第38話 決着
コロセウムの天幕が畳まれ、青い空がぽっかりと姿を見せる。
決勝戦。
片手に長い細い剣を、そして腰からはやや小ぶりの細剣を下げた男が、昏い目でイザベラを見る。
(嫌な目だ)
ガドと立ち会った時とはまるで違う何かがある。
「……女の剣士とやりあうのは初めてかい、オルガーノ・ポルティーズ?」
「イザベラ・トゥールボット、恨みはないが、消えて貰う」
オルガーノが正面に剣を構えるのと同事に、下段に構えたイザベラが目を細める。
(消えて貰う、か)
決勝戦に出るような名剣士が使うには不適切な言葉な気がする。それに、妙に昏い目。こういう目をした男は厄介だ。何かある、と感じた時には、凄まじく早い剣戟が真っ正面から嵐のように襲いかかってきた。
反射的に身体を低くして、イザベラはそれを避けきる。
「……速い!」
思わず最前列のジョンが息を呑む。息もできないような、荒れ狂う雷雨のような剣戟。イザベラもまた右へ左へ舞うように剣を振るい、それを押し返していく。
しかしながら二連戦で疲労が蓄積されているのか、少しばかりイザベラ側の反応が遅い。
とん、と三歩ほど後ろに下がり、彼女が肩で大きく息をする。
「……厄介なもんだ」
「こっちの台詞だ。……あの戦いの後で、よくこんな力が残っていたな」
「愛しい奴からの借り物さ。こちとら負けるという選択肢はないんだよ」
「じゃあ死ぬしかなかろう」
「何だって」
やはりどこかこの相手はどこかおかしい、とイザベラが目を細める。
「本気で命を取りに来るつもりかい」
「…………」
「そういうのは戦場でおやり。ここはコロセウムだ。けれど、本当に、あんたみたいなのがこの私の命を取りに来るなら、容赦はしないよ」
観客席の最前列が、何故かざわついている。ジョンの隣に戻ってきたガドとポーリーが、何かを手に叫んでいる。
しかしながら、観客達の熱狂で、その声は届かない。
何かが起きている。今、この瞬間に。
そしてオルガーノが、腰に下げていた二本目の剣を抜く。
「……どうやら、早く片付けねばならないようだ」
「あんた、何か隠しているね」
「話す必要はない。知らないまま死ね!!」
突き出された二本目の剣をがちりと受け止めて、纏わり付いてくるような刃先を、手首を回して避ける。ポーリーの悲鳴が微かに聞こえる。レイモンドとガドが何かを叫び、ジョンが蒼白になる。
(……やっぱり、何かあるってことだ!!)
イザベラが視界の端にそんな彼らを捉えて、そして思わず微笑む。
「心配させちまっているね……」
いつの間にか自分には、こんなにも『味方』がいたのだ。
「余裕だな」
「いいや。余裕なんてないよ。あんたは強い」
剣の切っ先が、長い金の髪を擦る。何かが塗られているのか、二本目の剣は、妙にてらりと太陽の光を反射する。
「でも、孤独だ。そうだろう? コロセウムで対戦相手をぶちのめすのはまあまあよくある話だ。……でも、殺しは違う。あんたは今、明白に、この私を殺そうとしている」
五歩下がったイザベラが、息を吐いて自分の背中に手を回す。
「その目は殺し屋の目だ。私は誰よりも強くなるために、誇り高い戦士達と戦いに来た。つまり、あんたのような半端なやつは、お呼びじゃないんだよ」
そして、ベルトの背中に横差しにしてあった、旅の途中でフェルディナンド卿から貰った短剣を抜いた。
「半端だと」
「話は見えてこないけど、私に恨みを持ってる奴には心当たりがある。さあ来な。どうせ話す気がないなら、お互いやることは一つだろう?」
「その言葉、後悔させてやる、イザベラ・トゥールボット!」
繰り出された長い剣を、間一髪で潜り抜ける。そして、短い細剣の方に、がちりと短剣の根元にある凹凸を食い込ませた。
オルガーノが短剣の根元にある『仕組み』に気付いたのか、一瞬目を見開く。次の瞬間、気が留守になった長い方の細剣を、イザベラは反対側の手に持った自分の剣で弾き飛ばす。
「でも、何かあるのは、こっちの短い剣だ!」
コロセウム中に、甲高い金属音が響き渡る。勢いよく、毒の塗られた細い剣が折れ、刃が根本から吹き飛んだ。
肩で息を大きく吐いたイザベラが、言う。
「そう、こういう時に言う言葉は、私でも知っているよ。友達から、教わったばかりだ。……『踊りの時間は、終わりでしてよ?』」
二本とも剣を吹き飛ばされたオルガーノが、思わずコロセウムの地面に膝をついた。
「勝者、イザベラ・トゥールボット! 優勝……優勝です!!」
場内に凄まじい歓声が上がり、思わずイザベラは天を仰ぐ。コロセウムの屋根の畳まれた天幕の間から見える空が、やけに青い。見慣れた空に、今なら手が届きそうな気さえする。
ばたん、という音と共に、コロセウムの柵を乗り越えたガドとポーリー、そしてジョンが駆けてくる。
「そんなに走ったら、身体に悪いよ」
「いいえ、さっき貸した分を、返してもらえれば!」
背の高い自分の両肩に、ジョンが手を回す。そして、ぐっと爪先を伸ばし、先程よりは少しばかり熱くなった、それでもひんやりとした唇を、自分の唇に当てがった。
場内が、今度は女性達の黄色い声で沸き立つ。
長い、先程よりも長い接吻の後に、ジョンが少しばかり懐かしい言葉を、少しばかり悪戯めいた微笑をたたえて、問いかける。
「……この婚約は、なかったことにしますか?」
イザベラが、いつものように呵々と笑い、そんなジョンを抱きしめた。
「私の夫はあんただけだよ。ジョン・アランドール。私の、最高の詩人! さあ、月桂冠をかけておくれ。今日この日のために、私は生きてきたんだ!!」
豪華な月桂樹の冠が運ばれてくる。それを受け取ったジョンが、静かに片方の膝を地面に降ろしたイザベラの頭の上に載せた。
歓喜の渦が、最高潮に達する。
「トゥールボット卿、無事で、よかった」
そこに、ガドがオルガーノを取り押さえ、ポーリーが小さな小瓶を手にやってくる。
「それは……」
「あの剣に、毒が塗られていた。一撃でも食らっていたら、命が危ないところだった。我が兄の仕業だ」
「……やっぱり、そんなこったろうと思っていたよ。でも、コロセウムで火薬と毒物を使ったら順位剥奪だ。ってことはガド、あんたが準優勝になるんじゃないのかい?」
コロセウムの関係者達が集まってきては、ポーリーの手の小瓶、そして折れた剣を検分しはじめる。
「……俺がか?」
思わずガドが、予想外の言葉に目を見開く。そして場内に声が響く。
「オルガーノ・ポルティーズに反則行為ありと見なし、準優勝者はガド・エーケンハイムに決定致しました!!」
再び、熱狂的な声で場内が埋め尽くされる。茫然と立ち尽くすガドに、ポーリーが言った。
「ガド、ホントウニ、ツヨイヒトニ、ナッタヨ」
月桂樹から1本だけ枝を抜き取って、ジョンがそれをポーリーに手渡す。ポーリーが、うんと手を伸ばして、月桂樹の枝を、ガドの耳と髪の間に、そっと挟む。
「コレデ、イイ?」
「……ああ、もちろん。我が小さきレディ。俺も、いつの日かここで、月桂樹の冠をかけてもらいたいものだな」
「ポーリー、スグニ、オオキク、ナル。ソウシタラ、ゴシュジンミタイニ、カンムリヲ、カケテアゲル!!」
ガドが微笑んだ。そして、腰をかがめてポーリーの掌をとって、その甲にそっと唇を落とし、言った。
「……約束だ」
「ウン!」
そこに新聞記者のサレム・ラトウィッジが駆け込んでくる。
「号外、間に合いましたよ!!」
イザベラが目を丸くする。
「号外?」
「ええ、『薔薇香る』『百剣のイザベラ』殿! あなたの詩人は、やってのけたのです!!」
新聞の号外売り達の声が、興奮冷めやらない場内に響く。観客達が、我先にと彼らの元へ殺到し、幾枚かの新聞が、場内を舞い飛んだ。
ジョンが、足元に舞い落ちてきた新聞の号外を手に取って、それをイザベラへ手渡して、言った。
「……誓ったはずです。二度と、誰にもあなたを『老嬢』などとは呼ばせない、と……」
そしてそのまま、ゆっくりと、波打ち際の砂の城が波に崩されるかのように、ジョンはコロセウムの中心で気を失っていった。




