第17話 献呈
歳も背丈も生き様も様々だが、ジョンとイザベラ、ポーリー、そしてカルロスとアントニアは、このフェルディナンド卿の館であっという間に意気投合することとなった。
「少なくとも、良い奥さんというのは旦那に『様』は付けないと思うんだよ、アントニア」
イザベラが言う。
「まあ、そうかしらカルロス様……いいえ、カルロス」
言う先から真っ赤になるアントニアと、
「あ、ああ、慣れないものだな、アン」
二人で同時に真っ赤になるのが初々しい。
「て、照れてしまうわ。私、ポーリーちゃん達に花冠の編み方を教えるって約束していたの。中庭に行ってくるわね」
「じゃあ私も行くよ」
ぱたぱたと、真っ赤になったまま部屋を退出するアントニアと、堂々と部屋を出て行くイザベラを見送り、カルロスが呟く。
「夫婦になろうと誓い合ってから何年も経っているのに、館では人の目があってなかなか手紙一つ渡せなかった。同じ部屋で眠るのも実は初めてだったわけだ」
「夫婦になろうと誓ったこともないのに、皆で同じ部屋に泊まっていましたね……」
「本当に貴殿らは規格外だな」
「何年も想いあえる人がいることは幸せなことです」
ジョンが書きかけの紙を渡して、小声で問いかける。
「『中庭で花を摘み、小さな友らと花冠を編む。その白い指に触れることが出来たら』……つまり、そういうことでしょう?」
「ああ、まだ『正式には』指一本、触れてすらいないわけだ。情けない話だが」
「それでは、このあたりの一文に『今宵』を足しておきましょう」
思わずカルロスが呻き声にも似た声を上げて、呟く。
「詩人、というのは本当にすごいものだな……」
「僕はこの大陸で、美しいものを詩にすると夢見て家を飛び出しました。あなたの優しい奥方が、イザベラさんやポーリーに花冠を編むのを教える姿も、美しいもののひとつですよ」
ジョンがペンを片手に微笑んだ。
「『美しい人よ。私は今宵、君の元に跪き、囁き、そして懇願することだろう。けれど、それこそは月と星のみが知る秘密』………」
「月と星のみが知る秘密、ですよ」
「良い言葉じゃあないか」
花冠をかぶったままのポーリーが、少しばかり寂しそうに言った。夜の帳はおりて、カルロスとアントニアはこの場にはいない。
「マタ、アエル?」
「大陸で一番強い女になって凱旋する時に、立ち寄れたらいいねえ! もっとも、その頃には二人とも、ランドルケーヘンの良き領主様とその奥様になってる頃合いなんじゃないかな」
「手紙だって書きますよ。文字、頑張って覚えましょう」
「ウン!」
そこに、足音を忍ばせたフェルディナンド卿がやってくる。
「行くのかね?」
「こんなに居心地の良い日々はありませんでしたよ」
ジョンが言う。イザベラもまた笑い、からりと言った。
「あやうく腰を据えてしまいそうになったよ。二人には、宜しく言っておいておくれ」
「もちろんだとも。ああ、そうだ。ジョン君には渡すものがあった」
「僕に、ですか」
「わしの知る限りのこの大陸に住まう名医のリストと、これを」
紙に書かれたリストと、小さな古びた木箱をフェルディナンド卿はジョンの手に押し付ける。
「これは?」
「昔使おうとして作ったものだが、もう使い道がなくてな。わしにとって美しいものは、この館だ。だからお前さんにやったほうがいい。道行きのお守りくらいにはなるだろう。朝になったら開けてみると良い。いつの日か、使う日が来ることもあろう」
「……朝になったら?」
「然り。じゃあ、気をつけて行くんじゃよ。お転婆はほどほどにな、イザベラ君」
「はは、保障はできないね!」
「ジョン君、二人を頼むよ」
「僕が頼ってばかりですがね」
館の外に、いつの間にか屋根付きの二頭立ての馬車が停まっていた。
「お前さんは肝心なときに限って無茶をするタイプじゃからなあ。ポーリー君が一番頼りになる日も近いかもしれぬな」
「ご慧眼です」
「ポーリー、タヨリニ、ナルヨ! リッパナ、メイドサン!」
「さあ、行きましょうか。静かに。きっと今、一番幸せな時間を過ごしている二人のためにも」
「防寒具も積んでおいたからのう」
「何から何までお世話になります」
「お前さん達が名をあげたら、わしのこの鷲鼻が高くなるでな」
「ありがとうよ、フェルディナンド卿。あと何十年も早く生まれてたらお手合わせしてみたかったもんだ」
そんなイザベラに、フェルディナント卿は言った。
「お前さんにはこの短剣をやろう。昔使っていたものだが手入れはしてある。見た目はただの短剣だが、上手くやれば根本にあるここの凹みで、相手の剣を折ることもできる」
見ると、剣の根元には櫛のような凸凹がいくつも刻まれていた。
「……成る程。この凹みに相手の剣を挟んで折る、というわけだね。しっかりと使わせて貰うよ。ありがとう」
「良い旅には良い武器があってこそじゃよ。お前さん達は特にな。さあ、お行き。くれぐれも気を付けるんだよ」
ジョンとポーリーが馬車の中へ、イザベラが御者台へと乗り込んだ。そして馬車が静かに走り出す。
「佳い夜です」
「ポーリー、アントニア、ト、カルロス、ダイスキ。ダカラ、チョッピリ……サミシイネ」
「この淋しさも込みで、素敵な夜なのですよ」
ポーリーが胸に抱えた『侍女の心得』の本とメイド帽をぎゅっと抱きしめる。
月と星のみが知る夜の交歓と、新たな出発。
滑り出るように館を離れた馬車の御者台の上で、イザベラもまた目を細める。自分の青い瞳に、星がいくつも飛び込んでくるような、そんな美しい夜。夜というものはこんなにも美しいものだったのか、と思わず目を瞬かせる。
知古というのは戦場で倒した相手ばかりであり、夜は野営地で眠るだけだったはずの人生が、どうしていつの間に、こうも豊かになっていたのだろうか、と考えながら。
翌朝早く、馬車に積まれた毛布にくるまって眠るポーリーと、御者台の上で片膝を立てて眠るイザベラを見て、馬車からそっと降りたジョンは、フェルディナンド卿から貰った木箱を見つめる。
「朝になったら、ですか」
一体何が入っているのだろうか。朝の少し冷たい風と、柔らかい鳥達の声、森のさざめきに囲まれて、ジョンは何度も瞬きをしてから、静かに小さな木箱を開ける。
「これは………」
中に入っていたのは男性用と女性用が一対になった、細く美しい銀の指輪だった。
「ああ」
思わず声を出して、何度も箱を見つめ、そして、蓋を閉める。
(……『いつの日か、使うこともあろう』ですか)
そして、薬用の鞄の奥底に、大事に箱をしまい込む。
(ええ、良いお守りです。今は、まだ………)
御者台の上で片膝を立てて眠るイザベラを見て、ジョンは目を細めてから、馬車に戻って毛布を被り直す。
そして、目をそっと閉じて、鳥の声に耳を傾けながら、再び静かに眠りに落ちていった。
「そうか。出立してしまったのか」
「せめて……ご挨拶、したかったわ」
館の一室から、同時刻に起き出してきたカルロスとアントニアが、寂しそうに窓を開ける。
「最高のソネットを貰った」
「ええ、ええ本当に。……それに、ポーリーちゃんは妹みたいで、イザベラ様はお姉様みたいだったわ。幸せなひとときだったの」
フェルディナンド卿が窓際でパイプをくゆらせながら微笑む。
「そうじゃろうなあ」
「ジョン殿は、大丈夫であろうか」
「馬車には防寒具も入れておいたよ」
「ありがとうございます、叔父上」
「お前さんも、これからここで学ばねばな。婚姻以外の方法による対外政策をな」
「そのために、来たようなものだ。一族の名に恥じぬようにせねば。アントニアのためにも、ランドルケーヘンのためにも」
「いつかは、城にアントニアを連れて戻ることになろう」
「私も、それに恥じぬ女にならないといけないわ。強く、凛々しく、堂々と……」
「今のお前さんなら出来るよ、アントニア」
「フェルディナンド様」
「もう叔父上、と呼んで貰っても構わないよ。そうだろう、カルロス?」
カルロスが耳だけを少し赤らめて答える。
「ええ、叔父上。……名実共に、彼女こそは一生涯、私の伴侶です」
「カルロス……」
「いつかは城に戻ることになるでしょうが、そのためにも私は学ばねばなりません。どうかご鞭撻を」
「相変わらず生真面目な奴じゃなあ。では、朝食を取ったら図書館でな」
「はい」




