召関の砦に容赦なくぶち当たっていた。
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坡州




