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激闘


 続く一両日のあいだ、海から押し寄せて上陸を強行しようとするスパルタ軍と、陸上からそれを阻止しようとするアテナイ軍とのあいだで、激烈な戦闘が繰り広げられた。  


 上陸戦に不慣れなスパルタ軍は、当初は無謀な接岸によって――つまりそこが危険な岩礁地帯であるにもかかわらず、多数の艦で一斉に岸辺に漕ぎ寄せるという挙に出たために――多くの三段櫂船を失ったが、やがてその戦法の愚を悟ると、今度は少数ずつに分かれて接岸を試みるようになった。


 波打ち際にはすでに無数の木材の破片や同胞の死体が浮かんでいたが、そんなことで意気阻喪する彼らではなかった。

 むしろ、よりいっそうの怒りに燃えて、彼らは上陸を決行しようとした。


 しかし、迎え撃つアテナイ軍、デモステネス率いる海岸守備隊は、彼らの猛攻を受けてなお、一歩も退かなかった。

 逆に凄まじい抵抗を示し、スパルタ軍を幾度となく波打ち際へと押し返した。


 険阻な岩場という地形のために、スパルタ軍は得意の密集戦列ファランクスでの前進をじゅうぶんに行うことができずにいた。

 これに対し、アテナイ軍は徹底的に地の利を生かして直接刃を交えることなく敵に損害を与える作戦を立てており、これを実行した。


 たとえば岩場の少しでも平坦になる場所には、アテナイ軍の手によって無数の尖った鉄菱が撒かれていた。  

 これは四本の鉄のとげを組み合わせ、どのように置いても鋭い先端が上を向くようになったもので、下手に踏み抜けば歩けなくなる。


 英雄アキレスの唯一の弱点は踵であったというが、いかに強靭な肉体を持つスパルタの戦士たちといえども、サンダル履きの足の裏までを鍛えておくわけにはいかなかったから、彼らはこの仕掛けに非常に難渋した。  

 正面きっての戦いを良しとするスパルタの戦士たちはこの戦法に激怒し、さんざんにアテナイ軍を罵ったが、


「ははん、何を言うとるねんな。あーんな筋肉オバケどもと正面切って殴り合うなんちゅうアホウな真似、誰がするかっちゅうねん!」


 と、デモステネスは部下たちに向かって肩を竦め、指先でこつこつと自分の額を叩いてみせた。


「ほんのちょっとでも頭のある奴なら、艦隊規模の敵を相手に、百人が正々堂々の勝負を挑んでくる……なんちゅう発想自体がアホの産物やっちゅうことに気付きそうなもんや。これやから、戦闘バカの美学っちゅうやつは始末に負えへん! まあ、ちょっと前には、三百人も枕並べて討ち死にしはった国やから、そういうのが、かっこええと思うてはるんやろうな。……僕らは、違うけどなあ!」  


 デモステネスはスパルタ人の頑迷さを馬鹿にしていたが、ひとたび一対一で武器を交えることになれば、自分たちでは到底彼らに太刀打ちできないであろうことをよく知っていた。  

 だからこそ、徹底して策を弄した。


 鉄菱によって前進の速度が鈍ったスパルタの戦士たちに、アテナイの弓兵たちが放つ矢が降り注ぐ。

 弓兵たちが主に陣取っているのは、あちこちの岩場の陰、そして陸上に引き上げられ、防禦柵を建てめぐらせた三段櫂船の甲板上だ。

 弓兵たちの攻撃によって足並みの乱れたスパルタ軍に、デモステネス率いるアテナイの重装歩兵たちが襲いかかる。  


 彼らは徹底して一対一の戦闘を避け、常に多数をもって少数に当たるという姿勢を崩さなかった。

 少しでも不利な状況になれば歩兵たちはすばやく退いて損害を最小限にとどめ、体勢を立て直してから、機を見て再び襲い掛かるという、陸上から寄せては返す波のような戦法をとった。  

 スパルタの戦士たちは、アテナイの歩兵たちが退いてゆく機に猛追をかけようとしたが、弓兵たちによる盛んな応射に妨げられ、一挙に突撃することはできなかった。

 


 こうして、熾烈な戦闘は一進一退のまま、時間だけが過ぎていった。  


 艦隊を率いるスパルタ人の司令官たちは、一向に破瓜のいかない戦況に苛立ちを隠せずにいた。  

 何しろ、彼らの全兵力のうち、現時点で陸地に到達できた者はほんのわずかであり、その他の者たちは岩礁と海岸線の険しい地形に阻まれ、陸にあがった同胞たちの苦闘を船上から空しく見守るだけになっているのである。


 司令官たちは、兵力を小出しにしてはそのたびに打ち破られるという、戦術の最も愚かな型にはまってしまっている自分たちの状況を理解してはいたが、地形という天然の禦ぎの前には為す術がなかった。

 何しろ、強引に上陸しようとすれば岩礁に突き当たり、陸地に降り立つ前に、艦がばらばらになってしまうのだ。  


 スパルタのブラシダス将軍は、自らも三段櫂船長であったが、この状況を見て切歯扼腕し、接岸しあぐねている操舵手を今にも殴りつけかねない剣幕であった。


「敵とその砦を目の前にして、木材ごときを惜しむ奴があるか! 躊躇せず、海岸へ突っ込め! たとえ艦は粉砕したとしても、引き換えに上陸を果たし、敵を血祭りにあげるのだ!」  


 彼はとうとうそう叫び、操舵手を押し退けると、自ら舵をとって接岸を試み、驚いたことにそれを実現した。


 だが、迎え撃つアテナイ重装歩兵団が激しく応戦したため、さしものブラシダス将軍も前進することができず、とうとう波打ち際まで押し返され、全身に傷を負って意識を失い、危ういところで味方に収容されるという事態にまでなった。


 彼はその際に、自身の盾を海中に取り落とし、アテナイ軍に奪われてしまった。

 敵に盾を奪われるということは、スパルタ人にとって非常な不名誉である。

 それが他ならぬ猛将ブラシダスのものであったという事実は、スパルタ人たちに少なからぬ衝撃を与え、他方、アテナイ側の士気を大いに高めた。


「これを見ィ! 勝てるぞォ! 皆、それぞれの持ち場で粘り切れェ!」  


 長身を砂と血に塗れさせて砦に戻ったデモステネスは、奪った盾を槍先に括りつけて従卒たちに高く掲げさせ、各部署を回っては兵員を鼓舞して回った。


(ザキュントスからの援軍は、もうすぐ来る……! このまま、しのぎ切ることさえできれば!)  


   


 一方、スファクテリア島の北側の高台では、エピタダス将軍率いるスパルタの男たちが、戦いの様子を見守っていた。  

 島と本土とのあいだの距離はさほどでもなかったから、優れた視力を持つ者ならば、上陸戦の大まかな趨勢を見て取ることもできた。  


 レオニダスは急ごしらえの物見台に上り、アテナイ軍が立て籠もるピュロスの砦の方角をじっと見据えていたが、すぐに降りてきた。  

 地上で待っていた一同のあいだに流れる空気は重く、硬く張り詰めている。


「味方は、まだ、苦戦しているのですか?」  


 沈黙を破ってクレイトスが問い掛けたが、レオニダスはちらりとそちらを見ただけで、答えることはしなかった。  

 己が口にする言葉が、運命の女神たちモイライの耳に入ることを恐れるかのように。  

 クレイトスは目を伏せ、《獅子隊》の男たちは顔を見合わせた。


「くそっ」  


 同じくその場にいたディオクレスが、だん、と地を踏んだ。

 その背後で、彼の念弟エローメノスであるヘファイスティオンが不安げな顔をする。


「エピタダス将軍! 今からでも遅くはない。我々も島を出て、上陸戦の加勢に!」  


 噛みつかんばかりのディオクレスの主張に、エピタダス将軍はじろりと視線を返し、それだけで、相手の言葉を封じた。


「本国からの命令は、このスファクテリア島を死守せよということ。我々は、動かぬ」


「くそっ!」  


 ディオクレスが再び吐き捨て、顔を背ける。

 ディオクレスとて、理解しているのだ。

 地形に阻まれ、多数での上陸が困難な状況で、自分たちが加勢に赴いても無駄であるということを。 

 だが、抑えがたく湧きあがる焦りが、彼の中で渦を巻いていた。 


 彼だけではなく、その場の誰もが、同じ焦燥感を抱いていた。  

 一瞬にして叩き潰せると思っていた、急造の砦に籠もるアテナイ軍が、まさか、これほどまでの粘りを見せるとは。  

 急がなければ――


「総員、休息をとっておけ。今のうちにな」  


 エピタダス将軍が告げ、その場の空気がざわめいた。


(どうか、早く) 


 レオニダスは、祈る思いで拳を握り締めた。  

 急がなければ。

 このままでは――


 ザキュントス島から、アテナイ艦隊がやってくる。



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