地下道の幽霊3
詩乃が泣き止んだ時、わたしはさっきまでのわたしじゃなかった。
愛理香のこと、まずはいろいろ聞かなくちゃと思っていた。だから、詩乃が落ち着くのを見計らって聞いたんだ。
「詩乃、愛理香はどこでいなくなったの?」
もしも誰かが隣で聞いていたらわけのわからない質問だったと思う。現実には愛理香はいなくなっていないのだから。愛理香の意識は、何処でいなくなったのか。重要な質問だと思っていた。
サツキはモールで悪夢から脱出した。
田中君は高速道路の下だ。
どちらも現実に存在する場所だった。
じゃあ愛理香も現実の何処かへ出たはずだ。そこへ行ってみたら何かわかるかもしれないと思ったのだ。
なんで?と言われても答えられない。そんな気がしただけ。
「愛理香は・・・」
詩乃はしゃくりあげて言葉を切った。
「愛理香は、駅のそばの地下道へ出た」
その瞬間、わたしは背筋が凍るような気がした。何かとてつもない偶然が、とんでもない悪意が、よくわからないけど、何かすっごくやばい何かが。
「地下道、って、こないだ通った駅の地下道だよね?」
間抜けな聞き返しをするのがやっとだった。いきなり出だしから不意打ちを喰らった気がした。
詩乃は頷く。
「なんでまたそんな薄気味悪いところへ?」
「わからない。たぶん直前に通って印象が強かったからだと思う。繋がりやすかったんじゃないのかな」
その駅で切り取られた腕の幽霊を見た、と言っているやつがいる。そして次の日に人身事故でその腕が無くなっている。時間を遡ったのか、それとも未来の出来事を写し出したのか。
リコが言っていたことが思い出された。
「詩乃は知っているよね?その駅で次の日に人身事故が起きたのは」
再び詩乃は頷く。
「今までも、そういうことがあったっていうのは知ってるよね?」
「今まで?どういうこと?それに事故と愛理香は関係ないはず」
わたしは首を振った。
「田中君の時、たぶん同じ時間の同じ場所で交通事故が起きているんだ。ネットニュースで見られる」
「田中・・・1月くらいに来た男の子?」
「そう。夢から抜け出したときの事を覚えてる?」
詩乃は思い出すような仕草をした。
「うん。どこかの道路に出た。高架の下。広い道だった」
「これは推測なんだけど、詩乃が夢から出てくるとき、一瞬だけど現実の世界と繋がるんだと思う」
自分で言っていて不思議な感じがした。ああ、なるほど、と自分で納得してしまう。どうしてわたしはそんなことを思いついたんだろう。
「突然現れた詩乃と田中君を避けようとして交通事故が起きたのだと思う」
「そんな・・・でもあれは夢のことで・・・」
「どうしてそうなるのか、とかそういうことはわからないし、わたしの推理?みたいなものなんだけどね。でもそう考えると何か辻褄があってくるような気がするんだ。だからね、愛理香も駅の地下道にいるんじゃないかって思うんだ」
詩乃は何かを考えているようだった。
「ねえ、詩乃。これから行ってみない?何か手がかりがあるかもしれない。愛理香を現実の世界へ取り戻す方法がみつかるかもしれない」
相変わらずの曇り空だった。
日が傾いて街は薄暗い。
街灯が点き始めていた。駅から吐き出される人影は誰もが家路を急いでいて黙々と歩みを続けていた。わたしと詩乃はその人波に逆らうようにして駅へと向かう。無言の人達を吐き出し続ける駅を通り過ぎ、その向こうの地下道へ。線路の下へと続いていく下り坂は、ほんの数メートル程度だったけれど、まるで地底へと下る抜け穴のような錯覚を引き起こした。
切り取られた腕、だっけ?とわたしは思い出していた。
愛理香のことは気掛かりだったけれど、怪談が怖くなくなったわけではない。思わず坂の途中で足を止めた。
「どうしたの、沙織」
詩乃が振り向いて見上げた。
「ううん、なんでもない」
頭を振って歩き出す。
地下道には人の気配は無かった。こんな人通りの無い通路なんて通行止めのままでいいんじゃないの、と思わず思ってしまう。地面の高さから掘り下げられた坂道。線路を潜り抜けるためのトンネル。数メートルの落差で地下道の路面の高さへたどり着く。暗い地下道には頼りない照明がついていて、そのうち2つくらいが切れ掛かっていて点滅していた。古い蛍光灯のタイプ。
首筋がピリピリとしていた。
人は誰もいない。
詩乃は地下道へと入って行き、わたしもそれに続いた。自動車の通行は出来ない狭い通路だ。自転車やバイクなら通れるけれど、駅の向こう側には陸橋もあるし、わざわざ狭い通路を通る必要も無い。
駅のホームが近いけれど人の話し声が聞こえるほどではない。かすかに電車の発車を知らせるベルが聞こえてきた。頭上を見上げると完全に地下なのではないことがわかる。線路と線路の隙間から空がわずかに見えそうだ。外はもうすでに暗くなっていて気配だけが伝わってくる。
電車の重い車輪が線路を踏みしめた音がし始めた。
すぐにそれは連続音となり、真上を電車が通過する。その騒音で他の音は何も聞こえなくなる。
思わず立ち止まる。
詩乃が不安そうな顔で振り向くのが見えたが薄暗くて表情までは見えなかった。
轟音に包み込まれて世界が切り取られるような感覚になった。
電車が通過してもしばらくは線路のつなぎ目で車輪がたてる音がフェイドアウトしながら続いていった。
「すごい音だったね」
わたしは詩乃に言いながら歩き出そうとした。
その時、わたしは何かに引っ張られた。
「え?」
右腕を掴まれた感覚があり、そしていきなり引っ張られたのだ。
不意をつかれてわたしはよろけると壁にぶつかった。
「痛い」
詩乃が駆け寄ってくるのが視界の片隅で見えた。けれど、それよりも掴まれた右腕に落とした視線の先のほうが・・・わたしの腕を誰かが壁の中から掴んでいた。
何が起きているのかわからない。
そう思っている間に腕はぼやけるようにして消えてしまった。
思わず悲鳴を上げると走り出した。
詩乃が慌てて避ける。
地下道の出口まで全速力で走りぬけた。出口の直角カーブで左へ曲がると急な坂を一気に駆け上がりガードレールに手をつく。
息が切れた。
「なに、あれ。なんなの、あれ」
わけがわからなくなりそうだった。
「沙織、どうしたの?」
詩乃が追いついてきて心配そうに覗き込んだ。
「腕が、腕が」
うまく説明できなかった。
というより、自分でも何が起きたのかわかっていなかった。
「落ち着いて、沙織」
詩乃がわたしの肩に手を置くと少し気持ちが落ち着いた。
「引っ張られた。壁から手が出てきて、引っ張られた」
詩乃は目を見開いた。わたしは息が切れてそれ以上話せなかった。
「沙織、とにかく落ち着こう。シノ、何か飲み物を買ってくる?」
わたしは首を振る。一人にされたくなかった。
さっきのはなんだったんだろう。
見間違い?
それとも怖がっていたわたしが作り出した幻覚?
けれど、と思う。
引っ張られた感覚だけは右腕に確かに残っていた。
一瞬の出来事で、見間違いだったと思いたかった。それまで幽霊っぽいものは見たこと無かったし、霊感があるとは思っていなかった。そもそもそういうところには近付かないようにしていたけれど。
そう考えていると近付いてくる人影に気がついた。
「あれ?なにしてるの?こんなところで」
急に声をかけられて驚いた。
桜木リコだった。小早川も一緒だ。
「リコこそ、何してるの?」
「何って、調査だよ。噂のスポットの」
楽しそうにリコが答えた。小早川が続けた。
「諦めないんだよ、リコが。昨日に引き続いて探していたんだ」
何を?とその時は聞けなかった。
右腕の感覚が言葉にすることを拒んでいた。
「なに?沙織もやっぱり興味あるの?」
リコは嬉しそうだった。どうせ引っ張るならリコにしてくれたら良かったのに、とわたしは思った。
「わたしは別件なのよ。けど・・・」
「なに?腕、見つけちゃった?」
リコが言う。わたしは答えられなかった。代わりに詩乃が言った。
「沙織、さっき腕を掴まれた」




