41.ペンギンさんも好きなお酒は命の味がするそうです。
ヘリヤは猫ではない。………………………たぶん。
マトと同じように、ヘリヤも完全な人の形をしている。動物要素がどこなのか、何のメージャなのか、ぱっと見ただけではわからない。
マトもおかしいと思ったのか、鏡を覗き込んでいる。わたしもマトの真似をして、シュプレが感激したように目をうるうるとさせながらじっと見ている先、鏡の中を確認する。
「……猫だな」
「……猫、だね」
鏡の中にはいつも通りの笑顔を浮かべたヘリヤがいた。どこかに腰かけているらしく、虎猫を膝の上に載せている。
「この子ぉ、その子のサバクにどうかなぁーって思ってぇ、捕まえてきたげたのよぉ」
虎猫は明らかに緊張かなにかで固まっていた。
ぬいぐるみみたいに動かない。
「どーぉー? 使用人の契約は済ませたみたいだけどぉ、あたしの鎖つきのサバクがいれば、もっと完璧じゃなぁい?」
「にゃっ!?」
ヘリヤが猫の脇に両手を入れて、猫をだらんと伸ばしてわたしたちに見せてくれた。
そのとき、猫は一瞬悲鳴のような声をあげていた。けれどそのあとは目を見開いたまま、やっぱり固まったように動かない。 なんだかちょっと、可哀想なような、面白いような。
「おい、ヘリヤ、怯えさせるなよ」
呆れたようにマトが言う。
猫ちゃんは助けを求めるように、マト、わたし、シュプレ、マト………と目だけを動かしている。 柔らかそうな腹毛がこちらに向かって晒されていた。
「あっはははは! しょうがないじゃーん! で、どうするぅ? シュプレちゃん。クオラを絶対に裏切れなくなる猫ちゃん、欲しい?」
完全に怯えた獣は今度、涙目で首を左右に振っていた。どことなく、愛らしい。
「あれぇ? いいのぉ? じゃあ食べちゃおっかなー?」
「やめとけ。そんな低階位のメージャなんてつまみにもならないだろうが」
「でもぉ」
「いいから、待ってろ」
パタン、とマトが鏡を手前に倒した。ヘリヤの姿が見えなくなった。もちろん、怯えた猫ちゃんもだ。
「……今見たあの面倒臭い女のメージャが、本来クオラのサバクになるはずだったヘリヤだ。あいつはクオラに対しての執着がやたらと強い。……どうする?」
「どうするって……」
シュプレは困ったように鏡、マト、わたしを順番に見た。
シュプレを鏡から遮るようにして立っていたマトは、長い足を数歩分動かした。
そしてどさりと勢いよくソファー、シュプレの正面に腰を下ろす。
「あんたには選択肢がいつくかある。ひとつは、ただのワモチとしてクオラに仕えること。さっき結んだ契約通りだ。二つ目は、あの猫のサバクを得て、あんたもサモチになるっていう未来。ただ、その場合もあんたはクオラを裏切ることだけはできなくなる。ヘリヤがあの猫を通して、あんたの魂に紐付けするのは間違いないからな。
秘密の暴露は当然できないし、クオラの不利になるような言動にも制限がつく。
来年の『ウケイレ』の時にはヘリヤもこっちに上がってくる予定があると、付け加えておく」
少し考えてから、シュプレはマトを見上げた。
「……あの、あの猫ちゃんをわたしのサバクにしつつ、ワモチとしてクオラに仕えることはできないんですか?」
シュプレのとても綺麗だった髪は、以前のようにさらさらと肩から滑り落ちたりはしてくれなかった。それでもシュプレの横顔は前と同じか、それ以上に美しさを増している。わたしの自慢の、綺麗で賢いシュプレがそこにいた。
でも、ワモチとして生きるよりも、サモチとして生きたほうが人生は楽に決まっている。 例え、わたしのせいで足枷が嵌められるとしても。何を選んだって制約があるのなら、せめて楽な道がいいと思う。
「シュプレ、サモチになったほうが」
「嫌なの」
シュプレはわたしの言葉を遮った。
静かに首を左右に振る。
「わたしがサモチになれないとわかった途端に、わたしの家族と思ってた人たちはみんな、いきなり冷たくなった。わたしが王妃候補だったからちやほやしてくれてただけだったのよ。
……血の繋がった肉親に向かってあんな扱いをしてくるような人たちとはわたし、もう関わりたくない。でも、仕える相手がクオラなら、わたし、きっと安心できる。
……それにね、クオラ。わたし、シシガに行ってみたからこそ、こう思うようになったのかもしれないけど……ワモチでいられるのって、そう悪い人生じゃないわ」
わたしは、シュプレのまっすぐな姿勢と眼差しからそっと顔を背けた。
ペンギンさんが新しい茶器を出してくれていた。添えてあるのはわたしが大好きな、あの、甘くて、サクサクで、ふわっとバターの香るモックモククのラングドシャロール……。しかも特注の品だ。姉であるソディアがこの前贈ってくれた、パッケージにペンギンさんの絵があるやつだ。
「わたしだって、人が変わるかもよ? シュプレにひどいことをするかも」
「その時は、そのときよ」
お茶とお菓子をいただいたあと、わたしたちはわたしの自室に併設した倉庫のなかで『ウケイレ』の儀式をした。
マトとヘリヤが結界を張り、わたしが『境界』を削り、シュプレ一人の詠唱で道を開くのはちょっと、いやかなり魔力を削られたので、わたしたちは魔力を回復するお茶をがぶ飲みする羽目になった。
「猫ちゃん!」
「……あの、ミンミです」
シュプレが歓迎の声をあげた。
ペコリ、と頭を下げたのは、わたしたちよりもちょっと年下くらいに見える、女の子だった。さっきの虎猫が、門を通り抜けてみたらほとんど人間の形になるまで成長している。
かなり猫っぽいけれど、緩やかにうねる頭の毛は人間みたいな長さがあった。顔の皮膚と、腕も人間そのもの。
「あの、これ、ヘリヤ様が一本あたしが飲むようにって。もう一本はマト様に預けるようにって」
ミンミはマトに小瓶を渡した。なんだろう?
「ああ、………これを使ったのか。ヘリヤも気が利く」
手品のように小瓶はパッと消えてしまったので、それが何だったのか、わたしにはよくわからなかった。
とりあえず、表向き、ミンミはわたしのサバクで、シュプレの手伝いとして預けているということであちこちに申請を出すことになった。実際に手続きを全て済ませてきたのは、マトに書類を渡されたペンギンさんたちだけれど。
昼食をミンミとペンギンさんたち、そしてシュプレが作ってくれた。デミグラスソースのかかったふわふわオムレツに、コンソメスープ。サラダにはぷりぷりの小エビがトッピングされていた。トマトはくし型に切られていて、わたしの希望で、四人でテーブルについていただいた。
午後にはシュプレのお引っ越し。『倉庫』の術はミンミも使えたので、あまり大変ではなかった。わたしの実家に寄って挨拶をしようとしたけれど、家族は全員、休日出勤だそうで、それは後日にしておくことにした。
シュプレがわたしの隣の部屋に行き、荷物の整理をしているうちに、わたしは疑問をマトにぶつける。
「……わたしの収入で、シュプレとミンミも養っていけるの?」
わたしは実家から生活費の援助を受けているけれど、それらにはほとんど手をつけないでいる。マトにお財布を握られているわたしが自由に使えるのは、祭司庁から受け取った手当ての一部だけだ。無駄遣いはあまりさせてもらえていない。
ドレスや交際費、学校や仕事に使うもので高額なものにだけ、マトは実家からの支援金を使わせてくれる。
「実家からのお金、使うの?」
「いや、当座はミンミが持ってきたこれだけで足りるだろうな。来年になれば、手当ても増える。今のまま、クオラの稼ぎだけで問題ない」
これ、と言って見せられたのはさっきの小瓶だ。くすんだ灰色、の陶器みたいな素材。装飾はほとんどなくて、つるんとしていた。
「それ、なに?」
「メージャが好む酒だ」
マトがニヤリと笑う。
「あっちでもなかなか手に入らない代物だ。これを絶対に欲しがるやつがいるんだ。ちょっとこれから高く売り付けてくる。すぐに帰ってくるから、大人しく待ってろ」
マトはペンギンさんを一体、わたしに預けて、どこかに出掛けていった。




