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第24話 自覚

 退院したばかりのローラとシーシウスの家の居間で、腕の中に小さな赤子のベラを抱きかかえ、ポーリーが機嫌よく、そして優しく歌う。


 故郷のリズムなのだろう、少し独特の横揺れと愛らしい声で、むずがっていた赤ん坊も、すやすやと眠り出す。イザベラが聞いた。


「その歌、ジョンが教えてくれたのかい?」


 ポーリーが答える。


「ウン。デモネ、ポーリー、モ、オシエタノ! ムラノ、コモリウタ。ゴシュジン、ガ、ワスレナイヨウニッテ」


 ローラが不思議そうに二人を見る。


「皆様は、どこで知り合ったの?」


「港町で悪党共に売られかかってたのをぶんどってきたのさ。今まで散々苦労してきたんだから、もう誰からも自由に生きててもいいってのに、うちらのメイドになるって言って聞かないんだよ」


「オンガエシ、スルノハ、イイオンナ!」


 ローラが優しく微笑んで、ベラとポーリーを撫でる。


「大変な思いをしたのね」


「ゴシュジン、ヤサシイ、オヤブン、ツヨイ! ポーリー、シアワセ!」


「ふふ、いいことだわ」


「ゴシュジン、ポーリー、ノ、スンデタ、ムラノコト、ワスレナクテ、イイッテ。ダイジニ、オボエテルヨウニッテ。ポーリー、ウレシイ」


 理不尽に焼かれてしまった今は亡き村や家族のことも、優しい記憶として思い出すことができるようになっていた。


「思い出ってやつは、奪えないものさ。うちの国は、私が家出するまではほとんど戦争だった。そんな場所で先頭に立って戦ってたから、その辺のゴロツキにこの私が負けるなんてことはないけど、あんたの旦那が気になってね。コロセウムで優勝してきたんだろ? 話を聞きに来たんだよ」


 そこへ、当のシーシウスが武器を担いでやって来る。イザベラが言った。


「ジョンが詩集を作ってる間に、こっちは腕試しといこうじゃないか」


 シーシウスが楽しげに笑う。


「東の国のコロセウムがあんたらの旅の目的地とはなあ。いいぜいいぜ。俺が抱っこするとベラは泣いちまうからなあ。子育ての合間に、お手合わせってやつだ!」




「……ええ、性根はとても優しい人です。本人は、きっとそんなことはないって否定する気がしますが」


 詩の書かれた紙束の縁を揃えながらジョンが微笑む。そして聞いた。


「ここは良い町ですか」


 レフが笑う。


「良い町じゃな。酒も美味いしのう。まあ、酒というのは概ね天国の香りと悪徳の味で出来ているゆえに、わしはほどほどにしておるんじゃがね」


「まあ健康に生きるにはその程度が一番ですが、お酒が?」


「蒸留酒が名物でなあ。飲めるかね?」


「ほんの一口、頂きましょう」


 詩人二人が静かに盃を交わす。


「……天国の味がしますね。イザベラさんにもあとで一杯お願いできますか」


 レフが紙束から顔を上げる。


「……お前さんの『妻』じゃな」


「そう呼んで良いか、少しばかり曖昧ですが……そうですね……」


 ふと、ジョンもまた手を止めて、視線を古びた窓の方へと向ける。


「……兄達が僕に妻を与える、と聞いたとき、とても嬉しかった。やっと、一人の大人として認めて貰えたような気がして。僕のような人間でも、誰かを幸せにするだけの力があるんだ、と言われた気がしたんです。……まあ実際は、敵対していた家の女騎士を毒殺する計画の一部でしかなかったわけですが。でもあの時、そんな家の館の図書館で、夢を見ながら朽ちていくのを、僕は拒むことにしました」


 カーテンの向こうから夕日が差し込む。


「僕の人生はいつだって黄昏だと思っていた時期もあったんですよ」


「そいつはいかんな。そういうのを考えて良いのは、わしみたいな老人だけじゃよ」


 レフの長く白い髭が、夕日を吸い込むように少し赤みを帯びる。


「……イザベラさんやポーリーは、僕の人生を、そんな黄昏時から引き戻してくれた太陽です」


 老詩人が静かに微笑んだ。


「お前さんの綴る言葉には、限りない優しさがある。太陽をふたつ持つ若者に相応しい暖かさも、そんな太陽が憩う夜の静けさも」


「夜、ですか」


「夜のように優しく、懐が深い人間でありなさい。ゆえに彼女たちは輝き続け、きっとそれが、お前さんの生命を長くする」


「はい」


「夢を見ながら朽ちるのを拒む。そして命を削ってまで旅をする。お前さんには少し、若者ゆえの苛烈なところがあるからのう。妻と養い子を心配させぬようにな」


 この老人は、自分の家族よりも自分の本質を見抜いている気さえする、とジョンはレフの灰色の瞳を見る。


「ありがとうございます」


「いいんじゃよ。わしは、自分で家族を持つことはなかったからのう。ついつい、こう、お節介を焼きたくなる」


 そして、人差し指を己の唇に当てて笑う。


「全盛期に少々、遊びすぎてのう……酒と美女は程々に、と言うべきところじゃが、そんなことを言える口を持っておらぬのが、この哀れな詩人の生き方じゃ」


 後悔など見当たらないはずのあっけらかんとした語り口に、愉悦と孤独が香辛料のように滲む。


「……孤独は雪のように白く」


「あたかも我が髭の如く、じゃな。ちょっと休憩するかね。美味しいお茶を淹れよう」


 二人が静かに微笑んで、整えた紙束を同時に机の上に置いた。




 町の広間の中央で、イザベラとシーシウスが武器を手に対峙する。巨大な斧と盾を手に、景気よくシーシウスが陽気な雄叫びを上げた。


「さーて皆々してよくよくご覧じろってやつだな! 我こそは東のコロセウムの第57代覇者『剛斧の』シーシウス!」


 イザベラもまた口の端を楽しげに吊り上げる。


「はは、良い勢いだ、悪くないねえ! こっちも久々に名乗ってやるよ。イザベラ・トゥールボット。名乗る二つ名はないけれど、二つ名を持つ奴らはすべからくこの剣で倒してきた女だ!」


 そこに、馬車に乗ってジョンとレフが到着する。そして、既に広間に人の輪が出来ているのを見て


「随分と賑やかだと思ったらやっぱりイザベラさんでしたか。手合わせでしょうね」


「東のコロセウムの覇者と、かね?」


「運良く知り合えて、機会を逃すとも思えませんしね」


 紙とペンを取り出しながら馬車から降りて、ジョンが微笑む。


「良い試合になりそうです。見ていきましょう」


 既に豪快な金属音が鳴り響いている広間へ歩いていく。いつもの剣を持ったイザベラと、大きな盾と斧を持つシーシウスが対峙していた。


「やるじゃねえかイザベラ姐さんよぉ!」


「こちらも血潮が滾るよ! 流石は優勝者なだけあるねえシーシウス!」


 石畳が割れるほどの斧の勢いを受け流し、イザベラが鮮やかに舞うようなステップで懐まで接近し、剣を突き付けようとする。それを盾で軽くいなして、シーシウスがかっかと笑う。拮抗する二人が、文字通り武器と武器とでせめぎ合い、火花を散らす。


 ジョンがふとペンを止める。そして、息を吐いた。


「どうかしたのかね」


「羨ましいものです。もしも叶うなら、ああして……いや、詮無きことですね」


 言いようのない感情。自分の指や腕の白さと細さが、こうも恨めしく感じたことがあっただろうか。


 満面に笑みを浮かべ、この上なく楽しそうに剣を振るうイザベラを見ていると、そんな彼女を前に堂々と対峙し、盾と斧を振るって豪快に笑うシーシウスが、羨ましくてたまらなくなる。


(こんな感情を、胸に抱く日が来るなんて)


 ジョンが、鞄に紙とペンをしまい込む。


「……生まれ変わるなら、ああやって楽しく手合わせできる人になってみたいものです。今の僕はどう頑張っても、それだけは叶わない」


 レフが、そっとジョンの肩に手を置いた。


「否、否じゃよ。おぬしでなければおぬしの『妻』は彩れない。詩人とは、そういうものだ」


「それは、一体どうすれば」


「彩りたい、と思ったのだね?」


「……はい。百万の言葉で、百年の先まで勲を残したい。そう、約束したんです。ああ、でも、けれど、僕だけが知る何かも、少しだけ、一粒でいいから、欲しい。欲しくなってしまった。それが何なのか、わからないというのに」


「そういうものを、巷では『愛』と呼ぶのだよ」


 レフを見て、ジョンが小さく首を振る。


「もしもそうだとしたら、この身体では、きっと叶うことはないでしょうね……」


 レフが少し考えて、そして静かに言う。


「……我らは詩人。我らが誰かに与えることが出来るのは本来、言葉と、文字だけじゃが、時にはそれを超えるものがある。愛も、悲しみも、喜びも、そして名誉も、何もかもを紙とインクだけで形づくることができるのは、我らにしか、出来ないことだからのう。……だから、我らにしかできないことを出来る自分を信じなさい。今は、特に」

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