第1話 前世
「いつまで寝てるの、夏休みだからってだらだらしないの、お兄ちゃんっ!」
可南子の声と共に部屋は目映い日射しと熱気で溢れる。
「うぇぇ。おま、せっかくの遮光遮熱カーテンの効果を台無しにすんじゃねーよ。SDGズって聞いたことねえのかよ。バカ可南」
春休みGW返上でバイトして手に入れた、夏休みはベッドでごろごろ朝寝坊三昧の為の遮光遮熱カーテン。これとガーゼケット──これもバイト代で買った。通気性抜群、ムレて痒くなることも激減した。ドコが?それは内緒。だって男の子だもん!思春期だもん!──と扇風機の三点セットをお供に、せめて九時いや八時までは、寝ていたい。ベッドヘッドの時計に目をやれば。
「~!!まだ六時前ぢゃん!!」
俺はガーゼケットを頭から被るとイモムシよろしくコロンと転がる。間違っても仰向けにはなれない、可南子が部屋を出てくまでは。
おわかりいただけただろうか?
健康な男の子にはね、朝にはイロイロ事情があるのだよ。イロイロとね!
「う~」
暑い。まだ五時台とは言え、めでたく梅雨も明け突入した夏休みの太陽は攻撃力が高い。暑い。
通気性の良さが売りのガーゼケットでもエアコン無しで頭から被るもんじゃない。暑い。ものすごく暑い。暑いなんてもんじゃないくらいには暑い。
「可南ぁ、早く出て行けよ」
「や」
くそぉ。
ケットの隙間から可南子の様子を伺う。どうやら窓辺に立ち外を見ているようだ。鼻歌が聞こえるよ。ご機嫌だ。
コレは居座る気だな。
家の前は通学路。正門まで徒歩十五分とビミョーな距離だが、ウチの高校のサッカー部とかバスケ部とかの朝練に向かう生徒は電車もバスも使えないから皆自転車通学だ。六時半には朝練が始まるから、きっと可南子のお目当てさんも前の通学路を通るのだろう。
可南子を追っ払うのをあきらめて、俺はベッドで胡座をかいた。モチロン、下半身はガーゼケットで覆っている。可南子が通学路に気をとられている隙に戦略的撤退を試みた。要はトイレに駆け込んだってこと。空いててよかった。スッキリしてからも一回寝直したらいい。いやもうリビングでごろ寝、これでよくね?エアコンあるし、コッチの問題もたった今片付いたとこだし?
俺の部屋は道路に面した東南側の二階。元和室で押し入れもあった。
母さんが相続した昭和レトロな中古の戸建住宅は、外観以外は全面リフォームしたんで意外と使い勝手は良い。
生活道路で広くはないが、お向かいさんは平屋の日本家屋なんで、日当たりはいい。超いい。良すぎる。正直、良すぎて困ってる。
なにしろ二階の俺の部屋へは日の出と共に日射しが入り込むんだ。毎日。雨や雪や曇りじゃない限り。
採光の為とかで東と南の壁には、壁の三分の一を占めるデカい窓があるからな。
おわかりいただけただろうか?part2。
つまりはそう。
俺の部屋は、夏は日の出と共に無っ茶苦茶暑苦しくなるんだ。しかもエアコン無し。なんで?
イヤ、俺が継子だとか虐待されてるとかじゃないよ?
リビングダイニングキッチンに家族それぞれの部屋のうち、エアコンがあるのはリビングのみ。
ここの一台でスライドドアで間仕切ったダイニングもキッチンもまとめて冷やす。とってもパワフルだ。
母さんと可南子はリビングに布団を敷いて寝てる。
ちなみに父さんは只今絶賛単身赴任中。会社が用意した単身者用ワンルームマンションは全室エアコン完備。つっても一台きりだけどな、ワンルームだから。
一人で一台、かたや三人で一台。
解せぬ。
「節電の為よ」
にっこり笑って母さんは言った。ヒラヒラ振っているのは電気代の明細書だ。
「円安だし物価高だし、電気代も上がったし。上がらないのはお父さんとお母さんのお給料だけ」
「お兄ちゃんの成績も上がんないよね」
「うるせー、成績上がんないのはお前も同じだろバカ可南」
「バカって言うほうがバカなんですぅ」
「可南だって」
「やぁよぉ、命懸けで産んだ可愛い我が子のおバカ率百パーセントなんて」
見た目も、ついでに頭の中身もよく似た年子兄妹の口喧嘩は、母さんの嘘泣きに止められた。
え~ん、なんて口で言いながら目を隠した指の隙間からこっち見てんの知ってるんだからな?
「いやそこは『ふたりとも馬鹿なんかじゃないわよ』とか否定するところでは?」
「大丈夫。昔から『馬鹿な子ほど可愛い』って言うのよ。お兄ちゃんも、可南ちゃんも、とぉっても可愛いわ!」
「ソレ、ちっとも大丈夫じゃねーよ」
母さんはけらけら笑う。
ウチは父さんが単身赴任歴=入社歴ってばりばりのサラブレッド社畜(じいちゃんも同じ。当時はモーレツ社員とかなんとか呼ばれてたって)だけど、母さんが一事が万事この調子。おかげでさみしいとか感じることがなかった。父さんの影が薄いってことでもあるわけだけど。
「俺、夏休み中バイトするからっ!電気代支払うからさ、お願いしますっ!おかあさま!!」
俺の部屋にエアコン設置して、と土下座したのに。
「駄目」の一言で却下された。
「なんでー」
「お兄ちゃんにはね、学生時代にしか経験できない夏を過ごして欲しいの」
母さんが遠い目をして言った。
「過ごそうとしてるよ、俺、学生時代、夏休みにしかできないことして」
名付けて『夏休み、四十日間耐久ごろ寝うたた寝朝寝三昧』。朝飯食って昼までごろごろ、昼飯食ってまたゴロゴロ。晩飯食って風呂入ってごろごろごろ寝の末の寝落ち。これぞ至福。
どうだ。こんなにごろごろした夏なんて、学生時代、親と同居のあいだにしか経験できない超貴重な体験じゃないか。これぞ男のロマンだろ。
「なんなの、その若さの煌めきも輝きも欠片もない夏は」
「ごろごろゴロゴロ雷じゃああるまいし」
母さんと可南子は俺に冷たい視線を向ける。
もおー。なんで理解出来ないかな、男のロマンが。ジェンダー間の相互理解の不足による悲劇の一端が我が家にももたらされたのだ。
こんなときは父さんが単身赴任族であることを恨めしく思う。父さんなら、俺の『夏休み、四十日間耐久ごろ寝うたた寝朝寝三昧』にかける情熱とロマンを解ってくれるはずなんだ。
しかし。
ふんす、と鼻息荒くギュッ、と拳を握り締める俺の傍らで、母さんが無情な宣告を下す。
「エアコンは買いませんし、設置もしません。その為のアルバイトも禁止!」
「そんな横暴な」
「当たり前です。不規則な生活の為に高い電気代払う、その為にアルバイトするなんて絶対許しませんからね?」
ええー!俺の夢生活が……男のロマンが……
「夏のあいだはお兄ちゃんもリビングで一緒に寝ましょ。母子三人、川の字になって」
「あたしお兄ちゃんの横はイヤだから」
「じゃあお母さんが真ん中で」
「俺は!絶ッ対に!イヤだからな!!」
一緒になんて寝られるもんか。ベッドじゃなくて布団並べて雑魚寝なんだぞ。トイレ行く時とかは枕元移動するし、その為に真っ暗にはせず豆球が点いてる。本読むのは無理な暗さだけどシルエットはわかるし、寝顔もばっちり。地味にヤだろ、親や妹にンな間抜け面見られんの。
それに俺は寝相が悪いんだ。枕が足元に移動しているとか普通だし、ベッドヘッドに足が乗っかってることも珍しくない。掛け布団?夏場そんなん被って寝てる男子高校生なんてこの世にいないよ?特に俺の部屋はエアコン無いからね。パジャマの前はだけてズボンもズリ落ちてて半パン、なんてことだってしょっちゅうだ。そうなったらわかっちゃうだろ?
生理現象だから気にすんな、って?
そんなの、そんなの、絶ぇッッッ対、に!イヤに決まってんだろー!!
だから俺は二階で寝る。
エアコン無くてもかまわない。エアコンのユーワクには負けねえからな。
なんてな。
エアコンのユーワク、に負けなかったからなのか。
気づくと俺は小説の世界とおぼしき異世界に転生していた。
しかも女子として。