秋雨、黄檗の兜が躍動せること
眞暦一七九八年十月。
秦州王穂泉煎と因州公子美獣の連合軍六万は、雨の中、啄飯道の本拠地である奏同城を攻めていた。
街を囲む城壁のあちこちで、激しい戦闘が展開する。
第二門の東側城壁の一番上まで登っている武人がいる。金糸で編んだ眼帯で顔の左半分を覆っており、戦場に目立つ。頭上からの攻撃を、剣を光らせながら打ち払っている。左手に梯子を握り、右手に剣。圧倒的に不利な体勢ながら、城壁の上に立つ守備兵が振り下ろす苛烈な剣撃を、見事に跳ね返す。
黄檗真円の前立てをあしらった艶消しの兜から、雨粒が滴る。
「ぬああ!」
そして武人は雄叫びを上げ、一気に城壁の上に躍り出た。激しい水音を立てて着地する。
細身の身体に漆黒の甲冑を着け、胸板広い逆三角形の体型から、その俊敏さが窺い知れる。
右の隻眼は一重で大きく、城壁の上に群がる籠城兵は、武人の一睨みで足をすくませた。
武人の姓は穆、名は薀。
美獣軍に編成された若き一武将で、歳は若干二十。しかし真っ直ぐに屹立するその立ち姿は威風堂々、熟練の部将が醸し出す雰囲気を既に持っている。
一瞬の間を置いて気を溜め直した一部の籠城兵は、
「嘆答配様、御加護を!」
「啄飯道万歳!」
と口々に叫び、同時に斬りかかる。
(四人。)
穆薀は、人数を確認すると同時に四人の足並みも見て取る。槍兵一人が突出し、刀を持った三人が後に続いている。
突出する一人が喚きながら繰り出す槍を紙一重で避けた瞬間、勢いよく地を蹴って跳躍し、後ろの三人の内、一番右の小兵の前に着地して、袈裟懸けに斬りさげた。
「ぎゃああ」
血飛沫が噴き出すまま、穆薀は敵の背中を蹴飛ばす。心臓を斬られた小兵の身体が吹っ飛んできて、他の三人は慌てふためき、前方の視界が封ぜられた。槍兵なんぞは、転倒する有様。既に敵兵の足元には血溜まりが出来、穆薀はそれを目に焼きつけると勢いよく地を踏み切る。
そして、刀の二人に次々斬りかかった。二人とも血糊に足を取られて構えが出来ず、一人の首を造作無く斬り、一人を大きく転倒させた。ここで穆薀は振り返り、立ち上がりつつある槍兵に剣を向け、その首を落とすと、再び身体を旋回させ、血溜まりの中に転げ回っている兵の後頭部を串刺しにした。
十秒足らずの間に四人を屠った穆薀。黄檗の兜の下、その鼻梁は高く、厚い唇を真一文字に結び、息は一つも乱れていない。
いよいよ足をすくませる啄飯道の城兵どもを睨めつけながら、穆薀は大声を発した。
「握史元、咽憧。そろそろ上がってこい!」
一瞬の後、穆薀の背後で二人の武者がおずおずと城壁の上に顔を出した。
「さっさと来い。見ての通りだ、俺の剣技を見て啄飯の道徒め、足がすくんでいやがる。」
「でもまだ、ええと、二十人はいるじゃないですか。」
握史元と咽憧はおっかなびっくりよじ登ってくると、ひとかたまりになって穆薀のもとに駆け寄ってきた。この二人の部下は、穆薀が攻城の一番乗りを果たし、四人を相手に戦う最中、壁面に立て掛けた梯子に縮こまっていたものである。
「ふん、相変わらず意気地が無い。」
穆薀は背中に隠れる二人の部下を振り返ることなく、吐き捨てるが如く指示する。
「咽憧。外の味方に向け、大声で叫べ。國朶鎮の穆薀が第二門東の城壁に一番乗り、城壁登攀中の兵は皆乗り込め、とな。」
「は、はいっ。」
咽憧は流れ矢に怯えながら、城壁の縁まで内股で走り寄ると甲高い声で叫んだ。咽憧は女性、その声は陰鬱な雨音を吹き飛ばし、眼下の攻撃軍に響き渡った。
「國朶鎮の穆薀、第二門東の城壁に一番乗りぃ!城壁登攀中の兵は皆乗り込めぇ!」
咽憧が発声した直後、穆薀はその厚い唇を開いて真っ白な歯を剥き出し、笑った。
「そおら行くぞっ、凡民ども!」
そして剣を右へ振る。
降り注ぐ雨滴を斬り裂く音が、城壁の上に鳴る。ひどく大きな音に聞こえた、と思った時にはもう、穆薀は跳んでいた。
(第二門の閂を外す。)
眼前の三人を一呼吸の間に薙ぎ払い、その目は第二門を睨む。
雨にけぶる奏同城第二門は、長い籠城戦の間に寄せ手の投石機でぼろぼろに壊され、扁額は崩れ落ち、破風も殆どの部材が剥がれ落ちていたが、門扉は厚く堅く、攻城側は突破できずにいた。城壁に立った今、第二門はもう指呼の間にある。
空を跳んだ穆薀の身体が水溜りに着地すると、踊るように左右の敵兵を切り捨てた。
「ははっ。啄飯道は所詮、痩せた農奴の寄せ集め、因州の正規武官の前では蟷螂の斧にもなりゃしないわ。」
穆薀はそう大笑し、壁下に下る階段を降りかけた。その時、ブン、と矢唸りが聞こえ、大きな衝撃とともにその場へ突き倒された。
「握史元!」
咽憧の絶叫が聞こえ、脇に頭を射抜かれた握史元が倒れてきた。
穆薀を狙った一矢に握史元が気づき、身を呈して飛び込んだのである。
(あの臆病な男が。)
「おい、若いの。いい部下を持ったな。そいつが居なけりゃ、お前さんの脳にこいつが貫通してたぜ。」
腹に響く重い声。
地に伏しながら見上げると、数m向こうに一人の武人が立っていた。
背の箙から取り出した漆黒の鉄矢を眼前にぶらぶらさせている。
穆薀は強がりを言いつつ、最大限の注意を払って立ち上がった。
「ふん。農民上がりでも強弓が使えるのか。」
「まあな。だが、啄飯道をあまり馬鹿にしないほうがいいぜ。」
穆薀は中腰のまま観察する。
黒矢を持った男は皮鎧を雨に濡らし、兜も装着せず、ひどく身軽である。丸顔に愛嬌があるが、歳は壮年、漂う風格は啄飯道の中でも隊長格と見られた。
泥だらけになった穆薀は雨に濡れながら、隻眼をいからせる。
「なんだ、今その黒い矢で射れば良かっただろう。」
「すぐ連合軍が登ってくるのだろう。どうせ俺は討ち死にだ。」
諦めたような言葉とは裏腹に、男の表情は見る間に殺気を帯びていく。
「穆薀と言ったな。俺は弓だけではない。こっちもそこそこだ。」
腰の長剣を抜いて、雨天にかかげる。
「俺の姓は昱、名は弴。冥界の土産にあんたの首を持っていかせてくれ。」
「おおよ。俺も味方が上がってくる前に、握史元の仇をこの手で取っちまいたい。」
「よし」
穆薀の言葉に頷くより速く、昱弴は地を蹴った。長剣がぐん、と胸元で伸び、穆薀は咄嗟に避けたものの、胸当ての鉄材が摩擦で火花を発した。
強烈な突きである。
そして避けられても身体は泳がず、力強く地を踏み、次の瞬間には穆薀に正対した。
(啄飯道なぞには惜しい手練れ。その上、もはや死兵。)
穆薀は冷静に分析した。しかし一方で脇に大汗をかき、生物的な恐怖にもかられる。
昱弴の眼は、これまで穆薀が見たことのないものだった。死を覚悟し、己れの納得できる舞台に立て、最期を飾るに相応しい相手と出会えた。この上ない殺気を発しながらも、愉悦と諦観もない交ぜになり、激しい戦意で燃え立ちつつ笑っているのである。
穆薀は死の恐怖に震える。
(今斬り合えば、間違いなく俺は昱弴の前に倒れる。)
だが。
この者との戦闘をものの数分持ちこたえれば、味方が城壁に上がってくる。そうすれば此奴はなますのように斬り刻まれるまでだ。
(と言って、それも最善ではない。)
寄せ手が城壁に登ってきた時、穆薀の手によって落とされた昱弴の首が、槍先に刺さって晒されている ― 。
やはりそれが、この穆薀の名を最も高らしめる展開だ。味方に助けてもらうのと、支援される前に片付けておくのでは雲泥の差だろう。
昱弴の突きを避けてからここまではほんの一瞬、穆薀は電光の如く考えをまとめたのである。
あとは賭け、だ。
覚悟も一瞬で決める。
「咽憧っ。」
「はいっ。」
咽憧の返事は後方から、やや左に寄った方向より聞こえる。
「この昱弴とやら、俺を斬ったらすぐお前を斬りに行くぞ。その時使えるよう、短剣を今から握っておけ!」
「はっ。」
背後にいる咽憧に早口でまくし立てるが、その間にもう、昱弴は動いていた。
「片目!女の心配している場合か!」
跳躍した昱弴は一気に間合いを詰め、長剣を振った。
「うっ。」
また紙一重で避ける。あまりに鋭い太刀筋で穆薀の背中が凍つくが、大振りした敵の隙を突くべく、剣を繰り出した。
だが、逆に打ち込まれた。
激しい金属音。
穆薀は前方に伸ばした剣を眼前に引き戻し、昱弴の剣撃を防いだのだ。咄嗟の動きだった。
「ほほう、よく防いだな。」
分からぬ。なぜ反転して二の太刀を打ち込めたのか。速すぎる。装備の軽さだけが理由ではあるまい。
(素早く二の太刀を繰り出す為に、あえて最初は大振りに見せたか。いや、そんな誘いの手にしては最初の剣は鋭過ぎた。)
と、考えている内にも昱弴は攻め立てる。首、脇、腿と、甲冑の切れ目を狙って、薙ぎ払い、突き、大小様々な剣撃を浴びせる。見たところ昱弴は四十を大きく過ぎた風貌だが、ふた回り近く年下の穆薀を追い込んでいた。なぜこんな高速の剣技を繰り出せるのか。これもまた分からぬ。
分かるのは、早々に自分が討ち取られる未来だ。味方の支援は間に合うまい。
(咽憧に意図は伝わっただろうか。いや、伝わったとしてもまだ投げる訳にはいかないか。今、昱弴と俺の間合いが近過ぎる。)
次の瞬間、昱弴の突きが顔面をまっすぐ狙った。眉間がチリチリと焼けるような感覚を持ちながら、必死に仰け反った。鋭利な刃が額をかすめ、通り過ぎた。顔の左半分を覆う金糸の眼帯が切られ、はらりと取れた。泥に足を取られ、穆薀は水溜りに尻餅をついた。
「ほう、そんな顔をしていたのか。」
昱弴は穆薀を見下ろして、嗤う。
その時。
ひゅん、と空中に雨を斬り裂く音が耳を貫き、昱弴の首に何かが突き立った。
「がっ?」
「よし!」
直後、泥飛沫を巻き上げながら穆薀が跳ね起きて一閃。昱弴の首が吹っ飛んだ。
空に舞った昱弴の首は程無く地に落ち、足元の水溜りに転がった。同時にバシャッ、と音を立てて、血塗られた短刀がその脇に落ちる。短刀の柄には「咽」の一字が彫られていた。
「咽憧、見事だ!」
穆薀は荒い息をつきながら、駆け寄ってきた咽憧を賞賛する。
剣の腕は昱弴のが数段上だったから、投剣を得意とする咽憧に援護させたのである。
「短剣を握れ、と仰ったので、昱弴に投げろ、という指示と理解しましたが、正解だったでしょうか。」
「正解だ!」
穆薀は荒々しく、咽憧の華奢な肩を抱く。咽憧は頰を紅く染めつつ、
「あのちょっと。」
と言って、足元に落ちる金糸の大眼帯を拾い、泥を払った。
見れば、眼帯が外れた穆薀の顔面左半分は、無残にも焼け爛れ、目を背けたくなるほど醜悪で、どす黒い火傷に覆われていたのである。彼の哀しい傷跡であった。
「済まぬ。」
穆薀はしかし喜色満面、左半分の火傷跡を引攣らせながら、笑う。眼帯を受け取り、一度兜を外してから、再び顔の左半分を隠し、咽憧に指示する。
「では、落ちている槍に首を刺し、城壁の上に突き立てろ。もうすぐ寄せ手が登ってくる。奴らには、穆薀が討ち取った籠城側の隊長格・昱弴の首だと伝えろ。いいか、さっきみたいな大声でな。」
「はい。」
「俺は第二門を開けに行く。」
「来援を待たずにですか。」
「おう。お前もすぐ追っかけてこい。そして更なる俺の大功を喧伝するのだ。」
「はい。」
咽憧は頷くと先程の短刀を拾い、雨に洗って綿布で拭う。
穆薀は城壁の階段を駆け下り、奏同城内に一人侵入した。寄せ手が城壁に乗りあがったらしく、頭上から
「これなるは圃韓様配下の穆薀が討ち取りし、第二門東壁守備隊長の昱弴が首なり!」
と、咽憧の甲高い声が良く聞こえた。
城内に降りてみると、既に奏同の街は大混乱をきたしている。奏同啄飯道の本拠地。道徒である城民達が政権側に征服されるのはもはや時間の問題で、彼等が恐慌するのは当然だろう。雨の向こうに巨大道観の円屋根が遠望できた。
穆薀は冷徹に笑う。
黄檗真円の前立てを雨に光らせ、第二門に向かって駆け出す。
秋の雨でけぶる楼門は哀しげに立ち、舌舐めずりして近づく穆薀を力無く待つしかなかった。
この日。
穣界を中心に荒れ狂った啄飯道の聖地、奏同は、因秦連合軍六万によってついに陥落したのである。
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秦州




