第45話 終幕と《永遠》
「奥様か。びっくりするほど似合わないね」
いつもの乗馬服に、いつもの剣を手にしたイザベラが、呵々と笑う。
「本当だよ」
シャムハールの二本の剣のうちの一本が吹き飛んで、館の庭の芝生の上に華麗に突き刺さった。
「やっぱり剣を持ってると落ち着くね。奥様ってやつが似合う日なんか、永遠にこないんじゃないかな」
「それでいいんだ、『百剣のイザベラ』。我が好敵手。あんたの優しい旦那様より、ちょっと前に出会えていたらなあ!」
シャムハールが剣を拾い上げながら呟いた。
「新妻に悪いお誘いの言葉かい、シャムハール?」
「はは、違いないや。でも違うな。あんたはあんたの魂を見つけた。僕は捧げ先をもう持ってるし、あんたは捧げて貰う側だ。それでいいのさ」
そして言う。
「コロセウム、楽しそうな場所だね」
「あんただったら確実に、いい線いけるだろうさ」
「……首領に、頼んでみようかな」
庭のテーブルで静かに詩集を紐解いていたサムセット船長が言った。
「船ならいつでも出すから、その気になったらきちんと相談しにくるようにな」
その隣で静かに吸入器の積まれた車椅子に座り、ペンを走らせていたジョンも言う。
「好敵手がきっと増えることでしょうね」
「シャムハールにも、このわしにも、まだまだ見るものがある、と」
「持つべき者は良い部下です。魂を何倍にもしてくれる伴侶もまた然り、ですが。持つとうかうか死んでもいられなくなる」
そこに、アンドリューがやって来る。
「首都に行くっていったら、劇団の馬車に乗せて貰うことになってね。君達ほどじゃあないけど、僕にとってはこれも、ささやかな冒険のはじまりだ」
「アンドリュー殿は我々の公演を許してくれましたしね。我々も首都に行ってみようかと話していたところなんですよ」
「首都に着いたら連絡をよこしな。館の荷物をきちんと送ってやるよ」
「ありがとう、イザベラ」
馬車に乗ったアンドリューが、ジョンに言う。
「ジョン・アランドール、僕の唯一の義弟。身体を大事にね。僕は平和が好きだけど、君と違ってそれに見合った言葉も、信念も、持ってはいなかった。……でも、君達のおかげで、やりたかった夢や、持ち合わせのなかった勇気を、持つことが出来た。感謝しているよ」
そんなアンドリューを見送った父親のアダムスが、乗馬服姿のいつものイザベラを見て、
「昨日のあれは幻だった気さえするな……」
思わずポツリと呟く。イザベラが、呵々と笑って、そんな父親の背を叩く。
「まあでも私にとっては、親父がうっかり年下の女と結婚して私を放り出したあたりから始まった話だ。感謝してやってもいいって、今では思っているよ」
アダムスが振り返ってジョンに言う。
「こんなうちの荒馬だが、宜しく頼む。死んだ母親に少しは似て、ちょっとばかりいい女になったようだがな」
ジョンが静かに立ち上がり、そんなアダムスの手を静かに握って、
「出会った日から『すこぶる』いい女でしたよ。最高の人と出会わせてくれた。義父上、感謝しています」
何時ものように柔らかく微笑む。
「アランドールとトゥールボットを、よくぞ繋いだ。平和というものは、我らの世代ではついぞ訪れなかった。エールランド二卿を代表して、感謝を。身体をよく労るようにな」
「落ち着いたら、そちらの館にも来訪させていただきますね」
「待っておる」
家の居間にある、あの物々しい銃を片付ける日が来たのだ、とアダムスは珍しく感傷的になる。そして、振り返ると、ちょうどやってきたアランドール家の皆に言った。
「次に我が娘がそちらの家に行く日が来たら、きちんともてなすように」
更に、付け加える。
「我が家にあった名品も、きちんと管理しろ。花嫁の持参金だ。好きにすればいい。私は妻の墓に報告してから帰る」
ジェイムズが言った。
「貴殿の家の荒馬は世に名を馳せる名馬になった。値打ちなど計れない。いかなる我が家の名品よりもだ」
そして、手を差し出す。
「アダムス。まだくたばるなよ」
「もちろんだ。お前より先にくたばってたまるか」
その手を力一杯握り返す。盛大に眉をしかめた『旧敵の家長』を尻目に、アダムス・トゥールボットは大股で馬車に乗り込み、去っていく。
「……ジョン」
「何ですか」
「お前の花嫁に毒を盛ろうとした件、改めて謝ろうと思う」
「出奔したおかげで拾った命ですよ、父上。今では、一寸たりとも後悔などしていません。謝るもなにも、とっくに僕は許しています」
ジョンが、緑色の詩集を父親のジェイムズに手渡して言った。
「愛する人を得て、夢も叶えた。家にいたら出来なかった事です。良き友も、知己も出来た。数え切れないほどに」
やってきた兄達も言う。
「お前には何から何まで負けたよ」
「港町の施政が落ち着いたらでいい、たまには実家に帰ってこいよ」
「もちろん、妻を連れて来てもいい」
ジョンが笑う。
「きちんと妻を歓待してくれるなら、考えても良いですね!」
「俺達はコロセウムで優勝した女を無下に扱うほど命知らずじゃないぞ」
「それに、昨日の式典はとても良いものだった。お前は悪鬼羅刹をペン一本で女神に変えたんだ」
兄達が、トムやアルマ、サムセット船長と揃って話し込むイザベラに視線を投げる。
「だがまあ、無茶はもうしないでくれよ」
悪戯めいた笑いを浮かべ、ジョンは兄達に言った。
「しばらくは、そのつもりですよ!」
そして、アランドール家の馬車がゆっくりと走り出す。そこに自分がいないのは、不思議なのか当たり前なのか、思わずジョンはゆっくりと息を吐いた。
「海賊船の中に、価値がわからない『お宝』が山のようにあって困っているって聞いてねぇ」
「あら、私、今まで色んな船に乗ってきたけど、海賊船は初めてだわ!」
暢気にはしゃぐトムとアルマの前で、サムセット船長が苦笑する。
「まさか本当に、自ら海賊船に乗りたがる御仁が居るとは」
「帰りの船も高速船にしようかと思っていたけど、それも味気ないなあと思っていたところなんだよ」
「高速船か。これから増えるんじゃろうなあ」
「いいお宝があれば、それを元手に造船会社の伝手を辿れるかもしれないけれど……」
「わしもまだまだ見るべきものがたくさんあるが、如何せんもう歳でね。古き良き海賊船の船長でいられるのも、あと僅かかも知れない。ジョン君が我が勲を詩に残してくれたゆえ未練もないが、生え抜きの、もう歳も重ねた我が部下達に迷惑はかけられぬ。しかし今更、それも、ようやく平和になったエールランドに戻るわけにも行かなくてな」
シャムハールが笑う。
「海賊船のお宝を元手に『ちょっと柄が悪いだけの』貿易船に転身して、再度文字通り『一旗揚げる』のも、まあ悪くはないんじゃないかな」
「そうじゃな。わしは海で生きるのが、何よりも好きだからのう」
トムが愉しげに笑う。
「それで海上貿易会社を立ち上げるなら、この僕にも話を一枚噛ませておくれよ。でもまずはお宝を見に行かないとねぇ」
「見る目の確かな者の『査定』があれば、目録も作れる。きっと何かと役に立つはずじゃな」
そして、船長とシャムハール、トムとアルマが同じ馬車に乗り込んだ。そして、窓を開ける。
「最高の式だったわ、お姉様!」
「あんたが踊ってくれたおかげで、勇気が出たんだよ。感謝してる」
「ジョン、また会おう! 次に会うときは、忘れずに二冊目の詩集の原稿を持ってきたまえよ!」
「もちろん! レフ殿にも何卒宜しくお伝えください」
最後まで停まっていた馬車が賑やかに去っていった。
ジョンが、車椅子に静かに腰を降ろす。
「終わりましたね」
「ああ、これからがはじまりなんだけどね」
「本当に」
「海の見える丘に行くかい?」
「そうしましょうか」
イザベラが車椅子を押して、言う。
「館の中も、車椅子で移動できるようにしないとね……」
その館の中から、メイドの衣装をまとって、首から算盤を紐でかけているポーリーが駆けてくる。
そして三人で、領主館からはほど近い、夕日の暮れなずむ港町のはずれにある街で一番小高い丘の上へと登っていった。登りきった丘の上の広々とした場所で、イザベラが、ぽつりと言った。
「……学校を建てるなら、ここがいいと思う」
ジョンが静かに、その続きを促すように黙って頷く。
「肌の色も、年齢も、何も関係ない学校だ。……たまに、剣術を教えに来るちょっと年増の女先生がいるかもしれないし、一ヶ月に一回くらいは、詩を教えにくる優しい車椅子の先生が、いてもいい」
ポーリーの顔に、花が咲くような笑顔が浮かぶ。
「……ポーリー、ガッコウ、カヨウノ、ユメダッタノ……!」
そして丘の上を駆けだして、嬉しそうにくるりくるりと回る。
「……学校のあちこちで、軽やかに算盤の音が鳴ったり、海の向こうの言語が、教室を彩ったりするでしょう」
「ああ、そうさ。首都には兄貴が建てた大学が出来て、出来の良い奴らは、手を振ってこの町を旅立っていく」
「港の鐘に祝福されながら、新しくなった石畳を、馬車で走っていくことになるでしょう」
車椅子の後ろから長い両腕を伸ばし、イザベラがジョンを抱きしめ、踊るように丘を駆けるポーリーを見ながら言う。
「……それが、私達の可愛い子供達だ」
ジョンが、伸びてきた腕を取って頬を寄せる。
「愛しています」
「私もだよ」
水平線に日が落ちていくのを、二人は静かに眺める。
「良い旅だった。一生忘れやしない」
「僕もです。最高の日々だった。僕らはきっと、海の向こうで、永遠を過ごしてきたのです」
薔薇の香水の香りが、何かを語りかけるように微かに薫る。
「これからは、ここで、この命ある限り、ずっと」
長くはないはずだった残りの日々が、奇跡のように、彩り豊かに伸びていく。
ジョン・アランドール、新進気鋭の若き詩人が車椅子から立ち上がって振り返ると、妻の髪に手に触れて微笑む。
イザベラ・トゥールボット、『薔薇薫る金の髪の』『百剣のイザベラ』が、静かに自分より少しばかり背の低い夫の肩に頭を寄せて、同じように無言で微笑み返した。
《永遠》
私は詩人であり
薔薇の花弁は永遠に薫るものだと知っている
―婚姻証書に印す
(J.A)




