第9話 鳥籠の龍姫
すっかり日も暮れ、午後9時を回った頃。
人影のない廊下を、リンキは独り歩いていた。
結局リンキはメトラに完全敗北した。負けたのだから、約束通り寮から出ていかなくてはならない。あの後スズリはメトラに詰め寄って、何やら延々と抗議していたようだったが、約束は約束ということで、結局は何も覆らなかった。
スズリに助けられ、この寮に入ってから実に30時間。おそらく最速記録を狙えるであろうスピード追放である。
間接照明の並ぶ長い廊下。右手には窓。黒い山影の端から大きな月が覗いている。
文字通り身ひとつでここへ連れてこられたので、出ていくときも当然荷物はないはずだった。ただ、スズリと乙多見が気を遣って、食べ物やら着替えやらを詰めた鞄を持たせてくれたので、それだけを抱えて玄関へ向かう。こんな時間になってしまったのも、この鞄の中身を詰めていたためなのだが。
できれば日没前の方がありがたかったな、などと思いながら、しかし2人の優しさには感謝しかない。元はと言えば強引に誘拐されたようなものだが、そもそも故郷に帰るべき場所を失ったリンキにとっては、たった1日だけでも"居場所"を提供してくれたこと自体、それなりに嬉しいことだった。
階段を下ると、すぐ先にエントランスホールがある。既に照明は落とされ、冷たい色の常夜灯だけが弱々しく出口を示している。
ふと、リンキは視野の隅、明かりが灯っているのに気付いた。扉の隙間から、室内の光がホールの薄闇に零れている。まるで燈火に惹かれる夏の羽虫のように、その部屋へ足を向ける。
【談話室】と書かれた真鍮のプレート。半開きの扉を押す。蝶番がか細くキィィと鳴る。
「――まだいたのか。久々原」
柔らかな薄橙色の光の中、布張りのソファに身を沈めて、土師方メトラがいた。アライアンス寮の寮長であり、リンキを追放した張本人である。
「もう、出ていくので。気にしないでください」リンキは素っ気なく返す。
「そうか」メトラの声も無感動だ。「やけに潔く出て行くんだな」
「もともと、望んでここへ来たわけじゃないので」
「スズリは熱心に君を留めようとしていたが」
確かに試合後のスズリは、終始怒りを露わに「レイディアントはいつも私から全てを奪っていく!!」などと喚き散らしていたし、同じ勢いでメトラにも抗議していた。それはもうすごい剣幕で。当のメトラは何ひとつ聞き容れなかったようだが。
「故郷へ帰るのか」
「いえ……たぶん帰る場所はないので、どこか働けるところを探します。また少年兵をしながら、お金を稼ごうと」
その言葉に、メトラは一瞬だけ、まばたきを装って目を伏せた。
「――あの時、私がコアを砕いた後、なぜ抵抗をやめなかった?」
「……」
「どれだけ足掻いても、状況は変わらないと分かっていたはずだが」
正直なところ、リンキにも確かな理由はない。あの時は意識も朦朧としており、まともな判断などできる状態ではなかった。ただ、強いて言うのであれば、
「……姉さんなら、たぶん同じようにしたはずだから」
「姉がいるのか?」
「今はいません。両親が売ってしまったので」
どうせ最後だ。もう会うこともない。リンキは全ての経緯を話した。生い立ちのこと。孤児院での暮らしのこと。少年兵のこと。売られていった姉のこと。爆弾にされかけたこと。そして助けてくれたスズリのこと――。
「僕は、魔法少女になって、強くなって、そして姉さんを取り戻したいと思ったんです」
「そうか。確かに、男児の君では、魔法少女には到底太刀打ちできまい。戦場でも、社会的な地位という意味でも――」
その言葉に、なんとなくリンキにもメトラの考えが理解できた。徹底して魔法少女至上主義なのだ。戦場の主力は相応の権力を持つ。そして魔法少女になれるのは少女のみ。男性は当然魔法少女になれない。故に、リンキが魔法少女になろうとしたことに対して反発したのか。少女による武力と権力の独占。それがメトラの"正義"か。
しかし、それでもなお腑に落ちない。何故メトラはあれほど強硬に反対したのか。
あの時の態度は、主義主張によるものというよりは、むしろ感情的な反応に近い。
「あの……教えてくれますか。最後にひとつだけ」
「何をだ」
「――どうして、僕が魔法少女になろうとしちゃ駄目なのか」
メトラはリンキから視線を外した。
黙ったまま、窓の外を眺めている。濃紺の空をくりぬいたような白い月が、メトラの瞳に映り込んでいる。
「――――――知りたいか」
こくり、と頷くリンキ。
「……何の参考にもらなんぞ」
そう言うとメトラは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
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むかしむかし、あるところに、小さなお姫様がいました。
お姫様の名前はメトラ。生まれながらにして龍の力を授かった、とても特別なお姫様でした――
――このような語り口が適当であるかどうかはさておき、少なくとも幼き日のメトラは、そう呼ばれるに相応しい出自と素質を備えていたし、実際に「姫」と呼ばれて大切に育てられた。
メトラの生まれ故郷は、アライアンス圏域の端部に位置する城塞都市。いわゆる"辺境"であり、常に敵対勢力からの侵攻に晒される立地にあった。この地を防衛することこそが、メトラの一族に課された使命であり、そのため歴代当主は自ら防衛隊を率い、その子らもまた軍人として育てられる慣習であった。メトラの父親や兄たちも例外ではなかったし、末の妹であるメトラ自身も、兄たちを真似て軍事教練を受けていた。
メトラは母親を知らない。メトラが生まれた直後に他界したためである。これにはメトラの体に埋め込まれた"龍の血"が関わっている。
メトラの生まれた頃はまだ、魔法少女が台頭する前の時代。20世紀初頭から変わらず、火薬と内燃機関が戦場の主力であった。その一方で、魔法技術が新たな戦場を切り開く時代が、着々と到来しつつあった。既に最初期の魔法少女システムは実用段階にあり、また実験的に魔法技術が戦闘に投入された事例が、同時期に報告され始めている。
魔法技術の威力は目覚ましいものであった。既存の武力を完全に凌ぐそれらの技術は、将来において、間違いなく戦闘の在り方を変えることが見込まれた。
だからこそ、メトラの両親は決断したのだ。メトラに"龍の血"を埋め込み、魔法少女として育てることで、来るべき新時代に備える必要があると。――たとえ母体を危険に晒してでも。
魔法少女の能力は、纏う魔法少女システムの性能に依存するが、その性能を完全に引き出すだめには、十分に高い【恩寵値】が必要である。【恩寵値】とは即ち、コアに搭載した人造神格と魔法少女との相性に関する数値。原則として血統に左右される先天的な素質であるが、いくつか例外が存在する。その一つが、受胎時に"龍の血"と呼ばれる遺伝子を胚に埋め込むこと。この方法により、例え特別な血統でなくとも、その子供は生まれながらにして、最大の魔法少女適性を得ることができるのだ。
だが、この方法には致命的な欠点があった。懐胎した母は、いうなれば胎内で"龍に等しい存在"を育てることになる。その負荷の高さは想像を絶する。胎児は無自覚ながら恐るべき勢いで母体から養分を吸収し、着実に母の命を削っていく。しかし母体が耐えきれなければ、当然に死産となる。故に無菌室の中、薬品で免疫を抑制され、常に点滴で栄養を補いながら、内側から体を蝕む苦痛に耐え、出産のその瞬間まで命を繋ぎ続ける必要があった。そしてメトラの母親は、無事に産まれたメトラを受け取ると、彼女を腕に抱いたまま息絶えたという。
メトラの父親は軍人であった。厳しくも優しい人物で、城塞の防衛軍の兵士達からも慕われていたという。城塞都市の主として自ら軍を率い、国境を侵す敵と戦い、アライアンスの領土を守り抜いてきた。
メトラには3人の兄がいた。いずれ父親の跡を継ぐため、3人とも軍人として育てられた。長男は賢く、次男は強く、そして三男は優しかった。なにより3人とも、メトラを「姫」と呼んで可愛がった。メトラのために母親が命を落としたことを知りながら、誰一人メトラを恨むようなことをしなかった。
メトラにはひとつだけ気に入らないことがあった。それは自分の目の色。兄たちは皆、美しいセピア色の虹彩を持っていたのに、メトラの虹彩は上半分と下半分で色が異なるという、非常に奇妙な外見をしていた。ひとえに"龍の血"によるものであるが、とにかくメトラはそれが気に入らなかった。
そんなメトラに兄たちは言った。
「その目は、姫が特別な証拠だよ」
「姫は特別だから、大きくなったら誰よりも強い魔法少女になれるから」
「僕らは姫のその目も大好きだよ。とても綺麗だ」
事実として、将来メトラが魔法少女となることは決まっていた。生まれる前からの既定事実であり、母が託した望みでもある。しかしこの頃はまだ一介の少女であり、特異な虹彩の意味もよく理解していなかった。
いつか魔法少女になる。誰よりも強い魔法少女に。それが皆の、人々の希望だと言い聞かされて育った。
しかし、幸福な日々は終わりを迎える。敵が魔法少女戦力を前線に投入した。
父と兄たちは防衛隊を率い、自らも武器を手に戦った。だが魔法少女の力は圧倒的である。従来の戦力を片手で捻り潰し、幾重もの防衛線と人命を蹂躙しながら進撃を続ける新たな脅威に対して、抗う術はなかった。領主たる父は要塞の放棄を決断。作戦の目的は、敵の撃退から住民避難のための時間稼ぎへと変わった。
当時、メトラも共に戦おうとした。しかし、父や兄たちはそれを許さなかった。
メトラは魔法少女としての素質は保持するものの、肝心の魔法少女システム自体は未完成であった。それゆえに、直ちに戦力として投入するよりも、住民とともに後方へ避難させ、温存する方策が採られたのだが、最終的にメトラを説得したのは、兄たちの言葉と想いだった。
「まだ、人を殺してほしくないんだ」
「姫が戦わなくていいように、そのために僕らは戦っている」
「母さんは姫がここで戦うことを望んでいない!」
かくして、メトラの身柄は、強制的にレイディアント・インダストリ社へと引き渡された。以降、メトラの魔法少女システム開発はレイディアント社が継承することになる。
城塞陥落の知らせを、メトラは疎開先のレイディアント社で受け取った。
兄たちは敵の魔法少女に立ち向かい、敗れ、死んでいった。
そして月日が経ち、レイディアント社の技術を集結し、ついにメトラは魔法少女の力を手にする。皮肉なことに、今度はメトラが魔法の力でもって人々を蹂躙する側に回ったのだ。
全てを圧倒する力を振るい、一方的に人の命を摘みながら、メトラは思った。
力ある者だけが戦えばいい。力なき者は、戦場に立つべきではない。それは無駄な犠牲を増やすだけ。
魔法少女だけが戦い、魔法少女だけが命を落とす世界であるべきだ。
犠牲になるのは私たちだけで十分なんだ。
これが、メトラの辿り着いた結論である。
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「争いはどうしてもなくならない。それ自体は仕方のないことだ。だが、それは無益な犠牲を出し続けることを許容するものではない」
「…………」
「刃と刃がぶつかるとき、必ず刃毀れが生じる。私たちは、その毀れる部分だ。戦いで損耗するのは、私たち魔法少女だけで十分なんだ」
メトラは依然として月を眺めている。まるでその白い表面に、これまでに屠った人々の魂が積もっているかのように。
「なあリンキ。私が他の仕事を紹介する。だから、少年兵だけは――――やめてくれ」
リンキはメトラの言葉の意味を考える。否、考えるまでもない。メトラはただ、弱き者を戦場から離そうとしているだけ。心の底から、そう願っているのだ。
「気付いているはずだ。少年兵は大人に都合よく使い捨てられるだけの道具にすぎない。英雄にはなれないと」
「僕は、姉さんが戻ってくるならそれで満足です。あなたに頼めば、姉さんを買い戻せますか?」
「君の姉はどこに?」
「故郷の……ファルマキアの領主様が買っていったので、まだファルマキアにいるはずです」
「ファルマキア……ユニオン圏だな。残念ながら、ユニオンの領域までは私の力も及ばない」
アライアンスとユニオンは部分的に敵対関係にあり、いくら大手カンパニーであるレイディアント社といえども、その境界を越えてユニオン圏地域に権力を行使することはできない。
「そうですか。――それじゃあ、やっぱり僕は戦場へ行きます。強くなって、お金を稼いで、姉さんを取り戻します」
「おい――」
交渉決裂。リンキは荷物を抱え直し、扉へと踵を返す。
だがその時、ドタバタと騒がしい足音が聞こえたかと思うと、
>バァンッ!!<
「お゛いメトラァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
ドアを蹴破るような勢いでスズリが闖入。
「黙って聞いてれば好き勝手言いやがってェ! 感動的な昔話も個人的な主義主張も知ったことか!! リンキの意思も尊重シロ馬鹿!!」
どうもリンキの後をつけて、廊下で2人の会話を聞いていたらしい。
「私達にはリンキが必要なんだよ!! 残留を認めろッッ!!」
息継ぎすら惜しんで、言葉のバースト射撃を浴びせる。
「だいたいよく考えたら不公平だろうが! 経験と性能とパワーに差がありすぎなんだよ! 公平な条件でもう1戦ヤらせろ!!」
「はじめに提案したのはお前だろうがスズリ」
ド正論である。しかし正論などに屈するスズリではない。
「提案に乗ったのは貴様だメトラァァアアッッ!!」
メトラに掴みかかろうとするスズリを、リンキが必死に抑える。ジタバタ暴れるスズリを厄介なモノを見る目でメトラが睨みつける。もしかすると、この2人は普段からこんな調子なのかもしれないと、リンキは他人事のように思った。そしてどうやらスズリには【自責】の概念がないらしい。
「何故そこまで必死なのか知らないが…………で、公平な条件とは何だ?」
スズリは2本指を立て、メトラの目の前に突き出す。
「私がリンキの側につく。2対1だッ!!!」




