野望公子
「州王様!州王様!」
圃韓は州金堂に駆け込んだ。
「なんじゃ、老龍眼。心臓に悪いぞ、お主ももう歳。。。」
因州王・美宜粽の言葉が終わらぬ内に、圃韓はのどの縦皺を震わせながら、かすれた声で叫んだ。
「美獣公子、禾奔頭に出兵!」
「な、何?」
眞暦1806年9月。
因州の州都、啻万麓の州王府は、正午の明るい陽射しの下、にわかに不穏な空気に包まれつつある。
王府自体が啻山の麓に位置するために敷地が狭く、州王が政務を執る州金堂も都州帝城の皇金堂に比べると格段に小さいが、さまざまな歴史の舞台に登場してきた重厚なるそのたたずまいに、はじめての者は大概沈黙する。
ただし、古臭い訳でなく、啻万麓名物の紅白磚はこの美家の深奥にも内装材として使われ、堂内は光沢ある鮮やかな赤と白で空間が構成されている。別名「紅雪閃光城」と言われる街と同様、陽光が建物内に取り入れられる設計にもなっていた。
「行軍が速いです。もう因秦の境に差し掛かるはず。」
しかしその明るく活き活きした内装の金堂の中で相対する主従は、互いに歳を重ねてきた顔面を渋く歪ませながら、しゃがれた声を絡ませていた。
「あいつが何をしでかすか、もうワシの頭では分からん。必黄站に使いを出しても間に合わんだろうしな。本当に浅はかなことをしてくれたものだ。だが、美獣としては、何でもいいから名分が欲しかっただけなんだろうが。」
「國朶鎮の我が手兵により、制止を試みます。ご許可を。」
そう言った時、圃韓は心臓が痛んだ。無意識に胸の金鎖を探り、ぶらさがる小さな四角い黄金の首飾りを握る。
「ぬう。しかし我が子ながら、奴は強い。」
「強いどころか。恐らく、程なく龍となりましょう。それも巨龍。」
「はっきり言うぞ。老龍眼の手兵では。。。 」
「見くびりますな!」
はっきり言ったのは因州龍眼、圃韓の方であった。
「百も承知。恐れながら美獣様の器量はかの美戚公を凌ぎましょう。」
「それ程か。しかし、それこそ美家の、因州の害となりうる。」
「なればこそ、止めねばなりませぬ。」
筋張った、枯れ枝の如き左手でもって、圃韓はいよいよ金小板を強く握りしめる。美宜粽は、老翁の濁った眼を覗き込んで嘆息した。
「分かった、すまぬ。が。しかし。。。。」
「迷われますな、美宜粽様。老爺は老い先短き故、此度は適任。」
圃韓が少し肩を揺らした。
咳を我慢したのである。老い先短いとはよく言ったもの、肺臓を患って十年、すぐ死ぬかと思いきや、はや六七。そもそも命を預けていたも同じ、最期に公子とやりあって死ねるなぞ、幸せではないか。赤と白の花のように明るい堂内で、圃韓は音も無く笑う。
「我が國朶鎮が破られたら、すぐ禾奔頭です。掟考は美獣様が侵攻したら捻州に逃げ帰るでしょう。そしてそのまま、公子は秦州を侵略すると思われます。」
「さすがにそれは。穂泉煎はどうなる。」
「無人の野を行くように公子は秦州を進むでしょう。いや、公子の野望は大なり、秦州に止まりますまい。」
美宜粽と圃韓は同時に身震いした。同盟国・穂泉煎との同盟を無視して秦州に侵攻するというだけで、2人には恐ろしいのに。
「大穎帝国の始祖・穎眞公の頃より千八百年、我が因州美家は続いて参りました。他の群雄とは違います。それが、率先して穣界の秩序を乱してはなりません。我が祖、紅雪府長・圃午が死して来年で丁度百年。私は止めねばなりません。」
「む。圃午が守ってくれたこの紅雪閃光城、これからもしっかり守っていかねばな。圃韓、場合によっては美獣を殺せ。 」
「ふ。そうですな、案外我が軍が勝つかもしれませんぞ。」
「殺す気でいかねば、あいつには勝てん。それに」
圃韓はこの時、美宜粽から強い殺気を感じた。
「そうなったら、美萊峩に継がせればいい。」
室内の紅白磚が、圃韓には殊更に冷たく感じられた。
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因州
秦州




