新世界《弐》
この世界は、色が濃い。
中天を少し過ぎた太陽の下、アルフォンスは唐突にそんなことを思った。
一行が二手に分かれてから、すでに数時間が経過していた。扉の丘を東西に分かれる形で下ったあと、アルフォンスらは東へと歩を進めていた。
異世界は、一体どんなところなのだろう。
賢者に導かれて旅先を決定してから、アルフォンスはずっと考えていた。思いを馳せれば馳せるほど、緊張や恐怖、希望や楽しみが交錯する。それはドキドキとワクワクが入り混じる、村を旅立った時と同じ感覚だった。
だが獣界は今のところ、獣族たちの容姿のほかは人界となんら変わりがない。いくら植生が異なるとはいえ、前を行く獣族の存在さえなければ、他の大陸に渡っただけと思うこともできただろう。
ただ、唐突に頭に浮かんだ感想の通り、植物はいずれも力強く天に向かい、強い生命力が感じられる。そのためか、この世界全体が色濃く、力強く感じるのだ。
道案内をする草獣族たちは、アルフォンスたちが質問すれば何でも答えてくれた。獣族の中の対立関係、およその人口、独自の生活習慣など、何でも。
しかし、どれだけ詳しく話を聞いても、一度も草獣族から話しかけてくることはこなかった。
(あくまで、礼儀なんだな~……)
牙獣族のように人族に攻撃することはないとはいえ、これはこれで引っかかるものがある。
自分が自分であるがゆえに、人族であるがゆえに拒まれる。こんなのは生まれて初めての体験だ。
アルフォンスはチラッ、と視線を左に向けた。その視線の先にはラルフがいる。
こんな扱いは自分は初めてでも、ラルフは違う。ラルフはラルフであるがゆえに、妖力が強いがゆえに、生まれてからずっと拒まれてきた。リネアだって同じように、ずっと。
アルフォンスはこの体験がいいものだとは思えない。こんな状況を少しでも改善したくて扉をくぐったのだから。それでも仲間の苦しみを知ることができたのは、自分にとっていい経験になるとも思えた。
やがて夕暮れ時になり、アルフォンスたちはようやく草獣族の住処に到着した。
ここは草獣族の住処の中で、一番扉に近いとのことだった。が、あまり規模は大きくないようだ。一見したところ、家屋とおぼしき建物は十数戸しかない。中心にある大屋根の一軒を除き、それぞれの大きさも小屋と表現するのが相応しいぐらいだ。
辺りを観察するアルフォンスに何を思ったのか、草獣族の若者が初めて自ら口を開いた。
「今日はここで一泊しますが、明日は別のムラに向かいます。かなり距離はありますが、多くの一族が集まっている場所です」
このムラは変哲のない場所ですし、と続けて。
(ってことは、これが草獣族の平均的な集落なんだ)
草獣族は『ムラ』と言ったが、その意味は人族の『村』とかなり異なる。
五つある世界、十七の民。その中で『国』にはじまる複雑な行政単位を形成したのは、記録できないほど古代から人族のみである。
人族も太古の昔は獣族などと同じく、ムラを形成した。ムラは群、単なる集落だ。いくつかの家族が集まり、協力して生活を営む空間でしかなかった。そこから人族は支配する者とされる者に分かれ、争いを生み出した。
これを人族は『歴史』と呼ぶ。人が生まれ育ちゆく中で、変化は然るべきこととした。しかし、他の民は一同にこれを拒んだ。同じ民でありながら争い続けるなど愚の骨頂と言って。
このように人族全体に負の感情を向けられていることは悲しいが、アルフォンスはこの事を知ったとき、恐怖した。誰もが人族を蔑みながら、同じことを妖力が強い人々にしていると気づいたからだ。
(なんで気づかない……!?)
三ヶ月の修行中、隠者から学んだ世界の様々な真実。知ったときは呻いた。いっそのこと、叫びたかった。
(それとも、とうの昔に気付いている……? 気づいていても、他の民なら構わないの?)
それこそ愚の骨頂だろうに。
人界には基本、人族しかいない。だから相手に多少の差をみつけては差別し、支配し、争ってきた。そこから生まれる悲惨な歴史は今も続いている。
その『歴史』を嘲るというなら、目に見えて存在する『被支配者』の民たちは、どれだけ辛く悲しい思いをしてきたのだろうか。
人族が全て正しいなどとは思わない。それでも、他の民が正しいとも思えない。
こうして世界の真実を知った夜、アルフォンスはひっそりと、一人で泣いた。いつもなら――旅の途中なら、どんな恐怖も悲しみも、そばで支えてくれる仲間がいた。けれど、この途方もない問題は、すがりつく相手がいないときにやってきたのだ。
砂漠でリネアの真実を知った時、世界の現実を知った気でいた。しかし、それはあくまでも表面にしか過ぎなかった。単に嫌悪や憎悪が原因ではない。妖力を持つ者への差別は、あまりにも根深く複雑だった。
「アルフォンスさん?」
「!」
暗い思考ばかりが頭を占め、アルフォンスはしばし周囲の状況が認識出来ていなかった。だが、その顔を覗きこむように言ったニーナの言葉を認識した途端、まるで霧が晴れたように意識が明瞭になった。
「どうなさったんですか? どこか具合でも…?」
「い、いやいやいやいや! ごめん、ちょっとボーッとしてただけ!」
いきなり思考の海から引きずり出され、アルフォンスは思わず慌ててしまった。草獣族のムラに着いた途端に黙り混んだので、ニーナに心配されるのも当然であろう。
「そうですか? 具合が悪いようでしたら、遠慮なく言って下さいね」
「……うん。頼りにしてるよ、ニーナ」
「はい!」
花のようにほころぶニーナの笑顔に、つられてアルフォンスも笑みを浮かべた。
頼る、という言葉に嘘はない。なにせ草獣族とともに来た四人のうち、他人も癒せる本格的な回復術が扱えるのはニーナだけなのだ。
もともと僧侶の法術は回復に特化している。だからこそニーナは回復術を見習いの頃から行使できたが、僧侶でなければリネアや賢者のような天才でない限り難しいのが現実だ。
アルフォンスは基礎を覚えたばかりで、自分の擦り傷程度を治すのがやっと。ラルフは威力だけならそれなりだが、やはり自分にしか使えない。クレアに至っては職の性質上、回復術を習得していない。
ゆえに三人を補助する存在として、ニーナに寄せられる期待は大きい。僧侶は回復術以外にも、身体の健康に関する様々な知識を習得しているのだから。
「お二人とも、今夜の宿が決まったようです。あちらの建物に……」
そこに、ラルフがやってきた。指差したのはムラの中心にあるあの大きな一軒屋だ。ラルフの先導で先に向かったというクレアのもとに行くと、温厚なクレアには珍しく、再び草獣族との間に何やら不穏な空気が流れていた。
「あれ? クレア、どうしたの?」
「ええ、それが……」
クレアが言い淀みながらも、確かにラルフを見た。それだけでおおよその事態は把握できるというもの。
(ここでも、か……)
扉の丘でラルフに向けられた視線、その悪意が具現化しただけのこととはいえ。
「……何が、あったの?」
思いがけずに出た冷たい声に自分でも驚きながら、アルフォンスはクレアに事の次第を確かめた。聞けば、ラルフの部屋だけ用意されていないという。しかもクレアの部屋だけ特別な設えだ、とも。
「界王の血族を特別視するのはともかく……。非のない誰かを貶める行為は、とても愚かで恥ずべき行為ですわ。そのことを申し上げていたんです」
アルフォンスが加勢に回ったことも手伝い、クレアが口調を強めて言った。
「私の仲間を認められないというのなら、その仲間を信じる私を認められないということ。綺麗ごとは結構です。素直にお気持ちを仰ってくださいな」
ラルフへの――妖力が強い者への対応を界王の血族に面と向かって非難され、その場にいた草獣族の顔が歪む。彼らにとってはこれが当然の行為であり、非難されるなど考えもしなかったのだろう。
扉の丘からずっと無表情、もしくは貼り付いた笑顔で応対していた草獣族が、ここにきてようやくラルフへの嫌悪感を顕にした。
「お客人を迎えるのは、獣王様にも命じられた私たちの仕事。しかし、それ以上は私たちの判断に従っていただく」
「ここは我等、獣族の土地。天界や人界とは道理が異なるのだ。それくらい理解していただこう」
態度を一変させた草獣族に対し、最初に言葉を返したのは、これまで一度も草獣族と会話をしなかったラルフであった。
淡々と、そしてゾッとするほど美しい笑みを浮かべながら。
「私は皆様のお側にいられるのであれば、どのような場所で寝ようと一向に構いません。そもそもこんな場所では、おちおち寝ていられない」
ラルフにとって敵意しかない場所で、安眠など到底無理な話だ。ならば室内で寝る必要はないし、むしろ外で見張りながら、仲間の安全を確保したい。そのほうがよっぽど心休まるというもの。
それに――。
(外で寝るほうが慣れている。まったく、この程度で嫌がらせになるとでも思うのか?)
与えられた安全より、自ら確保した安全のほうが、より信頼できる。消したくても消えない過去が、自分の内から大声でそう叫ぶのだ。
「皆様はお疲れでしょうし、どうぞ中でゆっくりとお休み下さい」
「それは駄目だよ、ラルフ」
「しかし……」
「旅の目的を忘れたの? ――少し、黙っていて」
静かな、それでいて強いアルフォンスの怒気に圧され、ラルフは思わず後退りした。ニーナやクレアも驚いたまま、事の成り行きを見守っている。
「僕たちがなぜ獣界に来たか、皆さんはご存じないですよね。それはこういう事態を改善するためです。さっき、あなたは理解しろと言いましたが――」
ギュッと手を握りしめたまま、アルフォンスは草獣族の青年に向き合った。青年はアルフォンスの雰囲気にのまれながらも、後ずさることなくその場に踏みとどまった。しっかりと睨みを利かせ、言葉を返す。
「ああ、そうだ。だが、事態の改善だって? 何を意味の分からないことを……」
「あなたも理解するべきだ。なぜ、ラルフはこんな目に合わなきゃいけないんです? 神とも称される界王の血族が大切にされるのは理解できます。界王に命じられたから、本当は嫌々であっても丁重に客人をもてなすのも。じゃあ、なんでラルフだけは違うんです?」
「そんなの……!」
言いかけて、青年は言葉に窮した。そんなの、決まっている。それはそいつの妖力が際立って強いからだ。
喉まで出かかったこの言葉の意味を、青年は獣族の中では珍しく、しっかりと理解していた。これを言ってしまえば必ずその先を追及される、ということまで、しっかりと。
「それ、は……」
「確かに珍しいですよね、妖力が強いのは。滅多にいない。しかも骸を操れる力だし、負の象徴の筆頭なんてのもうなずける。だけど、それが何だっていうんです? 他の力でも――いや、特殊力なんかなくても」
――青年がついに一歩、小さいながらも後ずさった。
「人は殺せる」
この言葉を発したアルフォンスがスッ、と一歩進んだ途端、金縛りが解けたかのように、獣族の青年たちは各々の武器を掴んだ。しかしアルフォンスはそんな周囲を気にすることなく、つかつかと話していた青年のもとに近寄っていく。
「ア、アルフォンスさん!?」
様子を見守っていたニーナが、場の空気に不穏なものを感じて、アルフォンスを引き留めるため駆けだそうとした。しかし、それをクレアが強い力で引きとどめた。
「ニーナちゃん、大丈夫。アルフォンス君は誰も傷つけないわ。周りの人も驚いているだけ。ちょっと待ってみましょう」
「え、で、でも……」
「大丈夫よ。アルフォンス君だもの。――ニーナちゃんも、本当はわかっているでしょう?」
「……はい」
ニーナは自分を引きとどめたクレアを見、そして獣族の青年と近距離で対峙したアルフォンスを見た。
扉をくぐる前に、誓った言葉。そうだ、大丈夫。あの約束を思い出せば、何も怖いことはない。ない、はずだ。
(アルフォンスさん……!)