彼女。~another~
玲二視点のアナザーです。
玲二が麻衣に対して酷いです。
本編の玲二に納得してる方は読まない方がいいと思います。
「お願いだよ、萌衣ちゃん!」
俺は目の前の女の子に頭を下げた。
だが、
「ホントにごめんなさい。
お姉ちゃんはそういうのホント嫌うんです。
あんまり感情が顔に出るタイプじゃないから分かりにくいけど、私には分かるんです。
だから、申し訳ないですけど受け取れません。」
そういうと萌衣ちゃんはちょっと困ったように首を傾げた。
うーん。
この攻防も何回目か。
俺がこの子の──正確にはこの子とこの子の姉の麻衣ちゃん──の家庭教師になったのは四月だったから、もう一年近くこのやり取りをしていることになる。
そのときに、はじめて彼女らを見てなんて不器用なんだろうと思った。
確かに、麻衣ちゃんは感情を表に出すのが苦手だった。
でも、萌衣ちゃんはかなり器用に生きていきるようだけど。
なんで、そんなことを思ったのか...。
それは、のちのち明らかになる。
俺は、その後この姉妹と接する度に彼女らに惹かれていくことになる。
はじめは純粋に彼女らの大学受験に貢献したいといった思いから勉強を教えていた。
でも、彼女らに勉強を教えていくにつれて、彼女らも俺も少しずつ馴染んでいった。
俺も二人に惹かれていった。
いつしか、俺は二人と過ごす時間のために彼女らの家を訪ねるようになっていた。
「分からないところはない?」
俺がそう聞くと、
「あっ...。」
と、麻衣ちゃんが言い
「いえ、今のところ大丈夫です。」
と、萌衣ちゃんが言う。
「何か分からないところがあるの?
麻衣ちゃん?」
俺が問い詰めると、
「あ、いえ。...ありません。」
と言う。
本当に正反対の性格。
ふと麻衣ちゃんのほうみると、周りを気遣ってお茶を運んでいたり、萌衣ちゃんに勉強を教えてあげたりしている。
とても優しい子だった。
ただ感情を表に出すのが苦手なだけだった。
萌衣ちゃんのほうを見ると、真面目に俺の話を聞いているように見えてどこか上の空だった。
上の空。正しくは聞いている振りをしながらあたりを気にしている...。
そんなところか。
麻衣ちゃんが動くと、大きな萌衣ちゃんの瞳がそれを追う。
それがなんだか気に入らなくて、必死で話しかけてみると、一瞬“お姫様”の顔が歪んでまるで親のカタキでも見るような目でこっちを睨む。
でも、ほんの一瞬のことだ。
すぐに“お姫様”の仮面を顔に張り付けて、にこにこと俺の話に聞き入る。いや、聞き入る、振りをする。
「...ホントに駄目?」
「...ごめんなさい。」
萌衣ちゃんは申し訳なさそうに言う。
うーん。今日のところは無理かなぁ。
そう思っていると、萌衣ちゃんがさらに続けた。
「私は、受け取ってもいいんじゃないかと思うんですけど、やっぱりお姉ちゃんに困った顔させたくないので。」
その口調は、心底申し訳そうに、という雰囲気を纏ってはいたものの、本気で取り次ぐ気は更々ないように思えた。
「そっかぁ...」
俺は、「ごめんね」と言うとその場を後にする。
そうして、駅のほうに向かって歩き出す。
萌衣ちゃんに完全に背を向けたとき、思わず広角が上がるのを止められなかった。
萌衣ちゃんと麻衣ちゃんはとても仲がいい。
二人が互いを思いやっていて、他人が入り込めるような隙がない。
幼い頃から、麻衣ちゃんが萌衣ちゃんにつく虫を排除していたらしい。
何ともたくましい。
だが、きっとそんな必要はなかったのではないか。
なんとなく。なんとなくだが、萌衣ちゃんの麻衣ちゃんに向ける視線は一定の熱を含んでいるように思う。
萌衣ちゃんが必要以上に目立とうとしているのは、麻衣ちゃんに周りが注目しないようにじゃないのか...。
そんな風に思えてならない。
そして、そんなことに気づくことができた事実にどうしようもない喜びを感じている。
萌衣ちゃんは賢い子だ。
きっとそんな重大な秘密、他人に知られないように細心の注意を払っているに違いない。
だとしたら、それに気づいている俺は...?
勝手に秘密を共有した気になってほくそ笑む。
プレゼントを贈るのだって、萌衣ちゃんの“お姫様”の仮面が剥がれるところが見たいからだ。
誰にでも同じ顔を見せている萌衣ちゃん。
それは姉の麻衣ちゃんでさえも一緒だ。
むしろ、萌衣ちゃんは“麻衣ちゃんのお姫様”を演じていると言っても過言ではないから、麻衣ちゃんにだけは“お姫様”でない自分を見られたくないはず。
そういえばこんなことがあった。
一度、麻衣ちゃんに直接、『二人で食べてね』と言ってお菓子を贈ったら、とても怒られてしまったのだ。
曰く、『麻衣は仲のいい人以外のプレゼントをすごく嫌う。受け取りはしても、とても迷惑がる。』と。
流石に、もう何度も顔を合わせているので、麻衣ちゃんが俺からのプレゼントを迷惑に思っていないことはわかる。
いくら表情の変化がないといっても。
だが、これは大きな収穫だった。
萌衣ちゃんの意表を突くことができれば、“お姫様”の仮面のない素顔を見ることができる。
誰も見たことがないであろう素顔。
あんなに萌衣ちゃんが固執している素顔を。
「だから、申し訳ないですけど無理なんですって!」
萌衣ちゃんが声を上げた。
今日もやっぱり無理かな?
「一個くらいは受け取ってくれないかな?」
萌衣ちゃんは形のいい眉を一瞬ひそめたが、すぐに笑顔を浮かべた。
そのとき俺は体の底から湧き上がる歓喜を抑えるのに一生懸命だった。
今日は無理かと思っていたのだから。
最近、萌衣ちゃんの“お姫様”の仮面が剥がれるのをよく目にできる気がする。
これは本来敵認定されているということで、嘆かなくてはならないのだろう。
麻衣ちゃんにアプローチをかける男としては。
しかし、本来の目的が麻衣ちゃんと結ばれることではない俺は嬉しくてたまらなかった。
「えっ...?
萌衣...?」
不意に耳に目の前の少女のものによく似た、可憐な声が届いた。
麻衣ちゃんが驚いたような顔をして、呆然と立っている。
「あ!
麻衣ちゃん!」
俺が声を掛けると、ハッとしてきびすを返して走っていってしまった。
今のやりとりを見て、俺が萌衣ちゃんに懸想しているとしていると思ったのだろう。
...事実だが。
麻衣ちゃんが俺に好意を寄せてくれているのはよくわかっていた。
多分萌衣ちゃんも薄々は勘づいていたと思う。
認めたくはなかっただろうけど。
そう考えていると隣から聞いたこともないような低い声がした。
「.................................帰れ」
声のする方を見ると萌衣ちゃんは泣きそうなような、怒り出しそうなような顔をしている。
その様を見て、内心万々歳だった。
“お姫様”の仮面をかぶっている間は麻衣ちゃんのことしか考えてないが、それが剥がれたときはたとえ恋敵だとしても、俺のことを考えているのだから。
たとえ憎悪でいっぱいであっても、無関心ではないのだから。
「え?」
もっと決定的な言葉が、“お姫様”が剥がれた決定的な証拠が欲しくてわざととぼけてみる。
「帰れっつてんの!!」
思いのほか取り乱している様子の萌衣ちゃんに言葉が出ない。
ここまで完璧に“お姫様”でない萌衣ちゃんが見られるなんて。
萌衣ちゃんはにこりともせずこちらを見たままだった。
「ごめんね」
俺はそういうと、その場を走り出した。
あの後も、何度か麻衣ちゃんと萌衣ちゃんの家を訪れたが、このことについては話題にあがらなかった。
二人とも避けているのだ。
その方が俺にも丁度よかった。
変に探索されてはそのとき俺が何を考えていたのかを隠し通せる自信がなかったからだった。
「ホント、麻衣ちゃんと萌衣ちゃんは似てないよねー」
俺は目の前にいる麻衣ちゃんの背中に向かって言う。
「何言ってるんですか!?
バカなんですか?
これほど似てる双子は見たこと無いとよく言われますが。」
予想と違わぬ返答が返ってきて俺はクスクス笑った。
「僕が言ってるのは、外見じゃなくて内面のことだよ。
君たち外見はそっくりなのに性格は正反対だよね。」
愛され方を知らなくて、みんなから誤解を受けてもなお、愛されたいと望む麻衣ちゃん。
愛され方を知っていて、誰からも愛されるのに、本当に愛したい人への愛情表現はどこか歪で、本当に欲しい愛をもらえない萌衣ちゃん。
そんな不器用なところが愛しい。
愛しくてたまらないんだ。
「...麻衣ちゃん?」
俺は麻衣ちゃんが何も言わなくなってしまったので、目の前に立って顔をのぞき込んだ。
「きゃっ...!?」
顔を上げたとたん悲鳴を上げて、距離をとる。
驚かせてしまったようだ。
「...なんですか、近いんですけど。」
冷静を装ってはいるが、頬に赤みが差したままだ。
「やっぱりね。」
「何がですか?」
やっぱり動揺した。
やっぱりその純粋さが萌衣ちゃんを捉えて離さないのだろう。とも思った。
萌衣ちゃんの愛を一心に受ける麻衣ちゃんをすこし恨めしく思ったが、麻衣ちゃんがいなければ、萌衣ちゃんが俺をその目に写すことはなかっただろう。
きっと萌衣ちゃんは、麻衣ちゃんがいなければ何も目に写すことなく生きていただろうから。
「さっきも言ったけど、麻衣ちゃんも萌衣ちゃんも可愛いよ。性格は正反対だけど、どっちも可愛い。」
そう続ける。
嘘偽りない本心だ。
すると麻衣ちゃんは、
「私と萌衣の可愛さを一緒にしないでください!
私が可愛いなら、萌衣は可愛いなんて言葉じゃ表せませんよ!」
と言った。
本当にこの双子は互いに互いのことが好きすぎる。
それこそ異常なほどに。
どんなにその間に入ろうとしてもそれを許されることはないのだと痛感させられる。
「...毎度のことだけど、麻衣ちゃんって、萌衣ちゃんのことになると人が変わるよね。
ここまで麻衣ちゃんがシスコンだとは思わなかったなぁ。」
そういうと、麻衣ちゃんは少しむすっとしたような顔をした。
「まあ、良いけど。」
そう言って。
少し拗ねてるように映ってしまったかもしれない。
俺は麻衣ちゃんと一緒に高校を出ると麻衣ちゃんの家に向かって静かに歩き始めた。
二人とも何も言わない。
ただ時間だけが過ぎていく。
ちらっと横を見ると麻衣ちゃんが俯いていた。
何かを考えているようだ。
この双子は人と一緒にいるときでもよく考え事をしている。
何を考えているのだろう。
俺には分かり得ないことだ。
萌衣ちゃんなら、麻衣ちゃんのことしかないだろうが、麻衣ちゃんはわからない。
彼女は本当に普通の女の子で、普通の思考回路を持った人であれば、萌衣ちゃんにこんなにも思われているのが可哀想だと思えるくらいだ。
「あ、」
目の前に麻衣ちゃんの名字の表札がかかった玄関がある。
「家についたね。」
そういうと、少し寂しそうな顔で俺の顔を見た。
そして、
「もう、こう言うのやめてください。」
と、言った。
「え?」
「私ではなくて、萌衣を家まで送ってくれれば良かったのにって言ってるんです。」
なんてことを言うんだ...。
俺が萌衣ちゃんを送ったのでは、萌衣ちゃんに対して何も残らない。
萌衣ちゃんには麻衣ちゃんを通じてでないと、何もできないのに。
「でもさ、」
そういいながら必死に言い訳を考える。
何か、麻衣ちゃんを説得できるようなもの...。
「でも、今日は萌衣ちゃんは部活無くて、麻衣ちゃんは部活あったんでしょ?
だったら、麻衣ちゃんの方が帰り遅くなるんだから、麻衣ちゃんを送るのは当たり前でしょう。」
こじつけっぽいかも知れないが間違ってはいないはずだ。
麻衣ちゃんはまだ納得がいかないようで食い下がる。
「私は少々のことがあってもどうにかできますけど、萌衣は絡まれて怖い目にたくさん遭ってるんです!」
「それは麻衣ちゃんも一緒でしょ?
どうにかできるって、どうにかできなかったらどうするの!?」
そういったとき、嘘を言っているわけではないにしろ、本来ならば罪悪感に苛まれなければおかしいだろうことに気づいた。
恐ろしい。
俺は平然とこの純粋な女の子を騙そうとしている。
「もういい、わかった。
萌衣ちゃんがそんなに心配なら、萌衣ちゃんを毎日家まで送る。」
最大の譲歩。
そんな風に思われるように極力気を配る。
そう言うと、明らかに麻衣ちゃんはほっとしたような表情をした。
「ただし。」
そう言うと、不思議そうな顔でこっちを見た。
そして、
「麻衣ちゃんも毎日送るから。」
と、言った。
凄く手間になるんだけど、これがなくては萌衣ちゃんを送る意味すらもない。
「私、毎日部活があるので、萌衣の帰る時間より随分遅くなるんですよ!?
そんな、二度も往復させるなんて...
それを、毎日するって言うんですか?
そんなことさせられません!
萌衣だけお願いします!」
麻衣ちゃんは優しい。
けれど、それじゃあ意味がない。
「麻衣ちゃんも女の子なんだよ?
麻衣ちゃんも萌衣ちゃんと同じ女の子。
心配するのは当然だよね?」
「勝手にしてください!!」
そう言って家の中へ入ってしまった。
俺はこの変化がもたらすかもしれない今後に期待をして、完全に舞い上がっていた。
だから、俺は知らなかった。
萌衣ちゃんが、何かをこそこそと計画していたことを。
萌衣ちゃんが、麻衣ちゃんに抱いていた感情が思った以上に強かったことを。
萌衣ちゃんが、俺に抱いていた嫌悪は取り返しのつかないところまで来ていたということを。
そして...
どうしてこの双子はこんなにも歪だったのかということを。
俺はこの日以来、麻衣ちゃんも萌衣ちゃんも見ていない。